明慧法会|大法に戻り真相を伝えに外に出て行く
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 文/中国の大法弟子 美縁

 【明慧日本2016年6月5日】1999年、中国共産党が大法を迫害し始めた時、まだ私は満18歳になっていませんでしたが、大法の修煉を始めて3年4カ月がたっていました。しかし当時は法を理解しておらず、大法が素晴らしいということだけはわかっていましたが、自分がなぜ修煉しなければならないのか、ということは考えた事もありませんでした。そのため、中国共産党の天地を覆い隠すような抑圧の下、私はすぐに精進する意思を失い、世間の利益と欲望に迷い、ふしだらな生活を送っていました。

 迷い

 高校卒業後、重点大学に入り、大学卒業後、政法部門に入って法律関係の仕事に従事しました。外交的な性格、秀麗な容貌、すらっと高い体型に加え、尊敬を受けるような職業だったので、一時期、さまざまな寵愛を一身に集めていました。

 師父は「そうであるならば、修煉者として一切の有利な条件を利用して、大法を広め、大法が正しいもので、真の科学であり、説教と唯心論ではない、ということを実証しなければなりません。これはすべての修煉者が自らの任務とすべきことです」[1]と説かれました。しかし、これら一切の有利な条件を私は遊楽にふけるために使ってしまい、自分の使命と責任をきれいさっぱり忘れてしまいました。このようにしてこられます混乱したまま2011年を迎えました。淫欲にふける生活で私は徳をあっという間に使い果たしてしまい、蓄積されたのは全て業力でした。2011年、私は夫と離婚しました。2012年、意気消沈している所で、もう少しで私は旧勢力に迫害されてこの世を去ってしまうところだったのです。

 目覚める

 しかし、師父は私を見捨てられませんでした。私は再び『轉法輪』を手に取り、心の中で自分自身に「やはり修煉によってこの世俗の煩悩から離れることができる」と言い聞かせました。しかし、大法の中においても、慰めを求める心が法理に対する理解を妨げ、修煉しているのかいないのかわからないような状態に陥り、修煉が素晴らしいことはわかっていましたが、人心が重すぎて、厳粛に修煉に向き合うことができず、主意識が強くないため、容易に人心と執着に妨害されて法に則っていないことをしでかしてしまい、後で後悔するのでした。そしてこのような状態が続き、2014年5月末を迎えたのでした。

 まだ1歳に満たない子供が「脳性まひ」かもしれない、と医者に宣告された時、私の生命は遊楽にふける中で使い切ってしてしまったのかもしれない、と心をえぐられ骨に突き刺さるかのように急に気が付いたのでした。慈悲で偉大なる師父は修煉者に対して「法の要求通りにしない者は法輪大法の人ではないので、あなたの身体を常人の位置に戻し、良くないものもあなたに返します。 というのもあなた自身が常人になりたいと思っているからです」[2]と教え導かれています。

 「私は戻らなければならない!」。輪廻転生の中での誓いは師父のご慈悲とお導きの下で、すべての迷いが突き破られ、内から外まですべての迷いが爆発して消え去ってしまいました。返本帰真しようという一念を私が持つと、師父は改めて修煉の道を按排してくださいました。以前、貴重な時間を浪費してしまいましたので、改めて戻って来たとしても、関を乗り越える難度や舐めなければならない苦は大きいでしょう。それでも私は恐れず、大法を堅く修めたい洪願はすでに定まりました。

 まず、自分の修煉環境を正す事から始めました。夫と舅姑が私が修煉することに反対したので、夫と舅姑に真相を伝えましたが聞く耳を持たず、私が職場で説明し法輪功を習うことを上司に知らせ仕事を「辞職」しなければならない、と言いました。そこで私は堂々と職場の上司たちのいる事務室に行き、面と向かって理性的に法輪功の真相を伝えました。

