文/中国東北地方の大法弟子
【明慧日本2016年1月20日】私は法を実証してきた16年の過程の中で、大部分の精力を文章を書くことに使ってきました。いつも師父のご慈悲と自分が小さな神筆であることを感じることができました。師父の啓発の下、筆を振るって空一面の曇りを掃き清め、千万の衆生を救い済度してきました。
労働教養所で執筆を開始、迫害を指摘する
2003年春、私は労働教養所に不当に拘禁されました。拷問によってできた体中の化膿はだんだんと引いて来たものの、掌は依然腫れていて、手を握ることはできませんでした。立ったり座ったりすることが不便だったので、ベッドに横たわり、ずっと考えていました。すると突然、「いつまでもこのように閉じ込められた状態でいるわけにはいかず、ここで行われている中国共産党による罪悪を暴露しなければならない」という一念が生じました。その瞬間、心が奮い立ち、弟子が行わなければならないことを師父が悟らせていらっしゃるのだと、心の中で理解しました。
同修たちと相談した後、皆で協力し、あ人は正念を発し、ある人は見張りをし、ある人が投稿文章を労働教養所の外に持ち出す準備をしました。すべてが秩序よく行われました。ベッドに横たわったまま最初の投稿文章を書きあげ、興奮しながら同修にチェックしてもらいました。同修が同意してくれると思ったのですが、同修は表情を変えずに、「だめです」の一言で拒否しました。私はとても失望し、非常に辛くなり、「このような厳しい状況下で、このような大きなプレッシャーに立ち向かって書き上げた文章なのに、同修は『見るに値しない』とでも言いたげな表情で否定した」と考え、文句が口を突いて出て、数日間はペンを持ちませんでした。
同修がやって来て、「どうして仕事を放り出すのですか、もうやらないのですか?」と冗談のように言いました。私は恥ずかしくなり、「どうしてこのような状態になってしまったのか。どうして師父の教えの通りに行うことをせずに怠けているのか。迫害に遭った時の場面、雰囲気、迫害の残酷さを確かに如実には書いていなかった。いつも自分の考えばかりを重視して、自分が支払った代価ばかり重く見ていたのではないか」と思いました。師父が目の前にいらっしゃるように感じ、恥ずかしくて穴があったら入りたい気持ちになりました。この時、同修が謝りに来て、文章の中で何が不足していたのかを、善意を以って指摘してくれました。皆が内に向けて探し、自分の不足を見つけ出した後、私たちの心はまた一つになり、引き続き動き始め、文章を完成させました。
そして、シーツに注意深く迫害の事実を書き写し、同修の服に縫い付け、刑期を終えた同修が外に持ち出しました。その後、みんなで協力し、続けて数編の文章を完成させ、順調に外に持ち出しました。文章の完成度が高かったため、外にいる同修はほとんど校正する必要がなく、直接投稿することができました。しばらくして、私たちが書いた文章は相次いで明慧ネットで発表されました。
地元の人々に向けて迫害を暴露する
2003年に家に戻った後、地元の1組の同修夫婦が相次いで残酷な迫害を受けていることがわかりました。ここ数年、その夫婦にはほとんど会っていませんでしたが、実はその間、その夫婦は労働教養所で過ごしており、その夫婦が受けた迫害の残酷さは人々を激怒させました。
状況を知る同修に会って話を聞き、その中で同じ労働教養所にいたことのある男性同修を訪問し、話を聞いた後、明慧ネットから同修夫婦に関するすべての資料をダウンロードし、集めた情報を整理して、文章を書き始めましたが、情報量が多く、最初の編集では文章が長くなってしまったり、邪悪要素による妨害を明らかに感じたり、とても苦しかったのです。1週間続けて編集している間、過労や卒倒などを起こしましたが、同修はいまだに刑務所で迫害されているので、この迫害を暴露する文章を書くことを怠けるわけにはいかないと思い、最終的に文章を完成させ、同じ所にいたことのある男性同修に校正をお願いしました。
2005年、その男性同修は再び不当に連行され、不当に重い懲役刑を下されました。同修夫婦も再度労働教養所に拘禁されてしまいました。私は再び同修夫婦の資料を集め、文章の続編を書き始めました。迫害が終わらない限り、迫害を暴露することを止めるわけにはいきません。
