大法のプロジェクトの中で成長する(一)
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文/シドニーの大法弟子

 【明慧日本2014年9月5日】尊敬する師父、こんにちは! 同修のみなさん、こんにちは!

 一、挫折の中で修煉の意味を悟る

 2001年にオーストラリアに来て、私は真新しい環境に、不安を感じざるを得ませんでした。

 シドニー国際空港には中国旅客機が着陸後に必ず通る道があります。私はそこに「法輪大法は素晴らしい」という大きな看板を立てました。しかし中国共産党から妨害を受け、予定よりも前に取り外されてしまいました。その時、私はまだシドニーに着いて数カ月しか経っておらず、道も分からず、ただ、衆生に大法を、大法の素晴らしさを知ってほしいという念だけしかありませんでした。私は妨害や様々な無理難題を前に、正念を持って立ち向かうことが出来ず、我々の正当な権利と真相を伝える看板を守ることが出来ず、師父と大法に申し訳なく思いました。

 2003年に私は何名かの同修とともに雑誌を出版し始めました。当時は、雑誌を通じて政府に真相を伝える道を開けばよいという考えでした。同修の苦労を考慮し、私は自分の給料で雑誌作りに関わる同修の最低の生活費や、出版の一切の支出を負担しました。しかし、ある同修は常人の出勤時間に基づいて雑誌を作り、その給料をあげることを要求しました。雑誌は私一個人のビジネスではなく、師父の法を正すことを手助けする大法弟子の望みであり、参加する同修一人一人の希望のはずで、私は悔しく思いました。2005年、自分の未熟さで、各人心が衝突する中で、私は雑誌から離れざるを得ませんでした。

 その後一年半の間、私は人心の衝突から抜け出せず、同修が真、善ではないと思い、同修と接触を避け、自分の心の内側を探ろうとはしませんでした。後に開催された法会の中で、師父の言葉で、私は修煉とは何かを理解しました。修煉とは、自分をよい方に変えることで、どのように変えるか、修めるかは、不公平や悔しさを感じた時でさえ自分の誤りを探り、できていない所を見つけ出すことであり、不公平や悔しさの中で自分を昇華し、修める事だと私は個人的に理解しています。誰でもいつもよりできていない時はあります。その時の自分はまだ修煉のことをあまり理解できておらず、自分を修めていませんでした。私はこの人心の衝突の中で相手の表現にこだわり、自分の観念で相手のことを量り、同修の悪い点ばかりを考えていました。

 心性に衝突が起きた時は、問題の是非にこだわり、自分が正しく、相手が間違っていると思いがちです。『洪吟三』の「誰が是誰が非」の中で、「正しきは彼、過ちは私」と、師父ははっきりと私たちに教えて下さっています。たとえ自分が正しくても、心性が上がっていなければ意味がないのです。この様な事では、私に精進させようと師父が設けた難は無駄になったのではないでしょうか。この法理を理解したとき、私は自分の足りない所を見つけました。雑誌を出版する仕事の中で品質への追及や経営への追及は間違ってはいませんが、それらの事が同修に受け入れられるかどうか、私は相手の立場に立って考えていませんでした。また、自分自身が精進しているかどうかという事から考えておらず、そして自分の内側を探っておらず、やはり悔しく思っており、私は自身の精進こそが、大法のことをしっかりやり遂げる基本的な保証であるということに気づきました。

 心を静めて法の勉強を重ねることで、私はゆっくりと、自分に問題があることを認め始め、恥ずかしさでいっぱいになりました。再び、心性の衝突に立ち向かう時、直ちにはできなくても、常に自分の内側を探り、自分に何か問題があれば直し、問題なくても注意するようにと、自分に戒めました。

 私は自分の感情をうまく伝えられず、人との交流も好みません。つらいときは無口になり、一人でいたくなり、時には同修の誤解を招きます。しかし師父は、私が難関を乗り越えるたび、つらくて涙が出るときは、常にそばにいてくださっており、難関を乗り越えられないときは、私の足りない所を悟らせてくれます。師父の慈悲に感謝いたします!

 二、メディアのプロジェクトの中での成長

 過去何度か神韻を宣伝する中で、劇場との契約から出演開始まで一般的に数カ月の時間しかなく、大手会社の中で神韻を宣伝するには、予約から面会まででも何カ月かの時間が必要でした。どのように大法弟子が作り上げたメディアをうまく利用しつつ、主流階級との関係を保ち、一年を通して神韻を宣伝するにはどうすればよいか、様々な方法をいつも試しています。

 全体の意見がまとまると、師父が按排なさった門が開かれます。師父はこう説かれています。「歴史は大法弟子が法を実証するために用意されたもので、道を正しく歩めば、いかなることもあなたを阻むことができず、あなたが正しく歩むことができたかどうかのみを見ています」[1]

 2011年8月、かつて私達の取材を受けたCEOが、主流階級で何人かの影響力のある華人に連絡し、彼らの取材権を我々の雑誌にのみ与えてくれました。この四期の雑誌の表紙を飾った人物により、直ちに我々の雑誌と主流階級との関係が近づき、私たちの雑誌の社会地位が上昇すると同時に、後にこの事を利用して、主流階級に神韻を宣伝することの最も良い基盤を築きあげることもできました。11月、シドニーのある有名な国際派遣会社から電子メールを受け取りました。それには我々の雑誌が今年度の「最優秀企業賞」を受賞したと書かれていました。かつてここで働いていた欧米人の同修によると、この賞は私たちが提供している仕事の内容が興味深いものであるかどうか、チャレンジ性があるかどうか、またその発展状況はグローバル化の発展要求に合っているかどうかなどの基準で評価されていると言っていました。これらすべては師父の加持から来ているのだと私は思いました。我々はその他の四つの賞をもらった企業と知り合い、その中には、オセアニア州最大の児童基金もありました。私達は、今後彼らとの仕事をする機縁を作ったのです。

