明慧法会|衆生を救い済度した物語
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 【明慧日本2014年12月4日】尊敬する師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!

 この10数年間、私は師父の慈悲なる加護の中、つまずきながら今日まで歩んできました。ここで自身の修煉過程にあった体験を書き出し、師父に報告し、同修と交流したいと思います。

 一、自分を修め、大法を実証する

 私は1997年に大法を修め始めました。修煉をはじめてから、私は自分が大法弟子であることを常に意識し、大法の基準に従って自分自身に厳しく要求し、自分の行為で大法の素晴らしさを実証しました。

 1999年「4.25事件」以降、私は予定より早く退職し、卸売市場でアルバイトをしていました。私は毎日早めに出勤し、遅く退勤し、汚いことも、体力が必要な事も心を尽くしてやりました。皆さんから良い評価をもらいました。そのおかげで、そもそも景気が良くなかった市場の商売は一気によくなりました。

 他の店長さんは羨ましがって、私に「私にもあなたみたいな店員がいたらいいのに」と言いました。

 そして、彼らは私に、私と同じような店員を探して欲しいと頼みました。

 買い物にくるお客様も私を非常に信頼してくれました。どれにすれば良いか決まらず、困っているお客様に対して、私はお客様が満足するまで紹介してあげました。お客様は、「あなたが勧めるものを買うよ。あなたを信じているから」と言ってくれました。

 私が売り場にいない時、彼らはしばらく待ってでも、私が自ら渡す商品をもらおうとしました。

 一緒に働いている人達はなぜ私がそんなに人間関係がいいのか、不思議に思っていました。それは私が将来、大法を実証するための堅い基礎を築きあげました。

 1999年に迫害が始まった後、邪悪の妨害により、私は仕事を辞めざるを得ませんでした。邪悪な「610弁公室」の命令により、私は退職金が支払われなくなりました。

 しかし、それで私に修煉をやめさせようとする企みは無駄でした。最も辛い日々の中で、私は師父と大法に対する堅い信念に頼って、一つ一つの困難を乗り越えてきました。

 当時、家に年寄りと子供がいて、彼らの生活費はすべて私が負担しなければなりませんでした。朝起きたら食料がなく、私は以前働いていた卸売市場に行って、仕入れをしました。オーナー達はみな私にお金がないことを知っていたから、物品を販売できたら、品物の料金を支払うようにしてくれました。

 この間、私は商品を売りながら真相を伝えました、1日の生活をまかなえるぐらいに稼いだら、真相を伝えながら家に帰り、「三つのこと」すべてやり遂げました。

 ある時、商品が売り切れた後、会計をするとオーナーが商品を2つ多く渡してくれたことがわかり、返したところ、それからは私が商品を取りに行く時に彼らは記帳しなくなりました。

 あるオーナーは、「以前ここで働く人がいくら多くても、しっかりやってくれたのはあなただけで、他の人は私がいない時は自分のために稼いていましたが、あなただけがしていなかった」と言いました。

 私は、「私は修煉者なので、そうしてはいけません」と答えました。ある時、中国共産党の警官があちこちで私を探していた時、オーナー達は私が傷つかないように守ってくれました。

 この数年、人を救うために、私はよくアルバイト先を変えました。場所を変える度に一度も真相を聞いたことのない人に出会い、私は行くところところで真相を伝えました。

 近年、周りの人は仕事を探すのに苦労している反面、私は仕事に誘われました。

 ある時、同僚はオーナーに性格がよく信頼できる社員が欲しいと言われて、私を勧めたと言ってくれました。

 私は状況を確認した後、「三つのこと」に影響しないので応じました。

 私はオーナーに毎週一回、学法があるので休みますから、その分は給料を引いて下さいと伝えましたが、彼はそうしませんでした。そして私にこちらの仕事がいくら忙しくても、用事がある時は気にせず休んでよいと言ってくれました。

 オーナーは法輪功の真相を分かっています。法輪功の真相を知った彼らは、自ら積極的に周りの親戚や友達にも真相を伝えました。

 ある時、オーナーご夫婦に2、3時間かけて真相を伝えたことがあります。その次に会った時にオーナーは、その夜寝る時にぼんやりしている中で「法輪大法はすばらしい」と一夜叫んだのだけど、なぜなのかと私に聞きました。

