明慧法会|「真・善・忍」が私を家へ帰る道へと導く
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文/北京の大法弟子 蓮心

 【明慧日本2016年3月7日】

 1.修煉を始める

 私は1998年に修煉を始めた大法弟子です。北方の生まれで、普通の家庭に育ちました。小学校の時、クラスメートが「善良であるためにはキリスト教を信じるべきだ」と言いましたが、中国共産党の無神論教育を頭に叩き込まれ、神佛を信じておらず、そのため私の人生の道はでこぼこで、いつも人生と運命について考えており、自分は運命に対して抗争しているのだ、と感じ、「人の運命は他の空間で定められているので、この3次元空間において運命を変えたいと思ってもそれは至難の業だ」、ということをかすかに感じており、これが私が最初に抱いた宿命観でした。

 神がいるかいないか、ということに関しては、見えないからといって「存在しない」とは必ずしも言い切れず、3次元空間の外に存在する物質であれば、人の目には見えないわけですから、「見えないから存在しない」とは言えないのです。自然に対して人類はこんなにもちっぽけで、人類の浅はかな知恵を持って宇宙と生命を考えても多くの限界があると考えた時、広大な宇宙への比類ない畏敬を抱くと同時に、中国共産党が私の頭に叩き込んだものを疑い始め、人生について考え始めました。大学を卒業して2年で順調に大学院生になり、とても喜び、幸福感のようなものを味わいましたが、この幸福感は長くは続かず、新たな悩みが生まれて来たのでした。俗世間に流され、世俗の中で勝利や栄誉を勝ち取ろうとする欲望の追求には果てがなく、「なぜ俗世間にやって来て、人はなぜ生きているのか? どのように生きていくべきなのか?」ということを考え始めました。

 私が勉強していた街は古い街で、文化的基盤が厚く、古い寺院が街のあちこちにあり、ひまな時は寺院に行ったり公園に行ったり、また同様に寺院に行って絵を描いたりしましたが、寺院の本堂に「于一毫端现宝三刹,坐微尘中转大法轮(筆の先に佛が現れ 微塵の中に座り大法輪を回す)」という道教の言葉が書かれた掛軸が掛けてあり、横額には「觉悟群生(万民を悟らせる)」と書かれていました。街の中の多くの古い寺院には「法轮常转(法輪は絶えず回転している)」という横額がきちんと掛けられており、後に、師父の法を拝見してから「法輪は最も貴重なものであり、千金でもって替え難いものです」[1]ということがわかりました。

 大学院生として勉強していた間、他の気功を学び、体内に受けるエネルギーの存在を本当に感じましたが、この功法は常人の複雑で忙しい環境の中で修煉するには向いていない、と感じて諦めました。

 大学院を卒業した年、中国社会は足を引きずるような市場経済を経験した後、奇形な発展を遂げ、腐敗、接待、贈り物やコネなどが社会の常態となり、清浄であるはずの大学までも侵食し始め、私が卒業する時に学長は「あなたは1枚の白い紙ですが、汚れた誰かが『あなたは汚れているから私たちのものを学びなさい、灰色になってしまうと、汚れていることさえ見えなくなってしまうものです』と言うかもしれません」という言葉を私に贈りました。「白い紙よりも灰色の紙をきれいにした方が良いというのか」と、私は困惑し、「本当の良い人とは何か」「それを量る基準はあるのか」ということを考え始めました。

 大学院を卒業する前に、とてもよさそうに思える仕事を見つけました。それは政府が設立した不動産会社で、それは無資本で万里を得られるような仕事で、毎日の仕事は気楽で、簡単で、待遇も良かったのですが、社会の中の良くない気風にあおられるかのように、同僚はお互いに嫉妬し、陰に陽にしのぎを削るようなことが常に発生し、この大きな社会環境の中で、困惑や抗争を経験し、なすすべもなく流されていき、だんだんと新たな発展を志す意思がなくなっていき、人生について考える気がしなくなり、当時の生活状態と私の内面にあった気高い考え方は互いに抵触し合っていたように感じました。