文章を書いている途中で、一つの願望を持ちました。それは、この土地で行われた迫害の中でいくつかの重要な案件の真相を暴き、この迫害を人々に全面的に詳細を知ってほしい、ということです。
その中の一つは、1999年「7.20」に迫害が始まってから数日後の案件で、この土地の多くの大法弟子が市政府に陳情に行った場面でした。この出来事は、全市の人々に衝撃を与えました。この案件の真相を伝え、中国共産党の邪悪を暴露する責任は私にあると感じました。自分の考えを学法グループと協調人の同修に伝えると、みんな同意し、積極的に協力してくれました。同修たちは当時、市政府に陳情に行った時の場面を次々と書き起こしてくれました。当時陳情に行った多くの同修を訪ね、その同修たちの資料を集めて、私ともう1人の同修が文章を書き始めました。
文章を書いている途中で前書きが必要になり、大法の素晴らしさと慈悲深さ、迫害の中での大法弟子の平和を願う心と意思の強さを、人々に書き表したかったのですが、どのように書けば良いのか考えが浮かばず、心の中で師父にお願いしました。大法を実証しようとする願いがありさえすれば、師父は私に知恵を与えてくださるはずです。すると、まるで一気に考えが広がり、純粋になり、文章が筆先から泉のようにこんこんと湧き出て来て、清新で爽快な気持ちになりました。後になって、ある同修が私に「明慧ネットに載っている私たちの文章を見ましたが、あの前置きはとても素晴らしく、とても純粋に書かれていました」と言いました。私は嬉しくなり、これは師父が私に与えてくださった知恵であると心の中で理解していました。
その後、同修と引き続き協力し、師父が法を正す進展に従って、この土地での迫害を暴露する総合的な文章を引き続き発表しました。
この土地の労働教養所でかつて起こった事、人々に衝撃を与えた迫害による虐殺、多くの大法弟子が死に至り、多くの大法弟子が身体障害者になり、数百人が拷問を受けた事実。これらの邪悪な案件を再現し、その時の場面を書き表すために、当時の多くの同修に会い、皆で一緒に座って当時の場面を思い出してもらい、多くの詳しい資料を手に入れることができました。そして、この虐殺案件を中核として、労働教養所が作られてから迫害に至るまで、さらには将来に起こるであろう中国共産党の解体に一歩ずつ近づいて行く全面的な全過程を書き表したいと思いました。私は少しずつこの大量の資料を整理することに着手し始めました。
2006年、ちょうど資料の整理をしていた時、私は再び労働教養所で迫害を受けました。
刑務所の中で情報を集めるよう、師父は私に啓示してくださった
労働教養所の大法弟子に対する迫害は非常に邪悪で、大法弟子の精神と肉体は大きな障害を負い、多くの大法弟子が洗脳による迫害で気がおかしくなるように追い詰められ、多くの大法弟子が残酷な拷問(体を四方に引き伸ばすなど)を受けました。迫害の残酷さに直面し、労働教養所の罪悪を必ず暴露しなければならない、と思いました。
労働教養所ではほとんど毎日邪悪な迫害が行われ、当事者の立場から日記の形式でここでの迫害を詳細に暴露しようと思いました。しかし、ここでどうやって情報を集め、どのように記録すればいいのでしょうか? 願望がひとたび現れると、師父は一つの方法を私に啓示してくださいました。労働教養所の警官は毎日大法弟子に対して「講義」という洗脳で迫害するので、紙とペンを持つことが許されており、生活の中でも書籍を読むことに制限はありませんでした。
ある人は医療関係の本を読み、ある人はレシピの本を読んでいました。私は料理に興味があるようなふりをして、ノートを買って料理の仕方を記録し始めました。労働教養所で行われている大法弟子への迫害には、迫害を実行する者の氏名、職務、警官の番号などの情報を暗号化して、紙に記録しました。私が労働教養所に拘禁されてから、毎月迫害事件が起こっており、時間、場所、参与者などの情報を料理名の中に混ぜて記録し、同時に、以前労働教養所で起きた重大な迫害案件の情報も引き続き集め、一つ一つ一心に記憶しては、その情報をレシピの中に混ぜ込みました。
