明慧法会|大法を守ることを自分の務めとみなすべき
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2016年4月23日】

 一、道に迷ったと悟って引き返す

 私は1996年から法輪大法を修煉しています。もともと佛教を信じていたのですが、『轉法輪』を一度読んだ後、大法こそ今生での唯一の信仰である、と考えました。

 しかし当時、信じはしましたが修煉はせず、1年かかっても2回目の『轉法輪』を読み終えることは出来ませんでした。なぜなら頭の中は常人の執着でいっぱいだったのです。1999年、中国共産党が大法への迫害を始めましたが、中国共産党の宣伝がみな嘘だと知っていたので、大法に対する正しい信念にはまったく影響しませんでした。

 2006年、魚介類を食べてアレルギーを起こし、顔から足まで赤く腫れ上がり、かゆくてたまらず、薬を飲んでも効かず、どうしようもなくて再び大法の修煉を始めました。煉功するとすぐに腫れは引きました。しかしそれでも相変わらず精進せず、着実に修煉しようとせず、同修との交流もなく、『各地での説法』は基本的に読まず、『轉法輪』でさえ1年間に数回読むのがやっとでした。法理がはっきりとわからなかったので、同修が伝える真相も理解できませんでした。

 2007年、職場が変わり、幸運にも同じ事務所の同修と知り合になりました。同修は馬三家労働教養所で不当に3年間の労働教養を科された後、家に戻ってからしばらく経たないうちに、職場に復帰してきました。「どうして職場に戻って来たのですか?」と聞くと、「ここには救わなければならない人がいるからです」と答えました。同修は毎日仕事中(職場ではいつも何もすることがない)に大法の書籍を読み、私はいつも街に出て服を買ったり、食べる、着る、楽しむなどの物質的に恵まれた生活を追い求めていました。時間が空いた時に、大法から悟った法理を同修が話してくれ、同修の修煉体験は私が抱いていた修煉に対する多くの疑問と考えを解き、私は正式に修煉の道へ入って行きました。

 同修が退職した後、他の何人かの同修と交流し、同修たちは個人修煉がしっかりしており、穏やかに三つのことを行っていました。ある同修は大法の人を救うプロジェクトに骨身を惜しまず熱心で私心がありませんでした。ある同修は真相を伝えて急いで人を救っており、大法のプロジュクトに惜しみなくお金を使っていました。またある同修は師父と大法に対して確固たる正しい信念を持っていました。同修たちの優れた点が深く私に影響し、同修との差を見せつけられ、自分を修めることの重要性を認識しました。

 二、検察院で真相を伝え同修を救う

 2013年8月、隣の地区の同修が留置場に不当に拘禁されました。2013年12月のある日、迫害された同修(以下・Cさん)の姉のBさん(同修)が「検察院に行って真相を伝えて妹を救い出したい」という願いを口にしたので、同修のAさんが電話して来て、一緒に検察院に真相を伝えに行きました。

 Aさん、Bさんと、AさんとBさんの家族と一緒に検察院の事務所へ行くと、順調に担当の女性検事に会えたので、まずBさんが迫害された同修の家庭状況を紹介し、家には面倒を見なければならない3歳の男の子がいることを説明し、村が発行した証明書を取り出し、その証明書はCさんが良い人であることを証明していました。続いて私が大法の基本的な真相を伝え、「ここに来る前、弁護士に尋ねたのですが、私たちには思想に関する犯罪はない、と弁護士は非常に明確に答えました。Cさんは法輪功を学んでいましたが、法律を冒すような行為は何らしていません。あなたはCさんの罪名を確定できるのですか? 私の子供の先生は法輪功を学んでいますが、教師節に保護者からお金を包んでもらったことはなく、私の職場にいる同僚も法輪功を学んでいますので、仕事にまじめに取り組み、誰かと争ったりせず、何事においても人に譲るようにしています」と言いました。

