明慧法会|他人を優先することは大法の要求(一)
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文/中国山東省の大法弟子

 【明慧ネット2013年12月6日】

 尊敬する師父、こんにちは! 同修の皆様、こんにちは!

 私は70代の年配の女性大法弟子です。それほど教育を受けておりません。1997年旧暦の4月8日、とても神秘的な法を得ました。その日から、私の生命は師父と法輪大法と固く結ばれ、いかなる力も私達を別れさせることはできません。私は大法がどれほど大きく、どれほど深いかは理解できません。しかし、大法は様々な非常に不思議な、超常的な現象として私の体に現れ、私は心から敬服させられました。また、私の身に起きた修煉による大きな変化は、私を知っている人達にも大法に対する敬慕の念を生じさせました。師父と大法に対する私の信念は磐石のように固く、荒れ狂う嵐に吹き倒されることもなく、怒濤に押し潰されることもありません。大法は私を作り上げてくださいました。師父のご加護があって、私は神への道を勇猛に精進してきました。次に、私が修煉する中で僅かですが体得したことを師父にご報告したいと思います。

 大法は私の容貌を変えた

 修煉する前、私の容貌はごく普通で、多くの病気を患っていたため、顔色が悪くやつれており、イメージはあまり良くありませんでした。修煉を始めて間もなく、知らないうちに、師父は私の体を軽くて無病の状態にしてくださいました。辛そうな顔から光り輝く笑顔にかわりました。それだけでなく、師父は私の顔立ちまで変えてくださり、醜い顔から誰にも好感を持たれる顔にしてくださいました。師父は私にこの非常に不思議な過程を見せてくださいました。

 もともと、私の額は比較的狭く、両頬骨が出て、あごは細くて突き出ていました。煉功の時、私は何度も、誰かが私の額を上へ引っ張っているのを感じ、時には両頬骨を内側に向かって押さえられ、時にはあごを下へ押さえられるのを感じました。最初、私は気にかけていませんでしたが、その後、絶えず誰からも、私の顔が変わった、きれいになったと言われました。私はやっと気に留め、家に帰って鏡を見ると、自分が本当に変わったと気付きました。もともとは、上下が細く、真ん中が広く、肌がぱさぱさして黒ずんでいた顔が、楕円形で上品なとても自然な顔になり、肌も白くてきれいになり、まったく別人になりました。これは本当に不思議なことで、まるでおとぎ話のようでした。しかし、それは、まぎれもなく私の身に起きたことでした。少し前、煉功中に顔に感じたことを思い出して、私は悟りました。「師父の法身が私の顔を整形してくださったのです。私に美しい容貌と健康な体を下さり、それをみんなが目にして、大法の素晴らしさ、大法が不思議で超常的であることを実証したのです。私は師父の救い済度のご恩に対し、感謝の気持ちを言葉では表現することができません。私は心の中で「今後、修煉の道にどれほどの困難や障害があっても、師父と大法に対して決して動揺することはありません。私は最後まで必ず師父について行き、師父がおっしゃる通りに行い、悔いのないよう、全身全霊を賭してしっかりと行います。師の恩は永遠に忘れません」と誓いました。

 大法の非常に不思議な力は私の身内の人の体にも同じく現れました。すでに94歳の高齢の私の姉は、老衰で足腰が痛いため、長年オンドルから離れることができませんでした。6年前に私が教えた「法輪大法は素晴らしい」「真・善・忍は素晴らしい」と誠心誠意念じるようになって、時間はそれほど経たない中に、姉の腰と足の痛みがなくなり、オンドルから離れられるようになりました。また家から2キロも離れた市場へ行ったり、秋が過ぎてから隣近所の人と連れだって畑に行き、サツマイモや落花生などの農作物を収穫したり、自力で生活ができるようになりました。姉の変化を見て、近所のおばさんも心から大法は素晴らしいと念じるようになり、その人の体もとても大きく変化したそうです。それを知った人は誰でも大法が超常的だと感じました。中共(中国共産党)の人を騙す虚言を見破り、目覚める人もますます多くなってきました。

 私の3番目の姉は辺鄙な山村に住んでいます。飲む水はすべて自家の井戸から汲み上げたものです。村の多くの井戸水は渋くて苦く、まずいものですが、姉の家の井戸も同じで、どうすることもできず、長年、それを飲まざるを得ませんでした。ある年、ある大法弟子が中共の迫害を避けるため、姉の家にしばらく滞在しました。その人が去って行った後、井戸水が甘くなり、もとの渋くて苦い味が変わり、さわやかな美味しい水になりました。噂がたちまち広がりました。多くの人は最初、まったく信じませでした。しかし、自ら飲んだ後に、やっと信じるようになりました。このことが周囲の村落にまで広く伝えられ、美談となりました。実は、このようなことは、大法修煉者の中では数えきれないほど多く、心から真剣に修煉し、大法の要求に基づいて善を修めさえすれば、大法の威力が現れてきます。なぜなら、大法にはできないことはないからです。

