文/河北省の大法弟子
【明慧日本2013年12月21日】今年の一年を振り返って、最大の収穫と感銘は、自分が大法弟子であることを忘れない限り、毎回心が受けた衝撃、不愉快、不機嫌はみな修煉を高めるための加速ペダルになる、ということでした。
一、携帯電話に束縛される心を解放しよう
会社で私は一部の仕事の責任者であるため、会社は私に携帯電話を一台与え、毎月の通話料金も負担してくれています。その代わりに24時間電源を入れておき、会社に呼ばれるとすぐ出社しなければならないという条件がついています。
修煉する前から、私はとても真面目な人間で、修煉した後に更に大法の要求に従って仕事に最善の努力を尽くしています。1999年以降、私は会社で不公平な処遇を被りましたが、仕事に対しては相変わらず真面目に尽くしています。そのため、携帯電話は私の心を掴んだかのように、食事の時も眠る時も、携帯電話が鳴れば、会社に用事があれば、私はいつでもすぐ会社に駆けつけています。
仕事以外の時間にも携帯電話はよく鳴りますので、私はどこに行っても電話をかばんに入れています。同修の家に行って学法を参加する時でも例外ではありません。安全に問題があると同修に指摘されてから、学法する時にしぶしぶ携帯電話を家に置きます。電話を家に置いてからは、まるで私の心も家に置き忘れたかのように安心して学法できません。『轉法輪』を開いたら、まず今日学ぶ一講は全部で何ページあるかを調べて、何時に終われるかを計算して、それから読みながら早く終わるように待ち望みます。いったん『轉法輪』を読み終えたら、同修たちと交流する気にもなれずに、居ても立ってもいられないまま家に帰ります。家に着いたら、時にはスリッパに履き替えるのも待てず、素早くぱっと携帯電話を手にとって、不在着信がないかを確認します。不在着信があれば、特に会社の上司からの不在着信だったら、私は極度に不安になって、電話を持つ手も震えます。すぐ上司にかけなおして、電話に出られなかったことについて、何か理由を見つけてごまかします。
そのように私の心が携帯電話に束縛されてから数年経ちました。同修に注意されて、私はやっと大法弟子は大法を第一に優先して考えるべきだと悟りました。こんなに携帯電話に心を支配されてしまうのは、仕事中の名利、上司の評価ないし数10元(約1000円)の残業手当が気になっているからだとやっと分かりました。
また、大法弟子にとって偶然なことはないので、心を正しく持てば万事が順調に運ぶはずで、心に何かを固執してこそ邪魔が現れます。今、宇宙で最も重要な事は衆生の救い済度なので、決して旧勢力に仕事の理由で邪魔されてはいけない、と悟りました。師父は『各地での説法二・二〇〇二年ボストン法会での説法』に「真相を伝え衆生を救い済度することに旧勢力はあえて反対できません。肝心なのは、何かをする時の心構えにそれらに付け入る隙を与えないようにすることです」と説かれました。そのようにして、私の心はますます清浄になり、もう携帯電話に束縛されなくなりました。今、私は学法や何かをする時に、携帯電話の電源を切るか、バッテリーを抜くか、あるいは思い切って携帯を家に置きます。携帯電話の存在すら忘れて、やりたいことに集中できるようになりました。
二、「似合うかどうか」に対する執着を取り除く
長年来、妻(同修)がどんな服を買うかについて、私と妻の意見はずっと一致せず、よく口論や喧嘩をして、たかが一着の服のために顔を真っ赤にして言い争いをします。私からすると、妻の審美のセンスは悪くて、自分にどんな服が似合うかわかっていません。一方、自分には少し審美のセンスがあり、どんな人がどんな服を着れば似合うか分かっていると自惚れています。しかし妻は「審美の基準は人それぞれだ」と私と論争して、私が推薦した服を断ったりすれば、私はすごく不機嫌になります。
今年7月、2人の女性同修が我が家に来て、偶然に服選びの話題を言い出しました。私はすぐ興味津々に会話に参加して、服のデザインや色について自分の意見を長々と語り、とてもファッションに精通しているかのようで私の観点に2人の同修も賛成しているようでした。その時、妻も真剣に私の話を聞いているのを見て、私は話題を変えて、「妻が自分に似合う服、つまり、相手の印象に残るような服を着た姿を、あなたたちは見たことがある?」と2人の同修に妻と服に関する意見の相違を訴えました。2人は婉曲に私の意見に賛成の意を表しました。妻の顔色が少し変わったことを私は顧みずに、今日の良い機会を掴んで、長年溜まった憤懣を放出しようと思って、続けて長々と自分の不満をはき出しました。2人の同修は我が家の剣幕を感じて、理由を探して帰りました。
