文/中国の大法弟子
【明慧日本2016年9月22日】中国・黒竜江省七台河市の東風炭鉱で、2005年11月27日、170人もの人たちが死亡した大きな炭鉱爆発事故が発生しました。大爆発により、全ての機械設備が壊れ、地上への出口や通風口(注釈:地下の人々の呼吸のための空気の取り入れ口)も埋もれましたが、私は大法弟子として、師父のご加護で生き残っただけでなく、地下に閉じ込められて危険な状況に遭った二十数人もの人々を救い出しました。
11月27日の夜8時、入坑して間もなく、バーンという爆発音と同時に、私は衝撃波によって倒れました。大きい事故が発生したとすぐ分かり、その瞬間まず思ったのは人を救うことでした。直ちに走って行って、発破を掛けるのを止めようと思いましたが間に合わず、爆発音とともに送風機も停止しました。操作規定によると風が止まった時は、すぐに全ての電気設備のスイッチを切ることです。それは後でガスを排出する時、事故が発生するのを防ぐためです。しかし、その時誰もが外へ向かって走って逃げ出し、私は1人で吸い揚げポンプとウインチなどの電源を切りました。全員が逃げまどう大混乱の中で、彼らは避難経路を間違った方向へ向かって走り出しました。彼らを救うためにすぐ坑口の方向へ追いかけましたが、途中、隊長とガス検査員に出遭いました。2人は鼻を覆って逃げていましたが、私を見ると「そっちへ向かってはだめだ! すぐ戻れ!」と怒鳴りました。「私と同じ採掘場の人たちを見ませんでしたか?」と聞くと、「逃げるだけで精一杯なのに、他人のことを考える余裕などあるものか」と言われました。彼らは戻るように命令しましたが、私は同じ組の人を救わなければと思い、身の危険を顧みず前方へ走りました。
坑口に近い坑底へ到達したら、1人が煙で意識を失っていました。私は彼の綿入れの上着を濡らして頭を覆い被せて動かないように言った後、モクモクと立ち上る黒煙の中を上へ上へと登りました。急に頭が膨らんだ感じがして、目も飛び出しそうになった瞬間、師父の詩『師徒の恩』の中の「弟子正念足りれば 師は回天の力あり」[1]を思い出しました。私は師父に加持し救ってくださるようにお願いしました。私は登りながらずっと大声で「師父!」「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」と念じ続けました。ようやく上の貯炭所に着くと、そこはもっと濃い煙で真っ暗で、もう少しで真向かいの人とぶつかるところでした。「なぜ今まで、ここにいましたか?」と聞きましたが、彼は答えずにむちゃくちゃに逃げ回っていました。「どこから来ましたか? 私の組の人たちを見ましたか?」と聞いても、うんうんと頷(うなず)くばかりでした。これは危ないと思い、まず彼を煙が少なくて、安全なところまで連れて行きました。
この時私は一心に人を救うことだけを考えていました。理研計器で毒ガスの量を歩きながら測りました。この理研計器では、たった2種類の気体しか測れず、別の気体は測れませんでした。この時、私自身も耐え難く感じたので、鉄道にあぐらの姿勢で座り、結印を結ぼうと試みましたが、手が効かなくなっているのを感じ、あるよくわからない力が私の手を引き離したり、くっつけたりしたので、両手で結印を結ぶことができませんでした。私は掌を立てて正念を発しようとしましたが、ある強大な力が私を斜めに傾け、何かが私の命を奪おうとしているのを感じ、すぐに師父に助けを求め、発正念の口訣を絶え間なく念じました。その時、私は頭の上、つまり百会穴のところから一陣の温かい流れが身体全身を下っていくのを感じ、それが足の裏の湧泉穴まで降りてきました。私は直ちに身体が気持ちよくなっていくのを感じ、師父が私に灌頂してくださり、力を与えておられるのがわかりました。このように、私は3回も師父が灌頂してくださったことをはっきりと感じ、師父は私を救い、邪悪な生命が操っている腐敗した物質を取り除いてくださいました。私は大変感動し、思わず涙を流し、大声で「師父! 弟子は感謝致します!」と叫びました。
私はまた師父に加持を求めていると、採掘場の換気口の中から人がいっぱい大騒ぎで出て来て、道を選ばずに逃げ惑いました。その中には、私と同じ組のガスの検査員がいました。その人は私がここに座っているのを見て、大声で「ここにいる27人の労働者は、あなたに任せますよ」と私に言いました。言い終わると彼は、自分の場所を探して座り込みました。私は「大丈夫です、任せてください」と答えました。
10分くらい経ったあと、換気口が開き、中から2人が入ってきました。その中で1人がもう1人を支え、その人は「上にもう1人意識を失って倒れているが、どうしますか?」と尋ねましたが、誰1人として話す人はいませんでした。なぜなら、倒れている人がいる場所は換気取り入れ坑道であり、そこは険しく、命の危険を犯してまで行きたい人は誰もいませんでした。しかも、そこの煙がひどく、既に2人も燻られていて、全員それを知っていました。煙がひどくて息ができず、いつ倒れてもおかしくなく、いつでも命を奪い取る可能性があり、避けても避けられないのに、人を救うことはなおさら難しいのです。だが私は「人数を確認し、誰が来ていないのかをはっきりさせ、上に行ってその人を救いましょう」と話しかけました。
