明慧法会|三つのことをしっかり行う事が一番の幸せ(二)
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2014年4月14日】私は会社で、大法弟子としての良い風貌を保ち、さらに、常に精進して法を伝えていましたので、会社は幹部から同僚まで、大法に対して基本的にみな肯定的でした。

 1999年「7.20」に私は不当に監禁され、解放された後、会社に出勤すると、社長が「世界各地の大法弟子があなたたちを応援している」と励ましてくれ、同僚の中には私が迫害に遭うのを心配して、自ら進んで私を助けるために大法書籍をしまっておいてくれた人もいたこと、また、デマの宣伝を聞いて納得できず、私に聞きにきた人もおり、その時に同僚たちに真相を伝えたこと等を記憶しています。時には、課長は自ら進んで私を呼び、信仰の問題について研究し討議したこともありました。これは師父が安排してくださった縁だと分かっており、他の同僚にも聞こえるように、故意に大きな声で大法の真相を伝えました。同僚も恩恵を受け、その時、会社全体が異常なまでに静かで、みんなは黙々と聴いているのだと感じました。

 時には、中共(中国共産党)の虚言を信じて、法輪功がどうのこうのと口から出任せを言う同僚もおり、そういう時、真相を知っている他の同僚が、「法輪功を学んで、それがどうだというのですか?!」と言って、自発的に大法を護ってくれましたそれにしても、善悪の分別もつかなかったあの最も暗黒な時期に、私の職場の環境はずっと正常な状態であり、私は衆生の理性的な選択に安心しました。

 ある時、居民委員会(共産党の最下部組織)の人たちが、私を探して我が家にやって来ました。私は修煉により恩恵を受け、身体的、また道徳的な面での向上と、大法の素晴らしさをその人たちに話しました。しかしそれ以後、その人たちには会っていません。

 確か、迫害が始まったばかりの頃でした。私が初めて真相資料を配った時のことです。家の白黒プリンタで資料を1部印刷し、それを折りたたみ、1人で家から離れた公園に行きました。とても長い時間が経ってから、やっと勇気を奮い起こし、びくびくしながら資料をベンチの上に置き、早々に立ち去りました。

 師父の励ましによって大法弟子の資料拠点が、至る所で花が咲くように増えました。私と夫(同修)は必要物品を購入し、資料作成のための設備を整え、我が家にも小さな花が咲きました。私たちは三退やネット封鎖突破のための資料、お守りなど、様々なタイプの真相資料を作りました。法輪功の素晴らしさ、迫害の邪悪さを私たちは世の人々に対して黙々と訴え、「蔵字石」は何を意味しているのか、「三退」とは何か、『共産党についての九つの論評』は何なのかを伝え、どのように獣の印を取り除き、どのようにネット封鎖を突破するか、どのように真実の世界を認識するかを黙々と知らせました。また私たちは最大の善念を発し、大法のお守りを心を込めて世の人々に差し上げ、人々が真相を知り、福報を得て、未来を得るようにと念願しました。

 資料拠点が発足したばかりの頃、常に恐怖心がありました。ある時、私たちが真相資料を配り終えた後、1台の車が私たちの後をつけているようだと感じ、その車をまくために向きを変えました。しかし、まさかその車も向きを変えるとは思いもしませんでした。また一度、こんなこともありました。私が真相資料を道路の端に固定したちょうどその時、前から人がやって来ました。あの時も私は本当に慌てました。

 幸いなことに、私たちは修煉者であり、師父がいて、法があります。私の体験からすると、師父が安排してくださったこの道を、ただしっかり歩んで行きさえすれば、どんな執着も最終的に解体されます。師父はすでに私たちのために素晴らしい修煉の道を安排してくださり、それは、円満成就への1本の道なのです。

 恐怖心はいつの間にか少なくなり、さらにはなくなって、正念が強くなりました。毎回私たちが強大な正念を発すると、縁ある人に早く真相を探すように促し、そして、邪悪な者は見なくなりました。また、旧勢力が私たちのまだ取り除いていない執着を利用して、大法弟子を迫害し、師父が要求された「衆生を救う」という重大な使命を妨害することを私たちは決して許しません。