 検事は「体を鍛えるには色々な方法があるのに、どうして法輪功を学ぶ必要があるのですか? もっと科学を信じるべきでしょう」と言いました。そこで私は「誰も科学を信じていないなんて言っていません、しかし、病気になったら誰もが病院に行き、病院で治らなかったら漢方の病院、民間処方や神仏を拝むことを思いつきますが、結局最後に病の苦しみでどうしようもなくなったところで、ある人から『法輪功を試してみなさい』と言われ、法輪功を学ぶと病気が良くなるのです」と言いました。

 すると検事の表情が非常に険しくなり、恐ろしい形相で椅子から立ち上がると、右手の人差し指で私を指差しながら、声を荒げて「あなたの名前は、身分証を出しなさい」と尋ねました。非常に緊張した雰囲気になり、名前を言う必要はない、とAさんとBさんは意思表示しましたが、私は微笑みながらAさんを見て、小さい声で「大丈夫です、恐れることは何もないでしょう?」と言いました。そして、検事をまっすぐに見て。微笑みながら静かに「私はxxxです。身分証は今持っていません」と言いました。私は名前を二つ持っていて、もう一つの名前を教えることもできたのですが、私は身分証に記載されている本当の氏名を教えました。

 検事は私を睨みつけるような事もせず、空気が抜けたゴムまりのように椅子に座り込み、先ほどの怒ったような気勢と表情は消え、態度が180度変わり、私たちに「女性として、xxx(Cさんのこと)の境遇には非常に同情しますが、私には何も決められないので、検察長に会いに行ってください」と言いました。そして、検察長の事務所の電話番号を教えてくれました。検事の事務室を出る時、「検察長にxxx(Cさんのこと)を話しておいてください、良い人には良い報いが必ずあります!」と言いました。

 下に降りてから私たちは相談し、ここまでの道のりは遠く、もう一度来るのは大変なので、今日、検察長に会うことにしました。検察長に3回電話しましたが、検察長は「時間がない」と言っただけでした。そこで階下で待つことにしたのですが、しばらくすると、担当の女性検事が下りて来て「みなさん帰ってください、検察長は時間がないので食事に行ってしまいました」と言いました。私は「大丈夫です、ここで待ちます」と言いました。女性検察官は「待っても無駄です、裏の出入り口から出て行ってしまいました」と言いました。私たちは「私たちがここで待っている間、誰もここを通りませんでしたよ」と言いました。検事は私たちを騙すことができないと見てとると、仕方なく上に上がって行きました(防犯ドアでパスワードが必要なので、内部の人間以外、上に上がることはできませんでした)。私たちは待ち続けました。

 しばらくすると昼食を食べにたくさんの人が下に降りて来たので、このチャンスを逃さず、Aさんがすばやく扉の取っ手をつかみ、私たちは順調に階上に上がり、検察長の事務所を見つけるとドアをノックしました。検察長は私たちを見るととても怒った調子で階下の守衛に電話をして「誰が彼らを入れたんだ?」と問い詰めました。そこでAさんは「もう上がって来てしまったのですから守衛を責めても仕方ありません、話し合いましょう」と言いました。

 そしてまず、Bさんが大法が人々に良い人間になるための道理を説いていることを伝え、基本的な真相を伝え、そして大法が全世界の百以上の国に伝えらえている状況を伝えました。Aさんは検察長の目の前の最も近い位置に座り、「歴史は真実を表す鏡です、文化大革命の時、善人を迫害した警官たちは冤罪をそそぎ名誉回復を待っていましたが、司法関係者と共に雲南に連行され秘密裡に銃殺されてしまいました」と言いました。この時、Aさんは立ち上がり、検察長のデスクの前まで歩いて行き、検察長に面と向かって「その時、毛沢東の命令を実行しなかった人もいましたか?」と言いました。検察長は「いた」と言いました。するとAさんは「毛沢東の命令を実行しなかった人が生き延びていますが、あなたも毛沢東の命令を実行しなかったので、今後も悪人の命令を実行するような人になってはいけません」と言いました。検察長は「もしそういうことなら、私は捨身になるしかない」と言いました。Aさんは「それならあなたはどうするつもりですか? 大法弟子が良い人であることをみんな知っており、正義感のある人はみな、良い人が刑務所に送られるのを見たいとは思っておらず、裁判官は正義を支持し、善良な人を保護すべきであり、あなたの顔を見ればあなたが優しい人であることが良くわかります」と言いました。