 1998年、母が友人から『轉法輪』という本をもらいましたが、母は目が悪かったため、毎晩ベッドに横になって私の父に読んでもらい、両親は1週間かけてこの本を読み終えたのですが、読み終えた後は、その辺に置きっぱなしにしてありました。なにげなくその本を読んでみると、午後だけで全部読み終わり、本の中には私の人生におけるすべての戸惑いに回答が与えられており、「人が生きる本当の目的は返本帰真である」ことがわかり、さらに、宗教では「苦を舐めることは良いことである」といわれていますが、私はそれに対しても戸惑いを持っていましたが、本の中ではそのことに対しても回答があり、「苦を舐めることによって輪廻転生の中で残した業を消滅することができる」ことがわかりました。

 私は小さい時から体が弱くて病気にかかりやすく、毎年冬になると咳と熱が出て、さらに鼻炎を患い、いたるところの医者を尋ね診てもらいましたが、病を徹底的に治すことはできませんでした。今回、『轉法輪』という本を読んだ後しばらくして、また咳が出始め、さらに毎晩12時過ぎの熟睡したころに咳が出始め、毎晩咳で起きてしまい、息も絶えんばかりでしたが、本の中に「苦しみを舐めることは良いことだ」と書かれてあったのを思い出し、薬を飲みませんでした! そして猛烈な咳が4~5日続いた後、鼻腔から喉までがとてもさわやかになり、それ以後、咳も鼻炎もすっかり消えてしまい、薬を飲む必要がなくなりました。

 階下の広場で法輪功を学んでいる人がいると、母が教えてくれ、私に朝寝坊させてくれず、煉功に行きましたが、その時になって初めて法輪功には5式の功法があることを知りました。初日は行くのが遅くて煉功できませんでしたが、煉功場は和やかで気持ちが落ち着き、輔導員と話していると全身が軽く感じ、頭がすっきりして気持ちが爽やかになりました。次の日は早めに煉功場へ行って5式の功法を学び始め、第2式の抱輪をしていた時、非常に大きなエネルギーが人中で激しく飛び跳ねているのをはっきりと感じました。本を読んだ後、師父はすでに私に関わりを持たれ、私の体を清めてくださり、さらに以前修煉したよい部分はそのままにして、大法の中で正され強化されたことを悟り、この功法では功が伸びるのがきわめて速く、並大抵の功法ではないと感じ、私はついに人生の何たるかを探し出し、求めていた宇宙の真理を探し当てました。それがつまり「真・善・忍」だったのです。

 私の二十数年の経験と悩み、およびそれに伴う抗争と反省、および人生と生命に対する体得は一つの導きであり、私が修煉を始めるための下地であり、私の生命は法のために作られ、法のために濁世にやって来て、大法に従い、大法に同化して返本帰真することが定められていたのです。

 2.新しい環境の中で修煉する

 大学院を卒業後、人がうらやむ不動産の仕事をやめ、北京に行って教師になったのですが、その学校の給料は低く、誰も教師になろうとしませんでした。教師とは清貧で奉仕の仕事であると多くの人が思っていましたが、私は自分の選択に後悔することはありませんでした。大法は「良い人になり、無私無我で、他人を先に考え自分を後にする良い人になり、物質的な金銭財物は生まれるときに持って来ることはできないし、死ぬときに持って行くこともできず、さらに品格や人徳の高さは金銭に変えることはできない」ということを教えてくださいました。私が所属していた共同研究室には3人の教師がおり、骨が折れる指導任務を抱えているので、みんな楽な仕事を選んで行い、毎学期、学院では遠い郊外の県にある分校まで行って授業を行う仕事があり、朝7時に校門からバスに乗り、午前中いっぱい、4クラス連続の授業があり、この仕事を誰もやりたがらなかったのですが、私は積極的に受け持ちました。私はいつも仕事にまじめに取り組み、骨身を惜しまず、不平を気にしませんでしたが、利益において争ったことはなく、むしろ利益を他人に譲るほうで、どこにおいても大法弟子としての基準で自分に要求しました。この学校に来て2年目に、学校が住宅を割り当てた時、学校が割り当てた住宅を安い価格で買う資格を私は持っていましたが、住む家で困っている他の教師に、私の方から家を譲り渡すことを提案しました。

 「新しい環境に入って間もない時は、なじめないことが数多くある」と、多くの人が言います。しかし、修煉者にとってはこのようなことはなく、北京の同修は同じ青空の下におり、同修は大法の一部ですから、会えば親切にしてくれますので、はじめて会った同修でも見知らぬ間柄という感覚はまったくなく、朝5時か6時に起きて、職場をぐるっと一回りすれば、聞きなれた煉功音楽が聞こえて来て、法輪功の穏やかな煉功風景を目にすることができました。その頃の北京には、基本的にどの職場でもどの公園でも法輪功の煉功点があり、大法がもたらす福は天空と全世界の至る所に広がり、それは大法弟子として本当に比類ない幸福と誇りでした。

