法輪大法は心性の向上に磨きをかける宝物
■ 印刷版
 

文/日本の大法弟子 

 【明慧日本2014年7月26日】このすばらしい法輪功に出会えて、今までの5年間を振り返ってみて、私の体験を聞いて頂けたら幸いです。皆さん初めまして。私は現在68歳になる修煉者です。私が初めて大法に出会えたのは5年前の11月頃でした。いつもよく食事に行っていた中華料理店の奥さんが、「店の上の2階で気功をやっているから、いつでも上にあがってやっていいよ」と声をかけてくださって、とても気軽に心良く何度か言ってくださったので、一度上がってやってみようと思い始めたところ、友達の家にでも来たかのように居心地良く、すぐに溶け込めました。奥さんの人柄もとてもいいので、以前からの知り合いのような気持ちで、それからは毎日のように雨が降っても、雪が降っても、自転車で20〜30分かけて通いました。

 そして、修煉を初めて2ヶ月後の1月の早朝、通勤途中に不思議な体験をしました。前日からの降り積もった雪が凍結していた上に、タイヤが乗り上げたと思ったら、自転車ごと斜めに倒れかかり、足も着く間もなく、もうダメだ! と思った瞬間、目に見えない糸にでも引っ張られたかのような感覚と、なんだか綿よりももっと弾力のある、まるで雲の上にでも座っているような感触を体感しました。誰が私の自転車を起こしてくださったのかと思って、後ろを振り返ってみても、誰もいないし、これはきっと師父が守ってくださったのだとすぐに分かりました。もしケガでもしたら修煉が出来なくなるので、私の気持ちに応えてくださったのだと思ったら、急に胸が熱くなりました。師父に心からありがとうございましたとお礼を言いました。

 私は修煉を始める前から糖尿病の持病があり、入院したこともあり、患者さんの中でも私が一番血糖値の数値が高く、入院中は毎日のように自分でお腹にインスリンを打っていました。退院してから2年後に病院の指示通りに眼科医に通い、レーザー治療を左右に3000回ずつしましたが、結果があまり良くなく、手術をしないと失明の可能性があると言われたのですが、恐いのもあって手術はしませんでした。毎日の修煉の中で、最初は本読みも文字が二重、三重にダブって見えて、全然読めない状態で、同修が読んでいる横で聞き取るだけだったのです。しかし、2週間ほどたった頃、ふと隣の人の本をのぞき込んでいたら、文字が見えるようになっていました。私が以前、手術の件を話していた友人に、私があまりにものんびりしていると言うので、眼科医へ行って検査してもらうことにしました。どちらも裸眼で1.0まで回復しているので、今の状態だったら手術はしなくていいでしょうと言われ、少しほっとして、師父の言葉を信じて良かったと思いました。全面的に信じれば、全面的に救ってくださることが証明されました。私は修煉を初めてすぐに糖尿病の薬をやめました。内科医に絶対に悪くなるよと言われたのですが、現在、薬を一切飲まない私が、家族の中でもすべての数値が正常です。

 次に私の実家の体験ですが、病院からの電話で母が危篤で今晩が峠だと連絡を受け、すぐに帰省してかけつけました。もう意識はありませんが、耳だけはかすかに聞こえると思うと言われて見れば、腕には注射針と指先いっぱいには器具が取り付けてあり、どこもさわれる所もないので、顔をくっつけるように話しかけながら、「良く頑張ったね、もう肩の力を抜いて少し楽にしたら」と色々話しかけました。5〜6分ほどたった時に、ふと母の目が動き、まばたきしたように見えたので、顔をのぞき込んでいたら、顔色が湯上がりのようなきれいなピンク色に変わって、気持ちよさそうな穏やかな表情に変わってきたので、なぜだろうと思い、ふとベットの横に目をやると、一滴の尿もなかった尿袋には、7〜8分目はあろうかと思うほど、たっぷりと溜まっていました。すぐに看護師さんを呼びました。看護師さんは「不思議ですね、何日も尿が出てなかったんですよ。尿が出たらもう大丈夫ですよ」と言われ、指先に取りつけてあった器具もすべてはずして行かれました。後に、母は意識を取り戻しました。

