文/中国の大法弟子
【明慧日本2014年11月17日】 (次の文へ)
尊敬する師尊、同修のみなさん、こんにちは! 私は中国のある会社の取締役兼副社長を務め、1997年から法輪功を修煉して、98年にこの会社に入り、今年で16年になりました。
(一)環境を作り、いつでも縁のある人に真相を伝える
師父は「世界法輪大法デーの説法」の中で「多くの人は当初、一時的な考えを持っており、一時期頑張れば終わると思っていましたが、今はそうではないと分かりました。大法弟子は何を行なっても着実に行い、身を入れて取り組み、時間など余計なことを考えないでください。必ず全力を尽くして行うべきことをしっかり行い、それではじめてプロジェクト全体が良くなります。多くの人は迫害の圧力の前、迫害が早く終わってほしいと思い、一時期がむしゃらになって行なっています。そうではありません」と説かれました。
2002年年末、「師が法を正すことを手伝う」ことについて自分はまだ正しく理解できず、人心もあまりに多く、世間のすべてを捨てて戦うという激情が法を正しく理解することに障碍を生み、結局資料拠点が破壊され、自分も刑務所に入れられてしまい、迫害を受けました。教訓は深刻なものでした。常人のことなら、企業を起こすにしても、何にしても、一時期の情熱と激情を動力としてやり遂げられるかもしれません。しかし、私たち修煉者は、師が法を正すことを手伝いに来たのですから、大法からの理智と知恵が必要で、人間の激情ではありません。専門的な手分けと互いの怠らない協力が必要で、一時的にがむしゃらに行うのではありません。
不法に監禁されて数年後に刑務所から出た当日、前に働いていた会社のオーナ兼社長が自ら車を運転して迎えに来てくれて、会社に戻って副社長になってほしいと言われました。刑務所に入る前、私は支社長でしたが、刑務所を出ると意外にも本社の副社長に雇われ、これは決して偶然なことではないと思いました。
私にはっきりと分かっていますが、たとえ師が法を正すことを手伝うために、たとえ一生の堅持が必要だとしても、私は堅持し続けます。しかし、一生の堅持は口だけの話ではありません。そのために安定した仕事と正常な生活環境を整える必要があります。ですから私は新たに家庭を作り、正常な生活を始め、同時に誘惑を抑えるよう自分に要求し、修煉者の基準でこの会社で真面目に働いていくと決めました。
社長は私を重用してくれましたが、中国共産党の虚言による宣伝の影響と、私が連行されて会社に損失をもたらしたことで大法への偏見を抱えており、もし私が続けて法輪功を修煉したら再び連行される可能性があるので、会社に対して更に大きな損失をもたらしてしまうかもしれないと心配していました。彼のこのような考えに対して、機会を探して話したいとずっと思っていました。
ある日、彼がカナダへ行くことを知り、ちょうどその期間中にカナダで神韻芸術団の公演がありました。それで社長に『共産党についての九つの論評』を送り、数日後に事務所を訪ね、神韻芸術団の公演を見に行くように薦めました。予想に反して社長の怒りが爆発し、たくさんの耳に痛い話をして、最後に会社から出て行くよう私に要求しました。
彼を救い済度したい慈悲心から、私は泣きながら「会社を辞めるのは問題はありません。後の仕事をよく段取りしておきます。以前くれた株も全部返しますので、一銭も要りません」と言いました。すべての利益を捨てる話が彼を感動させたのかもしれません。社長の態度が柔らかくなり「われわれがこれまでの歳月をかけて奮闘してやっとここまできた事業なのです。たくさんの人が求めても手に入られないものをあなたは信仰のために簡単に捨てるなんて。本気であなたに出て行ってほしいわけではありません。ただ心配しているだけです」と言い、片手の拳を胸の前でもう一方の手で包み(古い礼儀の一種)、「あなたの済度に感謝します」と言いました。
その後、機会があるごとにいろいろな話題を話して、共産党の邪悪さを知ってもらうようにしました。だんだんと、特に薄熙来事件の後、彼の態度は根本的に変わり、徹底的に共産党を切り捨てました。会社の財務マネージャーは頑固でなかなか変わることができず、私は彼を変える自信がなくなるぐらいでした。でも彼はよく社長と外食するので、社長が変わるにつれ、彼の観念もだんだん変わっていきました。
私が法輪功を修煉し続けていることが、彼らの口を通して更に遠くまで広まりました。ある日、私は社長に伴い、社長の友人と一緒にゴルフに行きました。その友人はある民営大学の取締役を務め、私は初めて会いました。私が自己紹介で名前を言うと、彼は「ああ、知っている。法輪功を修煉しているよね。あなたの社長がいつも私の前であなたのことを話すから」と大きな声で言いました。ゴルフ場のスタッフなど多くの人が思わず私に振り向きました。私は微笑みながら「はい、私です」と返事をしました。同じカートの中でずっと共産党が如何に悪らつか、教育界の役人がいかに腐敗しているかなどを話しました。彼の同級生も法輪功を修煉したことで判決を言い渡され、もう一人の同級生はある有名な不動産会社の副社長を務めており、今も修煉し続けていると話してくれました。
私の故郷は田舎で、普段帰る機会が少なく、故郷の人は私のことをあまり詳しく知りません。しかし、現地で真相を伝える大法弟子がいないのでずっと気になっていました。彼らに真相を分かってほしいし、真相を伝えるきっかけを作れば、そこの地方の同修たちの助けになると思いました。
初めは帰るたびにタバコやお酒、食品などのお土産を買って現地のお年寄りや親戚に配り、自分が町で出世していると分かってもらい、自分に好印象を持ってもらえるようにしました。それから、彼らの電話番号を集めて、電話で録音した真相を聞かせました。そうすると一部の人たちが「三退」について議論し始め、みんなの間で三退を話す環境ができあがりました。今、80歳くらいの字も知らないおばあさんたちも「法輪大法が素晴らしい」としっかり覚えるようになり、師父の説法録音を聞き始めた人もいます。
この事を通して、環境を変えるには時間がかかり、一つの過程が必要となり、急いで成果を求めてはいけないと分かりました。衆生を救い済度することが緊急なことだとしても、彼らに認識が変わる時間と過程を与える必要があります。一人一人の状況、条件を見て直接真相を伝えるか、『共産党についての九つの論評』あるいは神韻DVDを送るか、あるいは録音電話をかけるかなどなど、状況によって異なる方法で真相を伝えます。同窓会で私は直接神韻DVDを配りました。解散する際、元校長先生がみんなに「今日一番の収穫は彼(私を指して)でした」と言いました。
同僚の親戚が重病に罹り、私は同僚に李洪志先生の説法を持ち帰って親戚に聞かせ、受け入れれば必ず快復できると言いました。同僚は自分の兄弟のようだと言ってくれました。
このように一日一日、一年一年積み重ねて頑張り、これまで大法に偏見を持っていた私の義理の父と母も、大法を支持するようになり、私が渡した真相が書いてある紙幣も使っています。私の周りでは取引相手を含めてたくさんの人が、私が法輪功を修煉していることを知っており、彼らの多くが真相を分かっており、目覚め、私の信仰を尊敬しています。時に取引相手との会食でも、私が受けた迫害に対して共産党がごろつきだと罵る人もいます。ある投資会社の社長はいつも、法輪功が名誉を快復する日が必ずくると言っています。
(続く)