明慧法会|勇猛邁進して真に修める弟子になる(二)
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 【明慧日本2014年4月19日】

 二、法を実証する

 学法してから1ヶ月くらい経ち、私は大法が素晴らしいと、多くの人に伝えたいと思いました。自分も真相資料を人々に伝えるべきだと思いました。私は同修に「私に資料をください。私も外に行って人々に届けます」と言いました。同修はすでにセッティングを終えた袋と、壁などに貼り付けできる資料をくれました。私はもらった資料をすぐ貼り終えました。私は再び彼女と会った時、もっと配りたいと伝えました。その後、彼女がくれる量が多くなり、私は頑丈な大きいかばんを買いました。その中に、真相資料、ビデオ、『九評共産党』などいろいろな資料を入れて、外で配りました。

 ある日、同修の家から40冊以上の『九評共産党』をもらい、重いかばんを持って出かけました。その時、雨が降りはじめ、近くに高層ビルがあり、高層ビルに入って配ろうとしました。私は今まで最上階から下りながら配っていました。最上階に上がるためエレベーターのボタンを押したら、カードを挿入してくださいとの文言がディスプレイに表示されました。私は、それでは階段で昇ろうと思いました。そんなに昇ってもいないのに、気づいたら18階にいまいた。疲れもなく息も平常通りでした。まるで飛び上がったかのようで、本当に不思議でした。

 2008年9月、私に大法を紹介してくれた女性は、1ヶ月間監禁されました。出てから彼女は以前のように私に資料をくれなくなりました。彼女は「頑張りすぎなくてもいいよ。あなたは次の時期の弟子だから」と言いました。彼女にこのように言われてから、私は落ち込み、資料を作っている他の同修も知らないから、私は携帯電話を利用して真相メッセージを送りました。2009年の元旦ごろ、私はもう一回彼女の家に資料をもらいに行きました。その時もう一回「あなたは次の時期の大法弟子で、私達と異なります。私はそろそろ引っ越しします。今度からは◯◯さんがあなたと連絡するはずです。彼女はあなたの店を知っています」と言われました。

 その同修の家を出てから、私はずっと涙を流しました。「法を実証した生命こそ法を正す時期の大法弟子だ。自分は天安門にも行っていないし、心性の小さい試練があるだけでは法を正す時期の大法弟子になれない。法を正すことがそろそろ終わりになる際にようやく入ってきたのだから、もしかして本当に次の時期の大法弟子かもしれない」といろいろ考えました。その後、私は数人の同修と会いました。彼女らは私の店を知っていましたが、私は同修たちの家を知りませんでした。彼女らは私の前で話すとき非常に注意し、個人の情報には一切触れませんでした。現在その同修も引っ越して、誰も私に資料をくれなくなり、自分は本当に次の時期の弟子かもしれないと思い、その数日間は本当に苦しく、本も見ず、煉功もしませんでした。毎日涙を流して非常に落ち込んでいました。まる10日間、師父の写真を見てぼうっとしたり、師父が本当に私を欲しがってないような感覚でした。11日目、私はもう我慢できず、本をめくって見ました。その時、師父の『轉法輪』の中でおっしゃっている「煉功をしないため、エネルギーが蓄えられていません」のお言葉を見かけました。私は涙がぼろぼろ出て、師父が按配であれば、次の時期でもよいと思いました。

 師父は『二〇〇四年米国西部法会での説法』で次のようにおっしゃいました。「自分が法を正す時期の大法弟子なのか、将来の弟子なのかのことを気にせず、既に修煉に入ってきたのだから、あなたは無数の衆生が羨望している生命なのです。他でもなく自分の道を正しく歩むことです。ある生命は宇宙の中で何をやっても報いがやってきます。良いことをしても悪いことをしても、報いがあります。もちろん修煉に報いがあります。これは果位を証明したことの果報です。これは宇宙の中の絶対的な理なのです。多く考えないでください。自分がどうなっているのかも気にせず、行えることがあれば、修煉することができれば、修煉してください」。以前、女性の家で知り合った同修に私が資料を作りたいと話したら、その同修は手伝ってくれました。私は真相資料を作り、自分の道を歩もうとしました。私は自分で印刷し、分からない技術はインターネットで探し、同時に真相メッセージも送りました。

 2009年4月25日、地元のいくつかの資料作成拠点が中共に破壊され、損失は言うまでもありませんでした。私が知り合ったその同修は懲役7年の不当判決が下されました。4月27日、私達は破壊された資料拠点にまだ使える資料があるか行ってみました。同修はベッドの下に600元の現金を見つけました。彼女は私に渡しながら、これを使って資料を作りましょうと言いました。後で、資料を作っている他の同修も引っ越したため、その同修が作っていた分も私が作るようになりました。お昼はお店で、その時、夫はまだ私の修煉を支持してくれませんでした。私が資料を作るのを見て、ガンガン怒り、プリンタを壊すと言いました。私は夫が寝てから作るようにしました。金曜日に資料をダウンロードしてから、夜中11時頃から小冊子や資料を作り、3時40分から煉功をして、発正念をします。お昼はいつもの通りお店を運営し、基本的に金曜には明け方までしなければなりません。しかしちょっとでも疲れを感じず、お昼はいつもと同じ元気でした。お店が終わってから、私は携帯電話で真相メッセージを送ったり、資料を配ったりしました。私は師父が私を諦めていらっしゃらないことが分かり、私に大法弟子が歩むべき道を按配してくださったと分かりました。師父は法を正す時期が終わろうとする際に、私にこのような機会を与えてくださいました。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/11/16/281582.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2013/11/30/143441.html)
 
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