 2011年の初めに、我々の雑誌は児童基金が主催している様々な活動のパートナーとなりました。そして、それらの活動の中で、神韻の宣伝資料および新天地の情報は彼らのネットワークを通じ、すべての家にいきわたりました。この活動は成功しました。もし、神韻の宣伝も、このように正しい相手を見つけ、正しい方法を伝えれば、チケットを売り出すことも難しいことではなくなるのです。

 神韻の宣伝の中で、人々の需要を心から感じ取り、主流階級の接客方式を勉強し、自分も主流階級に溶けこめるよう努力し、彼らに認められるような方法で彼らを救い、チケット代の問題ではなく、最高をめざし、自分の心性の昇華をも要求しなければならないのです。

 私達が、チャリティーへの支持者を通じ、60枚の神韻チケットを売り出した時、この組合のCEOは今年、奥さんとチケットを買い、神韻を見て、その美しさに感動し、絶讃しました。そして彼は、来年最低100枚、高ランクのチケットを売り出すと言いました。

 2011年12月末、私はオースラリア最大の商会に連絡を取り、神韻説明会を開く機会を得ようとしていました。商会と初めて対面の予約を取れたのがすでに2012年の2月になりました。我々が神韻の素晴らしさを紹介した後に、相手は興味を示しましたが、上司の審査が必要でした。二、三週間後、彼らの宣伝主任と責任者に会い、神韻を紹介しましたが、返事がありませんでした。2012年3月末は神韻の最も重要な宣伝期間でしたが、ちょうど学校の休暇期間でもあり、全力で神韻と雑誌に取り掛かろうと、私は子供を海外にいる両親のもとに送りました。

 両親のもとに子供を置いて帰国すると、神韻が承諾されたのを知りました。すぐに同修と会場を決め、神韻の絵やチラシ、横軸をかけました。4月中旬に説明会の二日前、主催側から絵は多くかけてはならないと言われましたが、私は動揺しませんでした。これらはすべて師父が決めるのです。「師父が主流社会をターゲットにするようにと言ったなら、皆さんは正念をもって主流社会に対して行えば良いのであって、必ず成功します」[2]

 説明会の当日、雨が非常に強く、拘束道路も閉鎖されるほどの暴風雨でした。これらの事は、旧勢力が主流社会で神韻が門を開くのを精いっぱい阻止し、様々な方法で妨げようとしているのだと、私は深く感じました。しかし、大法弟子がこの中で精進し、正念を固めれば、旧勢力など何もできないのです。

 その日、神韻の説明会が通常通りに開催しただけでなく、会場周囲にかけてあった絵も取られることはありませんでした。SHENYUNの文字はいたるところにあり、壁にかけてあった六枚の神韻の写真、会場に入ってすぐにぶら下がっている二つの縦軸、机ごとに置かれた神韻のチラシ。そして、十名の同修が当日の活動に参加し、主催側は企業家たちを招待して神韻の素晴らしさを聞きに来させたようでした。説明会が終了し、主催側は神韻の情報とニュースレターの簡易版を二千名以上のCEOに送りました。シドニーで最高の会場で、最も実力のある団体に神韻を紹介し、彼らが資金をだし、場所を提供してくれました。今回の説明会の成功は我々に大きな啓蒙をもたらしたのです。

 今年、商会の副会長は神韻を見て、臓器摘出に反対の署名をしました。そして彼の推薦より私は商会のある部署の理事会員に任命されました。この事は、私達が主流社会に真相を伝えることに、更なる有利な条件を提供してくれたのです。私は今の厳しい経済環境の下で、彼のビジネスはうまくいっているかどうか尋ねてみました。彼はうまくいっており、新人も入れたと答えました。これは、一つの生命が善良と正義を選択したことで得た幸福だと私は知りました。

 時に広告を作ると、広告の効果を心配します。あるレストランは我々の雑誌の発売で繁盛し、料理もおいしくなりました。これは奇跡なのです。常人が何らかの手段で到達できる事ではありません。常人の商売が上手く行くかどうかは、その人が生まれ持つ福運によって決まり、福運があれば、ビジネスも当然うまくいくのです。後に、広告が増え、契約するとき、その生命に真相を伝え、法を尊敬し、理解すれば、その広告の効果は上がるのだと私は気づきました。契約だけして、真相を伝えなければ、その広告の効果はその人の福運によって決まるのです。なぜなら、我々はこの機会を大切にせず、常人の仕事をしただけにすぎないのです。相手に真相を理解させず、相手もメリットを得ようとし、そのように契約をしても、その効果は上がりません。これは大法弟子がしっかりしていなかったことで、その縁のある生命を救えなかったのです。この理を理解し、私は顧客に広告の効果を聞かれる時は、迷わずに、我々の雑誌に載っている広告の効果は最高だと必ず答えます。営業していく中で、ある生命が救われると、我々大法弟子が立ち上げた媒体での広告の効果は、必ずうまくいくのだと私は信じています。

 (続く)

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇〇九年大ニューヨーク国際法会での説法』
 [2] 李洪志師父の経文:『更なる精進を』

 
(中国語:http://big5.minghui.org/mh/articles/2013/11/3/282179.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2013/11/10/143122.html)
 
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