【明慧日本2016年3月20日】昨年7月2日に江沢民への告訴状を出してから、11月初旬までの4カ月間、私は法を書き写しました。合計100万字近く書き、カーボンペンを約100本使い、16Kの紙を約1000枚使いました(訳注:16kサイズは193mm×270mm、A4サイズは210mm×197mm)。『轉法輪』を書き写すだけで300枚の紙を使い、毎日平均1万字の法を書き写しました。もし、大法と師父への確固たる信念がなければ、私の様な50歳も過ぎている田舎の主婦にとってはとうていやり遂げることはできないと思います。
昼間、家の商売を手伝い親と子供の世話をし、また法輪功の真相を伝え、人々を救い済度しなければならないため、いつも法は夜書き写していました。この4カ月間1日もベットでぐっすり眠ることはなく、書くことに疲れると、ソファーに座って少し仮眠し、起きると引き続き法を書き写して、平均4時間の睡眠を毎日続けていました。このように座ったまま眠っても、体の不調はなく、昼間は通常通り仕事と家事をこなしていました。法輪功迫害の真相を知っている常人の親戚は、若者ですがこのことを聞いて、「自分なら4カ月どころか、1カ月も続けられません。大法修煉者は本当に不思議ですね! 敬服します! 本当に敬服します!」 と感嘆の声を上げました。
法を書き写している時に、大法の本の文字が透き通った金色の文字に変わったりします。これは師父が励ましてくださったと悟り、いっそう頑張って書き続けました。時に疲れた時に、軽く目を閉じ、心の中で「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と念じると、天目で他の空間が見え、飛天の仙女と綺麗な雲が私を囲んで回り、書き写し用のノートも光を放ち、とても玄妙です。大法の本の一文字一文字の背後に仏道神が何層も重なります。書いた字の大きさ、上手か下手に関わらず、法であれば皆功を持っており、眩しい光を放っています。
時にはたくさんの小さい金色の点がノートの上にあちこち動いているのが見えます。書きながら発正念でこれらの黒い手と卑しい鬼及び悪い霊や虫などを消滅すると、すぐに消えてしまいました。7月、8月は最も暑い季節で、夜書いている時に蚊や虫に刺され、特に太腿とふくらはぎは数えきれないほど刺されましたが、私は追い払ったり、殺したりせず、刺されるがままに耐えながら書いていました。そのうちそのいまいましさが気にならなくなり、心の中で「これぐらいのことは平気だ、法を書き写すことはとても厳粛なことで、無数の仏道神に見つめられている中で、たった一匹の蚊のために集中力を途切れさせることはできない」と自分に言い聞かせているうちに、正念が強くなってきました。
法を書き写すことにより、心性の向上も早くなってきました。例えば、我が家は道路に面しており、一部の人は無断で我が家の門の前に車を止めているため、毎回車で出かける時に道をを塞がれました。急用で出かけなければならない時も、それらの車に阻まれました。車の運転手さんも見つからず、心の中で焦てイライラしていましたが、その後、法を書き写しているうち、修煉者の周りに起きたことは偶然なことなどなく、もしかしたらその人たちは縁のある人で、法輪功の真相を知りたいので来たかのかも知れません。あるいは、修煉者の出すエネルギー場が気に入ったので、車をここに停めたのかも知れません。断りもなく勝手に人の家の前に車を停めるというようなマナーを無視する行為、それは党文化の影響を受けたからではありませんか? このように相手の立場を考えると、これらのことに対して広い心で受け入れることができました。不思議なことに、自分の観念を変えると、家の前に無断駐車がなくなりました。心性が向上すれば、全てのことが解決できると悟りました。
私は若い頃貧血症だったため、ナツメは貧血に良いと言われているので、親戚が家に来た時はよくナツメを買ってきてくれます。修煉してから貧血症は治りましたが、心の中にまだナツメに対する執着が根強く残り、夢の中でナツメの木々、あるいはりんごのような大きく真っ赤なナツメが枝についている光景をよくみました。ある日、法を書き写しながら「これが終わったら、すぐナツメを買いに行こう」と思い、家を出る時、家の門の前に1袋の手紙付きのナツメが置かれているのを見て驚きました。ある活動の景品だそうです。その時私は、はっと「これはナツメに対する執着を取り除くよう師父がご教示して下さっていて、もうナツメを食べてはいけない」と悟りました。大法の功の中に全てのものが含まれています。その日、第三式の功法を行うとき、良い物質がどんどん体に注ぎ込まれているのを感じ、煉功を終えてから鏡を見ると、肌がつやつやして赤みが差し、両手も潤って赤みが差していました。これはナツメに対する執着を取り除くことができたから、師父が励まして下さったと分かりました。
師父の新しい経文「二〇一五年米国西部法会での説法」を書き写し、師父が弟子に古い「論語」を燃やすことを許すというところまで書いたときに、修煉者は必ず様々ないわゆる科学の観念を根こそぎ取り除かなければならないと悟りました。例えば、ある食べ物は特定な病気に効果があるまたは害があるとこだわったり、病業が現れている時に薬を飲んだり、食事療法を試したり、あるいは病院で注射を受けたりする時、これも科学に対する迷信です。また、現代社会で便利で良い暮らしをして幸せを感じるときに、これも実は科学に対する迷信です。
また思いかけないことがありました。ある日鏡を見るときに、顔のシワが消え、髪の毛も黒くつやがあり、顔全体が明るく穏やかな自分が映り、以前よりずっと若くみえました。この変化を見て非常に驚きました。
法を書き写したときに、不思議なことがたくさん起きましたが、文章の長さの関係上限りがあり、全て書き綴ることはできません。もともと劣等感があり、自信がなかったのですが、法をたくさん書き写していくに連れ、書けば書くほど自信が付き、大法の不思議さを感じ、心性の向上もますます早くなり、師父と大法に対する信念もますます強くなりました。まさに「柳暗 花明 又 一村」【1】です。(訳注:直訳では柳がほの暗くある中に花が明るく咲き、また一つの村が現れるという意味です。現在では眼前に新たな世界が開けることによく使われることわざです)
注:
[1]李洪志師父の著作:『轉法輪』