西洋人の新しい修煉者「大法修煉は私を徹底的に変えた」(一)
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文/米国の西洋人大法弟子

 【明慧日本2014年6月9日】(次の文へ

 師父、こんにちは! 同修の皆様、こんにちは!

 僅か11カ月の修煉で、私はここで皆様と修煉の体得を交流出来る事を大変光栄に思います。修煉はすでに私の生活を徹底的に変えました。神韻を鑑賞しに来た当初、私は法輪功に対してそれほど知らず、ただ「真・善・忍」はとても響きの良い言葉だと思いました。多くの人と同様、最初の頃、私は確かに煉功に惹きつけられました。なぜなら、煉功は私に気持ちを清らかに、気分を爽やかにし、また元気いっぱいにしてくれるからです。法を学ぶ時、私は所在の低い次元で、『転法輪』に書かれた多くの内容を理解していました、しかし、私はその法理を日常生活に適用していませんでした。私は法を信じており、それは天の法則だと信じていましたが、しかしトラブルが起きた時、あるいは一つの考えが浮かびあがった時、私の振る舞いはいつも修煉者らしくありませんでした。

 それから、私は1998年の『スイス法会での説法』を学びました。そこにはこの問題についてのとても明確な説明がありました。師父は「感性的な認識と理性的な認識はやはり違います。もし本当に心の底まで法を勉強し、修煉の時真に法を認識できれば、初期段階の感性的な認識とはやはり違い、だんだん理性的に法を認識するまで昇華します。」と説かれていました。

 この法を学んでから、私はただ法を理解するだけに努めるのではなく、常に自分を修煉者として見なさなければならないと思いました。神韻芸術団の世界ツアーと共に行動した時、この問題は予期通りにやって来て、私の目の前に多くの魔難と心の試練として現れてきました。この交流文には、私の長くない修煉で体得した一部のものを集約しており、私の法に対する理解が感性から理性への変化が綴られています。もちろん、先の道はまだまだ長いものです。私の法に対する理解の限界をご理解いただき、また、私の間違いや誤解を率直にご指摘願いたいと思います。

 神韻がやってきた

 13歳から去年の6月15日まで、私はずっと学生でした。大学院では、私は学生兼助手で、また3つの学校で個人的に教えていました。時間があれば、私は自営業者コンサートに参加し、公演のない週末では、私はマンションの近くのサンドイッチ店でアルバイトをしていました。この忙しいスケジュールの中、私には練習と勉強する時間すらなく、ほとんど休む日はありませんでした。『転法輪』の中で、師父は「常人の社会では、名誉や利益のために、人と奪い合い、争い合ったりして、睡眠も食事もろくに取れず、身体をひどく傷めており、他の空間から見ると、あなたの身体は骨まで黒くなっています。」とおっしゃっていました。

 私は毎日とても疲れていて、一日にコーヒーを5杯も飲んで、体力を維持していました。もっと大事なのは、コーヒーが食欲を抑えてくれることでした。私がずっとあのサンドイッチ店で働いていた理由の一つは、店が私たちに良い食事を与えてくれたからです。私は疲れ果てていて、毎日17時間も働き、夜5時間ちょっとの睡眠しか取れず、心はずっと競争状態にあり、焦りと苛立ちに満ちていました。私は金持ちになって、名や利を手に入れることは到底無理だと思いました。なぜなら、私は努力しても、辛うじで家と車、携帯電話が維持出来るぐらいでした。私は本当にがっくりして、自分の人生はこのように毎日働いて、余裕のない生活を送るのではないかと思いました。私は自分の将来にとても悲観的でした。私は神韻の面接に行くことにしました。私は採用されるかどうか、好奇心で試しに行きました。しかし、見事採用されました。それは私の人生を変える決定的な瞬間でした。私は本当に縁というものを信じており、ずっと縁というものに結ばれていました。神韻に入るため、私は何度もいろんなチャンスを断ってきました。あの時、私は決して大法の素晴らしさを理解しておらず、大法は私の生活をこれほど神秘的なものにしてくれることは知りませんでした。しかし、いろんな機縁は私に神韻を選ばせてくれました。師父は『転法輪』の中で、「失わないものは得られず」と説かれました。

