法をしっかり学び、関を乗り越える
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 文/台北の大法弟子

 【明慧日本2014年4月20 日】私は2007年3月に38冊の大法の書籍を読み終えたあと、母に勧められて大法を学び始めました。

 学法を継続し、智慧が現れる

 当時、私は化粧品会社の企画部に入社したばかりで、台湾全土の32カ所の百貨店で、毎月キャンペーン活動を担当し、通常の勤務時間は夜の8時か9時になっていました。しかし、修煉上で既に遅れている自分には安定した修煉環境が必要だと思い、出勤初日から私は自分にこう要求しました。(1)毎日、勤務時間より1時間早く会社に着いて学法する。(2)定時に退社し、その後の学法の時間を確保する。(3)毎週のグループ学法に必ず参加することでした。実際、二つ目の項目を決めるとき、私は随分悩みました。新人の私が社長に怠け者だと思われたらどうしようと随分悩みました。師父は『精進要旨』「実証する」の中で次のように説かれました。「ところが、佛法はあなたを開拓者にするために、あなたに智慧を与えたのではなく、あなたが修煉者であるから得たのです。つまり、あなたはまず修煉者であって、そして専門家なのです。そうであるならば、修煉者として一切の有利な条件を利用して、大法を広め、大法が正しいもので、真の科学であり、説教と唯心論ではない、ということを実証しなければなりません。これはすべての修煉者が自らの任務とすべきことです」。私はこう決心しました。もし私が真面目に学法し、煉功を欠かさず、自分をきちんと修めれば、仕事を良くこなす智恵が得られるか見てみようと思いました。結果として、3年間の中で私はこの三つの条件を実行できただけでなく、私の辞職後、会社は私の代わりに3人の企画部員を雇って、私がやっていた仕事をさせました。

 当時のことを思い出してみると、心性の関を一つずつ乗り越えてきました。設計部門の主任が私を教育するとき、私はこう思いました。「以前のあなたからの借りを全部返し、自分の業を滅してしまいましょう」。3人の業務監督が私の企画案に賛同しないとき、私は彼らの立場に立って、彼らが心配している問題を図表で分析し、説明しました。年末の繁忙期に、私は自分でデザインをし、在庫管理の予測統計表を作り、商品部と業務部がスムーズに目標を達成できるよう助けました。これらの全ては私が学法と煉功を継続してきたことにより得た智恵のお陰だと思います。

 2007年末に、神韻公演が初めて台湾に上陸した時、私は同僚達に神韻を知って欲しいと思いました。しかし、当時、私は一度に全ての同僚にこれを知らせるチャンスがなく、心から真相を伝える機会を強く希望していました。そして、想像すらしなかったことですが、2日後、社長はいきなり、「社員全体の文化的素養を向上させるために、これからは毎週の会社の例会の前に、社員全員が順番で読書感想文の発表を行うことにします」と発表しました。こうして、神韻公演の情報が一気に社内の隅々に伝わりました。その年、会社の約半数の社員が自費で神韻公演を鑑賞しました。その後、私は読書報告会を利用して、真善忍美術展や法輪功の真相、そしてミラレパ大師などの話をしました。更に、ある日私は天国楽団の服を着てドラムを持参し、会議の際に台湾の天国楽団を紹介しました。その後、会社の教育訓練担当者が感慨深くこう言ってくれました。「私たちは真っ先に店舗の店員たちに法輪功を学ばせるべきですね」と。そして、私は会社で法輪功学習班を設立し、昼食後の休み時間を利用して同僚たちに煉功を教えました。

 大法修煉を堅持し、情の関を乗り越える

 2010年、交際して12年にもなる彼が間違って私の電話に出たとき、その慌しさから、私は彼がずっと前から私への情が消えていたことがわかりました。その日に彼から別れ話を持ち出され、私も無言でその情を断ち切りました。その後、間もなく会社は金融危機で大規模な人員削減を行い、私も別れの悲しみから仕事に興味を失い、会社を辞めました。

 覚えているのは、当時の私は毎日ベッドに横たわったまま頭は空白で、それまで物質と精神面において充実した日々が、朝晩の煉功と4~5時間の学法の生活に変わり、30歳まで生きて来て始めて自殺という念を持ちました。人生において追求しようとした事業の成功や、家庭の幸せも一瞬で消えました。常人の友人は私が馬鹿だと言い「なぜ彼を殴って罵り、ことを大きくさせないのか」と言いました。しかし、師父の法理の一節が私の脳裏にありました。「肝心なときに、わたしは皆さんを人間と決別させようとしているのに、皆さんはかえってわたしについて来ようとせず、一回一回の機会はいずれも二度と訪れないのです」(『精進要旨』「根を掘る」)

