文/台湾・台北市の大法弟子
【明慧日本2014年6月15日】
二、劣等感や嫉妬心を取り除き、皆とより良い協力関係を築く
チームの中に、私の部下に当たる一人の同修がいて、彼は交流を通じて自分に嫉妬心があることを言ってくれました。例えば、誰がよく修煉できているか、誰が一番みんなに好かれているか、そして誰が最も重要な仕事を担っているかなどを気にします。彼と交流してから、私は今まで彼と協力してきた過程を思い起こしてみました。最初、彼に仕事を配分しようとした時、もしかして嫌がられるのではと思ったり、また他人から、彼をいじめているとも誤解されるのではと思ったりして、私は多くの仕事を一人でこなしました。しかし、その後本当に良くない噂が流れてきて、私たちの仲を壊そうとしているようでした。
その後、本当に心が落ち着かず、私はやっと内に向けて探し始めました。実際、私には、他人に変に思われることを恐れる心があって、その根源にあるのは劣等感でした。今まで、私は力強く、賢い人には慈悲心を持てず、比較的弱い人には保護してあげようとする心がありました。最初、ただ自分に嫌悪心があったからだと思いましたが、しかし、じっくり考えてみると、やはりその根底にある、一種の劣等感が根強く私に影響してきたからです。小さい頃から、私の家庭環境はあまりよくありませんでした。両親は学歴が低く、よく他人に見下されたり、いじめられたりしました。それを見てきた私は、小さい頃から悪を嫌い、弱く貧しいものを救済しようという観念と習慣を形成しました。一方で、私はこのバカにされ、見下される貧しい環境から抜け出そうとしました。こうして、小さい頃から私は常に一番を目指し、勉強でも遊びでも、何においても一番でなければなりませんでした。私は根本からこの心を取り除いていませんでした。また、私の負けず嫌いの心理も、闘争心を生じさせました。小さい頃にできたこの劣等感は、私の嫉妬心や闘争心、名利を求める心と恐れる心を引き起こしました。本当に自分のこの劣等感を見つけ出してから、私は再び法理を持って自分を正し、その後、他の人心も軽くなりました。
再び、私は部下にあたる同修との交流を思い出してみました。彼は小さい頃から、両親からの愛情や励ましを受けておらず、心が傷つけられ、あまり他人を信用しません。彼の他人に重視されたいという思いの背後には、やはりその傷つけられた心があったのではありませんか? 徐々に私は心を開いて彼と交流し、私たちは共に認識しました。これらの強烈な執着は私たち自身の心を侵食するだけでなく、私たちがプロジェクトを実行する際の協力にも悪影響を及ぼします。私は彼にこう言いました。修煉者の誰もが以前から多くの苦労を舐めています。その多くは業力を返しているかもしれません。もしかして、前世において彼は両親をいじめたかもしれません。師父は既に私達の多くの業力を滅して下さいました。私たちはこれらの心を放下すべきです。そして、私たちは誰にも自分を証明する必要はありません。両親や他人に認められたからと言って、必ずしも自分が良い人とは限らず、いつでも「真、善、忍」をもって自分を律すればいいのです。他人の目線を気にする必要はありません。何回か彼の心の奥深くに触れて、彼は涙を流しました。心を開いてから、私たちの協力は益々よくなり、無駄で無意味な時間を費やすことはなくなりました。
三、修煉者が衆生を救っているのであり、常人が行うメディア事業ではない
新唐人での仕事は多く、気を使わなければ常人の人心やマイナス思考が容易に出てきます。時に、一部の同修または一部のプロジェクトに、ほんの少しの問題だけが存在しており、そういう時、私たちは黙々とそれを補完すればいいのです。自分の嫉妬心によって小さな問題を過大視し、そのプロジェクトの妨害になってはいけません。また、常に正念を保ち、他人に意見を言う時は、実際の状況を把握してからにしましょう。そして、私たちは絶えず自分が修煉者であることに注意しなければなりません。新唐人を推進するのは衆生を救うためであり、ただ単に常人の仕事をこなしているわけではありません。
衆生を救う正念を強め、大局から物事を考えれば、問題を見る角度が変わってきます。常に師父の法をもって自分の思考や行動を指導し、着実に修めれば、返本帰真の修煉の道のりにおいて、飛ぶように速い足どりで進むことが出来ます。
かつて、私は座禅の中で見ました。数多くの前世の中で、私は多くの男女関係の縁を結び、多くの人を傷つけました。今世における様々な出来事には因縁関係があります。そして、以前自分が中々放下できず、自分は本来そうであると思っていた観念も、本当の自分にあったものではなく、輪廻してきた過程において蓄積されたものだとも気づきました。これらの観念がなくなった時、私は真の軽快感、純潔な感覚を覚えました。今世、師父は私を地獄から救い上げ、情の海から救い出されました。今でも、私には法を正す時期の大法弟子となることができた光栄を思い出す度に涙が溢れます。師父に感謝いたします。
新唐人は早く発展すべきです。多くの衆生が私たちの救いを待っています。同修の皆さん、共に精進し、法を良く学び、三つのことをしっかり実行し、互いの不足を補いながら手を携え、衆生を救い、法を正す師に手伝う私たちの先史の誓いを果たしましょう。
以上は私個人の若干の修煉体験ですが、不適切な部分があれば同修のご指摘をお願いします。
師父に感謝し、皆さんに感謝します!
(完)
(2011年アジア法輪大法修煉体験交流会で発表)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2012/1/19/130817.html)