 私の姑の妹のときも、やはり入院先の病院で身内の方達を呼んでくださいと言われ、私もかけつけました。顔を寄せて話しかけていたら、伯母が意識を取り戻したのです。その後、私にも何度か浄化の現象が現れ、睡眠中に水便のような感じのものが布団全体に広がっていました。どうしてだろう、お腹なんかも全く痛いと思わなかったし、今までこういう事は一度もなかったし、まるで夢の中のことかしらと思い、言いようのない感覚でした。それからも何度か浄化らしいものがありました。その度に自分の体が不思議なくらい軽くなり、足が床から離れそうになるので、このまま浮き上がりそうになり、一瞬恐くなりました。とにかく自分の体がなくなってしまったかのように軽くなり、このまま羽根でもあったら飛び上がれるのではと思うような感覚でした。

 1年前、4月中旬にもかかわらず、昼間から雪がしんしんと降り、空は薄暗くグレー色でどんより、傘の上にも雪が積もってきました。私は高校生の孫娘と一緒に買い物に出かける途中で、急ぎながら自転車をこいでいました。孫の自転車には傘を取りつけるようになっていないため、「風邪でもひかなければいいね」と話しながら急いでいました。昼間だと言うのにまるで夕方のように暗い空でした。ちょうど長い川を土手づたいに走っていたら、前方にそれも地面すれすれに大きな濃いオレンジ色をした太陽が明るい光を放ち、まるで川土手一面をスポットライトのように照らし、それはそれはとてもきれいで、言葉では言い現せません。しんしんと降っていた雪も一瞬にして止み、孫娘が興奮したように、「わー! なんで! どうして!」といきなり叫び声を発しました。そして孫娘は「ばあちゃんって素晴らしい」と言ったので、「ばあちゃんは何もしてないよ。師父がしっかりと守ってくださってるからよ!」と言ったら納得したようでした。

 以前から何度かこう言う場面に出会った事がありました。心の中で想っているといつの間にか雨や雪が止んでいた、空を見上げていてもとても止みそうな空模様でもないのに止んだということが3度ありました。その時には私も正直驚きました。何度も感動で涙が出る事がありました。感謝の言葉しかありません。こうまでも修煉者を守ってくださってるのです。身の回りの困ることは何であろうと取り除いてくださるので、とても助かります。ある日、家の玄関先の植木鉢の下に大きくて小指ほどありそうな、黒くて太いクマンバチが巣を作っていて、飛び交っていました。洗濯物にでも止まっていたら恐いなと思い、師父に「ハチを別の空間にやってください」とお願いしたところ、翌日から一斉にハチが巣にもどって、こなくなったのです。そのまま1ヶ月を過ぎても戻ってこないので、巣を取り除くことにしました。墓掃除の時にも墓石の地面にハチが巣を作っていて、これは普通にみかける小さいハチですが、14〜15びきくらいが集団でブーン、ブーンと羽音を立てながら飛び交っていました。やはり恐いし、掃除も出来る状態ではないので、師父に掃除をする間の1〜2時間で結構ですので、何処かへ連れて行ってくださいとお願いしたところ、一斉に集団で飛んでいったまま掃除が終わってもハチは戻ってきませんでした。おかげでゆっくりときれいに掃除することができました。

 去年の暮れの出来事ですが、友人の家に年末の挨拶にと思い、差し入れを持って玄関のベルを押して、返事はあったものの、なかなか姿が見えないので、ドアを開けたとたんに、大きな真っ黒い犬が私の足をめがけて、ジーパンの上からガブリと噛み付いてきました。痛いやめてと言ったら離すかと思いきや、またガブリと二度も噛み付かれ、やっとご主人が中から出てこられ、犬もすぐに離れました。普段は犬なんかいないのに、聞いてみると娘さんが連れて帰ってきていたそうです。「人に噛み付くなんて、しつけの悪い犬だな、狂犬病にでもなったらどうしよう」と一瞬思ったのですが、「いや犬は別に悪くはない。犬はただ自分のテリトリーを守ろうとしただけなのだ」と思い直しました。先ほど噛み付かれたところがズキズキと腫れ上がり、コブもできていたのですが、出勤先へと自転車で急ぎました。まだ5分ぐらいしか経っていないのに、痛みが急にとまって、全然気にならなくなったので、ジーパンの裾を上げてみると、赤紫に腫れ上がっていたコブが、きれいに消えてなくなっていたのです。私がすぐに内に向けて探したからだと分かりました。

