文/山東省の大法弟子 氷蘭
【明慧日本2014年11月24日】尊敬する師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!
法を得る
私は2006年に幸運にも法を得ました。当時夫が癌になり、すでに手遅れの状態でした。私の妹と嫁ぎ先の姪は大法弟子で、彼女たちは私と夫に「早く大法を学びましょう。大法と縁を結べば、師父は彼を救ってくださるかもしれません」と言いました。私たちが『轉法輪』の第四講を学んだ時、夫はこの世を去りました。私はこれをきっかけに修煉を始め、以前の五十肩、胃病、胆嚢炎が奇跡的に治り、病気がなくなり体が軽くなりました。
夫が亡くなった当時、夫が残してくれた壊れかけた家を眺めて、私は溜息ばかりつきました。そのとき、娘は嫁いだばかりで、息子は30歳を過ぎても、彼女もいませんでした。家には定収入がなく、生活は数軒の部屋を貸し出す賃貸料だけに頼っており、これからの生活をどうしたらいいのか不安でいっぱいでした。この時、妹は私を慰めに来て、姪もよく来て、私と一緒に法を学びました。あの時、私が家でする唯一のことは『轉法輪』を学ぶことでした。「亡くなった子供がどれほど可愛かったかと言って、どうしても忘れることができない人がいます。あるいは亡くなった母親がどんなにやさしかったかと言って、悲しみに暮れ、残りの人生を捨てて後を追いかねない人もいます」(『轉法輪』)という一節を読んだ時、師父の法は私に人間がなぜ生きるかを分からせて下さいました。私は次第に夫を失った苦しみから抜け出せるようになりました。
2009年まで、私はずっと全身全霊で法を学びました。法を学べば学ぶほど、心が広々として明るくなり、学べば学ぶほど、手放せなくなりました。その期間中、非常に不思議な事もありました。ある年の春のことでした。家の中庭には越冬するための石炭がまだ残っており、私は雨に降られて濡れてしまうのを心配して、自分1人で、それを小屋に運びました。私は一袋35キロぐらいの石炭を小屋に運び、5、6袋の高さまで積み上げました。あの時私はすでに60代で、もし大法を学んでいなければ、この作業はとても考えられないことでした。息子が帰って来て、私に「誰か運ぶのを手伝ってくれたのですか」と聞きましたが、私は自分1人でやりましたと言ったら、息子は思わず親指を立ててくれました。
小さな花を咲かせる
2008年の下半期、北京オリンピック開催の前後に、わが地区の大法弟子は共産党から残酷な迫害を受けました。100人以上の大法弟子が妨害され、10数人の大法弟子が不法に労働教養を科され、3人は重い判決を言い渡されました。また、大きな資料拠点と大部分の家庭資料拠点が破壊され、資料を作る同修が非常に少なくなり、真相資料はとても乏しくなり、どこも配る資料は入手困難になりました。当時、私に自分で資料を作る考えが芽生え、師父の慈悲なるご加護の下、2009年の初め頃、技術の同修の助けにより、私の家にひっそりと1輪の小さな花を咲かせました。
言うのは簡単ですが、実際やってみると大変難しいものでした。私はすでに60歳を過ぎており、パソコンの前に座ると、何もかも初体験で、本当にお手あげ状態でした。技術を担当する同修は、私に操作の手順を書いてくれました。私はそれに従って、マウスで一つ一つクリックして、ついに自分で資料を印刷することができました。しかし、その当時私は連続して印刷することができず、小冊子をプリントするとき、1枚1枚刷って、それをベッドに並べ、1冊を全部終了するまで並べました。その頃の資料はすべて1枚1枚並べていました。数時間すると、本当に腕が痛くて大変でした。しかし、自分が作ったきれいに仕上がった資料を見た時、心の中で、本当に嬉しくてたまりませんでした。
同修達の需要を満たすため、私は必ず連続して印刷できるようにしたいと決心しました。ある日の夜、12時の発正念をして、師父にご加持をお願いして、マウスでパソコンの画面をあちこちクリックして見ました。朝の3時頃に、自分もよく分からないのですが、連続印刷のアイコンを見つけました。師父は私を助けてくださいました。私は心の中で「師父、ありがとうございます」と言いました。
資料を作る過程において、私は「機械が故障をする時は心性に問題がある時だ」と悟りました。このような時、私は法を学び、心を修め、内に向けて自分に何の心がまだ取り除かれていないのかを探しました。
私達のところでは、資料はいつも需要に追いつきませんでした。ある日の朝、6時の発正念をしてパソコンを開いて、資料を印刷しようとしました。しかし、思いもよらないことに、本来とても正常に動いていた機械はまったく働かなくなりました。私がいくらクリックしても、やはり動きません。私は常人の修理屋に修理を頼もうとしました。しかし、この時、私の頭に「神がどうして人間に機械を修理してもらうのか」という一念が閃いたのです。私は心を静めて内に向けて探しました。私は自分に、仕事をする心を見つけました。そこで、私は座って法を学び始めました。『轉法輪』の三講を学び終わったところで、再びスイッチを入れたら、すべて正常に動きました。私はこれでやっと、師父が今度のことで、私に仕事をする心を取り除かせ、心性を向上させてくださるご苦心が分かりました。