同修たちが帰った後でも、私はしつこく「自分に似合うか」、「妥当か」、「自分の身分や置かれた環境に相応しいか」などの論点をめぐって、全面的に論証を始めました。私の激しい剣幕に妻は降参して、自分の審美センスは改善する必要があると認めて、今後服を買う時には私の意見に従うと態度を表明しました。
1週間後、私は妻に誘われて、一緒に服を買いに行きました。デパートに入って、私は得意満面に左を見たり右を見たりして、妻のために「妥当な」服を探しました。私は突然6、7メートル先にいたデパートの店員を指して、妻に「あなたもあのようなワンピースを着たらきっと美しいよ」と教えました。妻は一目見て、考えもせずに「あの色は好きでない」と答えました。私の頭に血が上り、「好きかどうかをまだ強調したいなら、なぜ私を誘って来たのか」と怒りました。その時、折り悪しく娘が「ワンピースはお母さんの体型に似合わない」と一言いました。怒りで頭の血管がカンカンと音を立てて、私は何も話しませんでした。でも突然、きっと自分に問題がある、きっと何かの執着心を放下すべきだと思い付きました。そのため、私は唇をしっかり閉めて、家に着くまで一言も話しませんでした。家に着いたら、私は妻に「途中、ずっと何も喋っていなかったのは、怒っているのではなくて、私は内に向けて自分を探していたのだ」と説明しました。
数日間、私はずっと服選びのことをめぐって自分を探していました。まず、色欲の心が見つかりました。服選びについて自分は独自なセンスを持っていると自惚れる理由は、ふだん、街の通行人、特に若い女性の身なりを私はよく観察しているからです。見ているうちに自分の心も揺さぶられて、綺麗な女性を見ると、満足して気に入ります。服を見るというより、むしろ私は綺麗な女性を見ているといったほうが適切です。そこに隠れた自分の色欲の心を妻に移して、妻から同じ満足を得たいために、妻に「似合う」服を選ばせているのです。ほかに闘争心と歓喜心も見つかりました。
次に起きたトラブルは、とうとう私に自分の最も根本的な執着心を分からせました。ある日の夜、娘は伯母が買ってくれた靴を試着した時、妻と評価しながら、私も呼んで意見を聞かせてと言いました。赤色で白い縞模様が入っているスニーカーを見て、私は非常に興味が涌いて、「可愛い、本当に美しい靴だ」と賞賛しました。そしてますます興奮して、「ほら、○○ちゃん、少し右に動いてお父さんに見せて、今度は左へ動いて」と言っても娘はどうしても左へ体を動かしてくれなくて、満面に不機嫌な表情で、いらいらしています。彼女の顔を見て興奮がさめてしまい、私は少し怒り口調で「あなたのために評価したんだ、私自身のためでもないのに、どうしてあなたのほうが不機嫌になるのか」と責めました。娘はぷんぷんと怒って、「もともとこの靴は好きではなく、サイズも合わない。おまけにお父さんは右へ、左へと指図して、堪らないわ」と言いました。
私は妻に苦情を訴えると、妻は「さっき靴を見る時にあなたのああいう興奮した表情を、本当に…、自分で見てくださいよ、そこまで興奮する必要があるの? また、私と娘がこれまであんなに美しい靴を買ったことがないと言うなんて」と言いました。そこで、私たちは「服選び」の古い話題を再び提起して、私は「審美センス」のことを再び言い出しました。長々と話して、妻がもうすぐ「敗北」を認めようとする直前に、娘はついにたえきれず部屋から出ていき、妻の味方をしてとても無礼な態度で私を非難しました。私は抑えきれずに、娘と大喧嘩して、最後に娘は泣きながら大声で「もう二度とお父さんと呼ばない」と言いました。
その夜、私は寝られないまま、ずっと天井を見て自分の根本的執着を探していました。早朝1時過ぎの頃、私は暗やみの中でペンを執って紙に「相手に押し付ける」と書きました。それで、あるとても重くてとても悪い物質が私の体から取り出されたことを、はっきりと感じました。私は「自分が正しい」ことに固執して、多くの時間と精力をかけてその「正しさ」を実証しようとしており、また強引に、苦心して私の『正しいアイデア』を相手に押し付けています。私は『マンハッタン説法』の師父の言葉に、「言い争わないでください。誰が正しいか、誰が間違っているのかを強調しないでください。いつも自分が正しいと強調する人がおり、あなたが正しいのであって、間違っていませんが、それはどういう意味があるのでしょうか? 法に対する認識が高まったのでしょうか? 人心をもって正しいかどうかを強調すること自体が間違っています。なぜなら、あなたは常人のあの理で自分を量っており、常人のあの理で相手に要求しているのです」を思い出しました。娘の無礼は鏡のように、相手に強要させる時の私自身の態度を映しています。私は突然全身が軽やかになって、妻、娘に対して少しも恨みがなくなり、数時間前の暴風雨はまるで発生していなかったようでした。
