【明慧日本2015年5月23日】私は1996年に修煉を始めた老年の弟子です。ここで、当初は、すさまじい勢いの病業の関から九死に一生を得た体験と、その事によって、家族や友人が、大法の超常と師父の慈悲深さを目したことについて、皆さんにお話ししたいと思います。
それは1997年のことでした。当時、私は突然喉に異常を感じました。最初は、扁桃線に炎症を起こしたのではないかと思いましたが、病状はますます悪化し、急速に食べることも、飲むこともできなくなり、呼吸も困難で、最後には話すことすら出来ず、頭を振るか、頷くか、それしかできない状態となりました。これは業力を除去していると思い、私は薬を飲まず、病院にも行かないで、法を学び、功を煉ることに専念しました。しかし、状況は好転するどころか、3、4日も飲まず食わずの状態で、体はますます衰弱し、喉が詰まって息苦しくなり、いつ窒息死してもおかしくないと感じました。
家族の圧力の中で、私は致し方なく病院に行きました。医者はメスで私の喉を「ガリガリ」と数回削り、二つの胡桃ぐらいの肉塊を切り取りました。その時、私は「これでやっと終わった」と思いました。しかし、予想もしなかったことに、その日の夜に、喉に、また「できもの」が出来てしまいました。私は自分が間違ったとすぐ分かりました。これは病気ではなく、業力なのです。私が師を信じ、法を信じることが出来なかったため、その日の夜、それがまた出てきたのです。私は心の中で、師父に、「弟子は必ずこの難関をしっかり突破します」と懺悔しました。
私は法を学び続け、心の中で師父にご加持を求めました。家族は何度も私に病院に行くように強要しましたが、私はそれをきっぱりと断りました。私は1分1秒の苦しみに耐え(1997年の時点では、まだ発正念を知らない)、心の中で師父に、「弟子は前回大失敗をして師父に恥をかかせました。今回は必ずこの関門を乗り越え、大法の超常をみんなに見せます」と言い続けました。
しかし、私は早く治したいと言う人心を抱いたため、状況はいっこうに変わりませんでした。7日目になると、私はすでに危篤状態になり、頷いたり、頭を振ったりする力すらなくなりました。家族は皆私を囲んで泣きました。妹は泣きながら、「お兄さん、もうこうなったら、あなたは力を出して、叫びなさい。一気に突き破れるかも知れません」と言いました。
この話を聞いて、私は直ちに、「これは師父が私を啓発し、私を助けてくださっている」と分かりました。そこで、私は全身の力を搾り出して、声を出して叫びました。声は出ませんでしたが、私は喉に隙間が開いたような感じがしました。この無言の叫びで、私の喉に鋭いメスを刺されたような感じがしました。私は直ぐに「私はやりました」と思いました。私は全身の力を出して、合掌し、心の中で、「師父、ありがとうございました」とお礼を言いました。
私は、喉に詰まっていた四つの血の塊を吐き出しました。その血の塊にはびっしりと白い毛が生えていました。これは「ジフテリア」と呼ばれるものでした。家族はその一幕を見て、驚いたり喜んだり、泣いたり笑ったりしました。しばらくすると、私はさらに三つの白い毛が生えた血の塊を吐き出しました。私はこれで完治したと分かりました。家族は皆驚きを隠せず、大法の威力をこの目で確かめました。
18年が経ちました。当時のあの一幕は今でもはっきりと目の前に浮かんできます。どんな言葉も、私の師父に対する感謝の気持ちを表すことが出来ません。弟子が唯一できることは、三つのことをさらに良く行い、多くの人を救い、自分の前史の願いを果たし、師父の慈悲なるご済度に報いたいだけです。
師父に感謝いたします!
合掌