 街には監視装置がとても密集しています。しかし、大法弟子は師父の要求されたことを堂々と行いさえすれば、実は、監視装置は何でもありません。ごく自然に通ればいいのです。また、私たちはこれらの設備に対して強大な正念を発し、師父の法を正す勢いの中に自分自身が帰る機会を残しておくのです。当然のことですが、同時に安全に注意する必要があり、周囲の監視装置の位置や方向を直ちに確認し、心性に漏れがない状態で資料を配ります。

 迫害が始まって間もなくだったと思います。ある夜、私たちが街のメインストリートで資料を配っていた時のことでした。そこから少し距離をおいたところに監視装置があり、その上、夜の大通りには誰もいません。街灯はとても明るく、私と夫は監視装置から非常にはっきりと見えているに違いありません。その時、恐怖心が起きました。しかし、私たちは中止せず、そして、ひるむことなく『洪吟』を暗唱し続け、一つまた一つと暗唱を続けていると、師父が私たちを加持してくださり、私たちはやるべきことをやり終えました。人と神との間の考えの違いは、ほんの少しでしかありません。実は、それらの常人の観念を師父の精魂込められた按配の下、私たちは着実に修煉する中で少しずつ取り除いていきました。

 真相を伝え始めた初期、私たちはよく空が暗い時間帯を選んで、真相資料を目立つ位置に置き、早朝トレーニング、あるいは早起きの人がすぐに資料を手にするよう希望しました。しかし次第に、私たちはこの方法の足りない点を考え始めました。目立ちやすい所に置いた資料を道路の清掃人や保安員などが見て、中には持ち去ってしまう人もいるでしょう。これでは衆生を救い済度するのに、良い結果を収められないだけでなく、何人かの生命が業を招くことになり、清掃人や保安員を壊滅へと追いつめることになるかもしれません。

 その他に、人々が非常に目立つ場所で資料を取り、読む可能性があり、それは心配です。この点を考えて、私たちはもっと理性的に、合理的に配る場所を選択しました。執着心を放棄して淡々としてくるに伴って、昼間も同様にごく自然に配ることができるようになりました。衆生を救い済度するには、まず人のことを先に考えなければなりません。師父が大法弟子を成就させるのは、旧宇宙の特性とは異なっており、それは無私無我で、他人を先に考え自分を後にする、法を正す正覚の大覚者です。大法弟子として、ただ無条件に同化するだけであり、師父が要求されることに円融するだけです。

 真相資料を配って衆生を救う方法にはある特徴があります。というのは、あなたが済度すべき相手を、あなたは明確に識別できなかったり、知らなかったりするので、日が経つと、消極的になってしまいがちになります。学法し、発正念をして直ちにその消極的な心を排除しなければ、修煉者としての精神まですり減らしてしまう可能性があるのです。師父は私たちに説かれました。「学法を怠らざれば変は其の中に在り」[3]。そうです、師父はすでに宝物の中の宝物を私たちに授けてくださったのです。それでも、師父はやはり一歩進んで修煉者を教え導き、そして励ましてくださっているのです。

 ある時、私は夢を見たのですが、私たちがどこかの有名な山で配った真相資料は元々は全て一つ一つが金で、暗闇の中でぴかぴかと輝いていました。その上、無秩序で乱雑に見えていた資料を置いた場所が、実はとても整然としていて、全体を一見すると、邪悪な連中を排除するための陣を張り巡らしており、金色に輝いている全ての資料がこの陣には欠かせないものでした。

 その他に、真相を伝えている中で、私たちは他の同修が真相を伝えた足跡を見かけることがよくあります。ある時は小さな木の上であったり、ある時は石の上であったりします。私は同修が石の上に書いた「法輪大法は素晴らしい」や、木に掛っている資料を見たこともあります。ある家の門前で同修に出くわし、「全世界華人新年祝賀祭のDVDを見ませんか?」と、聞かれたこともあります。同修が作って使用した真相貨幣が私たちの手に流れてきたこともあります。邪悪が充満している環境の中で、なじみのある同修はあまりいませんが、「自分は一人ぼっちではない」と思っています。

 その他にも、私たちはまた、世間の人々の真相に対する渇望と同意を見ることができました。ある時、真相を伝える途中で、山に中共によって塗りつけられた真相のフレーズがあり、それを年配の男性が真剣に一文字一文字注意深く見ていた姿が今なおありありと目に浮かんできます。私はまた、一般の人のブログに、大法弟子の真相伝えに対する世間の人々の同意と敬意が書き込まれているのを見たこともあります。