翌日、舌が微かに痛いと感じました。きっと昨日の強い闘争心のため娘と喧嘩したせいだと思います。私は心の中で黙々と師父に「師父、私は間違えました。必ず改めます」と話しました。一瞬の間に、舌の痛みは完全に無くなりました。
三、良い素材が奪われた時
今年6月のある日、Hさんは同修Aさんの家族を我が家に連れてきて、Aさんが受けた迫害の情況を文章に書くようにと依頼しました。家族にいくつの質問をしてから、Aさんの迫害実情はとても代表的な案件だと分かって、写真もあるので、とても良い文章に仕上げられると私は判断しました。よし、素敵な文章がもうすぐ私の筆から誕生するぞと私は興奮を抑えて、Aさんが受けた迫害の実情を文字に書いて、写真も挿入しました。「明慧ネットに投稿する前にまず私に見せてください」とHさんに事前に注意されなかったら、私は夜明けまで待てず投稿してしまったでしょう。
しかし、翌日Hさんは、「他の同修と一緒に文章を読みましたが、あなたの書き方はとても平板で盛り上がりに欠けている。同修Jさんに新たに書いてもらいたいが、どうでしょうか?」と言いに来ました。私の心は誰かにぎゅっと掴まれたように痛くて、口を開いてまた何かを言いたかったのですが、今は自我を放下する時だ、自分を高める時だと分かって、結局、口を閉じました。私は自分のパソコンにある関連素材をすべてHさんのUSBメモリにコピーして、「心配しないでください。私は今まだ少し機嫌が悪いが、今こそ自分を向上させる機会だと分かっています。もっとよく書ける同修に持っていってください」とメモリーを彼女に渡しました。Hさんは「あなたは、心性の向上がこんなに速いのですね」と私に頷きました。
Hさんが行った後に、もう一度昨夜に書いた文章を読んで、自分自身も恥ずかしくなりました。昨夜、自己を実証したい心と名を求める心があまりにも膨張したために、序文も書き忘れて、現象を羅列しただけの文章にしてしまったのです。あれほど良い素材が本当に私に無駄にされてしまっていました。
数日後、Jさんが書いた文章が明慧ネットに掲載されました。とてもよく書いてありました。私は嬉しく思っています、Jさんの良い文章のためにも、自分の向上のためにも。
四、救出活動の中で、嫉妬心と唯我独尊の心を取り除く
今年迫害に遭った同修の中で、Bさんは私と仲良く家も近いので、私はBさん救出チームの一員になりました。ほかの主要成員は現地の協調人Lさんと上の文で言及したHさんがいます。Lさんの修煉状態はとても平穏で、熱心な人です。Hさんは同修の救出において経験が豊かで、たくさん実用的な方法が分かっており、特に警察・検察・裁判所への対応能力が際立っています。ほかにBさん家族との連絡を担当する同修、発正念を担当する同修もいます。このような組合せはとても力強いチームになるはずですが、私の強烈な執着心が救援を妨げて、いました。
救出チーム設立当日に、メンバーの7、8人がミーティングをして、人員の分業と救援計画を検討しました。最初に2、3人が救出の経験がないため指示に従って行動したいと言ったので、Lさんは「では、HさんとCさん(私)は弁護士との連絡に適すると私は思うのですが…」と言い、彼女がまだ話し終えていないのに、どうしてあなた(Lさん)に牛耳を執られたのかと嫉妬した私は、突然とても強い口調で「自分に何ができるかを、まずみんなに教えてほしいな」と割り込みました。それで、Lさんの話は中断になり、ほかの人が沈黙を選んだので、その日の交流は何の結果も結びませんでした。
約10日後、5、6人が集まって2回目の会議をしました。救助方策を検討した時、二つの意見が出てきました。一つは弁護士に依頼して訴訟手続を行う方法で、もう一つは迫害事実をBさんの会社、家の周辺に広い範囲で伝える案です。私とHさんは弁護士に依頼する案を主張して、もう2人の同修は二つ目の案に賛成して、双方はそれぞれの意見を堅持して譲歩しないため、最後に、双方はそれぞれの方法で救出活動を展開するとの結論に至りました。あれから、救出活動の中で、あの2人の同修とほとんど会ったことがありませんでした。
