明慧法会|肉親への情の執着を取り除き 衆生を救い済度する
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子 仙玉

 【明慧日本2014年9月17日】私は中国の南部に住む59歳の女性の大法弟子で、1997年に修煉を始めました。10年以上の厳しい修煉の道を歩み、老年期に入る同修も少なくありません。その中でたくさんの女性の修煉者たちが同じ問題に直面しています。それは、孫の世話です。私たちの地域で、厳しい迫害を受け、それでもなお堅実に修煉してきた同修でも、肉親の情に捕らえられています。外に出られず、ただ家の中で学法煉功をし、そこからだんだんと学法もできなくなっていきます。一部の深刻に固執している人の場合、孫のために神社へ行き、「仙水」を求め、道士に呪文を唱えて「加護」をお願いする人もいます。このような行為は大法の修煉の原則に甚だしく背くことに等しいのです。これによって、年配の同修たちは「三つのこと」をしっかり行うことができず、ある人は病業の状態まで現れています。そして、旧勢力に肉体を奪われる人までいます。

 次に、私がどのように肉親の情を突破し、正しくかつしっかりと衆生を救い済度し、法を正す修煉の道を歩んできたかをお話ししたいと思います。

 一、法理を理解し、思考が法の中に溶け込む

 ほとんどの年配の女性の同修は文化的レベルが低く、長年家庭の主婦で、生活の中心が様々な家事をすることであり、常人社会の中で、肉親の情に流されやすく、とても困惑しています。そのため、しっかり学法することが根本であり、重要でもあります。

 師父は何度も私たちに、しっかり法を学ぶ、法を学ぶ、法を学ぶようにとおっしゃいました。師父は『轉法輪』の中で、「修煉は、錬磨の中でこそしなければなりません。常人の持っている七情六欲を放棄することができるかどうか、それらに対して淡々としていられるかどうかが問題です。どうしてもそれらのものに執着するのであれば、修煉を成就することはできません」「情から抜け出すことができれば、誰もあなたを動揺させることができず、常人の心があなたを動かすことは不可能となります。それに取って代わるものは慈悲の心であり、より高尚なものです」「六道の中で輪廻する間、あなたの母親は人であるのもいれば、そうでないのもおり、数え切れないほどいます。そして、生まれ変わる 度ごとにあなたがどれくらい子供を持ったのかも分かりません。誰が母親で、誰が子供なのか、死んでしまえば、お互いに誰も分からなくなりますが、造った業 だけは相変わらず返さなければなりません。人間は迷いの中にあって、どうしてもそういうことにしがみつきます」と説かれています。また、『精進要旨』の「修める者の忌」で「親族の情に執着するならば、必ずそのために疲れ、まとわり付かれ、魔がさし、情の糸をつかんで一生をかき乱されるのですが、年を取って、悔いてももう遅いのです」とおっしゃいました。

 私たちは俗世を離れず、大道無形の修煉方式を採用しており、精進するかどうかはすべて私たちの一念によります。俗世に身を置き、心に法があり、すべてを放下し、勇猛邁進する、あるいは、この俗世に迷い、肉親の情に捕らわれ、左右され、自分を常人と混同し、最後には修煉の機縁を失います。これらの一切をしっかり把握するには、いつも大法に基づいて道を量らなければなりません。従って、肉親の情を突破する最も良い方法は法をしっかり学ぶことで、頭の中に法があり、法に同化することができるのです。そして、異なる次元に法があり、私たちに対する異なる要求があることが明瞭になり、法の威力も現れるのです。

 二、肉親への執着を放下し、法を実証し、衆生の救い済度を第一に置く

 法を正す時期の大法弟子として、師父の法を正す道程にしっかりとついて行かなければなりません。常人社会で良い人になり、個人の修煉だけでなく、法を実証し、衆生を救い済度することを第一に置き、こうすることで、様々な虚像を見破り、様々な妨害を排除することができるのだと私は悟りました。

 ここ数年間、私は孫たちと一緒に暮し、一家6人が70平米の家に住んでいます。私は6歳の孫娘と二段ベッドの上段で寝ています。ふだん、孫や孫娘たちの騒々しい声は、確かに私の学法と煉功の環境を妨害しています。

