文/ニューヨークの大法弟子
【明慧日本2013年12月14日】会社に帰る途中、イベントで会った女性ビジネス顧問との提携を破棄して、大紀元の営業の仕事を選んだ経緯を法会の発表文章に書くかどうかをAさんに相談した時、なんと! 街頭でその顧問とばったりすれ違いました。彼女は友人と喋りながら町を歩いていました。これは神の按排でしょうか。まさか私に選ばなかった人生を見せたのでしょうか。この偶然には何か原因があると思いました。Aさんは私に「やはりそのことを文章に入れましょう」と提案してくれました。私もそこに佇んで、どうしてこんなに偶然な事があるのかと考えました。営業部に入ってから私の修煉状態は飛躍的に前進して、多くの事が起きて多くの執着心を除去しました。法を正す時期の最後の最後にやってきて、私はすべての人心を放下して、もっと力を集中して、営業をしっかり行うほか、真に大法弟子として衆生済度もしなければいけません。会社に帰った後に、私は直ちにネット上の店を閉めました。
ギリシャ語の「撮影」の意味は「光で画を描く」です。カメラマンとして、朝に旭日の姿をとらえて、黄昏に夕日が西に沈む完璧な瞬間を記録したいと、ずっと最も美しい光を探しています。カメラマンに対する執着を放下した時、私はあちらこちらでその光を探さなくても良いと思いました。なぜなら私がその最も美しい光だからです。大法弟子として、私たちは衆生が探している光そのものです。自分の内心を変えてから、外部の環境も変化しました。以前、地下鉄は私の学法の場所でしたが、今、そこは真相を伝える場所に変わりました。じっと私を見詰める小さな女の子や、1週間に4回もばったり会う夫婦や、先輩の激励を必要としている新米カメラマンなど、私が地下鉄の中で法を学ぼうと思っても、いつも私に話しかける人がいたり、フェイスブックや電子メールや携帯電話のメールで連絡をしています。これらの事は、私のカメラマン時代には一度も発生したことがなく、これも人々に真相を伝える良い機会です。
その経歴を持って、私は『二〇一〇年ニューヨーク法会での説法』の下記の内容について、理解を深めました。「衆生を救うことは皆さんが行わなければならず、行うだけでなく、必ずしっかり行うべきです。師父のために行うのではありません。衆生を救い済度すると言っていますが、全部衆生のために行うのではなく、皆さん自身のために行なっているのです。あなたが救い済度したそれらの衆生、真相を伝えてあげたそれらの人も含めて、これらの生命は将来、あなたの巨大な宇宙のある部分の衆生になるかもしれません。あなたは自分自身を円満させており、自分自身を成就させています。これらのことがなければ、あなたは王になれず、自分の使命を果たすこともできず、これほど偉大な威徳も樹立することができません。つまり、こういう関係であり、だから皆さんは必ずしっかり行うべきです」
衆生を救ってこそ、はじめて自分を成就させることができます。スタンフォード大学の卒業生として、社会からの高い期待を避けるために私は自分の光を隠し、カメラマンとして美しさ、光、癒しをとらえようとしました。しかし、一人の大法弟子として、私は自分の光を隠しきれないと思います、世間の人は修煉者の力をみんな感じることができます。私に救われるべき衆生はきっと私の光が見えます。師父は『精進要旨二』「最後の執着を取り除こう」で「皆さんが修めて出来上がったその部分が、さらに純正な輝きを放つようにしましょう」と説かれました。私がもし続けてすべての執着を放下できれば、善良と光はもっと感じ取りやすくなり、衆生はそれを感じて私たちに近づきます。
ニューヨークに来る前もずっと一人で精進していたと言いたいのですが、しかし当時私はそうではありませんでした。ニューヨーク大紀元の修煉者の集団に入ったからこそ、私は修煉の道で飛躍的な前進を遂げることができました。大法弟子は無限の力を持っており、一つの全体になれば私達の力はもっと大きいと、私は切に感じました。
師父と大法を固く信じることは、頭の中の雑念を消去し、精進させ、私の光をいっそう輝かせました。感謝します!
師父、ありがとうございました。
同修の皆さん、ありがとうございました。
(完)
(2013年ニューヨーク法会の発表原稿)