 私は彼に、これらは良いことだと教えました。これは彼の世界の衆生が救い済度されたため、喜んで躍り上がっていたと私は知っていました。

 二、慈悲心をもって警官を救い済度する

 1999年7.20に法輪功に対する迫害が始まって以来、世の人々は邪悪な虚言に毒害されました。警官は私達を目にすると悪口を言い、まったく真相を聞こうとしませんでした。彼らが罪業を作ることをやめさせ、迫害を減らすため、私は文章の形式で真相を伝えはじめました。

 まず私は彼らを尊重する立場から書きました。私はなるべく穏やかな言葉で真相資料を書きました。不公平な待遇を受けていても、私には恨みがありません。彼らは読んでから私が優しいと言ってくれました。最初、私は彼らに法輪功とは何かを伝え、大法が全世界に広く伝えられている状況、大法の素晴らしさと、私及び家族、親友らが受益した状況、私が修煉してからの会社での勤務ぶりなどを紹介しました。彼らは調査に行きましたが、会社の幹部らが私の勤務ぶりについて賞賛していることが事実であると認めるしかありませんでした。私はまた、彼らに大法は修煉する人を善に向かわせ、道徳を向上させ、病気治療と健康保持に素晴らしい効果があり、国際社会において、私達の師父は千にいたる表彰をもらい、善悪には報いがあるなどの道理を伝えました。警官らはこれらの真相資料を奪い合いながら読みました。読んでからは悪口を言わなくなりました。しばらくすると、私はまた異なる内容で真相資料を書き、彼らに多くの例をあげました。

 例一、ある大学の教師は乗り越えられない困難にぶつかり、自殺しようとした当日、『轉法輪』を読むことができ、一気に読み終えました。彼女は「大法と出会ったのがあまりにも遅かった、私はもう再び自殺なんか考えない」と言いました。彼女は自分の命を救ってくれた大法の師父に対して非常に感謝していました。

 例二、私は留置場に強制連行されました。私の隣のベッドを使っていたのは殺人犯でした。私達と接触し、大法の真相を分かった彼女は絶えず後悔しました。「もし早く私にこれらの道理を教えてくれる人がいたら、私は絶対に罪を犯していなかったはずです。もし、私がここから出られるようになったら、必ず私は家族の皆と一緒に大法を学びます」と彼女は言いました。

 例三、この間、農村の女性が一人、留置所に入ってきました。入ったらすぐ、しゃっくりをしましたが、その音はとても大きかったです。やっとのことでしゃっくりがやみ、私達がどういうことかと彼女に聞いたら、彼女は泣きながら、7歳の娘が人にレイプされたため、村と郷の幹部、派出所に訴えに行ったが、数年経っても誰も解決してくれず、この悪い癖を得てしまった。数年薬を飲み、少なくないお金を費やしたが、好転することがないと言いました。今回は派出所に行き、罪を犯した人を懲罰するよう要求したが、警官は悪い人を捕まえず、かえって彼女を留置所に送ったと言いました。私達は彼女に大法の素晴らしさ、大法の国際社会で広く伝えられていることなどを伝えました。真相を分かった彼女は、私達と一緒に学法し、煉功しました。数日経たないうち、彼女のしゃっくりはなくなりました。彼女は感動し、「災いが転じて福となりました。いくらお金を費やしても治らなかった病が、大法の真相を聞いたら数日間で治りました。師父、ありがとうございます」と言いました。 

 私が繰り返して書いた真相資料は効果を収めました。真相を分かった警官は再び迫害に加担しようとしませんでした。

 ある時、市の610弁公室、公安の各級の幹部らが一緒に会議を開き、いかに大法弟子を迫害するかについて討論していました。ある公安局に駐在していた幹部は、私に対して処罰を与えたいという人の発言を聞くと、直ちに立ち上がり、きっぱり反対しました。彼は「私はその人を知っています。彼女は善良なよい人です、更に違法な行為をしていません。彼女に対する如何なる処罰にも私は絶対同意しません。私は恐れません。私が言ったのはすべて事実です」と話しました。その間、彼の関与の下、私に対する迫害は失敗に終わりました。

