文/吉林省の大法弟子
【明慧日本2016年7月22日】時間が飛ぶように過ぎ去り、すさまじい勢いで法が正されていく中で、第12回大陸大法弟子の交流法会を迎えました。師父が大きな慈悲を以って時間を延長されたことを感謝し、世界中の同修と交流できる機会を大切にし、自分の修煉体験の一部を書いて師父にご報告し、同修と交流したいと思います。
史前からの願いであったかもしれませんが、コンピューターを学び、資料点を設立し、システムを学び、技術を教えるという法を正す修煉の道を歩み、技術的なプロジェクトを行ってきました。技術を教えるといっても、技術に携わってきた時間とレベルは本当に限りがあり、実際、天地行と技術の同修が伝えてきた既成の知識を、バトンを受け取るかのように同修に伝えて来ただけで、それをこじつけていえば技術を「教える」ということになりました。天地行と技術の同修の努力は、実際、私たちの所では技術的な実用性としては高くないのですが、修煉としての要素は低くありませんでした。ここでは「学び」「教える」中での悟りについてお話しします。
一、技術を普及させる中できめ細かく忍耐強く修める
2014年4月にWindowsXPをWindows7にアップグレードすることになりました。そのため、大量の仕事量が人数に限りのある技術の同修にのしかかることが予想されました。対応が難しく、更に主要なことは、至る所で素晴らしい発展ぶりを見せている資料点に対して技術を普及させることでした。技術を普及させることは法を正す事に必要であり、全体としても求められていることでした。しかし、本当に技術の同修を増やそうと思っても、すぐにできるというものではありませんでした。「学ぶ」にしても「教える」にしても、それは同修にとって本当に一つの修煉の過程でした。
2013年の後半から同修と交流し始め、技術の同修になってもらう候補者を選定しようとしましたが、同修は意見を異にしました。困難に対して恐れないで全体の大局に立ち、技術の面から考慮することは本当に少なく、これは数年来、全体に存在してきた問題でした。しかし、2014年になり、本当にシステムをアップグレードしなければならない時になると、同修たちは焦り、システムのインストールやシステムを学ぶことで、てんてこ舞いになりました。大量の仕事量があり、自身がまだ修めて取り除いていない焦りと恨む心で当時の形勢に向かい合うことになり、さんざんな目に遭いました。
しばらく努力を続けていると目途が立ってきて、一部の同修がシステムのインストールを学び始めたので、私は「教える」段階へと入って行きました。同修たちは熱心にシステムのインストールを学び始め、できるだけ早く同修が技術を担当できるように教えるために東奔西走し、「学ぶ」ことと「教える」ことが急務となりました。しかし、学習内容が深まるにしたがい、難しさが深まって来ると、同修たちの熱心さはだんだんと冷めて行きました。怠け始め、ある同修は見かけなくなったかと思うと、あっさりと学習を放棄してしまったのでした。この時の私はすでに疲れ果て、失望し、悲しくなりました。
師父は「皆さん、ご存知ですか? あなたが修煉者でありさえすれば、いかなる環境、いかなる状況下でも、遭遇したいかなる厄介なことや不愉快なこと、ひいては大法の仕事のためであっても、皆さんが思っているどれほど良いことや、どれほど神聖なことであっても、わたしはそれらを利用して皆さんの執着心を取り除き、皆さんの魔性を暴露させ、それを取り去っているのです。皆さんの向上こそが、最も重要だからです」[1]と説かれました。
無条件に内に向けて探さなければなりませんでした。同修にシステムを「教える」ことをこのまま続けていきたいのであれば、まず直面しなければならないのは仕事量の多さではなく、私自身の成功を急ぐ心と困難から抜け出そうとする心でした。同修たちが学び続けられないのは私に「焦り」の要素があったからで、そのために、システムについて基礎知識のない年齢の高い同修に、心理的な圧力を加えてしまったのでした。焦る心を修めて取り除き、きめ細かく辛抱強く修めることは、私が直面しなければならない事でした。