 多くの場合、物事は始めるにはとても困難が伴います。私と夫は一つの明らかな現象に気づきました。真相を伝えに出かけようとする時、よく常人のことが邪魔をしにくるのです。それはまるで、家から踏み出すことすらできないようにします。ある時は、資料を持ってずっと歩いていても、適切な場所も時間もほとんど見つかりません。こんな時、最も重要なのは懸命に励むことで、諦めず、人を助けようというあの「初心」を維持することです。着実に修煉する中で、私個人の次元での体験は、ただ「真相を伝えて人を救う」というこの貴重な一念さえあれば、師父は必ず助けてくださるのです。この一念を捨てなければ、きっと成功するでしょう。純粋な心で貴重な資料を配りさえすれば、大きな扉が開き、一塊の清浄な岩、整然とした橋の欄干、まっすぐに伸びた樹木、点在している優雅な家屋・・・これら全てのものがあなたに向かって微笑み、真相を伝えるあなたに協力する栄光を、皆先を争って引き受けようとするのです。「見たところ」どんなに難しかろうと思っても、それはみな見せかけにすぎません。師父が求めていらっしゃるのは、師を信じ法を信じる修煉者のその誠実な心なのです。実は毎回、資料を配り終えるといつも、「持って来る資料が少なすぎた」と思うのですが、実際、もう少し配ることができるのです。

 人類ばかりではなく、私たちが歩いてきた山や川、一木一草、鳥や獣、橋の欄干の木の柵、レンガの家屋もみんな恩恵を受けており、大法の救い済度にみな感謝しています。何度も経験したことですが、山々に入ると、心を震わす様々な変わった小鳥のさえずりが聞こえ、色鮮やかに咲いた花々の美しさに感動し、キジ、野ウサギ、さらには都市や自然界では見られない野ザルさえも、道路に走ってきて私たちに挨拶をします。

 2013年7月は私たち一家にとって稀にみる、家の内外、年寄り、子供、仕事、家庭にだしぬけに「百の苦一斉に降る」[4]の状況が現れ、一時は実に「山雨来たらんと欲して風楼に満つ」(大変事が起こりそうで緊張感がみなぎっている状況)でした。私たちは苦しみを乗り越えましたが、修煉者の正念には少しも動揺はありませんでした。最も困難で、最も苦しかった時、私はいつも師父のおっしゃつた「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」[1]を思い出しました。

 「本当の劫難に直面した時、あるいは関門を乗り越える時に、試してみてください。耐え難いものを耐えてみてください。乗り越えられそうもないと見えても、行ない難いと言われても、本当にできるかどうか試しにやってみてください。もし本当にやり遂げられれば、きっと『柳暗 花明 又 一村』というように、眼前に新たな世界が開けることに気づくに違いありません!」[1]。謹んで師父のお教えに従い、修煉者たちは内に向けて探し執着心を取り除くと同時に、旧勢力のすべての安排を全面的に否定し、三つのことをしっかり行い、師父が安排してくださった道を歩んで行きます。

 実は、これまでの十数年間の修煉の道はすでに実証し、師を信じ法を信じるならば、どんなに困難や危険が多くても、あなたの足元にはいつも狭くても金色に輝く一筋の正しい道があり、それを歩んで行くことができます。なぜならそれは師父が千万年の精魂込めてあなたに安排したもので、それは千変万化する俗世の中で、唯一の真実で不変の一筋の道であり、それは円満成就に通じる帰り道で、無量の慈悲と無辺の法力で師父はこれが「必ず成就する」道であると、とうに定められていたのです。

 弟子が行ったことはとても少ないのですが、師父が授けてくださったものは山ほどあります。師父のご恩に対する感謝の意を言葉では言い表すことができません。弟子は家族全員で師父にお礼を申し上げます。同修の皆さん、ありがとうございました。

 (完)

 注:

 [3]李洪志師父の詩:『洪吟二』「精進正悟」

 [4]李洪志師父の詩:『洪吟』「その心志を苦しめる」

 (明慧ネット第10回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/11/10/281579.html)
 
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