修煉の中で真の自分を見分ける(二)
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 【明慧日本2013年11月2日】数年前、私が銀行で仕事に没頭しているとき、同僚にCEOの退職祝いパーティに参加しませんかと誘われました。私はあまりにも忙しすぎて、行かないと伝えましたが、彼女に説得されて、私はちょっと遅れて行くと約束しました。

 レストランに行って、ちょうどCEOの向かい側に座りました。私はこれが真相を伝える最後のチャンスかもしれないと思って、真相を伝えました。同僚は「彼は忙しすぎると言って、このパーティを逃すところでしたよ」と冗談を言いました。

 高校でも、私はよく他の先生と一緒に、保護者会や会議の報告の準備等に追われていました。

 ある先生はいつも私の部屋の丸テーブルで昼食を食べました。ある日、彼らが通りかかった時、1人の先生が私の持っていた小冊子を指して、「これを明日の教材にすれば完璧ではないか」と言いました。その小冊子の内容は、法輪功への迫害に言及していました。彼女は私に英語の授業でその話をして欲しいと頼みました。彼女のクラスはちょうど差別と不公正をテーマにした本を読んでいたのです。

 私は話をしたいと伝えました。しかし、私の脳裏に、あれこれ忙しいという考えが次々と浮かんで来ました。私は焦り、この話の準備をする時間がないように感じました。

 その日の夕方、私は「あなたは何のために生きているのか? あなたはこの真相を伝えるために生きているのではないのか?」と自問しました。これは真相を伝える絶好のチャンスだと理解した私は直ちに講義の準備にとりかかりました。

 経文の『人心を放下して、世の人々を救い済度する』の中で、師父は「法を正す時期の大法弟子にとって、個人の解脱は修煉の目的ではありません。衆生を救い済度することこそ、皆さんがやってきた時の大きな願いであり、法が正される中で歴史が皆さんに賦与した責任と使命です」と説かれました。

 約5年の教師生活で、私は「無給休職」の申請条件を満たしていることを知りました。私が「無給休職」を取れば、大紀元をもっと多く支援できるのではないかと思いました。私は学区の労働組合代表に電話をかけましたが、結論としては、ほとんど不可能だという様子でした。2年後、他の先生と雑談した時、この「無給休職」の話題が、再び持ち出されました。私は校長先生に連絡して申請を提出しました。

 私は妻や家族と数カ月にわたり、このことについて交流しました。彼らは完全に支持はしてくれませんでしたが、完全に反対もしませんでした。

 2012年6月、私は校長先生に申請しました。校長先生と数分話をしたら、彼は私の申請を受け入れてくれました。私はこんなにも簡単にできるなんてと大変驚きました。校長は法輪功が迫害されていることや修煉者の生体から臓器が摘出されていることを知っており、私がとても素晴らしい仕事に身を投じる事だと判断して、私の申請を許可してくれたのです。

 私は校長先生と話をする時に、少し緊張していました。その時、私は改めて手紙を書いて、もっと自分の考えを説明しようと予定もしていましたが、こんなに簡単に賛成してくれるとは思いませんでした。このことからも、常人の観念が私の修煉を妨げる唯一の障害だと分かります。

 これは私に師父の『轉法輪』第9講を思い出させてくれました。「功法を修煉すること自体はそれほど難しくなく、次元を向上させること自体には、それほど難しいところはありません。人間の心を捨てられないから、難しいと言うのです」

 大紀元での仕事の楽しさ

 大法弟子が作ったメディアで働き真相を伝えることができて、私は満足でした。これはただの満足感だけではありません。私は面と向かって人々に真相を伝える時、自分が誓約を果たしているように感じました。それは、法を正す期間に「私はこのようにやるべきだ」という感じでした。当然、多くの重要な項目にはまだまだ人手が必要です。私達はどのプロジェクトでも自分の道を切り開くことができます。

 大紀元の仕事をする前、私にとって仕事前の煉功学法はとても困難でした。私はいつも夜の12時、夜中の1時か2時にベッドに入り、朝7時半か7時45分に起きて支度をして学校に行きました。一日の仕事を終えて、帰宅してから、法を学び、功を煉り、他のプロジェクトのことをして、時には息が詰まるほど忙しかったのです。

 これまでの14カ月の中で、私は毎日ではありませんが、ほとんど毎朝5時に法を学び、煉功をし、それから出勤するようになりました。学法と煉功を一日のスタートとして、とても素晴らしく感じました。もちろん、一部の同修は公園で煉功しています。

 私は妻と一つの約束をしました。もし私が大紀元での販売の仕事を一年以上続けてやりたいのであれば、私がある程度以上の契約を結ぶという条件です。10カ月が経ちました。私の実績はこの目標にまだまだ差がありました。私は恐らく元の職場に戻る運命だと思いました。

 6月上旬のある夜、大紀元社員の毎週の集団学法の交流で、私は皆さんに学校に戻る話をしました。私が発言した時、とても悲しくて、頭を下げて、涙を流さないようこらえていました。

 この時、側に座っていた同修は、涙をぽろぽろ流しました。もう1人の同修はとても厳しい表情で私に、「あなたはきっと後悔するよ」と言いました。その夜、私は同修たちの人心のない、大きな慈悲と、ぎっしり詰まった正念を感じました。あの慈悲と正念は、私が対応しているすべての衆生からの支持と信頼だと感じました。

 支持の話といえば、私は大紀元の事務室にある互いに協力し合う雰囲気について話したいと思います。毎月、ゼロの場合もありますが、たとえあったとしても、私はただいくつかの契約しか取れませんでした。しかし、他の販売員とマネージャーはいつも「あなたはきっとできる」と私を励ましてくれました。こうして、1月、また1月が過ぎていきました。

 師父は『大法弟子とはなにか』の説法の中で「望みがなければないほど、望みが目の前にある可能性が高いのです」と説かれました。

(続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/10/25/281726.html)
 
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