文/シカゴの大法弟子
【明慧日本2014年10月5日】尊敬する師父、こんにちは! 同修のみなさん、こんにちは!
父はある予言の本を持っています。僧侶が書いたものです。「善良で、温厚な人になるのです。将来、ある祖師が生まれ変わり、我々を救いに来ます。その人はすでに生まれ、李という苗字で、北の方に住んでいます」と、私がまだ12歳の時に、父が教えてくれました。文化大革命の時、父はこの本が原因で、悪党の迫害によってこの世を去りました。
私は地主の家庭に生まれ、中国共産党の政治運動は止まることを知らず、私たちはこの予言を精神の糧にして耐えてきました。
1997年9月1日、法を得た初日、煉功拠点の責任者に『轉法輪』という本を渡され、これを一度読んでみて、良かったら買い、良くなかったらまた返すようにと言われました。その本を見た私は「小さい時に、父がある人が私たちを救いに来ると言っていましたよね。もう来ましたよ。この本を読んでください」と、兄に言いました。本を持って2日ほど読んだ兄は、「来ました、来ました。この人です」と言いました。そして、私たち4人姉妹は相次いで法を得たのです。
修煉の道では、でこぼこと十何年も歩いてきましたが、法に対する信頼は少しも揺らぎませんでした。ただ、精進が足りなかっただけなのです。
大法の要求が私の選択
2010年、私は娘の家に住んでいました。私が暇だと思った娘は、野菜栽培が好きな私のために、土地を開けてくれました。この時、クリーニング屋さんのオーナーが服のサイズ合わせを頼みに来て、稼いだお金は半々で分けると言いました。最初の頃、品物を取りに来る彼女は一枚一枚検査していましたが、私が真面目に取り組み、質も良かったため、最後は検査をしなくなりました。ある時、決算で、彼女は私に多めのお金を渡しましたが、私は数通りに返しました。自分は法輪功を修煉し、良い人になろうという師父の教えを守り、利益上でよくばることもしなければ、横取りもしないと伝えました。それから、彼女は質の検査もしなければ、数も数えなくなりました。野菜栽培や服のサイズ直しは私の趣味で、煉功や法の勉強の妨げにはならず、家事もできて、充実かつ自由で、収入も低くはありません。
この時、シカゴの協調人からシカゴで古典衣装を作ってほしいという電話がかかってきました。自分は大法弟子であり、法を正すのに私を必要としているから、ほかに選択肢はありません。私はサイズ合わせの仕事を辞めました。店長からは、私がいつ帰ってくるか、早めに電話をくれるようにと言われました。私をまた雇いたいそうです。
電話で脱退を説得
電話をする過程は修煉の過程でもあります。2007年から私は電話をかけ始めました。この考えはありましたが、今日から明日、明日から明後日へと先延ばしにしていました。せっかく今日電話をかけるという決心をしたのですが、電話が鳴り始めると震えはじめ、言葉にも説得力がありませんでした。そして、罵る人や、電話を切る人に会うと、もう電話を取ることが出来ませんでした。しばらくしてまた電話をかけようと思い始めました。何度もかけ、何度もおろすことの繰り返しで、この電話機がまるで重さ1000kgもあるかのようでした。口を開くことを避けられるなら、お金を出してもかまわないと思いました。そして、私は自動的に真相を伝える各プロジェクトに参加しました。月々お金を払えばよいだけですから。
しかし、それはあくまで機械がやっているのです。「衆生を救い済度することを行なわなければ、大法弟子としての責任を全うできなかったことになり、あなたの修煉はゼロになります。なぜなら、あなた個人の圓満成就のために、あなたを大法弟子にしたのではなく、あなたは重大な使命を背負っているのです。」[1]と、師父は説かれました。
2011年、ある同修にソフトを入れてもらい、私はそのまま真相を伝える最前線に行きました。まず同修がどのように伝えているのかを聞きます。たくさん聞くと、自分も話せるようになりました。最初は電話チームの協調人に50個ずつ渡され、2日すぎると終わったかどうかを聞きに来て、もっとあげようかと、私を催促しました。止めようにも止まらず、このようにして、無理やり押し上げられました。
私を助けたすべての同修に感謝します。今では、電話を掛ける時、相手が罵ろうと、切ろうと、どのくらい脱退しようと、私の心が動揺したりせず、毎朝電話を掛けることが私の必須課題となったのです。
対面での真相伝え
近頃の二度の法会で、師父は観光地で真相を伝えることを解いていました。シカゴはアメリカの三番目の大都市で、対面での真相伝えもやらなければなりません。いくつかの観光地を巡りましたが、どれも理想的な場所ではありませんでした
結局チャイナタウンに行くことにしました。なぜなら、シカゴに来る観光客は皆チャイナタウンに行き、ご飯を食べたり、お買い物をしたりと、他の州や、郊外、中国大陸からの人もいて、人の流れが大きいのです。
私は内向的な性格で、対面で真相を伝えることは難度が高く、見知らぬ相手にどのように声をかければよいのでしょうか。パートナーがいれば、それほど難しくはないのですが、問題はそのパートナーがいないことでした。日曜日に私は資料を持って無理やり広場まで行きました。ちょうどある同修も向かっているところで、これはパートナーが現れたのではないでしょうか。師父に感謝します。私にそのような心があれば、師父が按排なさってくれるのです。彼女は仕事しなくても問題なく、英語もできて、とても素晴らしいパートナーと言えます。初日だけで私たちは二十一人脱退させました。それから、特別な事情がない限り、私は毎日行きます。