 私は心を静めて考えました。修煉を始めて3年来、私は関に遭遇する度に簡単に乗り越えてきたので、心性が向上し良く修めていると思っていました。実際は、まだ本当の試練に遭遇していませんでした。私は内に向けて探し、何故この情を放下できないのか? そこに嫉妬心と闘争心が見えました。私は自分が敗者になって、相手より条件が悪くなり、それゆえ彼は相手を選びました。自尊心と恐れる心が見えました。これは恥ずかしいことで、友人や両親に知られたくなく、断念したくない心が見えました。青春の12年間を彼に注ぎ込んでいました。一時、私は「彼には見る目がなく、絶対に恋愛に失敗する」という考えで自分を慰めようとしましたが、結果として自分のマイナス面の情緒を増強してしまいました。考えてみると、この一切の考えの出発点は全て利己的なものではありませんか? 修煉において取り除くべき執着心ではありませんか? 「大法は心の憂いを解くことができる」(『洪吟三』「冷静」)のです。しっかり学法して、大法を持って自分の不足を補填しましょう。

 私は毎日7~8時間の学法と発正念をし、「情」による妨害を排除しました。時にはまだ情による関の試練を夢に見ます。最初は泣きながら目覚めますが、徐々に冷静に対処できるようになりました。私はこの大きな関を乗り越えたと実感しています。

 学法して実修し、誓約を果たす

 今月、私は正式に新紀元週刊に入り、初めて手がける企画案は台湾茶です。企画案を書くのは私にとって簡単ですが、難しいのは広告主が気に入ってくれないことです。新紀元は発行部数がまだ少なく、認知度も低く、また新紀元の文章が台湾人の好みに合わず、政治や宗教じみていると思われています。広告営業をする中で、よく広告主に企画案を却下されることに直面して私は失望します。時には時間が経過するばかりで収獲がないことに緊張と憤慨を覚えることさえあります。同修と営業の先輩によく言われることは、「あなたみたいに強い目的達成の心を持って営業する人を見たことがありません。まず相手と友達になることを試み、利益のことばかりを考えないで下さい」とか、「半年間、相手にサービスをする精神で仕事に臨んで、それから機会が得られるのです」。内に向けて探し、私は何の目的で同修が立ち上げたこのメディアの環境に入ったのでしょうか? 一緒に衆生を救おうとしたのではありませんか? 私は彼らから金を求めようとする心を抱いたのでしょうか? 或いは彼らに真相を伝え、新紀元に興味を持って貰い、それから広告を出してほしいと願ったのでしょうか? 私は自分の心理状態を調整し、毎日、2009年以降のメディアとに関連する師父の新経文の学法を増やし、記者と一緒に取材に出かけ、心からお茶の内包を理解しようとしました。すると初めて、1カ月後に広告代が広告主から支払われました。

 ある日、私は中坜(ちゅうれき)市のお茶協会の責任者を取材に行きました。自分が大法弟子であることを伝え、良い会談ができました。台北に帰る途中、その責任者から電話がありました。内容は「お茶協会は中国と商売を行っているため、法輪功関係のメディアに広告を載せるのは控えたい」ということでした。私は青天の霹靂で、非常に悲しくなり、「大法弟子は旧勢力と人を奪い合っている」、「衆生を救う」、「真相を伝える」といった事の本当の意味が突然分かった気がしました。内に向けて探し、広告営業を行う際、私は大法の真相や法輪功に言及するものの、いつも時機を窺って、時には時間がなければ真相を伝えなかったりします。そうすると、善良な茶人達は真相を良く知らないまま、中共(中国共産党)に傾いてしまいます。私は本当に急いで何かをしなければならず、急いで、急いでと自分を急かせます。出版まであと30日しかなく、私はまだ一割の目標しか達成できていませんでした。

 大きい広告主を獲得できないなら、せめて小さい広告主でもいいと、私は戦略を変え、一版を三つに小分けし、もし私自身が広告主ならいくら位が許容範囲だろうと考えました。小さい広告主を対象とするなら、量をこなさなければなりません。私は簡単に計算し、30件くらいなら業務目標が達成できると考えました。それから私は綿密に電話でアポを取り、茶山への旅を始めました。一カ所目は南投(なんとう)市で、私は一日4社を訪問しました。本来なら翌日、南下する計画でしたが、体が重くて心も疲れ切り、まるで大きな戦争にでも参加してきたような感じでした。全く気力がなくて翌日の予定を取り消し、台北に戻ることにしました。内に向けて探し、私は衆生の背後にある業力が彼らの真相を知ることを妨害していると気づき、この困難を突破し、更に多く学法して心性を高め、自分の修煉状態を安定させるべきだと思いました。