 3.迫害が始まり、大法を実証する

 しかし、考えも及ばなかったことに、こんなにもすばらしい功法に対して、1999年7月に江沢民と中国共産党は彼ら自身の利益のために迫害を開始し、テレビや新聞は猛吹雪が天地を覆い隠すようかのように師父と法輪功に対する事実無根の報道や誹謗中傷で埋め尽くされ、私の心は大変悲しくなりました。慈悲深い師父と人を救い間違いを正す宇宙大法が偽りの宣伝を受け、大法を通じて恩恵を受けた大法弟子として、どうして師父と大法のために公正な話をしないでおられるでしょうか? 「政府に状況を説明し、真相を伝えなければならない」と、私と周りにいた多くの同修は悟りました。そこで、私たちは約束をして一緒に陳情所へ行き国家と政府に向けて真相をはっきりと伝えようとしましたが、まさか陳情所が警察署に変わっていたとは思わず、警察署で陳情するたびに捕まり、私は学校の公安課に何度も連れもどされました。

 このような黒雲が垂れ込めた環境下でも、自分の信仰と選択を疑ったことは一度もありませんでしたが、どうしてよいかわからない状態が続き、陳情に行く以外に、大法を実証するためのもっと良い方法を考え出さなければと思い、文章を書き始め、大法の素晴らしさ、自分と同修たちが受けた恩恵、迫害に対する無理解などについて全身全霊を込めて文章を書き、「借縁」の第1面に掲載されました。

 4.自我を捨て天安門広場で法を実証する

 法輪功が不当に抑圧された後、正しいルートを通じて陳情すると捕まってしまうので、人々に真相を伝えるルートが全くなくなってしまいました。そこで大法弟子はみんな天安門へ行き、人々に向かって自分たちの願いを表明しました。

 2000年の初め、私は1人で天安門広場へ行き、法を実証するための心の準備を整えましたが、どのように実証したらいいのかと悩みました。横断幕もなければチラシもなく、ただあるのは大法のために真実を伝えたいという心だけでした。この時、観光客の写真を撮る商売をしている人が私が戸惑っているのを見て、私のために写真を撮ろうとしたので、私は「いいですよ! 私が体を動かしたら写真を撮ってください」と言い、厳粛な気持ちで両手をぐっと伸ばし、法輪功の第3式功法である貫通両極法の煉功を始めました。写真を撮っていた人はぼんやりと私を見ていましたが、突然「あなたは法輪功を学んでいるのか」と大声で叫び、警官を呼んだので、私は広場のパトカーに捕まりましたが、若い警官たちは私の嬉しそうな様子を見て、私にパトカーの中で座禅させました。私は「あなたたちは私の師父ではないのに、どうしてあなたたちの言うことを聞くかといえば、座禅しなければ後で後悔するからで、広場で座禅することも法を実証することだと悟ったからです」と言いました。

 パトカーは広場を一回りすると、広場の東側にある天安門警察署の大きい檻の中に私を不当に拘禁しました。そこには不当に捕まった多くの大法弟子がおり、さらに聾唖の浮浪児もおり、その子供は大人用の大きなセーターを着ていました。か細い肩ではその服をちゃんと着ることができず、片方の肩が露出していて、袈裟をかけているような感じでした。その子供は私たちに笑いかけ、こちらの同修を見たかと思うと、あちらの同修を見て、ある同修の前に厳粛に跪き、頭を地面に付けて礼をし、今度は私の前で頭を地面に付けて礼をしたので、私はその子供を抱き起こし、祝福し、そして、同修が捕まり不当に審問された時はいつも、その子供は扉の鉄柵によじ登り、警官に対して口をゆがめて歯をむき出しました。その日、私は非常に心静かで、煉功を始めたその瞬間、恐れる心は一瞬にして消え、心の中は平和で気高く、「私たちは表面的には大法の真相を伝えるために天安門へ行ったように見えますが、実際、法を実証する時は毎回、自分のために行っていたのだ」ということを本当に悟りました。