当時は私を含めて4人のガスの検査員がおり、彼らは皆自分の理研計器が壊れたと言い、座ったまま動こうとしません。それを見て「私の機器は使えるので、助けに行きます。誰か一緒に行ってくれませんか?」と尋ねましたが、時間がたっても誰も答える人はいません。私は彼らに「誰が上にいるか知らないけど、上に行ってその人を救いに行きます。あなたたちは同じ採掘場の人であり、友達であり、親戚であり、私たちは同じ採掘場の下で、生死をさまよう兄弟であり、難儀をともにする友人であり、人が死にかけているのに助けないわけにはいきませんね?」と、長い間説得し、やっとのことで3人が私と一緒に行くことになりました。私は理研計器を背負い、正念を発しながら、彼ら3人を上に押し上げ「あなたたちは私との距離が、10メートル以上離れないでください。そうすれば問題ありません」と注意をしました。
70~80メートルの長さの換気取り入れ坑道は、傾斜が急であり、滑りやすく、モクモクと立つ煙に包まれて、だんだんと力もなくなる中を、一歩一歩と進み、ようやく意識を失った人のところにたどり着きました。戻る時、私たちは前と後ろの2人ずつに分かれて、ビクビクしながら少しずつ下へ向けて歩きました。ちょうど、2メートルくらい垂直に下がるところに来ると、水管が通っており彼らを先に下がらせ、下で受け止めるように言いました。私は足を鉄の水管のところで支え、意識を失った人を足の方からゆっくりと滑らせました。その時、何回も穏やかに慌てないように、彼らに言い聞かせました。ようやく無事に下へ着きましたが、そこからまたさらに、1.5メートルくらい垂直に降りなければなりません。今回は2人が先に降りてもらい、意識のない人を先に降ろし、次に私が降りました。最後の人が降りる時に体力が続かなくなって急に倒れました。私がすぐ抱きしめたので、彼は怪我をしませんでした。「どうしましたか?」と聞くと、「頭がクルクルします」と答えました。私は彼を支えて換気口を出ました。そこでまず、意識のない人の救急治療を行うと、本人は蘇りました。しかし、その時一緒に救いに行った張さんが、意識を失いました。すぐ張さんにも救急治療を行ってやっと蘇りました。でも2人は寒気がして、身体がぶるぶる震えていました。私は自分の綿入れの上着を彼らに順番に着せました。その時、私は作業服とメリヤスのズボンだけ履いていました。
そして、そこで2時間も過ごしました。この間私は患者を移動するほか、頻繁に計測機器で計測をするなどいろいろな作業をしていました。劉隊長は「今後、どうするかね」と尋ねました。私は「スパナで送風管を解体して、風(地面から入る空気)があるかどうか見るべきです」と答えました。大変苦労してやりましたが、結局風は来ませんでした。
もしずっとこのまま風が通らなければ、炭鉱の中の残り僅かな空気が使われ、全員間違いなく窒息死になります。その時、大声で助けを呼ぶ人、額を地面につけて礼拝する人、泣いている人、泣きながら中国共産党が腐敗して、従業員の命を粗末に扱っていると罵る人、誰もがイライラしてどうしようもありませんでした。
私は「今は別にこれと言った方法もありません。唯一の方法は『法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!』と念じ続けることです」と言い、皆全員で「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」と念じました。私が大声で念じると皆も大声で念じ、エネルギー場が非常に強くなり、周りに拡散するのを感じました。自分の頭のてっぺんに強いエネルギーを感じ、師父が私たちに力を与えておられるのがわかりました。目の前が明るくなり、体力も回復し、心にも自信が満ち、間違いなく救われると私は確信しました。
でも残念なことが発生しました。中の2人が信じないばかりでなく、大法と師父を罵りました。この2人は、結局生きて戻ることができませんでした。
4時頃になると、空気が希薄になり、間もなく足りなくなるので、誰かがすぐ外へ出て知らせなければならないことを意識しました。「誰か一緒に行ってくれますか?」と尋ねると、1人がようやく行くと言ったので、2人で出口の方へ向いました。2人で別の貯炭場に到着すると煙が濃く、匂いが強く、死んだ人が十数人散らばっていました。もっと上へ登って見ると送風管が壊れ、電車が見えましたが、電線が全部切れていて、運転手は手でハンドルを握ったまま、頭が吹き飛ばされてなくなっていました。そこから外の方向の坑道は石で塞がっていました。ここを掘ると空気が入るので、下の人は生存の可能性がもっと高くなると思い、私たちは一生懸命掘りました。皮が擦りむげて血が出たり、朽ちた木が肩や足に落ちてきて、痛くても我慢して掘り続けました。ちょっと大きな穴ができたと思ったら、繰り返して石が落ちて再び塞ぎました。でも続けて掘り進め、入る空気が多ければ多いほど良いので、2人で大体十数トンの石を掘り出して、完全に外の空気が通るようにしました。
