明慧法会|他人を優先することは大法の要求(二)
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 【明慧日本2013年12月7日】

 慈悲で昔の同修を呼び戻す

 私達大法弟子は一つで全体です。師父は説かれました、「相手のことは即ちあなたのことであり、あなたのことは即ち相手のことです」[1]。この何年間かの修煉において、私は面と向って真相を伝え、資料を配り、シールを貼り、神韻のDVDを渡すなど様々な方法で時間と競争して人を済度しました。それ以外に、昔の同修を探し、難関にいる同修に問題解決の手助けをし、全体を形成して共に向上するようにも努力してきました。それは私の修煉の中の一つの不可欠な部分でした。それによって、私の度量が次第に拡大し、慈悲心も次第に深まりました。

 昔の同修の1人が邪悪の迫害によって、頭がはっきりしなくなり、長年法を離れ、法を学ばず、煉功もしなくなりました。私の心には師父の法があり、ずっと彼女を放棄しないで、何度も彼女の家を訪問し、誠意をもって彼女と話し合いました。彼女は農村で生活しており、農繁期であれば、私は何も言わず、迷わず彼女と一緒に農作業をし、汚いこと、疲れることを恐れず、彼女を自分の身内のように対応し、真心を込めて、彼女を思いやりました。時には、彼女が忙しくて、ご飯を作る時間がなければ、私は黙って、彼女に口に合う食事を買ってきてあげました。彼女はとてもすまないと思っていたようで、心から私にお礼を言いました。私は誠意をもって、彼女に「師父はあなたを放棄していません。あなたが法の中に早く戻って来るように、私に気つかせて探しに来たのです。あなたは師父によく感謝してください! 早く目を醒まして、大法に戻って来てください」と言いました。私は面倒を厭わず、何度も彼女の家を訪ねました。そしてついに、彼女は見失った本性を呼び覚まして、法の中に戻って来ました。師父の慈悲なるご加護のもとで、彼女の向上はとても速く、しっかりと三つのことをするようになりました。

 もう1人の私が比較的よく知っている同修がいました。迫害前に非常に精進して、地元でとても大きな影響力をもたらしていました。しかし数年前、中共当局の迫害のため、恐怖心から彼女は数年間大法から離れ、その後、他の法門に入りました。私はとても心を痛めました。しかし、私は彼女を取り戻す確信がありました。最初、私は彼女を訪ねてもとても順調でなく、時には中に人がいてもドアを開けてくれず、何度も彼女の夫に失礼な態度で門前払いをされました。しかし私は諦めませんでした。なぜなら、私はこれが本当の生命の振る舞いではなく、邪悪の迫害によるもので、同修の人間の一面が形成した観念の振る舞いだと思いました。私は動じませんでした。大法は私に知恵と自信を与えてくださり、私は必ず彼女を呼び覚ますことができると思いました。発正念の時、私は師父にご加持をお願いして、彼女を迫害する邪悪な生命と要素を滅しました。私は何度も何度も行きましたが、何度も何度も失敗に終わりました。その過程で、私は自分を高めなければならないものを見つけ、同時に、師父が人を済度することの大変さを体得しました。

 大法は金剛を煉ることができます。私の心が絶えず浄化されるに従い、同修はついに法の中に戻ってきました。その後、邪悪にまた何度も迫害され、重圧の下で、同修は耐えられず、何度も私に当ってきました。しかし私は彼女に対していかなる不満も恨みもありませんでした。私は同修の気持ちを思いやって、これは迫害によるもので、罪は共産党に帰するべきだ、同修は被害者に過ぎないと思いました。私はこれまでと少しも変わらず、彼女と連絡をとり、師父が発表された新経文を直ちに印刷して、できるだけ早く彼女に届けるようにしました。彼女が普段、人を救う資料もすべて私が彼女に提供しました。私達も法に基づいてよく交流し、比して学び、比して修めました。この数年、この同修はずっと積極的に、しっかりと三つのことをしてきました。

 数年間、私は大法の修煉で修められた慈悲心で何人かの昔の同修を呼び戻しました。しかしまだ呼び戻していない人も少なくありません。私はとても心を痛めています。法を正す時期が終わっていなければ、それはまだチャンスがあります。私は彼らを見捨てる理由がありません。私は引き続き努力します。今述べてきたことは私の功績によるものではありません。師父がすべて私達に下地を作ってくださいました。私達は足と口を動かすだけで十分でした、すべては師父がなさっています。師父にお礼を申し上げます!

