人間の運命の決め手は天 劉仁軌の小官吏が宰相に
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選編/唐儉

 【明慧日本2015年12月30日】唐朝の劉仁軌(中国の唐朝の有名な大臣)は、陳倉県の低い職務を勤めていた時、当時の有名な面相師の袁天綱は「あなたの将来の官位は、宰相まで上りつめ、寿命は90歳ぐらいまで長生きしますよ」と劉仁軌に告げました。

 それは唐朝の武徳初年でした。劉仁軌は陳倉県の卑しい県尉でした。地元に高い職務を勤めている軍官の魯寧という人がいました。魯寧は自分の職務が高いことをいいことに乱暴を働き、当地にそれを抑え、正す勇気のある者がいませんでした。劉仁軌は自分の職務上、魯寧と面会をして、軍官の高い職務をいいことに、乱暴を働いてはいけないと警告しました。しかし魯寧は、前より一層むやみに乱暴したので、劉仁軌は魯寧を死刑にしました。唐太宗の李世民(当時、皇帝ではなく、皇子で、唐朝軍の将軍でした)はこれを聞いて、「この俺様の配下の軍官の魯寧を殺したのは、どんな胆玉を持つ県尉なのだ」とたいへん怒りました。その責任者を追及するように県に言い渡しました。卑しい身分の県尉・劉仁軌に尋ねると、その正直さとに大いに驚いた李世民は、たいそう感心して、まもなく劉仁軌を櫟陽県の県丞に抜擢しました。

 貞観14年、唐太宗の李世民は同州の狩猟にくるつもりでした。劉仁軌は上書して、「私が聞くところによると、屋根で漏れている穴があれば、漏れている穴を知っている人が屋根の下にいます。愚夫の捧げる策略を選ぶことができる者は聖人です。今年は豊作です。ただ今は、まだ畑の中の農作物の1割から2割しか刈り取りができていません。陛下がこの期間に狩猟に来られたら、いろんな接待で少なくとも1、2万の人手と多くの時間を要します。これは本当に農民の困苦になります。一方、農作物の刈り取りがおわった後の農民の暇な時に来られたなら、公的にも、私的にも、有益です。私のようなつまらない者のの発言を聡明な陛下が聞き入れて下さることを望んでいます」と書いて送りました。唐太宗はわざわざ天子の印鑑を押した文書を出して、劉仁軌をねぎら、「お前の職務は卑しいけど、国家への忠誠心を強く感じる。朕はお前の意見を褒め称(たた)える」と書かれていました。ほどなくして劉仁軌に、新安県の県長官の任命が下されました。それで彼は「給事中」に昇進しました。官位が高くなりましたが、宰相のような高い身分にまで上り詰めることは、慣例によって、それはほとんどあり得ないことでした。

 しかし、予想外の事が起きました。顕慶年間、唐高宗李治(唐太宗の息子)は、当時の遼国と開戦しました。劉仁軌はその時水軍を監督していて、前例によれば参戦することはありえないことです。しかし、劉仁軌が監督する水軍の遅刻のせいで、劉仁軌は職を解かれ、普通の兵士として軍隊に編入されて戦地にいきました。ちょうど白江の江口で外敵に出会って、4戦4勝で、敵軍はすべて唐に帰順しました。劉仁軌が大軍功を立てたので、とうとう垂拱年間に、左丞相 (官階の3品)という立派な官職につきました。そして劉仁軌の終年は84歳でした。袁天綱の予言がものの見事に叶いました。

 劉仁軌は高位の官職についてからも、傲慢な顔色が全然みえませんでした。毎回自分が貧賎だった頃の旧友と会う時も、昔と変わらず親切さを持って、旧友に接しました。

 諺によると、「人間の運命の決め手は、天である」。運命の中に宰相の運命があれば、いくら県尉のような低い官吏でも宰相になることができます。しかし、このような良い運命を実現したければ、正直な心と忠誠心を持つことが必要です。それは、運命の中の富貴を保つからです。

(《旧唐書・巻84・列伝34》により)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/11/15/318849.html)
 
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