警官は何度か私のそばで料理の本を写しているのを眺め、私がどのように写しているのかを見ていましたが、そこに隠されている巧妙な手法を見抜くことはできませんでした。このようにして、私が労働教養所にいた1年の間に、2年分近くの迫害情報を直接集めて手に入れました。刑期満了になり、労働教養所を出る時に、迫害の事実を完全に記録した料理の本も労働教養所から持ち出しました。
労働教養所を出て迫害を暴露する
2008年、私は家に戻りました。生活を少し整えてから、レシピの中の暗号と頭の中にあった迫害情報の整理を始めましたが、同時に恐れる心も生まれてきて、「自分はこの文章を完成させ、投稿するだけの正念を持っているだろうか?」と思いました。人心が重かったせいで、いろいろ気をもみました。しかし、「いろいろなことは後で考えることにして、記憶がはっきりしているうちにまず整理して、それから考えよう」と思うことにし、1カ月近い時間をかけて、労働教養所のここ2年で起きた迫害の情報を詳しく書き出しました。さらに、1999年「7.20」以降に発表されたこの労働教養所に関するすべての迫害文章を明慧ネットで集め、それらも合わせて整理して、この労働教養所が行った迫害という犯罪行為の全面的な記録を作り上げました。
完成した文章を読んで感慨深く感じ、弟子が窮地に陥っていた時に加護し啓示してくださり、同時に心配してくださった師父に感謝しました。しかし、文章を発表した後で迫害されるかもしれないと心配する心が出てきました。詳細な月録と日記形式で暴露しているため、中国共産党は誰が書いたのかを調べるかもしれないと思いました。そのため、この文章を手にしたままぐずぐずとしていつまでも投稿しませんでした。
文章を投稿していない私はしばらく学法と煉功に励んでいましたが、ある日、「私たちはひどく迫害されたが、その迫害を受け入れるのか? いや! 私たちは迫害を制止し、迫害を否定し、衆生を救い済度しなければならない。師父は弟子に迫害を全面的に暴露させておられるが、それは私たちが中国共産党を包囲討伐し、迫害を取り除かなければならない、ということではないのか? どうして迫害を許すことができるのか? 私はすぐに旧勢力の按排から抜け出し、大法を実証し衆生を救い済度しなければならない。だれがこの迫害を行っているのかを、大法弟子は暴露しなければならず、迫害を否定し制止しなければならない」と悟りました。
師父の啓示とご加持の下、明慧ネットに投稿すると、すぐに発表されました。
私は頻繁に真相を伝える文章を書きました。そして2006年に自分が整理した、この土地の労働教養所で行われた大法弟子に対する迫害を何度も思い出しました。2010年、労働教養所での迫害文章の仕事を引き続きやり始めたのですが、情報が多く、妨害も多かったので、断続的に1年の時間をかけてやっと原稿が出来あがりました。しかし、労働教養所の迫害文章を仕上げるには何かが足りないと感じ、それ以上原稿を修正することができなくなってしまいました。
ここ数年、迫害を暴露する文章を書き続けてきましたが、平和な心と平和的な表現で一つの事実を陳述し、感情を文章の中に反映させないように自分に要求し、修煉して絶え間なく自分を正し、自分を純粋にしてきました。しかし、自分の問題がどこにあるのかわからず、納得できませんでした。ある日、家に帰る路上で突然、「迫害を暴露する文章を書くにあたって、常人が文章を読んだ後にどのように感じどのような反応を示し、衆生を救い済度するうえでどのような効果があるのか、ということを今まで考えたことがなかった。そして、文章のどこに難点があるのかということを今まで注意深く分析したことがなかった」と悟りました。
自分が書いた迫害を暴露する文章をじっくりと読み直してみると、全編に残酷な迫害の様子が書かれていましたが、正念をもって人々に伝えようとはしておらず、迫害は残酷で中国共産党は邪悪であると常人は読んだ後に感じるかもしれませんが、これらの迫害と自分は無関係であるかのように、自分は遠い場所から眺めているだけで、まったく無関心だったのです。この文章の中から常人は正念と信念の力を見いだせず、希望を見いだせなかったのです。