 2000年の6月中旬、家で夕食を作っていた時、同修が電話をしてきて、一緒に天安門広場へ行って煉功することを提案してきました。その時、私は心の準備が全くできていなかったのですが、大法の一粒子として、法を実証することは自分が当然負うべき責任であり他人に押しつけるわけにはいかないと思いました。家を出る時、服を着替えるつもりはなく、というのは不当に捕まることを心配したからですが、ある一念が一瞬閃き、私の最も良い一面を世の人々に見せなければならないと思い、きれいな服に着替え、法輪バッジを厳粛に胸の前に着け、同修とバスに乗って再び天安門広場へ着くと、煉功して誓願し、法輪大法が素晴らしいことを人々に伝えました。私たちがちょうど第5式の功法の大手印の動作を終えた時、パトカーがやってきて、2人の警官が私たちの腕をつかんでパトカーまで引っ張って行き、天安門警察署に不当に拘禁しました。そこでは、4人の人がまだ立ったままでいるのをみました。その中の1人は海南省から飛行機で北京の天安門に来て法を実証した女性の同修で、床には奪われた横断幕が置かれており、横断幕には「法轮大法好(法輪大法は素晴らしい)」や「真、善、忍好(真・善・忍は素晴らしい)」と書かれていました。警官は私1人だけを別の部屋に呼んで審問しましたが、家族や職場に迷惑がかかるかもしれないと思い、ずっと氏名を言わずにいましたが、警官は私の名前を呼び、これは後で知った事ですが、私がいないのを見て夫は私が天安門広場に行ったと予想し、天安門広場で当直していた夫の知り合いの警官に電話したのでした。その日の当直だった警官は私と海南省から来た同修をその場で釈放し、出て行く時、その警官に法輪バッジが警官隊に奪われたことを話すと、その警官はデスクの前に私を連れて行き、ガラッと音を立てて引出しをあけると、中に法輪バッジがたくさんあり、私はその中から私のものだと思われる1枚をしっかりと握りしめ、師父のご加護に感謝しました。その日の晩、海南省から来た同修は私の家に1泊し、次の日、帰途につきました。

 その時に天安門広場で捕まった後でも、私は再び天安門広場へ行くと、イベコ社製の車(大法弟子とその他陳情しに来た人を捕まえるためのパトカー)が天安門広場をぐるっと囲んでおり、「私は大法を実証しなければなりませんが、決してパトカーに乗りません。なぜならパトカーは悪人を捕まえるためのもので、私たちは『真・善・忍』を修煉する良い人間だからです」と思いました。その後、何度も天安門広場へ法を実証しに行き、第4式の法輪周天法という功法を除く法輪功の5式の功法を天安門広場で煉功した後、無事に家に帰りました。

 5.迫害が激しくなり不当に労働教養を科される

 2001年冬、江沢民集団は驚いたことに北京の天安門広場で偽の「焼身自殺」事件を作り出し、うそを法輪功になすりつけ、うその罪状をでっち上げて法輪功に対して最大規模の攻撃を引き起こし、全国民一人一人に対して、態度を明らかにし法輪功の罪状を摘発して批判するよう要求しました。このように徳の高い大法がいいように濡れ衣を着せられ、善良な中国人が何も知らずにばかにされ騙されているのを見て、真相を知らない国民にはっきりと真相を伝えることは非常に切迫したことだということを、私と同修たちは悟りました。

 その時、団地でチラシを配ったり横断幕を掛けたりする以外に、真相を書いた文章を分類し、録音してディスクに収め、「大法を伝える」「私たちの心の言葉」「誰のせい」などのファイルに分けて配りました。その時は何人かの修煉者が互いに協力し、ある人は印刷し、ある人は貼りに行き、ある人は明慧ネットに載せ、「江沢民が国家と人民に災いをもたらした」という文章を中南海へ行って暴露した人さえおり、中国共産党を震え上がらせました。あの頃の大法弟子が全体で協力して法を実証した輝かしい歳月は、本当に天地を感動させ、鬼神をも泣かせましたが、しかしまた、あのように筋が通ればおのずと良い文章が書けるのと同じように、平凡且つ平常心を持って自然体で行えたのは、大法の一粒子として、大法と衆生が迫害を受けた時に他の選択肢が全くなく、あのように行わなけばならなかったからでした。