 師父のおっしゃる通り、最善を尽くして実行する

 1999年7.20、中共は大法に対して、天地を覆い隠すかのような迫害を始めました。私は何度も上京して陳情し、師父と大法のために正義を取り戻そうとしました。しかし、あの時、法理をよく理解しておらず、師父と大法に対する認識はまだ感性的なものに留まっていました。迫害はただ人間が人間に対する迫害だと理解して、警官に何度も不当に連行され、とても大きな苦痛を耐えざるを得ませんでした。師父の加持と私の法に対する強固な意志によって、一歩一歩、歩んで来ることができました。絶えず真剣に法を学び、次第に法理を理解し、何をしても法に基づいて判断できるようになりました。この数年間、比較的安定して行ってきました。人を助ける過程でも、心性が次第に向上してきました。

 修煉する中では、私はそれほど深く法理を悟ることができませんが、しかし私は一つの原則をしっかりと守り、実行しました。それは師父がおっしゃったことを、自分の最善を尽くして行うことです。迫害が始まった当初、状況はとても厳しく、多くの修煉者は恐れて、家の中で密かに法を学び、煉功しました。多くの学法グループは解散しました。私はそれをみて、とても焦りました。なぜなら、集団学法は師父が私達に残してくださった最も良い形式で、中共が私達を迫害する陰謀を思いどおりにさせるわけにはいきません。そこで私は早くから地域での集団学法に参加し、しばらくしてから、私はまた連絡が取れる同修と交流、検討し、彼らに集団学法に参加することは師父が按排してくださった道を歩むことだと認識させました。私も積極的に方法を考え、地域の学法グループを作り、多くの修煉者が集団学法に参加できる大きな環境を整えました。そのような環境の中で、皆はとても速いスピードで向上しています。今、私達の地区のほとんどの所に学法チームを作り、迫害前の状況に回復し、環境はますますゆったりとして、落ち着いてきました。

 4年前、私達の地域では中共当局の迫害が比較的深刻でした。大きな資料拠点が相次いで破壊され、損失はとても大きく、それから間もなく、小さい資料拠点も相次いで破壊され、資料を作る同修はほとんど全員、不当に強制連行されました。その後、私と直接連絡して、資料を供給してくれていた同修も連行され、私は資料の供給源を失ってしまいました。私はとても焦り、どうすればいいのか分かりませんでした。師父は私の心を見られ、ある技術担当の同修と交流するよう按排してくださいました。そこで、私は同修から学んで、資料作りを始めました。

 その時、私の気持ちは多少矛盾していました。衆生はみんな済度を待っています。資料が突然不足し、それは私が本当に責任を負うべきです。それに私の家の環境は比較的静かで、私は1人暮らしをしているからです。夫は若い頃亡くなり、息子と娘達はすべて結婚して独立し、地方に住んでいます。家の経済的条件は悪くなく、私自身も修煉の基礎があり、小さな資料拠点としては最適です。しかし一方、私は自分が歳だし、教育を受けていないので、とても学ぶことができないのではないかと心配していました。また同修に迷惑をかけるのではないかとも思いました。私は少しも隠さず同修に自分の考えを言いました。同修は聞いた後、とてもしっかりした口調で私を励まし、「あなたにはできます! 私達には師父がいらっしゃいますから! 師父は私達に無私無我の覚者まで修めるようにと教えておられます」と言いました。同修の言葉は私を目覚めさせました。「そうだ! 私は自分が駄目だとどうして言うのでしょうか? 私の生命は大法により作られたもので、法にはできないことはありません。私には慈悲深い偉大な師父がおられ、師父は時々刻々私を加護してくださり、啓示を与えしてくださっています。私はいつも、何度も、何事も他人を優先に考えると言いながら、肝心な時にどうして他人のことを考えないのでしょうか? 優柔不断でこれもあれも恐れて、私心がなんと重いのでしょう!」と考えました。その時、私は自分の修煉の差が見えて、とても恥ずかしく思いました。不足が見えたら、早くそれを是正しなければならないのです。そこで、私は「私の家で資料を作ります」と二つ返事で引き受けました。同修は早々に私にプリンターを買ってきました。私は神聖でありながら、きわめて困難な人を済度するプロジェクトを開始しました。

 最初、真相資料作りを学び始めた時、私はパソコンやプリンターなどがまったく分からないため、小さなマウスだけでも、私の手にはとても重く感じました。それはいつも私の言うことを聞かず、方向が定まりませんでした。最初にパソコンの画面を開いた時、私はどうしていいのか、まったく分からず、お手上げ状態でした。しかし、私の心に固い一念がありました。「私がこのプロジェクトを引き受けたということは、師父が私を選んでくださったのです。それは私が先史に結んだ誓約でもあります。私は師父の弟子です。私は必ずできる、必ずやり遂げます。私は決して師父の期待に背きません」と思いました。私は本当にゼロからスタートして、技術担当の同修がとても真剣に私に教え、私は真剣に学び、すべての名前、操作手順を少しも漏らさず、すべてをノートに書き留めました。同修が帰ってから、私は時間を切り詰めて、しっかり覚えるまで、繰り返し練習しました。