 常人にとっては、私がとても値打ちのあるものを放棄したと思っているでしょう。もちろん、私はこれまでのものを、とても素晴らしい経験だと位置づけています。しかし、それに対して、私はさらにもっと多く価値のあるものが得られ、それは金のように輝いています。

 毎日の生活費を稼ぐため、一日駆け回って、長時間に働くより、私はここで多くの人生の意義を見つけました。私は心から、師父が私にこれほどたくさんのもの――例えば、住む所、食卓にある食事、また芸術家が直面している苦労に対する慈悲なるご理解、さらに、修煉においては、私により良い人になるチャンスを与えてくださる事に感謝いたします。この修煉法にはこれだけたくさんの内包があって、私はまだまだ高次元のものを理解していませんが、しかし私は何も要求していないにもかかわらず、修煉の中でこれほどの福の報いが得られたことだけでも、私はとても凄いものだと思いました。神韻に加入した事で、私のライフスタイルが一変しました。私は、少し時間をかけて、物事をする方法も変えました。数カ月前、また数週間前まで、私はずっと公演の後方支援の在り方に疑問を感じていました。それは、私の今まで経験したものと違っていたからです。私は「どうしてこのような形で入場するのか?」「私たちは席をもう一度配置出来ないでしょうか?」「なぜ442に異動しなければならないのか?」「私は440に慣れているのに」「私はなぜ必ずマイクとスピーカーを使わなければならないのか?」などの質問がありました。私は利己的に自分の今まで慣れてきた方法で物事を進めようと考えました。次第に、私はこの変化を受け入れました。しかし、本当に心服したのは、公演が始まってからでした。師父は私たちにこの公演がどれだけの威力があるかを教えてくださいましたが、しかし、私がこの身を持って体感してからでなければ分かりませんでした。公演を通して、私はこれだけ多くの人が公演に感動し、これだけ多くの観客が嬉し涙、悲しい涙を流しているのをこの目で見ました。それを見た私は、その理由を本当に理解し、また私はこの巨大な意義のある事の僅かな一部分に過ぎないことが分かりました。

 神韻世界ツアーに参加して

 世界ツアーが始まりましたが、私のチーム意識と感謝の気持ちが足りませんでした。公演の無い時でも、私たちは朝礼に参加して、それから観光、買い物、食事、待つことをしなければなりませんでした。この世界ツアーの長旅の中で、心身ともに疲れを感じた私は、自分には自由時間を有する権利があると思いました。それは息抜きと気分転換のためでした。私はプライベードの時間が欲しいと求めましたが、必ず集団行動をしなければならないと告げられました。私はとても落ち込みました。私は理解出来ず、また、自分は信用されていない、大人として扱われていないと思いました。確かに、それは私の修煉が足りない結果でした。私は必ず自分を変えなければならないと思いました。師父は『転法輪』の中で「何でも気分次第で動いてはいけません。自分の心性を守らなければなりません」とおっしゃっていました。

 この話をすると、私は自分の習慣をとても恥ずかしく思いました。私たちが行く所々、現地の修煉者たちは私達に細やかに配慮してくださり、私達に喜ばせるために、観光や見物などの日程を組んでくださいました。自分の考え方を変えると、私はたくさんの新しいものが見えてきました。手配された観光内容はすべて自分の力ではとてもできないものばかりでしたので、私はとても感謝するようになり、多くのことを習得しました。1998年『スイス法会での説法』の中で、師父は「努力して得ようとして、執着してやろうと思えば、何も得られません。逆に放棄すればするほど、何も気にならなければならないほど、得ることができます。ですからこれは求めずして自ずと得ると言います。」と説かれておられました。

 アジアに到着した後、私たちにはもっと多くの自由時間がありました。これは大変喜ばしいことでした。私はそこから得られた教訓は、それぞれの活動、行く場所、食べたい物に執着しないことでした。『転法輪』の中で、師父は「したがって、情から派生した数々の執着心に、われわれは淡泊であるべきで、最後には完全にそれを捨てなければなりません。」とおっしゃっていました。

 それを悟った後、私たちのすべての行動に、私は喜びを感じました。

 (続く)

 (2014年のニューヨーク法輪大法の修煉体得交流会原稿)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/5/19/292267.html)
 
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