 二カ所目の訪問先は阿里山(ありさん)でした。今回、私は全ての予定をこなせなければ帰らない決意でした。現地の同修の協力を得て、私が広告の説明をしている間、同修は横で発正念をし、早朝10時~夜12時半まで、私達は10数社の業者を訪問しました。同修の家に戻る途中、近くから漂ってくるお茶の香りを嗅ぎ、蛍の光を見て私は涙を流しました。今回のお茶の特刊号は既に9割5分の業績目標を達成し、そのうちの9割は新規のお客さまでした。私がなすべきことをきちんとこなせる機会を下さった師父に感謝致します。

  今日、新紀元は三つの特刊号を完成しました。その過程において私は学法や煉功、真相伝え、発正念の重要性を深く認識できました。特に学法は一切の智慧やエネルギーの源です。お茶の特刊号の広告営業を行う2カ月半の間、特に最後の数週間、私はほぼ毎日、涙を流しながら学法していました。見えない圧力に耐え、唯一の正念は師父が要求されている「自我を放下し、衆生を救う」ことです。新紀元が行う早朝の学法グループでは、毎日『轉法輪』を一講学ぶことを1年以上持続してきました。

 「修煉者として、常人の中で遭遇した一切の苦悩は、みな関を乗り越えることであり、遭遇した一切の褒めたたえは、みな試練なのです」(『精進要旨』「修める者はおのずとその中にいる」)。広告営業で成績を出した後、私は全てが師父から頂いた智恵と新紀元から与えられた希望によるものだと自分に言い聞かせつつ、やはり知らず知らずのうちに傲慢になってきました。嫉妬心や、同修の指導への不満、他人と見比べて闘争心も現れ、仕事に大きな支障をきたしました。最後に、私は新刊号の製作に携わる機会を諦め、一旦新紀元から離れてニューヨーク法会に参加しました。法会の中で多くの同修の修煉体験を聞きました。最も印象深かったのは、ある同修が自分を良く修めず、ずっと外部に原因を求めることで自分の修煉に最大の遺憾を残したことです。「自分を修め、内に向けて探す」という言葉は私の脳裏に深くきざまれました。

 内に向けて探し、仕事をする中で私は自分がずっと忙しく、他の同修は割りと楽だと思い、嫉妬心が生じました。しかし、忙しい時は正に自分が威徳を立てるチャンスではありませんか? 同修から指導を受けて不満を持つのは、正に師父が『更なる精進を』の中で仰ったように、「常人の表面のことを重く見ていれば、それは執着であり、人心です。これらのことを重く見ることなく、目にした不足を黙々と良くすることができれば、神々は敬服して、この人が本当に素晴らしいと言うのです! これこそ、大法弟子が行うべきことです」。また、情によって生じた闘争心ですが、実質は自分がよく修めず、内に向けて探さなかったからです。こう思うと一瞬にして、私が持つ不満を全部解消することができました。そして実感したのは、広告営業は正に私の誓約です! 人はそれぞれ生まれ持った気質や性格、特性がありますが、それによってやるべきことも決まっていると思うと、公平や不公平の問題もなくなりました。なぜなら、それが正に自分のやるべきことだと思うようになったからです。  

結び
 
 5年近い修煉の道程を振り返り、反抗心が非常に強い私は、ずっと適当に基準に達せばいいという態度で修煉に臨んできました。慈悲なる師父のご加護に感謝し、着実に修煉する過程で私は真に大法の偉大さを知りました。今の私は新紀元での修煉の機会を非常に大切に思っています。私達は違う議題の特刊号を製作することによって違う業界の企業のリーダー達や人々と接し、取材を媒介に私達と他のメディアとの違いを人々に感じてもらい、広告を利用して企業や著名人たちに大法を認識してもらい、自分達の位置を決めるチャンスを与えます。繰り返して広告案を修正し、絶えず自分の修煉状態を審査、浄化し、全体と協調することも学びました。自分の誓約を果たす神聖な機会を与えて下さった師父に感謝します。最後に「自分を修め、内に向けて探す」を持って同修の皆さんと励まし合いたいと思います。

 師父に感謝し、皆さんに感謝します。

 (2011年アジア法輪大法修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/12/28/251023.html)
 
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