 しばらくして、北京市は洗脳班を創設し、私は何度も洗脳班で迫害され、残酷で非人道的な精神的拷問を受け、大声でどなり散らされ、体罰を受ける中で強制的に洗脳され、それでも修煉を放棄しなかったために不当に労働教養処分を受け、労働教養処分を受けていた期間、新しく捕まえられて入って来た法輪功修煉者に私は同情し、そのことが労働教養所の奴隷労働と洗脳を守らず、労働と洗脳によって自分を変えることに対して消極的だ、という理由で何度も拷問を受け、迫害されました。労働教養所の警官は私の家族を何度も脅したり誘惑したりして家族のきずなを利用して私に信仰を放棄させようと脅しました。それは直接、私の家庭を破滅に導き、私の家庭に癒合しがたい精神的な傷跡をもたらしました。

 労働教養所の圧力の下、私は無駄な時間を過ごすことになり、2年近くの間修煉を放棄してしまい、出所後、記憶力が劣ってしまい、電話番号を一つも覚えておらず、もう二度と修煉はできないと思いました。同修たちは私に会いに来て、修煉に戻って来るよう励ましました。私が厳正声明を書いたその晩、夢うつつの状態にあった時、2匹の龍が水を吐いて非常に不毛だった世界を灌漑するのを見ました。不毛だった土地には苗が育ち、しばらくすると2メートルもの高さに育ち、目が覚めた後私は涙がとめどもなく流れました。その不毛だった土地は旧勢力によって壊された私の世界でしたが、慈悲深い師父は私をお見捨てにならなかったのだ、ということを知りました。

 改めて修煉を始めた後、私の記憶はすぐに回復し、改めて家庭を作り直し、夫もまた修煉者でした。私は最も困難だった時間を昂然と乗り切った後、隣人は私に「あなたはまだ(法輪功を)修煉するのですか?」と聞きました。私は「もちろん修煉します」と言い、「私たちの家庭のことはあなたが最もよく御存じだと思いますが、私が最も困難だった時、みんなは私をけむたがり、誰も助けてくれませんでしたが、もし私に信仰がなければ、私の精神はすぐに壊れてしまったでしょう。師父は私の唯一の頼りであり、最も頼りになる大きな山なのです」と隣人に伝えました。師父は私たちを地獄からすくいあげて、大法弟子という偉大な称号と無上の光栄を私たちにお与えくださったことを思い出すたびに、私はいつも涙を流し、広大な佛恩について考えました。生を受けて大法を広めている時、大法の中で修煉している時、いつでもどこでも大法から来る広大な佛恩を感じ取ることができました。

 6.発正念の威力

 修煉の中で正念の威力を痛切に体験したのは次のようなことでした。私たちの家の階下には小学校があり、それはまた党学校(訳注:中国共産党が各級幹部を育成・訓練する学校)の所在地でもあるので、毎週月曜日と祝日に、学校は積極的に国旗の掲揚式を行いました。その前日、つまり日曜日の夜になると私はいつも頭が痛くなり、夫は帰宅するといつも眠くてたまらなくなり、いつも小さな事で夫と言い争いになりました。自分の不足を探すことを通じて、自分を正し清める以外に、他の空間にある党文化の「斗(闘争)、间(不意打ち)」などの邪悪要素が私たちを挑発し隔てようとしていたのを知っていたので、私たちは邪悪要素に動かされてはならないと、夫と言い争いになった後は毎回、発正念の時に一念を加え、小学校の空間場の範囲内にある中国共産党の黒い手と邪霊を片付けました。

 ある時、中国共産党が用意した音響設備とスピーカーが壊れ、国旗の掲揚式の時に中国共産党の国歌が流せなくなり、学生たちは嘆きいらいらし始めました。ある時、小学校の校門のところまで歩いて行った時、小学生を連れたおばあさんが「見て! 学校の国旗がまた倒れてるよ」と言っているのが聞こえてきました。私たちの団地では、5月1日の「メーデー」と10月1日の「建国記念日」にはいつも中国共産党の党旗を掲げるのですが、発正念によって、私たちの家の階下の党旗はいつも丸まって1本の棒のようになってしまい、何日も経たないうちに頭の方から倒れ、ぶら下がってしまいました。先日、小学校が「大音量」で国旗掲揚の歌を流し、さらに少年先鋒隊の歌も流し始めました。学生たちも二つの歌を一緒に歌わされていたのですが、私が心を静めて自分自身に原因を探したところ、発正念の時に闘争心があったことがわかり、すぐに自分を正し、純粋な善な気持ちで正念を発すると、それ以後、小学校は大音量のスピーカーで国旗掲揚の歌を流さなくなり、それに取って代わり、全校の先生と生徒が本を暗唱する朗々とした声が聞こえてくるようになりました。暗唱していたのは伝統文化読本の「三字経(訳注:幼い児童に文字を覚えさせるために用いた本)」でした。

