文/北京の大法弟子
【明慧日本2016年8月4日】法を正す進展はすでに最終段階に近づいてきました。法を正す期間における大法弟子の修煉、師に手伝い衆生を救い済度する事もラスト・スパートとなりました。一部の大法弟子は、私も含め人心が多く、また外部からも妨害され、心の中で焦ってはいますが、なかなか行動が伴いません。三つのことをしても、状態が良かったり悪かったりして、長く持続することができず、当初の精進する状態には達していません。それに対して師父はとても焦っておられるのです。
ある日の昼頃、私は夢の中で、「早く追いかけよ、早く追いかけよ、早く追いかけよ」と3回催促する声に起こされました。びっくりして目を覚まし、時計を見ると、2時過ぎでした。師父は資料を作らせようと私を起こしてくださったのです。今年に入ってから、息苦しい症状が度々起こりました。時には長時間大泣きした後、呼吸が苦しくなりました。最初の頃は、長年迫害されたことによって蓄積した胸のつかえを晴らしていると思い、あまり気にしませんでした。ある日座禅をしていた時、古代の服装の女性が、両手で死んだ人を抱いて私の前に現れました。死んだ人は仰向けで、手足を垂らし、同じく古代の服を着ていました。彼女は私の前で涙をぽろぽろと流し、とても悲しそうに泣き、随分経ってから消えていきました。出定した後、私はとても辛く感じましたが、いったいどういう事か分からず、ただ私の修煉と関係があることだけははっきり分かっていました。
その後、私の息苦しい症状はますます頻繁に起こりました。自分の状態から、前に見た光景を思いだしヒントを得て、私は突然悟りました。彼女たちは私の世界の衆生で、私がしっかり修煉をしていなかったため、彼女(彼)達は瀕死の状態に面しており、一部はすでに死んでしまったのです。彼女(彼)らは悲しく泣いており、私がしっかり修めて彼らを救ってほしいと願っているのです。
ここまで書いて私は泣きました。私は罪を犯しているのです。私がしっかり修めていないため、彼らは救われず、私によって殺害されているではありませんか。当初、私は彼(彼女)らの希望と願いを背負ってこの世に下りてきたのに、私は彼らを裏切っているのではありませんか。その時、私は必ずしっかり修め、師尊の要求と法の基準に達しようと決意しました。私はしっかり行って、その次元の法の要求を満たせば、師尊の無辺な慈悲と無辺な法力によって、私のせいで命を失った天国の衆生を必ず連れ戻すことができ、蘇らせることができると思いました。
人間は生まれた時、なぜオギャーオギャーと泣くのでしょうか。それは、彼(彼女)らがこの世の邪悪を知り、帰る望みがなく、来たくないからです。赤ちゃんの両手がしっかりこぶしを握っているのも、彼女(彼)らがこの世のものをもらってはならず、徳をもって業力と交換することが分かっていて、何も要らないからです。しかし、年齢が上がるに従って、本性を次第に見失い、人々を腐敗墜落させる環境にどっぷり浸り、辛酸を嘗めて、一生の努力を払って、最後にこの世を去った時、手を開き、世間の功労、名声、利益、官禄の一つも持ち帰ることはできません。来る時は裸で、行く時も裸で、肉体も含めて何も残りません。それなら、財産や家などに執着し、目先のちっぽけな利益の損得に執着して、何の意味があるのでしょうか。執着しても結局この世を去る時、何もかも失い、何もかも役に立ちません。
師尊の法を正す進展は、すでに最後の最後まで来ており、修煉者としては目を覚まさなければなりません。金と緑にきらめく天宮をほったらかして帰らず、天国の衆生の生死をほったらかし、分子で出来た不潔な泥で築いた家に執着し、この世の恩怨や情、恨み、また業力に絡んだ肉親の情に支配され、これも考え、あれも気にかけ、執着しています。しかし、死んでしまえば、残った業を返さなければなりません。それなら、なぜこれほど心配するのでしょうか。その上、我々には果たさなければならない誓約をしっかり行わなければなりません。すでに退路はありません。誓約は私たちが署名し誓ったもので、神体で保証をしたものです。師父は私達の一人ひとりの誓いによってそれぞれの大法弟子の道を按排されています。
師父は「機会がまだある人がいますが、一部の人は機会さえもありません。まだ間に合う人がいますが、一部の人はもう走るしかありません。しかし、基礎がなければ、法に対してそこまで認識できていなければ、やり抜く原動力があるのでしょうか? 精進できますか? 法の中で基礎を築いていなければ、やり遂げられないのです。あの決心、あの確固たる信念は法に由来しています。時間は差し迫っています。師父は皆さんを喜ばせるようなことばかりを話したくはありません。励ましの言葉は本当にたくさん話しました」[1] と説かれました。
私は走らなければならない部類に属しており、師父にご心配をお掛けし、「早く追いかけよ、早く追いかけよ、早く追いかけよ」と催促されているのです。慈悲なる師父はもう一回チャンスをくださっています。自分にはまだ望みがあると言い聞かせ、この機会をしっかりと掴まなければならないと思いました。すべての人心の束縛を振り切って、師父からいただいた最後のチャンスを大切にし、全力で走って、奮い立って追いかけ、限られた時間の中でラスト・スパートをかけるしかありません。法をしっかり学び、功をよく煉り、正念をしっかり発し、資料を作り、残りの時間に出かけて、直接真相を伝え、三退を勧め、多くの人を救い済度し、誓約を実行し、使命を果たし、合格した大法弟子になって、師に従って帰ります。
私の状況と似た同修に、少しでもお役に立てばと思い、以上の内容を書き出しました。合掌。
注:
[1]李洪志先生の経文:『二〇一五年米国西部法会での説法』