もっと前進すると道に迷った人に出会って彼を救いました。石を掘り出すことで体力を消耗し、力がなくなりました。普通炭鉱に入る時、私は食べ物を持って入りませんが、ちょうど今回はマーホア(注釈:小麦粉をこね、油で揚げて作る中国の菓子)を持ち合わせていました。彼らにあげたら2人が受け取らなかったので、難儀を共にした友人なので一緒に食べようと言いました。ランプの電気も少なくなり、3人で一つのランプを使うようにしたので、石を運ぶのも不可能になりました。一緒に前へ向いて50メートル歩いても、出口がないので戻りました。空気もうすくて非常に危険な状況でした。車庫だけ外の変電所と繋がっていたのでそこへ入りましたが、車庫も待合室も全部崩れ落ちて中の50~60人が全員死んでいました。私はドアの上からやっと登り、地上に這い上がりました。
外に出たら記者たちが取材に来ていました。「下にはまだ25人が生き残っています。一刻も早くその人たちを救出してください」と言った後、記者の取材に応じて、自分が人を救った過程を言いました。私は「師父の保護がなかったら誰もここまで来ることできず、10回も死んだのに等しいのです。あなた達も『法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!』を覚えておいてください。そして、なぜ助かったのか、事実の通りを報道するようにお願いします」と言うと、記者たちはこれに同意しました。
東風炭鉱から七台河分公司、竜煤集団(黒竜江竜煤鉱業控股集団)、市役所の人まで多くの人たちは、私が二十数人を救ったことを聞き、英雄だと感服しました。各部門の責任者はテレビ局とラジオ局の記者たちに、私を取材するように手配しました。幾つかのビデオとカメラの前で、私は自分が人を救った経過をもう一度話ました。ある記者は「あなたはなぜ1人で逃げなかったのですか? なぜ他の人を救うことができると確信しましたか?」と聞きました。「私は法輪大法の修煉者で、師父が我々を救ってくださいました。師父は私たちにどんなことに遭っても、まず他人のために考えるようにと教えていますので、人を救うことができました」と答えました。後で、市のテレビ番組で3日間しか放送しませんでした。私は「自分が話たのは全部事実で、確かに師父の保護で私たちが救われたのに、なぜ放送を中止したのか? その人たちはなぜ信じないのか?」と心の中で思いました。
それからもう10年が過ぎましたが、毎回のように炭鉱で人が惨死していた場面を思い出すと、思わず涙が流れます。自分のためではなく、同僚が救われなかったことに心が痛みました。ある時同じ採掘場で働いて死んだ2人の夢を見ました。私は手を伸ばしてつかもうとしましたが、2人の手は放れていきました。目が覚め涙が止まりませんでした。私が皆を率いて「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」と念ずることで皆が救われましたよ! なぜあなたたちは信じなかったのですか? なぜ念じなかったの? 知っていますか? あなたたちの家族は泣き崩れましたよ。奥さんたちは泣きながら「皆が生きて戻れたのに、うちの人はどんな悪いことをしましたか?」と訴えました。死んだ人たちは中国共産党の虚言に騙されて、善を勧めても聞かず、悪の応報を受けました。あなたたちは家族と親友にどんなに大きな苦痛を与えたかわかりますか? 家族の人たちの今後の生活はどうしますか?
一方、救われた人たちを見ると、とても嬉しく思いました。あなたたちが念ずることで善の念、大法に善意を持つ一念が見え、大法の無辺な威力が現れ、助かりました。
今もなお、正義と善良が踏みにじられ、良知が金銭と権力に買収され、善なる念が暴力に脅かされ、道徳が退廃して、良い人たちが迫害されています。迫害した悪い人たちとその一味を待っているのは、どのような結末でしょうか? それはどのような破滅や災難でしょうか? 想像できないほど恐ろしい結末です! でもそれは全部自分たちの自らの選択で招いたものです。良い人たちを迫害することに参与している人たちに忠告します。1日も早く目覚めましょう! 明るい未来のある道を選びましょう!
振り返ると、あの大事故から10年も過ぎましたが、私は世の中の人に真相を伝え、もっと多くの人を救い済度することの重大な意義を、だんだんと理解し、はっきりと分かってきました。悪に加担している人たちは、一刻も早く目覚め、明るい未来のある道を選びましょう!
注:
[1]李洪志師父の著作:『洪吟二』