考え方と心を入れ替え、同修には個人差があり、同じ状態ではないので、同修の受け入れ能力に合わせて教えました。受け入れ能力のある人には多く教え、受け入れ能力の弱い人には毎回少しずつ教えました。本当に手取り足取り、心と心で教えました。同修に「学びたい」という心がありさえすれば、繰り返し積極的に教え、苦労を恐れませんでした。同修に「学びたい」という心があるのを見て取ると「手を出しさえすればシステムのインストール技術に触れられるのだ」と認識させました。同修が難にぶつかった時は、教える速度を落とし、繰り返し同修が操作を記憶できるように努めました。私が焦らずに行うと、同修たちも気持ちが楽になり、心理的圧力が軽減し、頑張って学び続けていくことができたので、希望が見え、自信が生まれてきました。
同修に「教える」過程は、確かに心を修める過程でした。ある同修は最初は「学ぶ」ことに力が入っていましたが、その後、学ばなくなってしまったら、私が同修の家まで行って教え、同修が私を追い帰さない限り、同修に教え続けました。私の熱心さを見ると同修は断れなくなり、最後には学び続けました。ある同修は不注意で、前回書いたメモをどこかに置きっぱなしにしてしまいましたが、同修と一緒にメモを探し、引き続き教えました。ある同修は教養が低く、同修自身は自分がシステムをインストールできるなど全く考えていなかったのですが、励ますと、同修は勇敢に学び続けました。同修に「教える」過程で大変苦しい思いをしたので、体には病魔に妨害された状態が現れ、繰り返し恨む心が現れてきました。しかし、私は繰り返し自分に「どれだけ頑張り続けられるのか、結果はどうなるのかは考えずに行っていく。なぜならこれは私が行わなければならない事だからだ」と語り続けました。師父が説かれた「一つの心も動じなければ、すべての動きを制することができるのです」[2]の通りに行いました。
二、技術を普及させる中で冷静に拒絶することをマスターする
「教える」過程は「修める」過程であり、表面的には技術の問題のように見えますが、実質的には人心でした。最初は、同修が学ぼうとさえすれば私が教え、次の時に同修が自分でできなければ、私がまた行って教えました。同修が自信を持てるように励まし、教えて欲しいと頼まれれば必ず応じ、自分の忍耐強さを修めました。一部の同修は頑張って学び続けました。しかし、同修たちに一定の進展がみられた時、再び依存の状態が現れました。自ら考え、自ら突破しなければならないのに、みな、私が解決するのを待っており、慢性的な思惟が形成されてしまいました。こうなってしまうと、本当に解決の糸口をつかみづらくなってしまいました。もし解決しなければ、同修は困難に恐れをなして前へ踏み出せなくなり、「学ぶ」ことをあきらめてしまいます。なぜならすでに「学ぶ」ことをあきらめてしまった同修がおり、大きな理由は大法のプロジュクトを遅らせるわけにはいかなかったからでした。しかし、それでも私は諦めませんでしたが、知らず知らずの間に依存の状態を助長させ、同修は自分が作り出した道から抜け出せなくなり、その状態は法に即していませんでした。さらに、私の体はすでにひどく妨害され、限界に達していました。
ある時、次の週の火曜日に学法グループの問題解決に行く事を、学法グループの同修と約束しました。しかし、前の日の月曜日になると、めまいと嘔吐による病魔の妨害が現われました。私が迫害を否定し正念を発して取り除くと、次の日の火曜日には好転し、困難ながらも学法グループに到着しました。同修は私の状態が良くないと見てとると、状況を聞いた後、各自が自分の考えを話しました。1人の同修が「あなたは放下すべきではないですか? 技術の同修は長期にわたって忙しいので、あなたに最も必要なことは、やらなければならないことを放下して、静かに学法することではないですか」と問いただしました。
放下する? 私は「同修たちは私が問題を解決するのを待っているのに、放下できるのか? 私が教えに行かなくても大丈夫なのか?」と思いました。他の同修も「あなたが来なかったら私たちはどうすればいいのか?」という思いが表情ににじみ出ていました。以前よく、交流の中で、「まず心性を修煉し、その後パソコンを修理する」という文章を見かけましたが、私の修煉に当てはめてみると、それは本当に少なかったのでした。同修の「放下」という言葉があまりにも鋭かったので、私は反省しました。