 今度は私が「ここに来る前、インターネットである物語を読みましたが、それは『イエスと裁判官』の物語です」と言いました。そして、この物語の内容を詳細に伝えました。私は「当時、誰もイエスが神だとは思っておらず、イエスを迫害死した息子も死に、イエスを売ったユダも首をつって自殺しました。つまりこれは因果応報です。良い人を迫害した者にはだれ一人として良い結末は待っていません」と言いました。私の話を聞いた後、検察長は「以前のことだが、法輪功の電話を受け、私は非常に怒り、警察に通報し、警察の調査ではシンガポールからの電話だったが、それ以後、法輪功の案件には重い判決を適用していた」と言いました。私は「『ベルリンの壁を越えようとした市民を東ドイツの兵士が殺害した事件』を国際司法裁判所が審判した時、兵士は罪を認めず、『私は上からの命令を実行しただけです』と言いましたが、裁判官は『上からの命令が必ずしも正しいとは限らず、法律と良知が衝突した時は、良知がすべてに対して重んじられます。もしあなたが上からの命令を実行しなければ、法律的には確かに有罪になりますが、良知の観点から見れば無罪になり、健全な知性を持っている人間として、あなたは上からの命令に反して市民に向けた銃口を上に向けることもできたわけであり、あなたが積極的に受け入れるべきだったのは良心から来る義務だったのです。法律と良知が衝突した時、良知こそ最高の行動規範であり、決して法律ではありません』と言いました。そして最後に、裁判官は兵士を有罪としました」と言いました。

 続いて私は「思想は人の行為を決定し、大法弟子は悪い思想を持たず、不正な行為を行ったりせず、彼らはみな良い人なのです」と言いました。

 私たちの話を聞いた後、検察長の態度はすぐに優しくなり、「今回の案件に関する公文書は私が作ったものではなく、私はxxx(Cさんのこと)に対して恨みなどはまったくなく、彼女がどうなるのかを見ながら喜ぶ、なんてこともありません。もし警察が彼女を捕まえなければこの資料も送られてこなかったわけで、そうすれば私の仕事も減り、また公文書を多く作成したからといって賃金が多くなるわけでもないのです」と言いました。そこでAさんは「それなら公文書を裁判所へ送るのは待ってください。私たちがこの案件を主管する警察署の署長と話をします。この公文書を所長が撤回してくれるかどうかを見てから判断してください」と言いました。すると検察長は「いいでしょう、わかりました、お帰りください」と言いました。

 真相を伝えていく中で、検察長の変化を目にし、「捨身になるしかない」や「法輪功に重い判決を適用した」という発言の後、真相がわかり、私たちに対して穏やかな態度になりました。私たちがここまで来た事は無駄ではありませんでした。

 続いて、私たちは警察署で署長に会い、真相を伝えようとしましたが、検察院で真相を伝えたのがあまりに順調だったために歓喜心が起きてしまったのが原因なのかもしれなかったのですが、警察署に着くと署長の態度は非常に悪く、大声で騒ぎたて、真相を伝える機会を私たちに全く与えようとはしませんでした。署長は急いでその場を離れようとしたので、私は署長に追いついて署長の服をつかみ、署長の目を直視すると、署長が一瞬たじろいだので「署長、私の話を聞いてから出かけてください、これからは法輪功の修煉者を捕まえないでください、彼らはみなよい人です」と言いました。署長は微笑みながら頭を下げると、そのまま行ってしまいました。

 戻ってから、Aさんは手紙を書くことができる同修と会い、警察署宛てに善を勧める手紙を準備し、警察署に郵送しました。2004年の元旦に、Aさんは関係者にあてて年賀状とCさんのことを訴える資料を送りました。

