【明慧日本2014年4月10日】江蘇省の淮海工業学院の助教授・鄭君さん(60歳女性)は十数年前、連雲港市にある法輪功煉功場の責任者(ボランティア)であった。そのため、鄭さんはこの十数年、中共(中国共産党)当局から監視、連行、洗脳班や労働教養所で拘禁などの迫害を受けた。
鄭さんは大学で大中国語学科を専攻し、卒業した後、淮海工業学院に就職し、教師として働いていた。現在、鄭さんは定年退職している。法輪功を修煉する前、鄭さんは心臓病、腎う腎炎、胃病などを患い、授業中に倒れたこともあり、学校では「薬の籠」と呼ばれ有名になっていた。
1996年、鄭さんは知り合いの紹介で法輪功を学び始めた。その2週間後、鄭さんが患っていた病気が奇跡的に治った。この不思議な出来事が職場で大きな反響を引き起こし、多くの人が法輪功を修煉する道に入った。
しかし、1999年7.20、中共当局は法輪功への弾圧を開始した。鄭さんは法輪功を学んでいるとして、迫害の対象となった。
1999年7月20日深夜、連雲港市公安局国保(国家安全保衛)大隊、新東派出所の警官は鄭さんの自宅に不法侵入し、鄭さんを連行した。鄭さんは夜も寝ることを許されず、3日間連続で尋問を受けた。
派出所で、警官は江蘇省の各煉功場の責任者の名前を記載したノートを持ってきて、鄭さんに「これらの人と連絡を取っているのか」などと尋問し、「法輪功は厳密な組織を持っているだろう、認めろ。そうでないとおまえに厳しい処分を下してやる」と脅迫した。しかし、鄭さんは「法輪功には職務もないし、給料ももらっていないし、オフィスもありません。ただ毎日、テープレコーダーを持って煉功する音楽を放送し、みんなと一緒に功法を練習しているだけです」と話した。
数日後、派出所から帰宅した鄭さんは、自宅から連行されて洗脳班に入れられた。勤め先の中共書記は洗脳班に行き、鄭さんに「もし、法輪功を学び続けるならば、おまえを解雇し、おまえの夫を降職させるぞ。そして、おまえの子供が将来、大学に進学できないようにしてやる」と脅迫した。
その翌日、鄭さんの夫は会議中に家に帰れと追い出され、「おまえの妻が法輪功の修煉をやめてから、出勤しろ」と言われた。
その後、連雲港市公安局、国家安全局、派出所、居民委員会、勤め先など、一斉に鄭さん夫婦に圧力をかけ、「テレビで法輪功をやめると言え」と強要された。そして、あまりの圧力で鄭さんは意に反してテレビ局に行った。テレビ番組のインタビューで「法輪功は人に道徳を向上させる修煉法で、組織は存在していません」と話したが、番組が放送されるとき、鄭さんの話は故意に改ざんされた。その3日後、省宣伝部は鄭さんに「テレビで法輪功を批判してほしい。もう一度インタビューを受けてもらう」と話したが、鄭さんは断固として断った。
ある日の午前、連雲港市国家安全局、公安局、国税局、土地税局、派出所の警官ら6人が鄭さんの自宅に不法侵入し、鄭さんに脱税容疑の罪を着せようとした。鄭さんは堂々として、法輪功が無料で教えている事実を伝え、彼らを非難した。
2001年3月、鄭さんは淮安県の実家に帰るとき、母親も法輪功を学んでいるとの理由で、警官に家宅捜索されていた。警官は鄭さんの姿を見て、すぐに連雲港まで行き、鄭さんの自宅も家宅捜索をした。警官は鄭さんの家にあった法輪功の関連書籍3冊、法輪功の煉功テープなどを没収した。
同年5月19日、鄭さんは人に法輪功が迫害されている真相を伝える手紙を出したとして、路南派出所の警官に連行された。派出所で鄭さんは靴を履くことを許されず、眼鏡をかけることを許されず、「鉄の檻」に2日間監禁された。その後、鄭さんは2年の労働教養処分を下され、労働教養所に送られた。
教養所で警官は鄭さんを「転向」させるため、手段の一つとして、トイレへ行くことを許さなかった。そのため、鄭さんは中毒していまい、高熱を出したという。
鄭さんは現在、還暦を迎え、法輪功を修煉してとても若々しく見え、知らない人にいつも40代だと言われているが、相変わらず、当局に尾行や監視、電話の盗聴など迫害をされているという。
(注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)