3回目の交流の時、参加者は4人しかいませんでした。LさんとHさんは人数がどんどん減少したことを心配しましたが、私は突然豪気に「他人のことを干渉できないが、たとえ私1人しか残っていなくても、絶対最後まで続けていく」と大言壮語を吐きました。みんな黙っていました。しばらくしてLさんは私に「Bさんの奥さんは、夫の修煉は合法なものであることを手紙に書いて、舅と姑に送りたがっている。あなたは書いてくれないか」と言いました。私は「弁護士が前回来た時に、Bさんの奥さんに申立書を渡したではないか。その申立書にすべてのことをはっきり述べてたので、それを使えば良いではないか」と言うと、Lさんは「申立書より、新たに手紙を書いてほしいとBさんの奥さんは言っていた」と答えました。私は手を横に振って、「私がBさんの奥さんを説得してみる。あなたは考えなくていい」と言いました。続いて、Hさんはみんなに「今回私たちが救出活動を主導するのでなく、家族と弁護士の計画に協力する役なので、我々はこれからの構想を明確にしたほうがいい」と言いました。私は以前Hさんと一緒に活動をしたことがあり、彼女の能力を知っています。そして、こんな時に自分の能力やアイデアを強調する場でもないと意識して、「Hさん、あなたの構想に従って何でもしますから、指示をください」と率先して態度を表明しました。しかしそれは内心の熱意から発した言葉ではなくて、Hさんが立てた計画の下で、結局私は多くの具体的な事をやらなければなりませんでした。
間もなく、Lさんは悪人らに監視をされて、修煉状態を調整する必要があり、Bさん救出のことはしばらく参加できなくなりました。それを知った後、私は何も言いませんが、心の中では「参加できないなら参加しなくてもいいよ。いずれ来ても大したことはできないから。会わなければ、あなたと衝突もせずに済む」と思っていました。
それから一時、私はHさんの構想通りに動いているようですが、Hさんに進捗状況を報告する時に、よく彼女にもともとの構想と食い違っていると言われました。それを聞くと私はいつも不愉快で息苦しいのです。ある日私は彼女に「私たちが会う時に大まかな構想しか決められないが、進む中で細部のことを一々あなたに確認することもできず、そんな時間もないし…」と文句をつけると、Hさんも仕方がないと表して、最後に「具体的な事をしているのはあなたなので、あなたの構想通りに進めましょう」と言いました。それ以後、Hさんは長い間私に連絡をしてこないし、私も彼女に会いたいと思いませんでした。彼女に会ったら心に何かに遮られているように良い気分にならないからです。
救出の事を私は引き続きやっていますが、全体の構想もなく、効果も現れていません。ただ表面上でやっているだけです。私も「このままではまずい」と感じ、きっと自分に問題があり、自分を探さないといけないと思いました。ある日、偶然にHさんと会って、2人は穏やかに1時間以上交流しました。2人は具体的なやり方などを相談したり検討をせずに、ただ法理と修煉の向上をめぐって交流したのです。交流を通じて、自分はずっとHさんに嫉妬しているとはっきり分かりました。彼女の能力、彼女の方法がいつも同修たちに認められることを私は嫉妬していました。嫉妬心は私の心の中で隔たりを形成して、自分自身の能力を実証する欲望をBさん救出の活動の中に持ち込んでいました。動機が単純でなく、念も正しくなければ、当然良い効果を収められません。私は自分の認識を素直にHさんに伝え、今後必ず嫉妬心などを取り除いて、彼女に協力すると言いました。
家に帰った後に、Hさんとの交流を妻(同修)に教えました。自分の良くない下心を暴露すると同時に、もとの隔たりがなくなって、その上突然頭の中にBさん救出のアイデアが浮かび出て、かつHさんの構想とはからずも一致していました。