 数日後、師父の加持と技術担当の同修の熱心な指導により、きちんとした、美しい、初めての資料が出来上がりました。私の労働の成果を眺めて、私は心から感動しました。師父の弟子に対する慈悲なるご加護に感動しました! 大法の威力に感動しました! これらの資料は教育も受けていない、しかも70歳近い一人の老人の手によるもので、それは誰も想像できないことでしょう。実はこのようなことは大法の修煉の中では、たいしたことではありません。大法は起死回生ができ、大法は人の本質を変えることができ、大法は知恵を開くことができ、大法は万事万物を作ることができます。大法の不思議さ、偉大さは人類の言葉で表現することができません。弟子はただもっと精進し、もっと多くの良い資料を作って、人を済度して、師の恩に報いるだけだと思いました。

 4年余りの資料作りの過程で、私は師父の慈悲深さと偉大さを切に感じ、また、これは一つのとても良い修煉のプロセスだと体得しました。私の多くの、普段ならとても取り除きにくい執着心、例えば焦る心、歓喜心、顕示心、人に言われたくない心、物忘れやそそっかしいなどの欠点も取り除きました。最初、機器が故障を起すと、機器に問題があるとばかり考え、自分の修煉と結びつけて考えませんでした。表面だけを見て、物事の本質をみていませんでした。機器を修理する時、時間もかかり、体力も要し、同修の多くの貴重な時間を費やしてしまいました。私は心の中でとても恥ずかしく思いました。その後、明慧ネットの同修の交流文章を読んで、私は認識しました。機器に問題が起きるのは、多くの場合は資料を作る人の心性に問題があり、機器の正常な働きに影響を及ぼしたからです。だから、その後、再び問題が起きた時、私は急いで機器の問題を探すことなく、まず真剣に法を学び、内に向けて探し、そして、直ぐにいくつかの修めて取り除かなければならない執着心を探し出しました。問題を正しく見い出せれば、機器も早く直ります。同修が文章の中で言ったように「先に心を修め、それから機器を修理する」。その通りです。技術担当の同修が機器を修理する時、私は側で真剣に観察し、一つ一つを心に刻みつけます。同じ問題を起さないためです。私の心性が高まるにつれ、機器の性能もますます良くなり、ほとんど故障が起きなくなりました。私はそれらの機器を私のパートナーとして扱い、いつもそれらとコミュニケーションを取り、大切にしています。毎回使用する時、私はすべてそっと運び、大事に取り扱い、使用後はきれいに拭き、適切に保管し、少しも傷つけないようにします。資料に使うすべての紙も、私は1枚も無駄にしません。なぜなら、それらはすべて大法の資源です。それらもすべては生命です。すべて大法弟子に選ばれ、人を済度する際に使用されるものです。それらはとても利口で、数年来、すべて黙々と私に協力し、衆生を救う中で大いに役割を発揮してくれました。それらは自分のために素晴らしい未来を選んだのです。私はとても嬉しく、誇らしく思っています。

 私は数年間の資料作りの過程で、仕事が修煉にとって代わることはできない、仕事の中で絶えず心を修めなければならないことを体得しました。また、私は人を救うための資料作りがなんと光栄なことかも感じました。それは師父の私に対する特別な愛護だと思いました、家で資料作りを始めてから、資料が不足したことは一度もなく、いつもタイムリーに衆生の好む資料を作りました。また、同修が資料を配る際にも、自分が外出して配る時も使いやすくするようにしました。いつもプリントと小冊子をうまく組み合わせて配るように手配しました。今年はある小冊子にとても人気があり、私はたくさん作り、私1人でも、数百部を配り、とても効果がよかったのです。

 私の地域では、大法を修める人が比較的多くいますが、しかし、資料拠点は少なく、人を済度する需要を満たしていません。私は明慧ネットが小さい資料拠点に至る所で花を咲かせようと提唱したのは、師父の願望だと悟り、私は師が法を正すことを手伝う大法弟子で、師父が求められたことに円容しなければならないと思いました。資料作りは私1人ですることではなく、もっと多くの同修に参加してもらい、人を済度する力を高めなければならないと私は思いました。私は事を理解すれば、すぐに行動に移します。なぜなら、時間があまりにも緊迫して、貴重なのです。私達が怠けて、のろのろすることは許されないのです。何日間の間に、私は時間を切り詰めて何人かの古い同修の家を訪ね、交流しました。法に基づいて同修達を導き、同修達の教育を受けていないことに対する心配を解消し、自分達の立場と責任を理解してもらいました。師父のご加護のもとで、同修達はとても向上しました。間もなく、四つの小さな資料拠点が師父の慈悲なるご加護のもとで順調に設立されました。この数年間、この4カ所はすべて着実に法を正す道でしっかりと歩み、それぞれに大きな役割を果してきました。師父の慈悲なる済度に感謝し、技術担当の同修の真剣な努力に感謝します。

 (続く)

 (明慧ネット第10回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/11/12/281164.html)
 
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