 一時期、私は発正念を重視せず、仕事をする心があまりに重かったため、邪悪に隙に乗じられてしまい、懲役3年の判決を言い渡されました。労働教養所で、同修らは大量に真相を伝えました。真相が分かった警官は、私が迫害された状況を分かった後、とても同情しました。彼女は自分の権力範囲で、私に便宜を与えてくれました。一回、二人の地方の警官が私に会いに来たと言いましたが、ちょうど彼女が当番でした。私が仕事場から外に向いて歩く時、とても遠いところから彼女がその二人の警官を叱っている声が聞こえました。「あなた達、地方の610弁公室はあまりにも悪いです、彼女が何の罪を犯したと思いますか、どうして彼女に対してこんな扱いをするのですか?あなた達は法を執行しながら、法を犯しています。どうしてこれほど人に害を与えているのですか? あなた達は罪を犯しています!」と言っていました。私がドアをノックする音を聞いて、彼女は話を止めました。その二人の警官は喋る言葉をなくし、また私が彼らに協力しない様子を見て、その場を去って行きました。

 私達と接触することを通して、真相がわかった警官は再び悪事を働かなくなり、ひいては影で大法弟子を保護してくれました。一回、私は同修と一緒に人を救うために出かけましたが、そこでは警官が人を捕まえていました。その中に真相を知っている警官がいて、彼は私がそこにいるのを見て、困っていました。私を手助けしないと私がとても危険で、私を助けると仕事がなくなる可能性がありました。彼は少し躊躇しましたが、やはり私を助けることにしました。その日、私達は映画のワンシーンのような、ハラハラ・ドキドキする体験をしました。最後に師父の加持の下、無事に帰宅できました。

 三、厳しい環境のなか、師父は常に私達のすぐ側にいらっしゃる

 非合法に監禁されていたその数年間、厳しい環境の中で最も苦しかったのは『轉法輪』を読むことができないことでした。その時、大法の書籍を読みたいその心情は言葉では言い表せないことでした。私ともう一人の同修は、たくさんの方法を考えましたが、失敗しました。おそらく師父は大法に対する私達の敬虔な心を見て、按排してくださったと思います。数日後、警官のオフィスに一冊の『轉法輪』があると教えてくれた人がいました。この話を聞き、私は心の中で師父に加持を求め、この本を絶対手に入れると決心しました。

 その後、その警官はオフィスにものがあまりにも多いと言い、タンスをひとつ外の部屋に運ばせました。私は直感でそのタンスに『轉法輪』が入っていると思いました。ある日やっと機会が訪れました。ある日の夜、私達は残業していましたが、部屋が足りず、タンスをおいている部屋の鍵も開けられ、私達はそこで仕事をすることになりました。しかし人が多くてどうしようかと思っていたら、下に行って仕事をしなさいと誰かが叫んでいました。そして、他の人はみな下に行きました。私は直ちにそのダンスを開きました。ひと目で『轉法輪』が見えました。私はすぐそれを隠しました。とても嬉しかったです! それから、私は毎日空がぼんやりと明るくなると法を読み始め、ちょうど一講読み終えるとみな起きました。もう一人の同修は夜に、皆のために法を書き写しました。それから、同じ大隊に監禁されている同修は法を学び、法を暗誦する良好な修煉環境を形成しました。そのすべては師父の入念な按排であり、師父はずっと私達を見守られていました。師父に対する感謝の気持ちは、本当に言葉で言い表せません。

 ある時、私はある同修と一緒に偏僻な山岳地区に人を救いに行きました。村民らは、そこは市内からとても離れていて、お昼を過ぎたらバスがなくなると教えてくれました。私は同修と相談し、人を救いながら、帰路を辿りました。人々に会うと私達は真相を伝え、大多数の人は三退しました。知らない内に暗くなり、通行人もとても少なくなりましたが、私たちはまだ山のなかを歩いていました。同修には自宅で待っている子供がいました。そこは村からもとても離れていたので、歩いて帰ると家に着くのは夜中になりそうでした。歩きに歩くと、突然一台の車が私たちの側を通り、急に道の真ん中で止まりました。車から人が降り、私達に「車に載ってください」と言ってくれました。普段、この時間帯に車があるはずがありません。私達は慈悲なる師父が私達を家まで車で送ってくださったと知っていました。

 師父から頂いたものはあまりにもたくさんあります。弟子はそれに応える方法がなく、ただ三つのことをしっかり行ってこそ、師父の慈悲な救い済度に背くことがなくなると思います。精進している同修と比べると、まだとても大きな差があります。法を多く勉強し、人を多く救ってはじめて、この万古の機縁を大切にすることができると思います。

 次元が限られており、不適切な部分については同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

(明慧ネット第十一回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/11/9/299614.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/11/10/146785.html)
 
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