明慧法会|十年ぶりに修煉し始め、家庭の環境が大きく変わった(三)
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文/陝西省の大法弟子

 【明慧日本2013年12月7日】

 三、真相をはっきりと伝え、師父は私の修煉環境を開いて下さった

 その日から、私は正々堂々と家で真相資料を作れるようになりました。時々父が見かけて、厳しい顔をしながら一言言ってきます。「毎日こればっかりしているね。気をつけて!」 徐々に時間が立つにつれて、彼も何も言わなくなりました。

 私はチャンスを見つけて彼に真相冊子を見せ、『風雨天地行』や『九評共産党』、『私たちは未来に告げる』、『生死の間』、『法輪功と政治』などのDVDや『九死に一生を得る』などを見せました。毎年の神韻晩会を、両親は一気に見終えます。毎回、彼らに真相を見せようとするとき、私はまず彼らの意見を尋ねます。「新しいDVDがありますが、見ますか?」 両親は毎回喜んで「見る! 見る!」と言ってくれます。

 ある日の夜、私が両親の部屋に行ったとき、彼らはちょうど『九評共産党』のDVDを見ていて、見ながらこう言っていました。「本当にそうだったね。以前の土地改革や文化大革命の時は本当にそうだった。言っていることは全くその通りだ」。実際、父の変化は私の一時的な真相伝えの結果ではなく、数年来、父は他の大法弟子とも接し、彼らからも真相を聞き、以前から大法の良さを知っていたのですが、ただ自分の息子が真相資料を作っている事実を受け入れようとしなかっただけでした。

 両親の変化に伴って、私は彼らに師父の広州での説法や功法のビデオを見せ、彼らに煉功を教え、そして母にMP3プレーヤーを買って、師父の説法を入れてあげました。母は毎晩11時まで説法を聞き、それから寝床に入ります。

 両親の変化に伴い、私が真相を伝える環境も開けました。去年、ある遠戚が市内の病院で心臓手術を受ける為にこちらに来ました。手術の前夜、世話役の姉がうちに泊ったので、私は彼女に誠心誠意、「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい」と唱えれば全てはうまく運ぶので、心配しなくてもいいと言いました。そして彼女に大法が広まっていることや迫害を受けている事実を紹介しました。話の途中、横に座っている父は上着のポケットから大法のお守りを取り出して言いました。「見てください、これは他人がくれたお守りです」。そしてその上の字を指しながら言いました。「『法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい』を覚えれば手術は必ず成功しますよ」。その時、私にはお守りがなかったので、父に「お父さん、これを彼女にあげましょう。明日もう一つ貰って来てあげます」というと、父は喜んでそのお守りを親戚に渡しました。

 その後、母に教えてもらったのですが、父はいつも他人に大法の良さを伝えています。

 プリンターの争奪戦以来、私はどんな顔をして妻の両親に対面すべきか悩んでいました。しかし、再び彼らに会ったとき、彼らは何事もなかったような感じでした。妻の妹も同じく、以前と同じように私に良くしてくれています。私はチャンスを見つけて彼らに少しずつ大法の真相を伝え、彼らにも同様に『風雨天地行』や『九評共産党』、『私たちは未来に告げる』、『生死の間』、『法輪功と政治』などのDVDや『九死に一生を得る』などの真相書籍、小冊子を見せました。彼らの大法に対する態度も日に日に変わっていきました。私は彼らに真心を持って「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい」と唱えれば災難を免れ、安全になると言いました。時々、義理の母にこの言葉を唱えているかと尋ねると、彼女は子供のように恥ずかしそうに「念じているよ」と言ってくれました。

 2010年、義理の父は心血管血栓で手術を受け、家に戻ってから非常に辛そうでした。私は師父の広州での説法のビデオを彼に見せ、そして四式の功法を教えました。動作はそれほど綺麗ではありませんでしたが、彼はしんどくなったら必ず煉功をしました。前の晩に辛くて眠れなくても、しばらく煉功をすると楽になったと、よく言いました。そして「この功法は本当に良いです。しっかり頑張って下さい」と私に言いました。これを聞き、私は心底から師父への感謝を覚え、師父が義理の父の口を借りて私を励ましてくださっていると思いました。義理の母もよく自分の姉妹に大法の素晴らしさを伝え、彼女達に「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい」と念じるようにと、いつも言っています。

 今年の旧正月の時、義理の父の弟が来ました。私は義理の両親の前で 、健康状態がずっと良くなかった彼に、「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい」と念じれば健康に良いことを伝え、彼らも私に賛成して、「本当、本当、法輪功は本当にいいですよ。子供はあなたのために言っているので、この数文字を覚えれば、あなたに百利あって一害無しですよ」と言ってくれました。

 私はついでに彼に『九評共産党』や『風雨天地行』のDVDや数冊の真相の冊子を渡し、彼は上着のポケットに入れました。それを見た義理の母は心配して、他人に見られないようにと彼を気づかいました。しかしその弟さんはこう言いました。「なぜ恐れるの? 誰かに見られたら私は拾ったと言えばよい。共産党は私をどうするというの?!」 そして私に振り向いて、時間があれば功法を教えてほしいと言いました。しかし私は自分の都合でずっと彼に教えられず、今後時間があれば必ず行こうと思っています。

 2008年12月31日以後、妻は二度と離婚話を口にしませんでした。時には彼女の機嫌を見ながら、私は彼女に大法が世界中に広まっている盛況や、中共がいかに法輪功を迫害しているか、大法弟子が十数年来いかに師父の教えに従い真相を伝え、反迫害を行い、今日の大陸の環境を切り開いてきたかを教え、大法弟子の責任と使命、衆生を救う緊迫性なども教えました。

 時々妻は焦りを感じて、家のことは自分に任せ、あなたは衆生を救うことをきちんとしたらいいと言ってくれます。大法弟子として、私はすべきことをしてきただけなのに、師父は弟子にこんなに良い修煉環境を与えて下さいました。師父、本当に感謝いたします!