 姑の妹のお見舞いに長女と一緒に行った時のことですが、伯母の青白い顔を見ながら、伯母の柔らかい手を握りながらとても柔らかくて、「餅みたいで、すごく気持ちいいね」と言いながら手をさわっていたら、伯母の顔が定規で半分に線を引いたように顔の色が二等分に変化したのです。一瞬私はおかしくて思わず吹き出しそうになりました。右半分は濃い目のピンク色で、左半分が青白く、そのうちにその顔が半紙に絵の具でも流したかのように、全体がきれいな湯上がりのようなピンク色に変わったのです。そしたら伯母が気持ちよさそうな顔でにっこりと微笑んだのです。その日の夕方、付き添いをしている次男の嫁から電話がかかってきて、伯母が自分の遺産を私一人だけにやってほしい、公正役場で書き換えるように言われたという内容でした。気持ちだけは有難いけど、私は一切いただけませんとすぐに断りました。正直言って、娘の旦那が車を買ってほしいと甘えてくるので、私にも多少は執着心がなかったとは言えませんでしたが、私は最初からもらえる金ではないから、伯母の兄弟含めて6〜7人が受け取るように、一昨年に公正役場で取り決めているのに、私は伯母の姉の嫁という立場ですから、伯母には子どもがいないので、先々では私が墓守りなどはしてあげないといけないので、これから先ずっと見ていくつもりです。不思議なことに遺産相続を断ったとたんに、今まで2〜3回買い換えても動かなかった学法用のアイポッドが、急に直って動き出したのです。

 他にも私は食べることに人一倍執着がありました。たくさん食べるというのではなく、美味しいものへのこだわり、材料や調味料等に必要以上にこだわっていましたが、最近ではあまり気にしなくなり、冷蔵庫の中にある残り物を利用して作ることが多くなりました。心性の摩擦においても、娘や孫とあまり衝突しなくなりました。娘が何が気に入らないのかつんつんしている時も、以前だったら帰ってから、「すぐ食べられるようになっているのに、少しは有難いという感謝の気持ちはあるのか」と言っていたのが、娘も仕事がいつも遅いし、疲れているんだろう、かわいそうにと逆に思いやれる気持ちになれるようになりました。孫が私に向かって生意気な口をたたく時も、孫は娘に時々「あなた誰に向かって言ってるの」と怒られていますが、私は気に留めず、右から左へと聞き流せるようになりましたので、あまり怒ることも正直なくなりました。少しは自分を見つめなおす時間を持ち、言葉を発する前に、もう一度考えられるゆとりが出来るようになれたのかなと思っています。

 それと最近、買い物先のスーパー等のトイレが汚れていたらふきとったり、ちり紙のクズがちらばっていたら拾ったりしてきれいにして出るようになりました。必ずと言っていいほど、これはしています。自分が入ったときも、次に使う人も、気持よく使えるからです。

 今年の5月に福岡と門司のパレードに2日間参加しました。パレードには初めて参加し、ズボン、服、靴と初めて揃えて参加しましたが、とても充実した2日間でした。参加する前日まで、急な発熱とのどの痛みとで、かなりの高熱にうなされていましたが、無事に参加出来たことが何よりです。正直、行きは食欲もなく、少ししんどいと思いましたが、帰ってきたら、身体はとても軽く感じて、足の痛みなども残らず、翌朝起きた瞬間、視界がとても明るくすっきり見えて、なんだか目の前のベールがはがれたかのように、何もかもが明るくはっきりと見えるのです。針の穴に糸を通しても、今までは10分ぐらいかかって、イライラしながらやっと通していたのに、パレードから帰ってきて通してみたら、一度目ですぐに糸が通ったので、なんだか嬉しくなりました。真相を伝える活動は楽なことではないですが、参加してみると、自分にとっても得る物がとても大きいことが分かりました。これからもいろいろな大法の活動に参加していきたいと思っています。

 
 
関連文章