 人を最優先することは大法の私に対する要求である

 師父の法から、私は修煉の基本は私心を修めることだと分かりました。法理の指導のもとで、私は次第に今までの何事も自分を優先に考える思考形式を変え、何事も他人を最優先に考え、修煉の中で一歩一歩自我を放下してきました。今は、とても寛いで、楽しく生活できるようになり、法に溶け込む生命の悠々とした自由自在な境地を真に体得しました。

 同修が病業による迫害に遭遇したのを耳にして、あるいは同修が解決できない困難に出会った時、私にできることなら、必ず力の及ぶ限り手助けしました。私はいかなる報いも求めず、心の中に師父の教えをしっかりと刻み、全体の向上のために、全力を尽くしました。難関にいる同修もまた師父の弟子です。決して邪悪に迫害させません。私達は師父が按排してくださった道しか歩みません。

 今年6月、96歳の同修が病魔の迫害によって、死に瀕していました。息子は母親が家で亡くなるのを恐れて、病院に送りたいと思いました。同じ修煉者である娘は拒否しました。彼女は自分の家に母親を引き取りました。私はそれを知った後、手元の仕事を中止して、彼女の家に駆けつけました。その時、年配の同修の状況はとても深刻でした。しかし意識はまだ少しありました。私は娘さんと一緒に発正念をして、同修の肉体を迫害しようとするすべての邪悪な生命を徹底的に解体し、一掃するようにしました。また師父に年配の同修を加持するようにお願いし、彼女ができるだけ早く回復して、大法を実証できるようにお願いしました。私はその同修の耳元で「私達は大法弟子であることをしっかりと自覚し、私達の生命は大法によって造成され、私達は偉大な師父によって按排され、誰も私達に口出しする資格はありません。私達は必ず師父について最後までやり遂げなければならないのですよ」と言いました。また、「法を正す時期がまだ終わっていません。それより早く世の中を離れることはできません。私達は生きて大法を実証しなければなりません」とも重ねて言いました。年配の同修は私の言葉をよく理解してくれました。彼女の分かっている一面が働き、急速に好転する兆しが現れ、日に日によくなりました。家族はみなその奇跡を目撃して、大法に敬服しました。私は現在は何カ月かに1回程度、年配の同修の様子を見に行くようにしています。同修の状態はずっと良く、意識もはっきりして、健康で、娘さんと一緒に法を学び、煉功しています。また親戚、親友にも真相を伝えています。大法の神秘さを目撃証言しました。

 今年、年が明けて、私は足に障害がある年配の同修の家に行きました。彼女は寒い中庭で野菜を洗っていて、寒さで鼻汁が凍っていました。私は彼女にどうしてソーラーパワーの暖かい水を使わないのかと聞いたところ、彼女はソーラーパネルが壊れたと言い、家の中のトイレも壊れて、毎日外のトイレに行かなければならず、足が不自由なので、とても不便を感じていると言いました。それを聞いた後、私はすぐ電動自転車に乗って市内に戻り、ソーラーを修理する人を探しました。しかし、何人かの人に頼んでみましたが、この仕事が金にならないという理由でみんなに断られました。みんなは稼ぎのよい暖房を補修に行きました。ようやく1人を見つけて、私は一所懸命説得してようやく修理に来てくれました。修理する人が帰ってそれほど経たない中に、同修が電話をかけてきて、ソーラーパネルがまた壊れたと告げられました。私はまた人を探して修理を依頼しました。同時に私は炊事場の用具、トイレの便座、セメントなどの必要な物品を買って同修の家に届けました。年配の同修の考え通りに、私は時間をかけて、同修のトイレを修理しました。トイレの臭気で私は呼吸することができず、それでも私は最後までやり遂げました。少し汚い、辛い仕事でしたが、しかし私はとても爽快に感じました。同修もとても感動して、再三お礼を言いました。私は「私達は同修で、家族です。お礼を言う必要はありません。師父にお礼を言ってください」と言いました。

 私はオンドルを修理する腕前があります。同修の家のオンドルの調子が良くないと聞き、私はすぐに修理に行きます。その前の数年間、私達はよく市の洗脳班の近くに発正念に行き、黒巣を解体するため、よく黒巣の近くに住むある年配の同修の家に泊まっていました。同修はすでに90歳の高齢で、纏足で、歩くのも不便でした。彼女は私達を大変歓迎してくれました。私達が行くと、大体一日そこで過ごしました。昼ごろ、彼女がご飯を作っていた時、煙がもうもうと立ち、むせて咳が出て、涙が流れ、老人は仕方なく、うちわでひっきりなしに煙を払っているのを見かけました。私は心の中で、発正念が終わって間もなく、私は学法のない日曜日を利用して、同修の家に行こうと思いました。