 7.真相を伝え人々を救い史前の誓約を実行する

 私が大法の修煉をしていることを大学時代のクラスメイトが聞いた後、ある人は不思議そうにし、ある人は驚き、そして私が不当に労働教養処分を受けた後、私に同情したクラスメイトが積極的に私に会って真相を聞きました。

 『共産党についての九つの論評』が発表された直後、1人のクラスメイトが家族を連れて私に会いに来たので、その時、真相を伝え三退を勧めましたが、同意はしたものの心配している様子で、結局、三退しませんでした。一度実家に戻って、そのクラスメイトのためにここ2年の神韻DVDと真相パンフレットとお守りを持って行くと、とても喜びぜんぶ欲しがったのですが、三退を勧めるとクラスメイトはいつも避けようとしました。理由はクラスメイトのために用意した仮名に満足できないというもので、クラスメイトはその土地の工商行政管理局の局長をしており、出身が幹部の家庭だったので、心配していたのでした。真相資料を読めば考えが変わるだろうと思い、それまで待とうと思い、私が北京に帰った後もクラスメイトはしょっちゅう私にショートメールを送って来て、北京の打虎(訳注:習近平が打ち出した政策。中国政府内部の汚職幹部らを撲滅するという意味)の動きを知りたがっていましたが、私はクラスメートに「良い名前が見つかりましたか?」と聞きました。クラスメイトは「まだです」と言ったので、クラスメイトのためにいくつか縁起の良い名前をショートメールで送ったのですが、クラスメイトはやはり不満そうだったので、「水に落ちて、早く岸にたどり着きたいのですが、この船は美しくなく、あの船にも乗りたくないので、あれこれ考えているうちに船は行ってしまい、最後にはチャンスを失ってしまいました。君子はいつも身を慎んで危険なことはおかさない、とは言われますが、今のように災害がこんなにも多く、明日がどうなるか知りようもないのであれば、より賢明であるべきでしょう!」とショートメールを送りました。すると「わかりました」と返事が返ってきました。私はすぐに返信し、「では、こうしましょう」とショートメールを送ると、クラスメイトは「いいですよ」と返事してきたので、「曉得」という仮名をクラスメイトに与えて党、共青団、少年先鋒隊を脱退してもらいました。

 あるクラスメイトは地方で商売をやっていて、真相を伝えたことがあり、クラスメイトは家族全員三退しました。おととしの夏、またそのクラスメイトの家に行き、神韻DVDなどの資料と大法の音楽のCDを持って行きました。車で出かけた時にクラスメイトの家族に大法の音楽を聞かせ、「普度」まで聞いた時、この音楽はとても素晴らしい、とクラスメイトのご主人が言い、クラスメイトと旦那さんが座禅しているととても心地よく感じ、クラスメイトはいつも私が羨ましいと言っており、私の運命がとても良いと言っている、ということをご主人は話しました。そこで私は「人間の身体は得難く、東方には生まれがたく、佛法は求めがたい、と言われますが、人間の身体は得難くても私は今それをすでに得ており、東方に生まれがたくても私はすでに東方に生まれており、佛法を求めがたくても、私はすでに大法を知り、大法の中で修煉しており、人はよく『朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり』と言いますが、それならば私が不幸であるはずがありませんよね」と話しました。絶対に仕事だけに追われて疲れ切ってはならず、必ず時間を作って私が持って来た真相資料を見てくださいと私はクラスメイトに伝えました。幾日かしてクラスメイトからの手紙を受け取り、クラスメイトの夫は私が持って行ったDVDを見て、非常に素晴らしい、私に感謝すると言っている、ということでした。

