署名活動を通して同修と切磋琢磨した体験
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文/日本の大法弟子

 【明慧日本2014年3月17日】尊敬する師父こんにちは、同修の皆さんこんにちは

 私は2010年7月に修煉を始めた弟子です。今日は迫害停止の署名を集める中で、同修と切磋琢磨した体験について交流しようと思います。

 私達の地区には日本人学習者が100人ぐらいいて、神韻や大法の活動の時にも、積極的に参加していましたが、地区の協調人の人柄にひかれて修煉を始めた人も多く、長い間、健康保持や病気治療の次元から抜け出せない人もいました。協調人は、理解の浅い日本人修煉者を、根気強く引っ張ってくれていましたが、その協調人夫婦が一昨年の9月にこの地を離れることになり、わたし達の修煉環境は一変しました。

 それまでの日本人修煉者は、トラブルが起きると法に照らして考えるのではなく、協調人につい頼ってしまっていましたが、これからは、全て自分たちで考えて、行動しなければいけません。動揺している日本人修煉者に、協調人のご主人が「自分達が留守の間に、迫害停止の署名を集めたらどうか」と提案してくれました。まだ全国的な署名活動が始まる前だったので、提出先を市議会にして、「中国政府および在日中国大使館の法輪功学習者に対する迫害停止を日本政府に求める請願」という名目で、協調人夫婦が帰って来るまでの3カ月間に、1万人の署名を集めることを目標にしました。

 最初のうちは、どうしたら1万人もの署名が集まるのかが、全くわかりませんでした。以前に署名活動の経験がある日本人同修もいましたが、その時の署名の段取りは全て協調人がしていたので、警察への許可申請や、担当してくださる市議会議員の先生への連絡、用紙のコピーに至るまで全てが初めての経験でした。具体的にどうすればいいかわからない時は、古い修煉者に聞いて智慧を出し合ったり、許可申請や、議員先生への連絡の度に、全員に発正念の依頼をして、それぞれが出来ることから始めました。また、イベント会場へ署名の許可をもらいに行く時など、全員で発正念をしてから行くと非常に効果が良く、それまで発正念の経験がなかった日本人も、その重要性を認識できる機会になりました。

 初めて署名活動をしたのは10月の最初の週末で、地元の大きなお祭りの場でした。それまで大法の活動に出ていなかった日本人修煉者も自ら進んで参加して、中国人修煉者と一緒に署名活動をしましたが、そこで驚いたのは、中国人の年配の同修がいとも簡単に署名を集めている事でした。年配の同修達は、たとえ冷たく断られても、常に穏やかな表情で、朝から夕方まで休むことなく片言の日本語で「お願いします」とそこに立ち続けていました。すると、日本人修煉者が署名のお願いをしても立ち止まらなかった人たちが、年配の同修が静かに差し出す用紙には、簡単に署名をしていきます。日本人の流暢な説明を聞いた後、年配の同修の所で署名をする人も多く、これは他の空間が作用しているからで 衆生を救うには、まず自分の心性を上げなければならないということに気付きました。そして自分達のしている事は、この世では、ただの署名活動のように見えても、他の空間では意味が違っていて、衆生にとって、署名をするという事は正しい未来への選択が出来たという事になり、ここに名前を書いた人たちは、他の空間にそれが残っていると分かるようになりました。この事は、法に対する理解が浅かった日本人修煉者にとって、大きな励みとなり、署名が集まらない時は自然に自分の心性から原因を探すようになっていきました。 そして、土日ごとに市内で行われるイベントを探しては、署名に行ける人を募り、中国人、日本人、古い弟子、新しい弟子、全員が一体となって表に出て行きました。

 一緒に活動をする中で、それまで、協調人以外の中国人と接する機会が少なかった、多くの日本人も、中国人同修が党文化の影響に苦しみながらも、日本の衆生を救うために、日本語を覚え、ひたすら真相を説明する姿に感動し、「わたしたち日本人が、もっと頑張らないといけない」と奮起するようになり、また、中国人同修も、何かトラブルが起きる度に「いまの自分の話し方は、強引ではなかったか? 日本社会に受け入れられるにはどうしたらいいか」と常に積極的に日本人と交流し、指摘を受けると、とても純粋に受け入れて、どんどん向上して行きました。

 ある中国人の年配の同修は、イベントがない平日に一人でデパートに行って署名を集め、週に一度の全体交流の度に、必ず100人を超える署名を渡してくれました。手渡す時にも、集めた署名の数を自慢することもなく、辛いとも言わず、いつも淡々と渡してくれますが、一人ずつの署名の重みが感じられ、年配の同修を心から尊敬しました。日本人の年配の同修の中にも、一週間で10枚の署名を集める事を目標にして、寒い冬の日にも「自分達で一軒一軒回って集めてきたよ」と笑顔で渡してくれる人もいて、署名活動を通して改めて同修の素晴らしさを感じました。

 また、署名を集める中で、悪いと思っていた事が実際には良い結果を招くこともありました。例えばグラウンドゴルフ大会で署名をした時の事です。雨が降ると、グランドゴルフが中止になるので、降らないように発正念をしていましたが、当日は明け方から悪天候で、とてもグランドゴルフができるような天気ではありませんでした。中止になるかと思っていましたが、予定通り集まった参加者たちは、小降りになるまでホールで休むことになり、その時に主催者から署名の趣旨が皆に伝えられて、ホールの中で署名用紙を回してくれました。結局、その場にいた二人の同修だけで、短時間に多くの署名を集める事が出来ました。もし当日が晴れていて、グラウンドゴルフが予定通り開催されていれば、100人を超える出場者達はみなゴルフに夢中になり、真相を聞いてくれる人は少なかったかもしれません。

 このように、署名活動中の天候に関しては、不思議なことが多く、天気予報で降水確率が高くても、当日はいいお天気で、たくさんの人に署名をして貰えることが何度もありました。その度に天がわたしたちに味方してくださったと感じ、人間の考えであれこれと議論するより、大法のことを考えて行動してさえいれば、師父がずっと傍で見守って下さり、大法弟子が協調して行えば、どんなに困難な事でも、必ず乗り越えられると分かりました。  

 同修と活動や交流を繰り返すうちに、この署名は、数や結果にこだわって集めようとしても、集まらない事が分かり、無心で目の前の衆生に真相を伝えて、断られても不満に思う事無く、またどこかで、真相を知る機会が得られるようにと望むようになりました。こうして、みんなの協調がとれてくるのと比例するように、署名の件数も増えていき、10月は3000件だった署名が、11月には5200件も集まり、最終的に3か月で1万人を超える署名を集める事が出来ました。

 このように同修と共に、大法の活動をする時間は本当に貴重なもので、同修の良い所を見れば、励まされて精進するようになり、同修の不足に気付いたら、自分にも必ず同じものがあると探すようになり、同修のおかげで、隠れた執着心を見つけられるようになりました。私は、まだまだ情が重く、取り除けてない恐怖心や嫉妬心、自分を認めて貰いたい心などさまざまな執着心がありますが、これらを取り除いていけるよう、これからも精進して行きたいと思います。

 個人の次元に限りがありますので、適切でないところは、慈悲なるご指摘をお願いします。

 師父に感謝いたします。同修の皆さまに感謝いたします。 

 (二零一三年日本法輪大法修炼体験交流会で発表)

 
 
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