対面での真相伝えはまるで行脚をしているかのようです。罵る人、激怒する人、礼を言う人など、資料を受け取ってくれれば、私たちは追っていきます。時には、一人が伝えて、一人が発正念をし、漏れがあれば、もう一人が補充し、また時には各自で追っていきます。
私たちは事前に家でたくさんの名前を考え、ボールペンでノートに書き留めて、鉛筆で党員からの脱退には(1)を、団員からの脱退は(2)を、隊員からの脱退は(3)を、それぞれに印をつけていき、それから大紀元の脱退サイトに送っていきます。名前を選ぶときは好きなのを選ばせます。嬉しいという人もいれば、如意が良いという人や、美珍が良いという人もいます。
私たちは先に資料を渡してからなぜ脱退をするのかを話し、それから法輪功がなんなのかを話します。天安門の自殺事件の真相や、「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい」と覚えさせれば、大体の人は礼を言って去っていきます。
ある時、レストランの入り口で、ある男の子がガラスの扉を拭いていました。私は真相を伝えようと彼に近づくと、「時間がありません。」と言われました。一分だけでもいいですと言い、ちょうど一分間ですべてを話し、彼も脱退しました。しかも、党員でした。そして、店長に呼ばれて、彼はお店の中に入っていったのです。本当に師父が縁のある人を私の前につれてきてくださったのです。
ある身奇麗な男の人が石のベンチに座って煙草を吸っていました。この人は何々レストランの主任だと同修が教えてくれて、彼に話してみてと勧められました。主任だって人ではありませんか。少し話してみようと思い、話しかけて少し話すと、すぐに脱退しました。団員でした。
どれだけ話しても脱退しない人もいます。「我々はボランティアで、これらの資料はすべて日々の生活から節約したお金で刷ったものです。この時間に家でお昼寝したり、テレビを見たりもできます。なぜ風に吹かれ、日に焼かれてここにいるのか、すべては善良な心であなたたちを救いに来たのですよ。この縁を大切にしていただきたいです」と、話しました。
真相を伝える中で、自分の考え一つで人を救う効果につながっていることに気づきました。真相を伝えに行くとき、様々な人を相手にしています。年齢、職業、悪党の文化に毒害されている程度も違います。心の底から相手のために思う心がなければいけないのです。こうなれるためにも常に法を勉強し、正念を強め、常人の心に惑わされないことが大事なことなのです。それでも、時々闘争心が出てきてしまいます。同修からたくさんのことを学びました。「おばさん、急がなくても大丈夫ですよ。」と、私に注意してくれます。同修に感謝しています。これからも精進していきたいと思います。
中共の幹部が次々と失脚していくのを見て、私は慌てていました。法を正す過程の速さと、衆生を救う時間のなさを感じました。師父は次のようにおっしゃいました。「時間が先延ばされたのは皆さんのため、衆生のためなのです」[2]残された時間が少なくなっていき、大審判が始まると、まだ救われていない大勢の衆生が落とされ、師父になんと言えばよいのでしょうか。
時間が足りないのを感じ、睡眠時間を減らすしかありません。夜中の12時から1時の間に寝て、ほかの大法の事もあるため、たとえ遅く寝ても、朝は必ず4時間に起きます。歯磨きして顔を洗い、師父にお香を捧げ、発正念をし、それから煉功をします。7時半から9時は電話をかけ、お昼の発正念をしてから出かけます。一人なのでご飯も簡単で、一回作って二日持ちますから、冷蔵庫に入れて、食べるときはレンジで温めればよいのです。
マンションからチャイナタウンまで徒歩で三十分かかります。バスでは乗り換えが必要で、2回待つと30分では着かないため、やはり歩いて行く方が速く、交通費も節約できます(途中で法を聞くこともできます)。お昼はいっぱい食べて、資料や水が入った重々しい荷物を持って出かけます。帰りは軽くなりますが、何しろ四時間も歩き通しで、しかも話さなければならず、これ以上は歩けません。私は二階に住み、普段はエレベーターを使いませんが、この時は仕方なくエレベーターを待つしかないのです。
明慧ネットで同修の修煉物語を見ていると、とても感動し、自分ではとてもかなわない所がたくさんあります。修煉の道は違うといえど、どのように精進しているのかは同じことです。これからもたくさんの人を救いたいと思います。
今日の交流については、自分がよく修めているからではなく、ただ自分を甘やかしたくなく、促進させるためです。限りがあるので、妥当でない所は指摘をよろしくお願いします。
師父に感謝いたします。みなさん、ありがとうございました。
(二〇一四年米国中部法会での発表原稿)
注:
[1]李洪志師父の著作:『各地での説法九』 二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法
[2]李洪志師父の著作:『二〇一三年米国西部国際法会での説法』
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/8/5/2387.html)