 これらのことを行っているある日の晩、Aさんは夢を見ました。夢の中では5人1組で試験に参加し、私とAさんが試験官に名前を呼ばれ「あなたたちは試験を受ける必要はなく、試験を免除します」と言われました。そして試験官は私たち2人の名前の上に「合格」というマークを大きく打ち込みました。夢の中で師父のお導きを受け、私は修煉に対する気持ちを一層固めました。

 三、大法を守る過程は自分を向上させる過程

 2015年7月のある日、母を連れて農商銀行へ手続きに行った時のことです。ロビーには数十人の客がいて、銀行員はとても忙しそうでした。列に並んでいた時、何気なく上を見ると、銀行のロビーの電光掲示板に大法を中傷するメッセージが表示されていました。一昨年、私たちは各地区の銀行に対していろいろな方法で真相を伝え、市内のほとんどの銀行では大法を中傷するメッセージは取り下げていたはずですが、電光掲示板が建物内のロビーにあったために同修が発見できず、漏れがあった可能性がありました。

 この時、私は「修煉者が遭遇しうる一切のことが、すべて皆さんの修煉や圓満成就に関係のあることで、さもなければ、決してそのようなことに遭うことはありません」[1]、「大法弟子の立場から言えば、法を護ることは、当然のことです」[2]という師父の法を思い出しました。私は悟りました。大法弟子に偶然なことはなく、私が見つけた問題であれば避けて通るわけにはいかず、そうかといって、同修が来るのを待ってから行うわけにもいかず、師父の法身がそばにおられ、後ろには神々がおられるのですから、何を恐れる必要があるでしょうか。宇宙大法が貶されることがあってはならず、大法に対して衆生に犯罪を犯させるわけにはいかなかったのです。

 そこで受付に行って保安員に「電光掲示板の担当者は誰ですか」と聞き、担当者と話がしたい旨を伝えました。保安員は事務所に入って銀行員と話していましたが、しばらく待たされ、というのも銀行業務が忙しすぎたからでした。意図的に待たされているのではない事を私はわかっていました。なぜならその日は確かに大口の業務を取り扱っているようだったからでした。約1時間待たされた後、保安員は「今日の午前中は無理なので、彼の氏名と電話番号を教えますので、ご自分で連絡してください」と言いました。

 家に帰ってから、銀行の担当者に電話をし、大法の基本的な真相を伝え、大法を中傷するメッセージを取り下げてもらうよう、担当者に「法輪大法は佛法ですから、大法を大切にすれば福報があります」と伝えました。電話を切ってから、心から安らぎを感じました。なぜなら、大法弟子として行うべきことを行うことができたからでした。

 ある時、子供を塾に送って行く途中に偶然この時のことを思い出すと、突然頭の中に「人间护法神(俗世間の護法神)」という五つの大きな文字が浮かびました。師父が励ましてくださっているとわかり、感極まって涙があふれ、風を受けて電動バイクに乗りながら、幸せな熱い涙を流し「師父、弟子は必ず精進します!」と叫びました。

 四、自我を放下し警察で真相を伝える

 2015年8月、隣の市の農村の同修(以下・Dさん)が「江沢民を告訴」したことで警察に不当に家宅捜索され、大量の大法書籍や大法の吉祥ストラップなどを奪われたので、同修の家族と一緒に警察に真相を伝えに行く事を私に頼んできました。

 警察、検察、裁判所に真相を伝えに行く時は、いつも自分の心を落ち着かせますが、「大事なのは事を行うときの態度と、何のために行なっているのかのことです」[3]と師父は説かれました。私はまず自分にいくつかの質問を問いかけます。「あなたは真の修煉者ですか?」「はい」。「大法弟子の使命と責任とは何ですか?」「法を実証し、衆生を救い済度することです」。「出発点は正しいですか? あなたの出発点は自分が修煉して向上することですか?」「いいえ、慈悲深く済度することです」。「恐怖心はありますか?」「あります」。恐怖心があってもやらなければならず、なぜならこれは大法弟子の問題ですから、大法を護ることは、自分の家を守ることと同じように自然で純粋なことだからでした。今回は完全に自我を放下しなければならないと悟り、凶悪で残忍な警察の虚像に動かされず、大法の慈悲と威厳を堅く護らなければなりませんでした。