この事に気が付いてから、この数年来の迫害を暴露してきた文章の中に欠けているものがあったことに気が付きました。それは、大法の素晴らしさを重視して書き表していませんでした。そして、大法弟子の平和を思う心と、困難を我慢強く耐え忍ぶ姿が表わされていませんでした。また、正念と信念の力が表現されていませんでした。さらに、これらの迫害が人々と密接な関係があることを読者に知らせていませんでした。私は「欠けていたのは私の魂であり、この魂を入れてこそ初めてこの作品は生命を有し、本当に生きている文章になり、邪悪を本当に除去し、衆生を救い済度する能力を有する」ということに気が付きました。この事を悟り、私は労働教養所の迫害に関する文章を完成させ、充実を感じました。
文章を書く時、自分が文章を書いているという感覚はなくなり、悪を取り除き人を救う能力を持つ一つの生命を作っているという感覚を持つようになりました。まず素材があり、その後、輪郭を削りだし、出来上がりの形を絶え間なく考慮しながら、高度に練っていくのです。そして、作品に自分の魂が宿れば、これで本当に力を持つようになるのです。
同修と協力し 地元の大法弟子が受けた迫害の過程を全面的に書き表す
2012年、全国の多くの市と省の迫害案件の中に、この地区の十数年来の迫害事実を整理して取りまとめることになり、私は同修たちとこの土地の十数年来の迫害に関する情報を全面的にダウンロードし、とりまとめて分類し、このプロジェクトを完成させたいという願いが生まれました。しかし、どのような文章に仕上げればいいのかについて、私たちには形のある考えが全くありませんでした。他の市の文章はとてもよく書かれていましたが、同じように書いてしまうと、この土地の情況に合わなくなってしまう、という感覚を私たちは持っていました。いつまで経っても具体的な考えとアイデアが浮かばなかったので、このプロジェクトは中止になりました。
2014年、1人の同修が会いに来て、プロジェクトを一つやってほしい、と言いました。この土地の人々に向けて、大法がこの土地でどれだけ伝えられているか、この土地の大法弟子が15年来受けてきた迫害と、迫害の中で大法弟子がいかに我慢強く耐え忍んできたかを全面的に書き表し、人々を呼び覚ます良識のある文章を書いてほしい、ということでした。この同修の呼びかけをきっかけに、以前中止にしてしまったプロジェクトを思い出し、私の思考は再び動き始めました。
これは以前ずっとやりたかったのですが出来なかったことで、同修の呼びかけに全面的に協力しました。今回は以前と違い、私は資料を準備し、同修が執筆しました。習慣として、私は文章を書く時の自分の意図、構想、具体的に書き表すアイデアを持っており、いつも自分のやりたいことや自分の意見を採用するよう、同修に要求しました。
しかし、実際に文章を創作していく過程で、同修は自分の構想とアイデアを採用し、私が良いと思ったアイデアの多くを取り除いてしまったので、私は確かに辛く感じ、いくらか意気消沈しました。しかし、冷静になって同修が書いた文章を読んでみると、同修の作品はより純粋で、人々により受け入れられる内容でした。
私たちが文章を書くのは、人々に真相をわかってもらい、人々を救うためではないでしょうか? 自分の考えは重要ではなく、人々がどのように考えるか、難点はどこにあるのか、どのように書けば人々が受け入れるのか、このように考えることによって初めて受け入れられ、理解されるのであって、これこそが鍵なのです。自我を放下すると、目の前の道は開けます。執筆した同修に全力で協力した結果、すぐに満足のいく作品が1篇完成しました。
16年の法を実証する過程の中で、私は大部分を文章を書く時間に使い、創作過程において、いつも師父のご加護と啓示を感じ、いつも自分が小さな神筆であることを感じることができ、師父のお助けの下、法を護るための千万の生命を作り出し、空一面の曇りを取り除き、千万の衆生を救い済度してきました。
(明慧ネット第12回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)