ある資料点の成立に当たって、パソコンを学ばせることから資料点の成立まで、一つ一つ手助けして資料点を作りました。問題が生じると、同修は私を呼び、私も問題があればその場に行きました。それが自然になり、それが当然のことになって、すでに2、3年が過ぎました。しかし最近、資料点では頻繁に問題が発生していました。問題が発生すると同修は私を呼び、たとえ他の約束があったとしても、他の事は差し置いて、とにかく私は資料点へ行って問題を解決しました。しかし、問題を解決すればするほど、問題の発生が多くなるので、長時間正念を発して妨害を解体しました。しかし、正念を発していた時に不意に「資料点の同修の発正念は表面だけを取り繕っているだけで、上の空の状態だ」ということに気が付きました。そこで私はかんかんに怒り、同修に向かって「こんなに全力であなたのために時間を使っているのに、どうしてあなたはこんなに上の空なのですか?」と叫びました。私はめちゃくちゃに怒りました。ついかっとなってしまい「私はもう何もしません、好きなようにやってください、私は一休みすることにします」と叫びました。
この時から本当に資料点のことについて私が休んでいると、資料点の同修は内に向けて探し始め、最後には自分で市場へ行って部品を買い、資料を提供している学法グループと、どのように内に向けて探せばよいのかについて交流しました。結局、技術の同修が資料点の同修のために設備の問題を解決したのですが、資料点の同修の心性は大きく向上し、特に依存心に対して一定の認識を持ったようでした。今回は私が関わらなかったため、資料点の同修が自分で部品を買いに出て行ったのですが、そのことで、私は再び反省し始めました。
若い同修のAさんは早くからパソコンを使っていたので、私がシステムのインストールを教え始めた時にはすでにシステムのインストールを知っていましたが、その後、学ばなくなりました。その頃ちょうど、FireFoxが37バージョンにアップグレードしました。私たちの学法グループに同修のBさんがおり、Bさんはシステムのインストールを学んでいませんでしたが、明慧ネットを見てFireFoxが37バージョンにアップグレードしたことを知り、自分でインストール用のテキストをダウンロードして、FireFoxのインストールに成功しました。しかし、年齢が若く、システムのインストール方法を知っていたAさんも明慧ネットからダウンロードしてFireFoxをインストールしようとしましたが、インストールできませんでした。その後、BさんのところからFireFoxをコピーしてきましたが、やはりインストールできませんでした。Aさんの家は私の家から離れていたので、大変な時間をかけてAさんは私に会いに来て、それでやっとFireFoxをインストールすることができました。交流しながらAさんに「問題が解決できなかった時、あなたの第一念で考えたのは師父でしたか、それとも私でしたか?」と聞きました。するとAさんは「師父ではなくあなたでした」と答えました。そこで私は「結局のところ、これは技術の問題なのか、それとも修煉の問題なのか? 私が解決しなければならないのは同修の技術の問題なのか、それとも私自身の修煉について考え直すべきなのか? 同修は私がいなければ本当にダメなのか? 師父の加持がなかった時に、私に何ができるのだろうか?」と改めて考えてみました。
私は冷静になり、心を静めて学法した後「なぜ私は学法や煉功する時間がないほど忙しいのか? 本当に技術のプロジェクトそのものが原因なのか?」と自分に問いかけました。私はゆっくりと「いや、そうではない、原因は人心であり、『自我』だ」と悟りました。技術を教え始めた時、きめ細かく辛抱強く教えたことは間違っておらず、それは同修の自信を強め、技術に対する認識を高める過程でした。それは「同修が手を動かし足を出しさえすれば技術を学ぶことができ、困難を恐れることで自分が妨害されることもない」と私が言った通りでした。しかし、しばらくして、同修たちに一定の基礎が備わった後は、技術を普及させることの重要性を認識することであり、同修たちが問題に自分で対処できるようにする事であり「問題があったら私を呼ぶ」ことではなかったのです。しかし、「私」の認識に限りがあったため、同修たちが問題に自分で対処できるようになることを妨害し、かえって自分自身が疲れ切って力が出ない状態になってしまったのでした。さらに内に向けて探すと「恐れ」の問題が見つかりました。同修が学び続けなくなるのではないか、と恐れたのでした。実際、根本的な問題は師を信じ法を信じ、同修を信じる、という問題ではなかったのでしょうか? 同修の道は師父が按排なさったのですから、私はその中で自分をしっかり修め全体を円融するだけでよかったのでした。法に即していないすべての人心と自我が同修を妨害し、法を正す事を妨害していたのでした。