 次の日の午前9時すぎ、同修と、Dさんの娘と甥と協力して警察へ真相を伝えに行きました。署長と教導員が私たちを出迎えたので、3年前にDさんが患った肝臓癌の診断書をDさんの甥が取り出し、署長に「伯母の肝臓がんは大法の修煉を始めてから良くなり、病院ではあと3カ月の命と診断されましたが、今はすでに3年がたち、健康そのものです」と言いました。続いて私が「彼女は専業主婦で、法輪功を学んでいるのは病気治療と健康保持と良い人になるためであり、武器等持っていない一般人ですから、どうして政治活動など行うでしょうか、これは罪をなすりつけているのではありませんか?」と言いました。すると署長は「あなたは誰ですか? どういう関係ですか?」と尋ねました。私は「私は地元の人間です」と言いました。するとDさんの娘が「この人は私のおばです」と言いました。

 私が続けて大法の真相を伝えると、教導員が私を阻止して「もうこれ以上話すな、これ以上話すとぼろが出るぞ」と言いました。私は心を動かされず、続けて「大法弟子はみな良い人です」と伝え、「これは本当にあなたたちのために言っています」と言いました。すると署長が「あなたの名前は、名前を覚えておくぞ」と言いました。私は依然として心が動じませんでした。すると署長が突然「法輪功は邪教だ」と言い出しました。そこで間髪をいれずにすぐに署長に「法輪功は邪教ではありません。法輪功は人に真・善・忍を教えて良い人にし、何度も言いますが、彼らは悪いことをしません、それなのにどうして邪教と言えるのですか?」と反論しました。署長は私の話が終わるまで怒りを爆発させたりしませんでした。Dさんの甥は私の身が危険だと感じ、私たちに「先に出ててください、私が1人で署長と話します」と言いました。そこで、私たちは事務室を出ました。

 実際、多くの同修が普段の生活の中で真相をはっきり伝えていますが、警察、検察、裁判所に真相を伝えようとすると気おくれしてしまい、数年前は私も同じでしたが、学法と修煉が深まっていくにつれて、それが人の観念と恐怖心であるとだんだんと認識できるようになり、その観念と恐怖心は、師を信じ法を信じる正念が不足していると起こるものなのです。「警察も救い済度されることを待っている生命であり、今から私があなたに真相を伝えに行きます」、警察、検察、裁判所も衆生であると捉えれば慈悲、無私の境地に至るので、警察官を救おうという気持ちを持って大法の真相を伝えればよいのです。たとえ警察官が理解しなかったとしても、大法弟子に対して悪念を起こすことはありません。師父は「完全に法に則っている人を誰もが動かすことができません」と説かれました。法に則って修煉することが最も安全なのだ、と私は悟りました。

 この数年の修煉過程を振り返ると、2012年から2015年までの3年間に、私の地区では不当に拘禁された同修がおり、私のことを知っている同修もいましたが、知らなかった同修もおり、20回にわたって同修や同修の家族と共に警察、検察、裁判所へ真相を伝えに行き、同修の無実を訴える資料を持って関係部門に配り、国保大隊、裁判所、警察署、銀行(銀行の電光掲示板に大法を中傷する内容が表示されていた)へ行き、そして法律事務所へ行って真相を伝えました。

 大法が世に公開された時に生を受けたことは、私たちすべての大法弟子にとってこの上なく光栄です。この貴重な修煉の機縁を必ず大切にし、100パーセント師と法を信じ、確固として自分を修め、しっかりと三つのことを行い、史前の誓約を実行し、偉大な師父の慈悲なる済度を無にしません。不足の所があれば、同修の皆さんの慈悲深いご指摘をお願いします。

 弟子は偉大な師父に深謝いたします!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「大法とは圓容しているものである」
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「道」
 [3] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「二〇一〇年ニューヨーク法会での説法」
 [4] 李洪志師父の著作:『二〇〇五年サンフランシスコ法会での説法』

 (明慧ネット第12回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/11/5/318559.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2015/11/11/153617.html)
 
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