遼寧省:若い夫婦が重刑判決 刑務所で迫害される
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 【明慧日本2014年7月24日】遼寧省の法輪功修煉者・陳尚さん(36)、高明星さん夫婦は法輪功を学んでいるとの理由で懲役10年と12年の重刑を下され、刑務所に収容された。刑務所の迫害で陳さんは生死不明で、高さんは何度も危篤に陥った。

 陳さんは法輪功を修煉する前は、重い乾癬(かんせん、皮膚の赤い発疹に銀白色の垢が付着し、ポロポロとはがれ落ちる病気)を患い、顔以外に乾癬が全身に広がっていて、本当に悩んでいた。医学的にこの病気は完全に治療できないと言われている。暑い夏、女の子がきれいなスカートをはいているが、陳さんは長袖の服とズボンしか着られなかった。

 幸い、1997年に19歳の陳さんは法輪功と出会い、法輪功を学び始めた。その後しばらくして、全身にある乾癬が消えた。この奇跡的な出来事は陳さんの母親を法輪功の修煉の道に導いた。母親も修煉によって患っていた重い心臓病が治り、元気を取り戻した。

 しかし、1999年7.20、中国共産党は法輪功に無実の罪を着せ、法輪功への弾圧を開始した。自ら法輪功の素晴らしさを体験した陳さんは、法輪功への迫害停止を求めるため北京へ行ったが、警官に連行され、地元の留置場に拘禁された。50数日間にわたって拘禁された陳さんは警官に家族から3000元をゆすり取られて解放された。

 陳さんの母親は当局の圧力の下で、法輪功の修煉を止めてしまった。その1年後、母親は病気が再発し、2003年に亡くなった。

 2007年8月1日、新婚の陳さん夫婦は実家に帰って、叔父の家に挨拶に行ったが、叔父の家から出たところで、丹東市国家安全局の警官に頭に覆いを被され、手錠をかけられて連行された。市内の五竜背温泉療養院に拘禁された陳さん夫婦は、関連情報を得る目的で警官に拷問された。

 2008年8月21日、陳さんは鞍山市で再び連行され、秘密裏に遼陽市に移送された。その後、遼陽市灯塔裁判所は陳さんに懲役10年の不当判決を言い渡し、2009年2月に陳さんを省女子刑務所に送り込んだ。

 刑務所で陳さんは長期にわたって独房に拘禁されていたが、詳細は不明である。陳さんは刑務所に拘禁されて以来、一度だけ義理の両親との面会を許された。2010年4月、義理の両親はたったの数分間、陳さんと面会ができた。面会のとき、陳さんは「警官の指示を受けた受刑者たちに殴打され、失明寸前になった。50時間以上トイレに行くことを許されず、何度も便を漏らした」と話した。義理の両親は陳さんが歩くとき足の不自由な姿を見て、思わず声を出して泣き崩れ、警官に「なぜ、良い人を殴るのですか」と詰問したが、警官はすぐ面会を中断しようとし、陳さんを強行に連れて行こうとした。そして、陳さんは必死に義理の両親の方に向かって、「もし私が死んだら、刑務所の迫害で死んだのだ」と叫んだ。

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拷問の再現:独房に拘禁される様子

 2010年、陳さんの父親は危篤に陥り、愛娘と会いたがっていたが、会えないままこの世を去った。

 夫の高さんは連行されて拷問を受けたため、胸腔内に異常に多量の液体が貯留していたにもかかわらず、当局の裁判所に懲役12年の実刑判決を下された。

 盤錦刑務所に収容された高さんは断食して迫害に抗議したが、2カ月間にわたって四肢を手錠でベッドに固定されたため、両腿が麻痺してしまい、刑務所の病気患者の監区に移送された。その2カ月後、刑務所側は高さんに「一時出所」の手続きをさせようとしたが、鞍山市国保大隊(法輪功迫害の実行機関)と610弁公室のリーダーは断固として反対した。

中共酷刑示意图:铐在床上
拷問のイメージ図:ベッドに固定される

 2012年5月8日、高さんは瀋陽市第一刑務所の13監区(病気や障害者を拘禁する監区)に移された。13監区の隊長は高さんに「『転向』すれば、すぐに釈放してやる」と言った。5月14日、高さんは家族との面会を許された。家族は車椅子に座って、病弱で話す声が聞こえないほどに弱っている高さんの姿を見た。

 2013年1月13日、家族は高さんと2回目の面会ができた。高さんはずっと独房に拘禁され、歯をほとんど失ってご飯をよく食べられない状況を家族は知らされた。そして、高さんは家族に「もし私が死んだら、刑務所の迫害で死んだのだ」と、妻の陳さんと同じことを言った。

 2013年10月10日、明慧ネットで、高さんは迫害によって状態に陥っていることが報道された。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/7/11/294572.html)
 
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