文/黒竜江省の大法弟子
【明慧日本2014年9月29日】以前、真相を伝えた時のことを思い出しました。一人の村人に真相を伝えた後、彼女は理解して、脱退し、そして私の腕をつかみ、「あなたは私を救ってくれました。口頭で何人くらいに伝えられますか。私の村にはまだ救われていない人がたくさんいます。彼らはどうしますか。放送で伝えたほうが良いですよ」と感激しながら言ってくれました。その時、衆生は救われるのを待っているのだと感じました。救われた衆生がまだ救われていない衆生のために焦るのを見て、自分に一つの口しかないことを悔しく思いました。全身に口があれば、もっとたくさんの衆生を救えるのです。
ある日、私は素早く二人の野菜売りの間に入り、「今日は野菜を買いませんが、これだけは覚えていてください、『法輪大法は素晴らしい』と。法輪大法は人を救う法なのです。あなた方は赤いスカーフをつけたことがありますか? 心の中から脱退してください。中国共産党(中共)は今まで文化大革命や、六四事件や法輪功の迫害まで、8千万人もの中国人を殺しました。天が中共を滅ぼそうとしています。道連れにされないでください」と彼女たちに伝えました。彼女たちは笑って頷き、感謝してくれました。二時間前後で同修と協力し、60人近くの人を救いました。この日の我々の真相伝えチームは全部で200人余りを脱退させました。
また、ある春の日に、真相を伝え終えた何人かの同修が山菜を見つけ、思わず採り始めたのを見た私は「衆生を救うという神聖なことをしているのに、山菜を採っていて良いのでしょうか?」と思いました。「あなた達は帰られるが、まだ終わっていない同修もいるのです。この時に彼らのために発正念しなければならないのです。我々は一つの団体であり、協力しなければなりません」と私は不満に思いました。帰ってから皆でこの問題について交流しました。同修は自分たちの考えを言い、この時に初めて私は自分が他人の身になって物事を考えていないことに気づきました。毎日半日以上、衆生を救うため外に出て真相を伝えているが、中には子供にご飯を作り、家族の世話をしなければならず、食材を買いに行く時間すらない人もいるです。私は彼らの苦を理解せず、慈悲心に欠けていました。そればかりでなく、同修に不満を持ちました。真相を伝え終えたら、皆で山菜採りをし、もしかすると、山菜採りにきた衆生に会えることもありうるのです。衆生を助けながら生活するのはよいことではないでしょうか。そして、ほかの同修も、山菜採りなどせず衆生を救うことをしっかりしなければならないことに気づきました。こうして皆の心性が高まったのです。
師父の『洪吟三』が発表されて以来、神韻の厳粛性に気づき、衆生が救われることに対し責任を感じ、神韻のDVDを配るときは面と向かって配ったほうが良いと悟りました。これに気づいた後、私は同修と街に出て、市場で手配りを始め、ほとんどの常人は受け取ってくれました。
今年の年初めに、神韻でどのように衆生を救えるか、また衆生を救う中で心性の面でどのように精進するか、そして神韻のDVD製作の重責を担うだけでなく、協調して神韻DVDを配り、衆生を救う責任を果たし、技術に通じる同修とともに協力し合いました。DVDができ上がると、能力のある同修に配らせ、神韻で、衆生を救おうとしました。村に出て、神韻のDVDを全面的に配りに行くときは、師父にご加護を求めました。宇宙でさえ法に正され、すべては法を正すことに道を開けているのであり、それを邪魔する者はすべて滅び、衆生は法を正すことに協力し、大法弟子が衆生を救うことに協力し、衆生が救われることを邪魔する者はすべて滅びるのです。「早く神韻のDVDを取りに来てください、早く救われるよう来てください」という正念を発していました。基点が正しかったため、邪魔されることなく、頭の中では衆生を救うという念だけでしたので、持っているDVDをすべて衆生が喜んで受け取ってくれて、効果抜群でした。同修たちで協力し合い、一時間あまりで70以上配れました。そして十数の村で、順調に神韻のDVDを配り終えました。師父の法の通りに衆生を救えば、力が増し、効果もよく、そして最も安全なのです。
二、情けは人のためならず