引き続き内に向けて探したら、自分はとても自我に固執していることを発見しました。あの「たとえ私1人しか残っていなくても、絶対最後まで続けていく」という大言壮語は、すでに私の執着を漏れなく暴露していました。Lさんとの間の間隔は、私が自惚れて、指示に従いたくないところから生じており、私は自我を放下して他人に協力することができない、ということです。ちょうどその時、Lさんは私を彼女の家に呼び出しました。着いたら、彼女は単刀直入に「今日は2人とも心を開いてじっくり話して、問題を解決しよう」と言いました。それから、彼女は前文に言及したギクシャクを振りかえって、私の考えを聞きました。私は誠心誠意に「以前のことは私の問題だ」と認めました。もちろん、Lさんも内に向けて自分の問題を探したので、2人の間の間隔は取り除かれました。(その日の交流でまた私のほかの執着にも触れたのですが、この文章のテーマと関係がないため、略します)
私が心を入れ換えて執着を除去し、同修との間隔を取り除いたら、外部の事態も変わりました。同修たちはどんどん救援活動に参加してきて、最多人数を超えました。真相シールを作る人、真相手紙を郵送する人、携帯電話でショートメッセージを送って真相電話をかける人、近距離で発正念する人、警官らの住所を探す人と分業して、私たちは本当に一つの全体になりました。
五、「貴方は話さないでください!」
今年7月の時、◯日~◯日の間に、現地の法輪功修煉者をターゲットにした大規模な逮捕が行われるとのうわさが広まっていました。聞くところによると、情報の出所は大法弟子に同情している警官からだそうです。同修の間でもそのうわさを議論しています。
ある集団学法の日に、某同修はそのうわさを提起して、みんなの見解を聞きました。多数の意見は、その情報を知っていたらみんなに通知すべきだといいます。私は反対意見を出して、「そのような情報を広めるのは迫害を認めることと同じだ」と言いました。その後、みんなはあれこれと取り沙汰をし始めて、突然、Gさんは私に向けて大きな声で厳粛に「Cさん(私)、あなたは話さないでください!」と言いました。私はぽかんとして、師父が『各地での説法七・米国首都法会での説法』で説かれた「最も良い方法は、問題に出遭ったら、前へ前へと突っ込んではならず、追い詰めて解決を求めてはならず、心を放下し、一歩下がって問題を解決すべきです」を思い出して、私は反論をせずに本当に口を閉じて、ただ静かにみんなの発言を聞いていました。
数分経って、私の心は落ち着いて、それこそ、みんなが出した意見と提案を吟味することができ、自分の発言が途中で打ち切られたことをすっかり忘れました。その時、突然Gさんの言葉、「先ほどCさんが言ったのも一理あるね」を耳にしました。
六、発正念の目的は、衆生を救い済度のため
2012年3月に中国共産党の重要会議があるため、その期間中に私の自宅は勤め先に監視されました。私に対する監視を担当していたのはかつての友人Dさんです。過去、彼は会社の保安部に異動する前に、私は何回も彼に真相を伝えたのですが、彼は真相を受け入れず、かえって私に対する監視行動を指揮しているのです! そのため、私の心に多少怒りがあって、毎日家に帰ったら、まずDさんとほかの監視スタッフに向けて、彼らの悪行にすぐ報いがあるようにと発正念しました。しかし数日経っても、少しも効果がないようです。
ある日、学法しながら、発正念は人の背後にある邪悪を除去するためだが、今私が直面した人たちは邪悪に利用されて、私に救われるべき衆生なので、彼らを怒る筋はない、と突然私は思いつきました。そこで、彼らの背後の邪悪を消去するようにと、私は発正念の出発点を修正しました。
数日後、Dさんが我が家に来て、私たちは数時間に及ぶ長い会話をしました。Dさんは、『轉法輪』を見たことがあり、中には人に善行を教える内容しか書いていない。自分もこんな事をしたくなく、会社の共産党書記に命令されて仕方なく実行しただけで、そのために彼は書記と口論したこともあると言いました。続いて、自分も中国共産党がさんざん悪事を働いたため、きっと良い結末がないことを知っていると言いました。私は会話の勢いに乗って彼に「三退」を勧めると彼は黙々と承諾しました。最後にDさんは「あなたも私もしっかりと生きていこう、善良な人にはきっと良い報いがやってくる。彼ら(我が家を監視する人たち)がもしあなたに干渉するようなまねをしたら、すぐ私に教えてください」と言ってくれました。数日後、監視スタッフの中の1人にも「三退」してもらいました。
深夜、この交流文章を書いた時、つくづく師父の洪大な恩を感じ、精進してより多くの衆生を救う以外に、師父のご恩に報いることができません。慈悲かつ偉大な師父にお礼を申し上げます。
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2013/1/9/137024.html)