明慧法会|学法チームを大切にし、同修と支え合う(一)
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子

 【明慧日本2014年1月6日】尊敬なる師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!

 1997年に我が家に学法チームを設立しました。1999年に迫害が始まった後に、学法チームはやむを得ず一時停止しました。2004年、同修が我が家に来て、学法チームを再開するように提案しました。それで、我が家に再び学法チームを設立して、9年間の風雨を経て、今日まで続けてきました。

 一、我が家の扉は、同修のためにいつも開いている

 1997年当時、我が家の学法チームには20人を超える同修がいて、集団で学法をし、師父の説法ビデオを見て、如何に修煉の難関を突破するかについて交流し、共に速く向上していました。チームの皆さんは集団場にも行っています。夫、長男、長男の嫁も次々と大法修煉に入って、みんな我が家の学法チームを大切にしていました。しかし1999年7月、中国共産党の迫害が始まってから、我が家の学法チームはやむを得ず一時停止しました。

 2004年に、長男と長男の嫁が当局に連行されたので、現地のたくさんの同修が救援活動に参加して、私たちを助けました。私も皆の助けと励ましの下で、息子と嫁の救援を理由に弁護士を頼んで、公安、裁判所、その後はまた刑務所、留置場などに行って真相を伝え2人の釈放を要求しました。息子は最終的に長い刑期を下されたのですが、私はその結果に固執せず、救出する過程で私と同修はふだん行ったことがない、考えたこともない場所に行って真相を伝えることができました。同修たちも全体的協力の環境を形成して、後日、我が家に学法チームを再開する基礎を築きました。前述の通りに、2004年から我が家に学法チームが再開して、今日まで9年の間、何回も妨害に遭ったのですが、一度も中止したことがありません。

 ある年、我が家の学法チームに来たことのある同修Aさんが連行されました。それまで、私たちの「三退」リストはずっと彼女に渡して処理をしてもらいました。その日、ちょうど私が彼女の家に行った時、外で警官らが彼女の家で捜査をしているのを見て、私はすぐにそこを離れました。後ほど某同修から、彼女の家の付近にいた私も警察に写真を撮られた恐れがあると聞いて、私の心は少し揺れました。その時、我が家の学法チームは毎週の週末に学法をしていました。今週は学法をするか、それとも中止するか、私は恐れる心を抱えながら迷いました。

 学法チームは師父が我々に教えられた修煉の形式の一つで、絶対間違いありません。私の個人修煉には不足がありますが、迫害の口実になってはいけないし、そのために学法チームを人為的な原因で中止するわけにもいきません。私は心を落ち着かせ、学法の日になったら、多くの同修が時間どおりに来ました。学法が終わった後に、私は皆さんに「今後続けるかどうか」を相談したら、大半の同修は学法チームを続けるべきと言いました。もちろん「暫くおとなしくしよう」という意見もありましたが。最後に私は決意して、「我が家の扉はいつでも同修のために開いている」と言いました。私を感動させたのは、すぐさま多くの同修が「お宅の扉が開いている限り、私たちはきっと来ます」と返事してくれました。

 そのように互いに正念を持っているため、我が家の学法チームは多くの風雨を経験して、たとえ邪悪なプレッシャーが一番大きい時期にも、週1回の学法は一度も中止したことがありません。

 二、彼らはみな、真相を知るために来た

 中国共産党中央は何か重要な会議を開くたびに、我が家のビルの下に私服警官が張り込みに来ます。ここ数年間に数回あり、最も長いのは半月も続きました。彼らは午前8時に来て、夜10時に撤収します。私と夫は彼らを悪人と思わず、我々と縁があって真相を聞くために来た衆生だと思っています。

 夫は進んで彼らに挨拶して、単刀直入に且つとても温和に「貴方たち、我が家を張り込んでいるだろう」と会話を始めます。こんな善意を込めた挨拶に彼らは恥ずかしくなって、あいまいに「はい」と答えます。続いて夫は「では、誰の指示を受けて来たのか、どうして貴方たちはここに派遣されたのか? 私たちは法輪功を修煉しているものだ」と言って、彼らに真相を教えます。最後に真相が分かった彼らはみな私たちにとても感謝しています。それから張り込みの仕事を辞めた人もいます。

 ある日、私は彼らに果物をあげて、法輪功の真相を教え「三退」を勧めると、本当に「三退」に同意した人がいました。面白いことに、彼らは交代で我が家を張り込み、真相を聞いて「三退」をした人は、なぜか翌日から我が家に来なくなっています。後日、彼らはどこで私と夫に会っても進んで挨拶してくれ、古くからの友人のようでした。一方、私と夫がその日に家から出ていないために真相を聞けなかった「張り込み役」は、次の日も必ずまた我が家に当番しに来ます。同じく、真相を聞いた日の翌日から我が家に二度と来なくなります。彼らは、本当は真相を聞くために「張り込み役」になったのだ、と私は思います。

 三、学法に来る同修は、一人も減らない

 「張り込み役」の存在は私たちの学法チームにほとんど何の影響もしませんでした。我が家から数十メートルのところに派出所があって、所轄の警官と国保大隊はみな我が家に学法チームがあることを知っています。

 ここには顕示心などありません。私もできるだけ安全に注意しています。ただ安全のために同修を家に入れないことは一度もありません。学法チームをいくつか小さいチームに分けようと提案する同修も多くいましたが、私と夫は心を動かさず、同修たちも妨害を受けたことがありません。同修たちは我が家のビルの下に来たら、張り込み役がそこにいるのを見ても、依然として上へ上がって我が家に入ります。そのように数年間、集団学法は一度も中断していません。今まで、来る同修の人数が多くても少なくても、私は気にしていません。同修たちを我が家に送り込んだのは師父なのだ、と私は思っています。

 昨年5月のある日、我が家は数年間で最もひどい迫害に遭いました。国保大隊、公安局、派出所の計7人が我が家に突入して、不法に師父の写真、大法書籍、「法輪大法は素晴らしい」と印字した現金1万元(約17万円)あまりを押収しました。当時、私と夫は警官らに真相を伝え、5人は客間に坐って静かに聞き、2人だけが家財を差し押さえました。しかしその日多くの大法資料が押収されて、我が家にとっては大きなショックでした。私、夫、長男もそれぞれ恐れる心、恨む心、闘争心が生じました。

 その翌々日は集団学法の日です。警察が我が家に来たことを一応同修たちに知らせたほうが良いと思いましたが(学法を中止したいわけではない)、誰の電話番号も分からなくて、知らせることができませんでした。結局、その日日きた学法の人数はとても多かったです。私たちは通常どおりに学法して、学法が終わった後に私は皆さんに警察が来て家財を押収した事を教えました。それを聞いて表情が変わった人もいましたが、何も話さない人もいて、発正念で迫害を解体すべきと言う人もいました。私、夫と長男に対する、同修たちの反応は一種の試練でもあり、私たちの心がどう動くかを試しています。当時、私の心はとても落ち着いていて、多くの同修が来たことに感謝を表してから、我が家の学法チームはずっと続けていく、我が家の扉はいつでも同修のために開いている、と皆に話しました。翌週の学法の日に、なんと学法をしに来た人は相変わらずとても多く、私はとても感動しました。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/11/9/281171.html)
 
関連文章