陝西省:法輪功修煉者の両親 警官に脅迫される
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 【明慧日本2014年6月12日】陝西(せんせい)省岐山県の法輪功修煉者・劉紅枢さん(47)は3月25日、生活のため、アルバイトのため他の地区へ行った。その期間中、地元派出所の警官3人が劉さんの自宅に行き、劉さんの私物を没収し、劉さんの80代の両親に署名するよう脅迫した。劉さんの両親はショックを受け、病気で倒れた。

 数年来、劉さんは法輪功を学んでいるとの理由で、現地の県・郷政府の610弁公室メンバーから嫌がらせを受け、不当に拘禁され、かつ同省漢中ゾ樹洗脳班で迫害を受けた。

 劉さんはアルバイト先から家に帰って初めて事情を知った。当時、派出所の警官が突然家に来て、「捜査令状」を取り出し、80代の両親は呆然としてしまい、言う通りにすることしかできなかったという。警官は法輪功の書籍、創始者の写真、その他多くの物品を没収し、明細書もなく、老夫婦の手を掴んで内容不明の用紙に拇印をさせ、署名させた。

 今回のショックを受けて、劉さんの両親は病気で倒れてしまった。劉さんの両親は、娘まで迫害されることを恐れ、劉さんと連絡する勇気がなく、黙って精神と肉体の苦痛に耐えていた。

 以下、劉さんが自ら述べた十数年間にわたって迫害された実態である。

 一、政府公用車による交通事故で脳に外傷を負う

 1989年(当時はまだ修煉していない)、私は岐山県祝家荘郷政府の公用車にぶつけられました。祝家荘郷政府と岐山県交通警察大隊は役人同士がかばい合い、医者の言う「ほぼ回復」のはずが、「完全に回復」として処理されました。

 交通事故で私は脳に後遺症が残ったので、具合が時々悪くなり、薬を飲まなければならなくなり、もともと余裕のない家庭に更に経済の負担がかかりました。健康面が原因で、私は就職できず、結婚もしていません。苦痛の中で、自殺することをも考えたことがあります。

 二、法輪大法を学び 心身ともに健康を得る

 1999年の冬、私は法輪大法に出会い、学んでから間もなく全身が軽くなり、人生に対してまた希望を持つことができました。現在まで、私はずっと健康で、薬を飲む必要がなく、李洪志先生と大法への感謝は言葉で表現できません。

 三、迫害の真相を伝え 不当に労働教養を科せられる

 私は健康が回復した後、生活のためアルバイトを始めました。法輪大法が迫害され始めた最初の数年間、私は新疆のある出版社でアルバイトしていた時期があり、人に迫害の真相を伝えたことが原因で、現地の610弁公室に連行され、不当に労働教養を強いられました。

 四、地元の610弁公室から嫌がらせ 洗脳班に連行される

 私は地元に帰った後、県・郷政府の610弁公室メンバーがよく嫌がらせに来るので、平穏な生活ができませんでした。

 私は政府の公用車にぶつけられた後、10年間苦しんでいましたが、政府として私の境遇に一度も関心を持ってもらえませんでしたが、私が法輪功を学ぶことを通じて、体が回復した今日、彼らはかえって私を迫害しています。

 2013年7月、私は新疆610弁公室が私に加えた迫害を告訴したため、宝鶏市610弁公室メンバーに不当に連行されました。祝家荘郷政府の人員7、8人とジ武村の幹部2人と営四隊隊長らは、私を脅したり騙したりして、宝鶏市から陝西漢中ゾ樹洗脳班まで連行し、私に「真・善・忍」の信念を放棄させようとしました。ジ武村の書記は、私が帰宅したら給与を支給する話に何度も承諾しましたが、私は断食して迫害に抗議し、帰宅した後に給料のことを聞いたところ、書記は平然とした表情で「郷政府に聞くべきだ」と答えました。

 ゾ樹洗脳班で、私は毎日監視役に監視され、法輪功と李先生を誹謗するビデオを無理やり見せられました。彼らは私が食事を受け取ることを許さず、「特別配付」します。私は「『転向』しない修煉者を精神病院に送る」という話を耳にしたので、ご飯の中に投毒することを防ぐため、自らご飯を受け取ることを主張し続けました。彼らは私に断食させ、7日間断食した後、私は帰宅しました。

 五、嫌がらせ

 その後、彼らは私をずっと監視しています。ある日、私は彼らに「ほかの地区へアルバイトに行きます」と話したところ、彼らはバイト先まで追いかけてきて、嫌がらせに来ました。私はまともに働くことができません。彼らの行為は中国の憲法と法律、法規に違反し、法輪功修煉者の生活と心身に危害を与えています。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/5/27/292665.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/6/6/1535.html)
 
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