 私の職場にいる同修の弟は党員で、兄はどんなに三退を勧めても党を脱退しませんでした。ある時、道で会った時、同修の兄は仕事を探しているが仕事が見つからなくて悩んでいることが私にはわかり、同修の兄は「おかしいと思いませんか、私たちの班の党員はどうしてみんな仕事が見つからないんでしょうか?」と言いました。私は同修の兄に「おかしくなんかありません、多くの人が入党しましたが共産主義の信仰を持っていたからではなく、単に官僚になり財を成す目的で入党しただけで、私の大学時代のクラスメイトは卒業後、地元の固定資産局に入りましたが、局内の人はみんな官吏になって発展することを望んで入党しましたが、クラスメイトは入党せず、結果、局内で副局長に昇進したのですが、その時の条件は、大学卒業といかなる党派にも加入していない事でした。結局、クラスメイトだけがその条件を満たし、若くして副局長になりましたが、何年もしないうちにクラスメイトは入党し、入党してから数日で胆のうを切ることになりました。クラスメイトが言うには、接待で飲み食いをし過ぎて胆のうを悪くした、ということでしたが、見識のある人ならわかるのですが、原因はクラスメイトが入党した事でした。共産党ができてから、中華民族の5千年の神伝文化を破壊し、8千万の同朋を迫害死させ、大法と大法弟子を迫害し、法輪功修煉者の臓器を生きたまま摘出して金にしており、そのため、天は中国共産党を滅ぼしますが、これは天意なのです。党、共青団、少年先鋒隊を脱退することでしか命を保つことは出来ず、平安を保つことができてはじめて素晴らしい前途があるのです。そうでなければ中国共産党と一緒に淘汰されてしまい、さらに、今は多くの私営企業と外資系企業はどこも入党した従業員を必要としておらず、党員がいなければ職場はとても静かですが、3人の党員が来れば、支部を作って1日中会議をし、資料を作って大事に保管し、仕事を怠けるだけでなく人の思想を管理しようとしますが、これでは誰も党員を必要としないことがわかると思いますが、私の夫の職場ではこのようなことから党員を1人も受け入れず、もちろん表面的にはこのようなことははっきりとは言いませんが、つまり天意に従って行えば、すべてが順調に進み、前途は輝かしくなるのです。逆に天意に逆らえば数々の障害が待ち受けることになります。人としての正しい選択は人の一生にとってとても重要なことなのです」と伝えました。私はさらに「縁起のいい名前を付けますから、党、共青団、少年先鋒隊を脱退しましょう!」と言いました。すると、クラスメイトの兄は快く承諾してくれました。

 三退を勧める中で、ある時は順調で、ある時はうまくゆかないのですが、学法をしっかり行いさえすれば、真相を伝える時に法の中から知恵が続々と現れ、真相を伝える効果は良いのですが、修煉状態が良くない時は容易に常人に心を動かされ、話がぶれてしまい、法の威力が欠乏し、真相を伝える効果は抑えられてしまうのです。さらに同修の協力はとても重要で、積極的に法輪功の真相を理解しようとしたクラスメイトや友人は、親戚や友人、あるいは職場の同僚に煉功する人がいた人たちだったのです。この事に私はとても感慨を覚え、これは師父のすばらしい按排であり、一面識もない同修が以前、私が順調に真相をしっかり伝え三退を勧められるように一生懸命にしっかりと下地を作ってくれたのです。大法弟子は一つの全体であり、みんなでしっかりと協力すれば、法を実証する効果は自ずとよくなるのです。

 現在、私の家には学法グループができ、小さな花を咲かせました。法を実証する道は歩めば歩むほど広くなり、ある時は恐れる心があり、ある時はやはり怠けてしまうこともありましたが、私が返本帰真して家に帰る道を歩む足取りが動揺することはありませんでした。十数年の修煉の過程は困難で紆余曲折の日々が多く、苦労を舐め、順調にいかず思い通りにならない事もありましたが、向上に伴う一歩は師父のご慈悲がなければありえず、悟ることに心を集中し、「誰か言う寸草の心 三春の暉に報い得んと(訳注:一寸草のように、子供がわずかばかりの孝心を持ったからといって、親の恩に報いるなどとだれがいえようか。親の子供に対する愛というものは、3月の暖かい陽光が草木を育てるように広大無辺なのである)」、私は必ず瞬く間に過ぎ去ってしまうこの機縁と時間を大切にし、多く学法し、多く人々を救い、三つのことをしっかり行い、師父の慈悲深い済度を無にしません。次元に限りがありますので、不足の所があれば、同修の皆さんの慈悲深いご指摘をお願いします。合掌!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『法輪功』

 (明慧ネット第12回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/11/7/318476.html )
 
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