当時、また雪が降っており、しかし私は天気がよくないからと言って、この時間を逃すわけにはいきません。時間は私にとってこの上なく貴重です。私は工具を持って、電動自転車に乗って家から10数キロ離れた年配の家に修理に行きました。同修は年で、足も不便だから、何も手伝ってくれません。私は一人でオンドルを堀り、また土を運び、泥を混ぜ、すべて私1人でしました。まるまる1日かけてやっとオンドル全体を整備しました。老人はこれからご飯を作る時、オンドルが燃えにくいことを心配する必要はなくなりました。年配の同修はとても感動して、何とお礼の言葉を言えばよいか分からず、「ただありがとう、ありがとう」を連発しました。私は微笑んで、「私達は同修です。お礼を言うなら、心から師父に感謝してください」と言いました。

 同修の困難を少しでも解決して、時には少し疲れますが、しかし私はとても心地よく楽しく感じました。私達は新しい宇宙の生命です。他人のために存在するものです。これも法の私に対する要求です。私が必ずやり遂げなければならないことです。

 今年、真相を伝える過程では、偶然、露店で小さくて可愛いテープ・レコーダーを見つけました。その名前は「年配の伴侶」と言います。その特徴は操作が簡単で、音量も大きく、音質も良く、メモリーの容量も大きく、高齢者に最適だと思いました。その時、私の周りに多くの年配の同修がいて、視力が原因で学法にも影響し、もしテープ・レコーダーで師父の説法、煉功、『共産党についての九つの論評』(以下、『九評』)を入力できるならば、同修達の困難を解決できると思いました。師父は説法の中で、何度も全体の向上をおっしゃっています。年配の同修もみんな師父の弟子であり、その同修達を落とすわけにはいきません。私がこの機会に出会った以上、私はこのことを引き受ける責任があると思いました。私はまだこの小さいテープ・レコーダーの性能がよく分からないため、先に一つ買って、同修に頼んで、師父の説法と『九評』などの関連するものを入力してもらいました。私は熟知しようと、先に何日か使ってみました。効果はとても良いと思い、先に94歳の姉に届けました。姉に簡単に使用方法を教えると、姉はすぐマスターしました。そして姉は毎日真剣に聞き、よく師父の説法を聞くだけでなく、『九評』もよく聞いているそうです。共産党は創立以来、様々な政治運動をして、姉はすべて自ら経験してきました。姉の叔父は富農階級と評価されたため、共産党の指図によって、悪人に無残にも打ち殺され、遺体も家族に引き取らせないで、ハエに食わせると言われました。悲惨な事実はしっかりと姉の脳裏に刻まれ、共産党の残忍さと理不尽さをよく知っており、『九評』に述べられていることはすべて真実だと思い、とても姉の好みに合い、とてもよく聞いているそうです。時間があれば、一心不乱に聞き、繰り返して聞きました。100歳近くの老人が健康で、頭もはっきりしています。姉はとても誇らしげに「これは大法のおかげです」と私達に言いました。

 私はまた2台の小さいテープ・レコーダーを買いました。それぞれ私に下の階に住むまだ修煉していませんが、毎日大法は素晴らしいと念じる86歳の女性と修煉を始めたばかりの年配の同修にプレゼントしました。彼女達は聞いた後、みんなとても素晴らしいと言い、よく聞いていると言いました。そこで、私は同修の中に広め始めました。すると、5個欲しいとか10個欲しい人がいて、続けざまに購入しました。しかし、数が増えると品質の問題が現れました。この時、心性の向上がそれに伴って必要になります。ある人は中古品を買ったのではないかとか言いました。同修の誤解を耳にすると、自分が毎日東奔西走し、忙しくしているのを考えると、時には内心ではもう止めたいとも思いました。私は心の中で自分に尋ねました。「これらのことは余計なことだと思うか? 何のためにやっているのか?」 心を静めて内に向かって探し、「これは、全体を向上させるという師父の要求に合致しており、余計なことではない」と考えました。同修の誤解は私の人に言われたくない心を取り除くためだと思いました。私は引き続きやるべきだと判断しました。私は毎日のスケジュールをギッシリと組んでいます。午前に外出して真相を伝え、人を済度します。午後は学法チームで法を学びに行きます。夜もまたもう一つのチームに法を学びに行き、習い終わったら、家に帰ってから、今のようなことをします。年配の同修が使いやすくするため、私はテープ・レコーダーごとに内容のデジタル数値を正確に探し出し、それを書いて、両面テープで整然とテープ・レコーダーの裏側に貼り、また、スイチオン、オフ、音量の大、小の文字を標示部位に貼り、視力の悪い同修に使いやすくしてあげました。これらのことを完成して、すでに夜中になります。しかし、私は疲れるとは思いません。私は全体の向上に少しでもお役に立てればと、とても誇らしく思っています。大法がなければ私は何もできません。大法は私にすべてを授けて下さいました。私は大法のために仕事をすることは、実は自分のためにしているのと同じです。それは私が果すべき責任です。