小さな花は大きな花へ
当時、迫害はとても酷く、多くの同修はブラックリストに載せられ、家はすべて監視されていました。協調人は私と相談して、他のいくつかの資料拠点を私のところに合併したいと言いました。私が修煉を始めたのは遅かったため、邪悪は私のことを把握していませんでした。私は快諾しました。私は自分の中庭の貸し出し中の部屋を全部回収して、資料拠点にしました。協調人は家賃を払おうとしましたが、私は、「他の同修がみんな大法のために無私に貢献して、お金を出す人もいれば、物質を提供する人もいます。私はお金を出せませんが、この部屋ぐらいしか提供できません。お金をいただけません」と言いました。それから、家の経済状況がいくら困難になっても、あの数軒の部屋を再び貸し出すことはありませんでした。
同修が来て力も大きくなりました。私たちは仕事を増やし、大法を実証することであれば、なんでもやり、同修が必要であれば、なんでもやりました。たとえば、神韻と真相DVDの書き込み、シールの印刷、真相紙幣の製作、封鎖を突破するソフト、お守り、真相しおり、真相の横断幕、大法書籍、真相卓上カレンダー、壁掛けカレンダーなどなどを製作しました。特に、私たちが製作した大法書籍は、地元の需要だけでなく、近隣地区の需要も満たして支援しました。
私達の資料拠点の同修は特に学法を強化しました。私たちは自分の学法チームを作り、定期的に法を学び、交流をし、トラブルに遭えば、内に向けて探し、心性の向上に力を入れました。皆さんは心性の向上がとても速く、数年来、資料拠点にはずっと穏やかな雰囲気が満ちていました。私たちはお互いによく協力し、自分達が最も神聖な事をやっていると認識していたため、多くて無理な仕事でも私たちは見事に完成させ、数年来、遅れたことは一度もありませんでした。
お正月まであと1カ月足らずという時、地方の同修のところから1000部余りの卓上カレンダーの材料をもらって来ました。その時、他の同修がみんな忙しかったため、協調人は私に「作れますか? 作れるところまで作ってください」と言いました。私は少しも躊躇せずに引き受けました。あの頃、ほとんど毎日24時間プリンターの前で過ごしました。卓上カレンダーは時間通りに出来上がりました。他の真相資料の製作もまったく影響されませんでした。私は、これが自分の力ではなく、大法の超常的な力の表れだと思っていました。
家で資料拠点を作ってから、私はこれが私の使命で、自分が師に従ってこの世に下りた当初の誓約だと認識していました。私は「この小さな花を永遠に咲かせられるよう、どんな邪悪も壊すことがないよう」にと、心の中で固く誓いました。それから、多くの魔難と多くの試練にも試されましたが、いずれも乗り越えて来ました。
2013年4月、私は2人の同修と近くの県まで神韻DVDを配りに行き、悪人に通報され、地元の派出所の警官に連行されました。留置場で、私は何も考えずに、ただ資料拠点が絶対に破壊されないよう、そればかり考えました。警官は私に「家はどこ?」と聞きましたが、私は実家の甥の住所を言いました。実家の甥もとても協力的で、「叔母は家政婦の仕事をして、いつも家を空けている」と言ってくれました。そうして、私はとても順調に出てきました。
法を正す情勢の進展により、資料作りに参加する同修はますます多くなり、大法のプロジェクトの分業もますます細かくなりました。私たちのこの大きな花はまた小さな花に戻り、この家庭の小さな花はまた私1人になりました。
大法修煉は福をもたらしてくれました。この数年、師父から多くのものをいただきました。結婚適齢期を過ぎていた息子は結婚し、孫も授かり、我が家はむつまじくて楽しく、近所の人は皆羨ましがっています。私は娘の子供の面倒を見て、今、息子の子供の面倒を見ています。しかし、私の三つのことには少しも影響しません。私の資料拠点は平常通りに運行しています。ある日、私は消耗品の仕入れ担当の同修に「紙がなくなった」と言ったら、彼は大いにびっくりして、「6箱を仕入れたばかりじゃありませんか」と言いました。私は「もう1カ月が経ちましたよ」と言いました。
これからの法を正す師に手伝う期間においては、私は必ず初志貫徹して修煉し、そして、さらに精進して、三つのことをしっかり行い、自分の誓約を果たして、師父について家に帰るようにいたします。
師父に感謝します! 同修の皆さんに感謝します!
(明慧ネット第11期中国大陸の大法弟子の修煉体験交流会)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/11/19/146939.html)