師父は「絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」[3]、「修煉者にとって模範はなく、各人の歩む道も異なっています。なぜなら各人の基礎が異なり、各種の執着心の強さが異なり、生命の特徴が異なり、常人の中での仕事が異なり、家庭環境が異なる、等々の要因によって、各人の修煉の道は異なり、執着を捨てる状態は異なり、遭遇する関の大きさが異なっているのです。ですから、表面的に、ほかの人が用意してくれた道は非常に見つけにくく、都合の良い乗り物に便乗することは、さらに不可能なのです。もし、用意された道と便乗できる乗り物が本当にあったとしても、それも決して修煉ではありません」[4]と説かれました。私は少しずつ手を放していき「私がいなければだめなのだ」という観念を少しずつ変えていき、同修の問題はできるだけ同修自身に直面させるようにしていきました。
ある時、同修の家に行くと、同修が「私たちは自分で『天地行』を学びます。私は必ず学び続けなければなりません」と言いました。私は心から「ありがとう!」と言いました。そして、とても感慨を受けました。
江沢民告訴の大潮流が起こりました。ある年配の同修が「どうすればいいのか決めて欲しい」と、私に会いに来ました。私たちは江沢民告訴の意義について交流しましたが、私は「自分が直面した出来事は、自分で決定しなければなりません」と言いました。家族の同修たちは私に代わりに訴状を書いてほしいと考えていたのですが、私は「修煉は誰も代わってあげられず、かぎとなる問題については、自分が冷静になって考えなければなりません」とはっきりと意思を表明しました。私はすべてを一手に引き受けることをしなくなり、何かあった場合は冷静に考え、手伝うべきか、拒絶すべきかを法に照らして判断し、感情に走らないようにしました。
しかし、このように行うことはとても苦しく、時にはきめ細かく辛抱強く手助けし、時には冷静に拒絶し、大きく遠回りする方法を取ったことで、よりこっぴどく苦しめられたのでした。しかし、慈悲で偉大なる師父と、威力無辺の大法は私を呼び覚まし、同修たちは寛容に私を助け、私はまたあらためて正しい修煉の道を歩み始めました。
三、技術を普及させる中で謙虚さと無為を学ぶ
このことを語るにあたって、恥ずかしいのですが、私はまったく修煉できていなかったことをやっと認識できたのです。ここで「謙虚さと無為を学ばなければならない」ことについてお話しします。私がここに書いたことを教訓にして同修に目を覚ましてほしいと思います!
「教える」過程では、知らず知らずのうちに「この問題はこのようにする、あの問題はあのように解決する」というような「教える」状態に入り込んでいきました。すると、同修たちは私から「学ぶ」ことによって、だんだんと話を「聞く」という状態に入り込んでいきました。同じような問題が起きた時に、私がその考え方を話すとそれがすぐに認められ、私もそれが自然だと感じていました。同修に不足があった時にありのままを指摘できたことは、間違っていなかったと思います。しかし、有利な立場で、明らかに相手を緊張させ、思い通りにならないと不機嫌に、非難したりすることが、しらずしらずのうちに育まれ、深められていったことを、私自身は気づいていませんでした。あれこれと人のあら捜しや批評をする私は、知らず知らずのうちにものの言い方がさらに強くなっていきました。いつからかはっきりしませんが、私と同修との関係はすでに「同修」ではなくなり、「教育者」と「受講者」という関係に発展してしまっていました。
まだ完全に取り除いていない常人の執着心を認識できていなかったため、同修が上の空だったり、依頼してきたり、学習の成果を大切にしなかったりすると、私の恨む心はしだいに強まっていきました。そのため、体への妨害はさらにひどくなっていきました。ある同修が「私と一緒に学法しましょう!」と言いました。そこで私は「他の人が私と学法する必要はありません。私に頼らない事こそが私を助けることになるのです。私を手助けしようとする人はみな私を頼って会いに来るのです、だから私に会いに来ない人こそが本当に私を助けてくれる人なのです」と言いました。同修が「いったい誰があなたに感服するんですか」と言ったので、私は「私に感服する人は多いですよ」と言いました。