1999年の「7.20」以降、中共はテレビ報道を通じ、大法を中傷し、世間は真相を知らないため、邪悪な嘘に飲み込まれていました。悪党による迫害がひどくなるにつれ、そして村には同修が少ないことで、衆生を救うことはまともにできず、力も弱いのです。私の住む町には60万人ほどいて、村の人口はそのほとんどを占めています。町の大法弟子が衆生を救うことをすると同時に、村の同修たちと協力し合い、村の衆生を救わなければなりません。こうして、町の大法弟子は村の同修たちを集め、最もいいアイデアを出そうと皆で交流しました。結果、町の一部の大法弟子が村の大部分を引き受けることで、町と村の同修は繋がり、同時に、村の衆生も大法のことを知ることが出来るのです。
こちらの同修は二つの大きな村を担当し、百以上の小さな村がありますが、この二つの大きな村には十名近くの同修しかいません。私が担当する村には女性の同修たちがいて、一人はとても精進し、ここ何年間の間、私は同修とともに時間を作っては村に行き、その女性の同修たちと交流し、師父が与えてくださった知恵を絞り、衆生を救おうとしています。全体の協力のもと、師父のご加護のもと、同修の強力な正念のもとで、同修はその村のすべての家を周り、真相を伝え、ほとんどが脱退しました。
2013年の年末に、私は同修とともに神韻のDVDを作成し始めました。時間があれば、街の市場にて面と向かって真相を伝え、田舎の同修とは二か月以上も会っていません。ある日の午後、時間を利用してもう一人の同修の車に乗って同修の所に行き、田舎に住む同修たちの異変に驚きました。その同修は顔色が黄色く、痩せこけていていました。私は慌てて原因を聞きました。年末に出かけた時、派手に転び、腕は大きく腫れ上がり顔も脹れ、歯も痛み出したのだと教えてくれました。それを聞いた私は交流しようと勧めました。
法に基づいた交流を通じて同修も分かり始め、真剣に自分の内を探るようになりました。この頃、自分に慈悲心がなく、不満が多く、持病のある夫の世話をすることにも不満を持っていました。子供には、今の自分のことはすべて夫が原因だと訴えていました。修煉者にこのような状況が表れた原因が常人に問題があるとし、自分の内に向けて探さず、法の中で精進しないのが問題なのではないでしょうか。私とともにきた同修も歯が痛いと言いましたが、法の中で精進し始め、自分の内に向けて探しました。発正念するときに慈悲がなく、正しくない状態が出ればそれを排除するだけでした。原因は自分にあり、両親に対する情もあり、真相をはっきり伝えずその場で衆生を救えなかった自分が悪いと言いました。
同時に、私も自分の内に向けて探しました。師父はこのようにおっしゃいました。「修煉の中で、皆さんは良いことに出遭っても、良くないことに出遭っても、すべて良いことです。なぜならば、それらは皆さんが修煉しているからこそ、現れたことだからです」。このようなことに遇うことは偶然ではないのです。二人の同修に同じ問題が出たのならば、私にも問題があるのではないでしょうか。真剣に自分の内に向けて探したところ、驚きました。私にも慈悲心がないのです! 同修にも家族にも慈悲心を持っていないのです。同修と交流するとき、口調がきつく、時には責める心と上から目線の口調だったのです。同修の身になって考えたことがなかったのです。これではその同修と変わりがないのではないでしょうか。これらの人心を無くすことを私は決心しました。
私達三人はこの問題で心性を高めることが出来ました。同修が帰ってきてから何日か後に、二人の同修の体が良くなり、衆生を救う流れの中に戻ってきました。自分の内に向けて探すことの楽しさを知ることができ、同修を助ける中で、自分も精進し、同修を助けることは自分を助けることであると知りました。
風雨のような日々を経て修煉も15年目になりました。大法の法理の指導の下、師父の慈悲なご加護のもとで、今日まで歩んでこられました。しっかりしている同修と比べれば自分はまだまだ足りない部分があります。煉功したくないときや、アラームを聞いてももう少し寝たい時、楽をしたい時など、今後の修煉の道で自分の足りない部分を補い、同修と比べながら修め、精進し、これ以上師父に苦労をお掛けしないよう努力していきたいと思います。師父に感謝いたします! 同修に感謝いたします!
合掌。
(完)
(明慧ネット第十回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)