 今日まで、私は妻と子供と一緒に『轉法輪』を3回読みました。最近は師父の他の経文を読み始めています。今、妻はまるで別人のように、私が資料を作れば自らCDを入れ替えてくれたり、紙を補充したり、整理や製本をしてくれます。時々印刷や製本の問題も指摘してくれます。時に私が某プロジェクトの未解決の問題で悩んでいるとき、彼女は私を諭し、そんな小さな問題で悩まないで、師父を信じれば問題は必ず解決されると言ってくれます。

 妻の仕事はとても忙しく、大変で、毎日家に帰ったら足を持ち上げられないほどでした。しかし彼女は休日も休まず、私と一緒に資料を送りに行ったり、資材を買ったり、設備を修理しに行ったりして、私の仕事の効率を上げ、時間を節約してくれました。彼女が言うには、一人の助手が増えれば、お互いが楽になるとのことです。今や大法のために家のお金を数百元も使いますが、彼女は文句一つ言いません。最近、彼女はよく感嘆しているのですが、今、私達の生活は大分良くなり、数年の努力で家や車を買うことができて、私達2人は本当にすごいと言っています(2006年、私はオートバイである老人に怪我をさせ、医薬費と賠償費で合計8万5千元も使いました)。私は彼女にこう言いました。「私達2人がすごいのではなく、私が修煉しているので、師父は修煉者に福を与え、全ては師父が下さったことです。私達によい生活環境を与えて下さったのも、私たちが大法のために多くのことをし、多くの衆生を救うためです」。

 今年の3月末、友人がある仕事を私に紹介し、その仕事で数日の間に1万元を儲けました。私はそのお金を妻に渡しながら言いました。「この中から5千元を大法に寄付しましょうか?」 どう寄付したら良いのかと尋ねる私に、妻は資料点に寄付しようと言ってくれました。

 衆生を救い、三退を勧めることにおいても、妻は私の助っ人になりました。妻の叔母や妹の主人も彼女の説明を聞いて三退しました。現在の我が家では皆が私の大法の仕事を理解し、妻は全力で私を支持し、私はどんなことをやっても彼女に隠さず、時々彼女の方から「一人で大変なら、声をかけてね」とまで言ってくれます。妻は2回ほど私から功法を習いましたが、忙しい仕事の都合で長続きはしませんでした。彼女はいずれ必ず真に大法修煉を始めると私は確信しています。家庭環境の大きな変化は、師父の加持と加護の下で少しずつ切り開いたものです。師父のご加護がなければ私はずっと昔に常人に沈み込んでしまい、神になる道を歩む栄光と神聖さもありませんでした。これらのことを思い出す度に、私は師父の慈悲の洪大さや衆生を救う大変さを実感します。師父は『轉法輪』の中で説かれました。「一人の人間を済度するのはきわめて難しいことで、あなたの考えを直すことも難しく、あなたの身体を調整することもきわめて難しいのです」 修煉する弟子でさえ難しいのに、修煉していない常人、例えば私の家族を変えようとすることは、なおさら難しいことでしょう。今は私の家族の皆が、師父と大法を尊敬しています。私は感謝で胸が一杯です。

 師父が私達に求めておられるのは修煉したい心一つです。以前の私に修煉したい心があったから、師父は辛労をいとわず静かに私を見守ってくださいました。例え私がどれだけ曲がり道を歩んでも、どれだけ間違いを犯しても気にされず、私達を必ず済度し、この宇宙の最も美しいものを与えようとされているのに、私達が師父と法を信じない理由があるでしょうか!

 非常に恥ずかしく思っているのは、私は師父の要求にまだほど遠く、まだ多くの執着を放下できていません。「かえってまた汚れた世界の中の汚い物をつかんで放さず、甚だしきに至っては、少しでも失えば苦しみに耐えられません」(『精進要旨』「真修」) 本当に師父のご慈悲に合わせる顔がありません。時には自分の修煉状態がひどいと感じ、師父の弟子だと自称するのも恥ずかしくてできません。しかし師父が私を受け入れてくださった以上、例えどんなに難しくても、例えどんな捨て難い執着があっても、私は師父と法を信じ、それらを取り除き、最終的には正真正銘の無私無我で、他人を先に自分を最後に考える大法弟子になり、師父が与えて下さった「正法時期の大法弟子」というこの上ない光栄な称号に恥ずかしくないようになりたいです。

 師父、感謝致します!

 同修の皆さん、感謝致します!

 (完)

 (明慧ネット第10回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/11/11/282014.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2013/11/30/143446.html)
 
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