私がよく行く資料点にいる同修は、優しくて寛容な人でした。その最大の長所は「口を修める」ことでした。その同修が誰かの不足について話しているのをほとんど聞いた事がありませんでした。長い時間の中で気が付いたのですが、こんなにすばらしい同修でも私に反感を持っていたのですが、同修は何も言いませんでした。私がすらすらと弁じたてていた時、その同修は顔をそむけました。当時の私の話は難解で、的を得た事を話すことも少なかったのですが、それでも私に対して好評な意見もまた聞こえて来ていたのでした。
ある日、ある同修の家に行き、その同修は以前、私からシステムのインストールを学びました。しかしその後、同修のインストールの方法はFireFoxを使ったもので、私が教えたFDM(訳注:Free Download Manager。ダウンロードマネージャーのひとつ)ではありませんでした。私は不思議に思い、どういうことなのかを同修に尋ねました。すると同修は「この方がインストールしやすいのです」と教えてくれました。そして家に帰ってから確かめてみると、確かにインストールし易かったのです。私の知らない多くの技術をその同修が有していることに気づき、さらに同修が私に教えてくれた時、「教える」という感覚はなく、ただ同修の知っていることを教えてくれただけでした。そして、私が同修に教えていた時も、同修には「学んでいる」という感覚はなく、ただ単純に学習していただけでした。これこそが交流であり、これこそが同修との正常な関係である、と私はゆっくりと気づき始め、ゆっくりと悟り始めました。
私は「学ぶ」ことを体験し始め、謙虚さを学習し始めました。一度、同修と真相を伝えに行った時、私は心を込めて「私は本当にあなたたちに寛容になれないのですが、私はそれを本当に学びたいのです」と言いました。その時、私は本当に謙虚に同修の話を聞き、同修の穏やかな話し方や誠実な心に注意を向け、私の普段の言行はどうだっただろうか、と思い返してみました。帰りのバスの中で、1人の男性に真相を伝えたのですが、うまく伝えられませんでした。すると、同修が静かに私の話を引き継いで、小さな声で引き続き法輪功の真相を伝えました。そこには恨みがましさや指摘などはなく、三退するかしないかに関係なく、静かに真相を伝えていました。穏やかな同修の伝え方を身に染みて感じ、私に欠けていたのは正に謙虚さと無為だったのでした。
ある時、何年も会っていなかった同修の家に行きました。その同修は修煉しているのかいないのかわからない状態になっていました。私は以前の滔々として止まらなかった指導的な口調を改め、心を込めて同修が語る修煉体験を聞き、同修が向上した部分があれば励ましました。それは私が学習しなければならない事でもありました。同修は「息子の嫁が私を嫌い、部屋を片付けてくれないので、他の人に部屋を片付けてもらい、同時に自分も部屋の片づけ方を学習し、自分で片付けられるようになりました。私に不足があり、誰かが私を責めるのであれば、私は改めます」と言いました。このとても素朴な話を聞いて、自分が謙虚さを学んだからこの話を聞くことができたと思いました。もし以前のように法を正していることの建前を伝えたならば、同修のこの着実に修めた悟りを聞く機会はなかったでしょう。この同修の着実に修煉した悟りは、私にとって何と尊いことだったでしょうか! 話をしていた時に、私は双盤で座禅しているのに気付きました。同修はまじめに「私は何年も座禅を組んでいませんでしたが、あなたが座禅を組んでいるのを見たので、私もこれからは改めてまた煉功します」と言いました。実際にはこの日、私は何も語りませんでしたが、同修は煉功をすることになったのでした。そして、私は謙虚さに対してある感覚を持つようになりました。
私は改めてパソコンのデスクトップ上にある一つの文章を開くと、タイトルには「自分を低く置くことを永遠に覚える」と書かれていました。これはずいぶん前に自分を目覚めさせるために書いた文章でしたが、数多くの言い訳を作ってずっと見ていなかったので、私は恥じ入ってうつむきました。師父は「いま現在、この講習会にも、うぬぼれている人がいて、ものを言う態度まで違います。自分のことをいったいなんだと思っているのですか。佛教においても、このことは強く忌避されているのです」と説かれました。
