【明慧日本2013年11月10日】河南省南陽油田の法輪功修煉者・梁雲英さん(68歳女性)はかつて、農場で班長として働き、仕事を積極的にやり遂げたため、数年間にわたって連続で「優秀生産者賞」を受賞した。しかし、梁さんは多種の病気を患い、苦しんでいた。幸運にも梁さんは法輪功と出会って学び始め、「真・善・忍」の教えに従い、より良い人になるように努力した。すると、梁さんは知らないうちに持病が消え、とても元気になった。
しかし、中共(中国共産党)当局は1999年7.20、法輪功に対する弾圧を開始した。梁さんは法輪功を学んでいるという理由で、14年の間に9回、不当に連行されて拘禁された。拘禁中、梁さんは38回も「トラの椅子」に座らされ、3回、死刑囚につける手足枷をつけられ、常に警官から殴打された。
拷問の実演:トラの椅子に座らされる |
1999年7月、梁さんは北京へ行き、中共当局に法輪功に対する迫害停止を求めた。そのため、帰宅後、梁さんは公安局と職場のリーダーに洗脳班に拘束され、5千元をゆすり取られた。その後、家に帰っても、毎日、朝・昼・夜の3回、職場の保衛科に顔を出さなければならなかった。
2001年4月、職場の保衛科の職員と610弁公室の警官2人は、梁さんの家へ行き、梁さんに「聞きたいことがあるので、公安局までついて来い」と言って、梁さんを公安局に連れて行ったが、公安局に到着してすぐ、梁さんを唐河県留置場に送り、1カ月間拘禁した。その後、梁さんは3千元をゆすり取られてから解放された。
同年8月、車数台に乗った20数人の警官は突然、梁さんの家に不当に押し入り、強制的に梁さんを車に押し込んで南陽市政法委の洗脳班に拘束した。10月、公安局の警官数人は再び、梁さんの家に押し入って家宅捜索を行い、梁さんを連行して唐河(とうか)県留置場に拘禁した。1カ月後、梁さんは油田拘留所に移送され、17日間拘留されて鄭州十八里河女子労働教養所に送られた。しかし、入所の際の健康診断で、梁さんは病気が見つかったため、入所を拒否となり帰宅した。
2002年8月、梁さんは買い物へ行く途中、職場の保衛科の職員数人に身柄を拘束され、強制的に車に押し込まれて洗脳班に拘留された。洗脳班で梁さんは4日間、睡眠をはく奪され、水を飲むことを許されず、「転向」を強制されたが、梁さんは従わなかった。そのため、梁さんは両腕を別々の椅子に手錠で繋がられ、首には布袋をかけられて数人の若者に罵られ、ビンタをはられた。
2003年、梁さんは警官に不当連行され、南陽市尚庄留置場に10カ月間拘禁された。留置場で梁さんは「私は『真、善、忍』の教えに従って、良い人になる努力しているだけで、法を犯していません」と言ったが、警官にビンタをはられ、重い手足枷を3回にわたって合わせて37日間つけられた。
2005年、梁さんは再び警官に連行され、南陽市尚庄留置場に1年5カ月間拘禁された。2007年2月7日、梁さんは留置場から新郷女子刑務所に移送され、1年6カ月間拘禁された。刑務所で梁さんは「転向」しなかったため、独房に監禁されて「トラの椅子」に座らされたり、受刑者に靴で殴られるなどの拷問を受けた。
2009年2月3日、買い物に出かけた梁さんは、610弁公室の警官に公安局まで不当に連行された。公安局で梁さんは手錠をきつくかけられ、手首から出血した。数日後、警官は梁さんを南陽市留置場に移送したが、梁さんは入所の際の健康診断の結果が不合格のため、留置場側に入所拒否となり帰宅できた。
同年9月、買い物に行く途中で梁さんは再び連行され、唐河県留置場に監禁された。1カ月後、梁さんは5千元をゆすり取られて解放された。
11月、梁さんは新野(しんや)県へ行き、人々に法輪功が迫害されている真相を伝えたため、派出所の警官に連行されて県留置場に監禁された。留置場で梁さんは断食をして、無条件に解放することを求めたが、暴力を振るわれた。警官は「法輪功の修煉を放棄すれば、お前をすぐに解放してやる。お前の年金も支給してやる」と言った。梁さんは「転向」せず、紙に「法輪大法は素晴らしい。法輪大法は無実の罪を着せられています」と書いた。そのため、3年6カ月の実刑判決を宣告された。
2010年11月11日、梁さんは新郷女子刑務所に収容された。
入所当日、梁さんは直接、独房に拘禁された。抗議のため、梁さんは10日間断食をした。刑務所で梁さんは「トラの椅子」に座らされて手足をきつく縛られ、苦しめられながら法輪功を誹謗中傷するビデオを見せられた。刑務所で梁さんはいつも、警官に殴られたため、両手が黒紫色になったという。