 孫が1歳の時、息子の嫁は孫を私たちに全て任せ、自分は友達の所へ仕事に行こうとしました。私は彼女の要求を断りました。私は必ず半日間自由な時間(私はいつも外に出て真相資料を配り、「三退」を勧めています)が必要であると言いました。すると、彼女は泣き叫び、大騒ぎをしてやめません。ふだん、様々な家事の些細なことで彼女と意見が合わず、仲がよくはありません。騒ぐ彼女に私は我慢ができませんでした。

 法理では、修煉は修煉の原則である「三つのこと」をしっかりするだけでなく、それと同時に自分の内に向けて探し、様々な均衡をとらなければならないと分かっています。私は師父の『忍とは何か』を暗唱しながら、法の中で自分を正し、良くない念を取り除き、穏やかな態度で彼女と話し合いました。「おじいさんは体が悪く、無理ができません。今、私たち3人で2人の子供の面倒をみて、それでも皆とても疲れて、耐えられません。もし、私たち夫婦だけに任せれば、さらにひどくなるのではありませんか。孫の面倒をよくみられないだけでなく、私たち老夫婦も倒れてしまいます」。それを聞いた嫁は静かになりました。

 孫が2歳の頃、嫁は再び働きたいと騒ぎ出しました。孫を幼稚園に預けると言いましたが、年齢が条件に満たないため、幼稚園は引き受けてくれないと彼女は言いました。私は誰か雇って半日だけ面倒をみてもらおうと提案しましたが、手間賃がとても高く、割が合わないと彼女は断りました。私がお金を出すと言っても、他人には任せられないと言いました。これは旧勢力が彼女を利用し、肉親の情をもって、私が法を正し、衆生を救うことを妨害しているのだと分かっていました。

 私は彼女を操っている邪悪を取り除くために発正念をし、その後、慈悲でかつ威厳のある声で彼女に言いました。「私は修煉者で、法を正すことと、衆生を救うことを第一にしなければなりません。私は外に出て真相を伝えることを止めることはできません。私にはどうしても半日間の自由な時間が必要なのです」。そして、全世界の大法弟子がみな真相を伝え、衆生を救い済度するという責任重大なことをしていると彼女に話しました。

 最後に、夫は午前中に孫の世話をし、午後だけ私がみることに同意してくれました。こうして、毎日の午前中は、私はいつも通りに外に出て真相を伝え、「三退」を勧め、法を正す時期の大法弟子の責任と義務を果たしています。

 ある日、息子が仕事を終え帰宅して、沈んだ顔で、「また外で何かやらかしたのか? 工場の指導部がみな知っている!」と言い、私はすぐに、「何もしていないよ」と否定しました。息子は顔をこわばらせて「何もしていない? 職場の指導部が私の所に電話してきた。お母さんが原因で、仕事がなくなる! この一家はどうするのか? お母さんの退職金を生活費にするぞ!」と言いました。その時、息子は恐怖に駆り立てられて、理性的でなく、とても多くの聞き苦しい話をぶつけてきました。そして、夫も嫁も私に向かって怒鳴り始め、まさに、天が落ちてきたかのようでした。私は心を落ち着かせ、これらはすべて旧勢力が作り出した妨害と虚像だと分かっていました。

 息子は強硬に押しても駄目だと分かり、柔軟策をとりました。「ここ2、3日は家で休み、外に出ないでくださいよ、今回だけ、お願いします」と私に言いました。私は「旧勢力のすべてを否定し、師父が按排してくださった道を歩みます」と心の中で黙祷し、「もしかすると、上からの何かの指令を受け、家族のことを聞きたかっただけなのかもしれません」と夫に言い、夫は我に返り、会社の上司に電話をして聞いてみると、本当にそうでした。そして家族の怒りもすっかりおさまり、翌日の午前、私は依然として真相資料を持ち、家を出で、衆生を救い済度する道を歩み始めました。

 師父は『轉法輪』の中でこのようにおっしゃいました。「子供は執着心がなく、老人、特に年配の婦人には執着心がないので、この両端に功能が出やすく、保持しやすいのです」。年配の女性の同修は名誉、利益、色欲等への執着や追求はないが、肉親の情に執着しやすいのです。従って、家族の情、特に孫への情に妨害され、心を動かされてしまいます。そこで、この文章を書き留め、私と同じような状況の同修と交流したいと思いました。法理に基づいていない所もあると思いますが、ご指摘をお願いします。

 慈悲で偉大なる師父に感謝いたします!

 国内や海外の修煉者の皆さんに感謝いたします!

 (明慧ネット第九回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/11/14/264809.html)
 
関連文章