修煉とはこんなにも厳粛なのです! 謙虚さは玉のように心の中の暗闇を照らして明るくし、何事も大げさに話そうとする心、相手を緊張させようとする心、優位を保とうとする心、自我や嫉妬などの執着を剣のように貫きました。謙虚さは、自身を無とし相手を有としてもてなし、静けさの中に威厳を持てるようなエネルギーを有しており、人の知恵を開き、慧眼で物事の更に深い一層の事実を見せてくれたのです。謙虚さは修煉者が持つべき心構えであり、修煉者が備えるべき品格なのです。
私がよく接触する同修は、結果を求めずにただ行い、倒れてもまた立ち上がって続けて行なっていたことに気が付きました。私はどうだったかと考えてみると、煉功は体に支障が起きないようにするため、座禅は足のため、学法や発正念を多くするのは何かの問題を解決するためでした。自分で自分を按排し、目的を持って何かをするとしたら、それは法の意のままの表れに制限を設ける事でした。それが最もありありと現れていたのは同修に技術を教えていた時で、私が要求した時間内にマスターするように同修が心がけなかった時は、ひどく恨み、同修が上の空だからだ、と感じました。しかし、これは結果を求める心でした。私はだんだんと「教えながらただ自分を修め、私が何を修めて取り除くべきなのかを見て、やるべきことを行い、無為の心境を抱きながら行い、何も結果を求めない」と悟りました。現在、頑張って技術を学び続けている同修は、みんなのためにシステムをインストールしながらすでに多くの悟りと経験を積んでおり、各々が自分なりの認識を持っていました。他の同修にシステムのインストールを教えに行かなければならない、と悟った同修もおり、その中で、多くの事が感じられました。師父は「修は己にありて、功は師にあり」[3]と説かれました。どのように行えばみんなが到達できるのか、ということをここで要求しているわけではありません。ここでは無為に対して少しだけ悟ることができたのです。
内に向けて探すことは空論ではありません。「自分を全体の中に置き、全体の上に自分を置いてはいけない」こともスローガンではありません。本当に自分を正してはじめて迫害を否定することができます。時には、技術の同修も他のプロジェクトで協調をとることがあります。私は「技術のプロジェクトを行う時、技術の同修が「学ぶ」心構えの必要性に気づき、協調をはかっている同修が協調する時、「協調される」心構えをマスターした時、個人修煉、法を正す修煉や全体の向上にとって大きな助けになる」と考えています。また私は「技術の同修であれ、協調をはかっている同修であれ、常に厨房にいる小僧が寺の住職をやってみるように、違った形式で順番に技術や協調の仕事を行えば、各々が違った認識に気づくだろう」と思っています。問題を見る角度が異なれば、問題の対処の方式が異なり、異なる形態で全体を円融できるでしょう。
全体で協力する中で自我を放下しさえすれば、非常に堅固で破壊できない全体を形成することができ、それこそが師父の要求なのです。以前、ある同修が「一滴の水が大海に入ってはじめて押し寄せる大波のようにすさまじい勢いとなり、一滴の水が気化してはじめてあの青い空と白い雲を現すことができる」と言ったのを覚えています。全体で協力する中で自我を放下してはじめて全体の力を反映させることができるのです。愿做绿叶伴花艳,愿化泥土润芬芳(緑の葉に花が咲き誇るのを願い、泥がかぐわしい香りで潤うのを願う)
同修の皆さんの包容力、理解、協力にここで感謝を申し上げると同時に、私に批難され叱責された同修の皆さんに心から「申し訳ありませんでした!」とお詫びします。
偉大なる師父の慈悲なるご加持とご慈悲に感謝申し上げ、弟子が今日まで歩んでこられるようにしてくださったことに感謝申し上げます! 精進することで師の恩に報いたいと思います!
合掌! 叩頭!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「再認識」
[2] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「最後の執着を取り除こう」
[3] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[4] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「道」
(明慧ネット第12回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)