 夫と舅姑は子供の問題に関して私をけなし、私が法輪功を学んでいることを口実に引き続き侮辱し、私を脅し、私の修煉環境をひどく妨害したので、私は裁判所へ行って堂々と親権を要求しました。夫と舅姑は法廷で大法を攻撃し、法廷が私を迫害するよう企てましたが、私は法廷で堂々と真相を伝えました。すると、夫と舅姑の勢いはなくなってしまいました。このようにして、自分の修煉環境を切り開き、情と欲の包囲から抜け出し、毎日多くの時間を「三つのこと」に使うことができるようになりました。法を正す進展に追いつかなければなりませんでした。

 大法弟子はよく「正念を持って正しく行う」と言いますが、「師父の教えに従い、大法の念に符合すれば、それこそが正念である」ということを悟りました。より多く学法すれば、正念はそれにつれて強くなります。

 大法に戻り、以前きちんと行っていなかったことを補う

 この交流文章を書いていた時、自分の修煉の道を振り返ると、すべては本当に修煉過程における経験であり、試練であり、魔難であったことに気づきました。以前きちんと行っていなかったことを、今補っています。以前きちんと行っていたことは威徳として既に記載されていましたので、以前きちんと行っていたことに執着するには及びませんでした。今は毎日、頭の中で考えていることは「どのように心を込めて、理性的により多くの人を救い済度し、人々に真相を聞かせ、見せて、正しい選択を行わせるのか」ということだけでした。

 真相についての仕事をしっかりと行うと同時に、毎日の学法に励み、修煉の中、生活の中、仕事の中での一つ一つの出来事と毎回の妨害と苦悩について法に照らし合わせ、自分の人心と執着を見つけ出し、その後でしっかりと修煉して人心と執着を取り除きました。

 この修煉の道で、師父が説かれた「一人の大法弟子が歩んだ道はつまり、一つの光輝く歴史になりますが、この歴史は必ず、自ら悟って実証し、切り開くものなのです」[3]を、私は本当に実感しました。そして師父が説かれた「常人は、『相は心から生じる』という言葉に含まれているこの意味を知らないのですが、実は自分の要素が自分の環境を変えてしまうということです」[4]を実感しました。そして師父は「皆さんは今までこのように歩んできたのです。ある方面で道を正しく歩んでいれば、閉じている扉が開かれ、道が広くなります」[4]と説かれました。

 かつての私はこれも恐れあれも恐れ、表面的には強くても、内心はとても脆弱でした。今の私は、大学の同窓会ではクラスメイトみんなの前でネット封鎖を突破するDVDを1枚1枚全員に配り、この小さな贈り物を大切にするようにクラスメイトに伝えました。また特殊な職場環境の中においても、幅広く、上司や同僚、司法関係者に真相を伝えて「三退」を勧め、ネット封鎖を突破するソフトウェアをコピーして配りました。

 同僚が職場を代表して全区の公職機関でスピーチを行っていました。偶然私はそのスピーチ原稿の中に大法を中傷する内容が含まれていることに気づきました。そこで私はすぐに正念を発して、他の空間にいるすべての邪悪、黒い手と旧勢力の要素を根絶しました。すると、60人以上の同僚がいる会議室で、スピーチを行っていた同僚は正々堂々と法輪功の真相をはっきりと伝えました。その後、大法を中傷するような理性的でない内容をスピーチ原稿に盛り込まないようにしてもらいました。その同僚の話によると、同僚は大法を中傷する内容を削除したかったのですが、原稿は別の同僚が書いたものであり、さらに上司の了解も得たものだった、ということでした。講演者であるその同僚に大法の真相をさらに詳しく伝え、ネット封鎖を突破するソフトウェアをコピーして渡した後(同僚は司法における事件捜査の第一線で働いていたので、真相をわかってもらうことは、これから以降、法輪功修煉者が不当に逮捕され、不当に移送され起訴された事件について正しい手続きを行ってもらう点において大きな助けとなるため)、師父に加持を求め、適当な機会を見つけて、スピーチ原稿を執筆した同修に、法輪功が江沢民集団から受けた迫害の真相、をはっきりと伝えました。

 続いて、別の方法でネット封鎖を突破するソフトウェアを職場の上司の手にとどけ、上司はネット封鎖を突破するソフトウェアを通して動態ネットで大法の真相を目にしました。そしてその後、スピーチ原稿を定稿した時に、大法を中傷する内容が削除されました。そして、このスピーチ原稿は全区での毎回の講演で、それぞれの職場において広範囲に繰り返しスピーチされ、衆生に正しい選択をさせたことに私は喜び、さらに師父の慈悲なる啓示とご加護に感激しました。師父、大変お疲れ様でした!

