明慧法会|師父の教えを聞き 多くの人を救い済度する(二)
■ 印刷版
 

文/山東省の大法弟子

 【明慧日本2014年3月20日】

 三、師父の教えに従って衆生を救い済度し 誰も妨害できない

 私は何回も通報され、何回も連行されました。しかし毎回、師父のご加護の下で、解放され、家に戻って来ました。そして、その後も、私は相変わらず外に出て真相を伝えています。今、いかなる人、いかなることも、私が人を救い済度することを妨害することはできません。私は師父の教えに従って、師父の説法に基づいて人を救い済度します。この数年、経験したことがあまりに多く、詳細に記録していませんでしたが、次に数例を挙げます。

 ある冬の夜、私の家で数人の同修学法していた時、悪人に通報され、地元の警察署の警官6~7人が来ました。警官の1人が手錠を持ってきて、皆に手錠をかけようとしました。私の心は動じず、心の中で師父にお願いしながら、警官に「手錠は悪い人にかけるもので、私たちにかけるものではありません」、「私たちはみな真・善・忍を修めている良い人です」と言いました。他の警官はその警官に手を振って「早く持って行って」と言いました。警官たちは資料を奪って、皆を連行しました。

 私は1人残されました。私は大法の真相を伝え続け、警官は私に早く歩くようにと催促しました。私は警官に、「暖炉に炭を入れたいのです。そうしなければ、帰った時に家が寒いです」と言いました。警官は「その必要はない、今夜は帰れない」と言い、私は「すぐ帰ります」と言いました。

 警察署に着くと、部屋には連行された多数の同修たちがみな頭を下げて座っていました。私は心の中で師父に皆を助けくださいとお願いしながら、警官に「いつまで、江沢民の手足となっているのですか?」と言いました。私が正念を発していました。1人の警官が私に「あの部屋へ行け」と言い、私を単独に別の部屋に入れました。しばらくして、また「この部屋に来い」と私を呼びました。警官が同修たちを連行し、ある同修は私に「私たちは東嶺(留置場)に行く」と言いました。

 同修たちが行った後、ある警官が私に「家に帰っていい」と言い、そして他の警官に「彼女を送って行って。家の近くまででいいから。でも、こんな年だから、やはり家まで送ろう」と言いました。このようにして、私は師父のご加護の下で、夜11時に帰宅することができました。他の同修はみな拘留され、そして罰金を取られました。

 また、ある冬の日、私は市場で資料を配り、真相を伝えていた時、人に通告され、市場の管理者に止められました。その日、市場には人が多く、私は人々に大声で真相を伝えました。あの管理者は恐れて、私を彼らの事務室に引っ張り込み、警察に電話しました。当時、法輪功修煉者を通報すれば、賞金をもらえるので、あの悪人は興奮して電話をかけ続けました。私は心が動じることはありませんでした。私は大法弟子ですから、師父のおっしゃる通りに衆生を救い済度することは間違っていません。私は帰宅したいと要求しましたが、彼らは許しませんでした。昼頃、警官が来て、師父の名前を言うや否や、私は大声で「やめなさい」と制止しました。するとその警官は直ちに去って行きました。

 悪人は私を人に会わせないように、私を一つの部屋に入れ、若い人に監視させました。その若い人は冷えている私を見て、暖房を入れ、そして引っ張られて乱れた私の洋服を見て、注意深く洋服のボダンをかけてくれました。悪人は「あれはおまえの母親か?」と皮肉を言いました。私はその若い人に真相を伝えて、三退させました。お昼、その若い人はお肉とラーメンを買ってくれました。私は食べず、飲まず、家に帰る一念を固め、正念を発し続け、師父の加持をお願いしました。午後2時過ぎ、あの悪人の管理者は警察と連絡がとれず、仕方なく私を帰宅させました。

 2003年、私は隣の村に行って資料を配り、約200部以上の資料を配り終わったところで、村の共産党書記に電話で通報されました。その時、村の十字路に警官が立っており、すでに多くの人々が取り囲んで見ていました。私は大声で叫びました。「皆さん、警察は白日の下で思いのままに人を捕えています。私は大法の修煉者で、法輪功のおかげで病気が全て治りました。法輪功は不当な扱いを受けています。私は大法のために真相を伝えなければなりません」。その時、パトカーが来て、警官が尋ねました。「おまえは家にいないで、外に出て何のためにこれを配っているのか?」。「私は人を救っています」と私が答えると、警官はさらに「誰がおまえを救うのか?」と聞き、私は答えました。「私の師父が私を救ってくださいます」。警官が「おまえの師父はだれだ?」と聞き、私は「李洪志師父です」と答えました。

 当時、邪悪が狂っている時期で、市は洗脳班を設置し、多くの法輪功修煉者を強制的に収容していました。警官は住民委員会の委員を呼び、私を洗脳班に入れようとしました。行く途中、私は彼らに真相を伝え、そして帰宅を要求しました。彼らは話し合った後、「まず、家に帰って、明日行きましょう」と言い、私は「明日も行きません」と返しました。それ以後、私を邪魔する人は本当に誰もいませんでした。

 半年後、私は電力局にガスを入れに行く途中、以前、真相を伝えたその村を通っていた時、路上のある人が「電力局でガスをいれるのか?」と声をかけてきました。その人は顔が歪んで、言葉がはっきりせず、杖で体を支えて歩いていました。その人は村の共産党書記で、私は彼を見ながら「これは報いですよ」と言いました。

 近年、私は小、中学生を真相伝えの重点対象にしています。生徒は毒害を最も深く受けているからです。私は毎日、生徒の登、下校時に、急いで校門の近くで待ち受けます。酷暑や厳冬にもかかわらず、私は生徒が来る前に着き、生徒と話す時間を作ります。生徒たちの授業が始まると、私は別の所に行き、真相を伝えます。私の食事は定時ではなく、お腹が空いたら、あるいは午後の集団学法の時間が近づいて、家に帰ってやっと感じるのです。

 私たちの市は大きくはなく、私は周囲の十数校を回ります。多くの生徒は遠方から私を見分けて「お婆さん」、「お婆さん、法輪大法は素晴らしい」と大声で呼びかけてきます。時には、年長の生徒たちにネット封鎖を突破するソフトを与え、多くの生徒は「もっと欲しい、他の人にもあげたい」と言います。このソフトの中には圧縮した資料が多く、生徒たちはみな喜んで見たがっています。

 私の周囲に私のような古い同修が数人おり、彼女たちも毎日午前、市場に行き、真相を伝えて衆生を救い済度し、午後、集団学法に参加します。真夏の酷暑でも、私たちは相変わらず外に出て人を救い済度します。どんなことがあっても、私たちは法に基づいて、あるいは同修と交流し、お互いに気づかせ、比して学び、比して修め、比して人を救い済度します。皆は一日外に出なかったならば、深く恥じ、罪悪感すら持ち、師父に申し訳ないと思います。今の毎日はすべて衆生を救い済度するために、師父が時間を延長されたのです。私たちはただしっかり行い、師父にご心配をおかけしないようにするしかありません。

 再び、慈悲なる師父に感謝申し上げます。弟子は師父に合掌いたします。

 (完)

 (明慧ネット第10回大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/11/17/281578.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2013/11/29/143425.html)
 
関連文章