 大法は私を作り上げた

 三つのことをしっかり行うのは師父の大法弟子に対する要求です。真相を伝え、人を済度することはその中のとても重要なことの一つです。この数年間、私は自分の利用可能の方法を用いて、人を済度し、多くの執着心もこの過程で修めていつの間にか取り除いてしまいました。言うのは簡単ですが、実際に行うことは、とても容易なことではありません。真相を伝える当初、どんな人にも出会い、誹謗する人、嘲笑する人、侮り罵る人、電話をかけて通報しようとする人もいました。もちろん、より多くの人は真相を受け入れ、感謝の意を表明しました。衆生のさまざまな反応を見て、私の心も最初の恨み、憎しみ、軽蔑、歓喜、顕示するなどから、次第に平和になり、穏やかになりました。たくさんの執着心も次第に慈悲心に取って代わりました。私は、真相を伝える過程は師父がおっしゃった昔の修業する人の行脚によく似ていると悟りました。さまざまな人心との衝突によって、また複雑な環境の中で鍛えられてきました。特別なことがなければ、私は毎日外出して真相を伝え、三退を勧めることにしています。大法は絶えず私の知恵を開いてくださり、真相を伝えれば伝えるほど上達しました。また、私の心性の向上に伴なって、衆生も変わり、現在真相を聞いて拒否する人はとても少なくなりました。それは師父が法を正す進展の結果です。衆生はすべて法のために来たのです。私は引き続き時間を切り詰めて多く人を済度し、自分の誓約を果たしたいと思います。

 師父は説法の中で私達に「修煉は初めの如く」と説かれています。私は自分の修煉を振り返って見て、それほど大きな残念な思いをしていないように思いました。終始、私は大法を最も重要な位置に置き、長い年月、私は自分を少しも緩めないように、1分1秒の時間も大事にして、力が及ぶ限り三つのことをしてきました。私は心の中で衆生のことを考え、もっと多くの衆生が助かるよう望んでいます。私の経済的条件は比較的良く、息子と娘は毎年私に多くのお金をくれます。しかし私が修煉をしてから、それを使って(親友が来た場合を除いて)贅沢な生活をしたことはありません。私の生活はとても簡単で、栄養などを重んじたことはなく、食べても味が分かりません。毎日1日3食、お腹いっぱい食べればよいのです。忙しくて、よくご飯を作ることを忘れ、お腹が空いたら、冷蔵庫から何でも取り出して食べます。冷たいと感じません。かえってとても心地良いのです。私は大法の資源を人助けに使うべきだと思っています。修煉者は直接宇宙から高エネルギー物質を吸収し、体に補充するので、いわゆる良いものを食べて、健康になるのは常人の考えです。修煉者にとってはあまり効果がありません。私はいつもとても質素な食事を摂ります。しかし私は体調がとても良く、70歳の老人には見えず、とても若々しく、体も軽々として、電動自転車に乗って飛ぶように走ります。若い人と比べても、全く見劣りしません。私は世の中のいかなるものも求めません。ただ、この法を正す最後の期間に、三つのことをしっかりと行い、時間を切り詰めて多く人を助け、早く人を助けたい、ただそれだけです。本当に法を正す時期の大法弟子に遜色がないよう、本当にこの世に来た時の、自分が結んだ誓約を果たし、正々堂々として、私達の慈悲で偉大な師父について、私達の郷里に帰ることを望んでいます。

 慈悲深く偉大な師父にお礼を申し上げます!

 共に法を正す師に手伝う同修達にお礼を申し上げます!

 以上、法に合致しないところがあれば、同修の皆さんの慈悲なるご叱正をお願いします。

 (完)

 注:

 [1]李洪志師父の経文『各地での説法二』「二〇〇二年ワシントンDC法会での説法」

 (明慧ネット第10回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/11/12/281164.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2013/11/25/143375.html)
 
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