 外に出て今やるべきことをしっかりと行う

 身近にいるある同修が真相資料を配る時、同修はいつも資料拠点へ行って大きなカバンに資料をたくさん詰め込んで持ち帰り、資料を包装してから配るのですが、その過程には多くの作業がありました。そこで、よりよく協力して真相を伝えるために、ダウンロードや真相資料のプリントなどを私は自分でマスターし、同修の必要に応じて、同修が必要な分だけの資料を私が作りました。

 ある時、真相資料を包装しながら同修に「私たちの地区の同修はみなあなたのように幅広く真相を伝えているのですか?」と聞きました。すると同修は私を見て、どうにもならない、という感じで笑い、頭を振りました。その時、私は悲しくなりました。師父は「人々は本当に法輪功と大法弟子をかつ目するようになり、事実と真相も人々の前に現れます。そのとき、人々が大法弟子こそ彼らが救われ済度される唯一の希望だと分かるので、大法弟子は必ずしっかり行なうべきであり、皆さんは本当に使命を背負っており、皆さんに本当にこれほど大きな歴史的責任があるので、必ずしっかり行うべきです」[5]と説かれました。私は自分から率先して行うべきだと決心し、外へ出て行くことにしました!

 この考えを同修に話すと、同修は意外にも反対しました。理由は私の身分が特殊であり、外見や性格も団地に入って行くのに向いていない、ということでした。私は特に同修と言い争うことはしませんでした。その後、学法の中で、自分が外に出て真相資料を配りたいという願望は法に則っていると悟ったので、私が真相を伝えるのを妨害するすべての要素を否定しました。外に出て行く、という考え方が確固なものとなったので、再び同修と切磋し、まじめに、辛抱強く、善意を持って「私たちの地区で真相を伝えに出て行く同修があまりにも少ない。人々がこんなにも多く、時間は差し迫っているのだから、一人でも多くの同修が外に出れば、それだけ力になるはずだ」と説明し、私は常人の中の名利や人情による虚像を重く見ませんでした。私がこの世に生を受けたのは人を救うためだからです。そして同修はついに私を連れていくことに同意し、その日から、大法弟子が全体で協力する力がどれだけ大きいか、ということを本当に体験して会得しました!

 外に出て真相資料を配りに行く前はいつも、師父の写真の前に跪き「一切の妨害を取り除き、大法弟子が人々を救うのを妨害する邪悪要素を取り除き、人々がきちんと真相資料を受け取り、資料の中の真相の内容をまじめに見て真相を理解し、救い済度されるように」と師父に保護を求めました。心が純粋で正念が強かったために、真相資料を配る時は危険な状態が続出してもいつも理性的に、順調に無事にやり過ごすことができました。よくしたもので、多くの場合、本当に自分の年齢と容貌から、私が接触した人たちに対して疑いを起こさせるようなことはありませんでした。真相資料を配る中で、「師を信じ法を信じることによりすべてのマイナス要素を否定することの重要性」を体験会得しました。

 あっという間に3カ月がたち、同修と協力して3カ月近い時間の中で1万4千枚を配り、真相資料という形で換算すると、5、6千部の真相資料を配りました。同修は16年間真相資料を配り続けているので大変経験があり、自分の経験を私に教えてくれ、私もまた修煉中の体験を同修に伝え、私たちはうまく力を合わせ、全体を形成し、私たちのこの真相を伝えるチームが人を救う力は非常に大きいことを感じました。この小さな花は風雨の中でも必ず光彩を放ち続けるだろうと信じています。

 至らないところがあれば、同修の皆さんの慈悲深いご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「実証する」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [3] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「道」
 [4] 李洪志師父の著作:『各地での説法十』「大紀元会議での説法」
 [5] 李洪志師父の経文:『二〇一〇年ニューヨーク法会での説法』

 (明慧ネット第12回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/11/4/318486.html)
 
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