修煉するものはみな恩恵を受ける
■ 印刷版
 

文/山西省の大法弟子口述 同修代筆

 【明慧日本2014年8月22日】「人生七十古来稀なり」(70歳まで生きることは古来まれである)ということわざがあります。しかし、思いもよらず、2004年に私が70歳になったとき、鉱山の隣人の勧めにより法輪大法を修煉することができました。その時から、時間が逆になったように、私は生きれば生きるほど若くなったように感じ、世間の物事が分かるようになってきました。

 自分の一生を振り返ると、苦労して4人の子供を育て、自分もついに病気になってしまいました。44歳の時、一番上の娘婿が列車事故で亡くなり、娘は未亡人になり、3人の孫たちも父親を亡くし、私は心が痛んでなりませんでした。

 2カ月後、私自身も重病を患い、医者の診断では骨癌でした。その後、北京で大きな手術を受け、一本の主要なあばら骨が取り出されましたが、診断してみると良性でした。傷口は32針縫われ、座ると腰が大きく下がり、耐え難い苦しみが残りました。

 主人は私より1歳年上で、炭鉱の作業員です。炭鉱内は湿っぽくて寒く、食事の時間も不規則で、彼はひどい胃病になり、狭心症を患い、痛みが来ると、しゃがんで立ち上がれず、動きも取れません。病院で治療を受けても根治できません。胃痛も加わり、仕事で思うように力を発揮できず、生活も苦しかったのです。

 2004年、幸運にも法輪大法の修煉を始めて、70歳になる私は日に日に元気になった気がします。主人は私の様子を目にし、私と一緒に煉功を始めましたが、文字が読めないので、まだ本を読んでいませんが、煉功をスタートしてからほぼ毎日続けています。時には私が少し遅れると、催促されることもあります。

 毎日、大法を学ぶことは私にとって最も有意義なことです。私は学校に通ったことはありませんが、師父の『轉法輪』を手に取ると何故か読めるのです。まさに師父が法の中でおっしゃったように、「その人が修煉しようと思い立ち、その一念が生じると、黄金のように輝き、十方世界を震わせるからです」[1] 師父は私の学法したい心を見られて、知らない文字がある時、心の中で師父に智慧を求めれば、突然その文字が分かるようになる経験が度々ありました。

 万古に出会えない法輪大法を学んだから、そのような奇跡が起きました。大法を学んでから、「人間の生命は人間になるためのものではなく、返本帰真して、元に戻るためのものです」[1]という道理が分かりました。今、私は毎日を大切にし、時間を惜しんで学法しています。

 修煉以来、私達夫婦は健康になって、9年間風邪を引いたこともほとんどなく、以前の持病も消えました。周辺の人々は私たちを羨ましがっています。大法を修煉することによって、子供たちも福を得て、健康で睦まじく、全員が「真善忍はすばらしい」と知っています。

 私は慈悲で偉大なる師父に感謝の意を述べたいのですが、言葉が見つかりません。世間のどんな言葉でも弟子の感謝の気持ちは表わすことができません。「早く大法の真相を知ってください。修煉するものは皆、恩恵を受けます」と、常人たちに言いたいです。一日も早く本国で師父にお会いしたい、跪いて師父に感謝致したいです!

 字を書けないので同修に代筆してもらいました。適切でない部分があれば同修の慈悲なるご指摘をお願いします。合掌!

 注:
 [1] 李洪志師父著作:『轉法輪』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/8/19/296113.html)
 
関連文章