明慧法会|師父の按排に従い、歩めば歩むほど楽しくなる
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文/河北省の大法弟子

 【明慧日本2016年10月1日】

 待つ

 法を得る前、私は体が弱くて病気にかかりやすく、頭がくらくらしてぼうっとしていて、いつも気分が悪かったのです。若いころは本を買って読むのが好きで、人生の真理を知りたいと思っていましたが、まったく探し当てることができませんでした。その後、政府関連の勤め先で働きましたが、ますます迷い込んでしまい、悪い遊びにふけり、いつも酔っぱらっていました。時間があれば同僚と集まりトランプやマージャンなどの賭け事をしていました。このように、暇ですることがないので得難い時間を無駄にしてしまっていました。冷静になった時はいつも「このようにして一生を無駄にすごしてしまうのだろうか?」と自問していました。

 ある日、川辺の橋のたもとで息子が学校から帰って来るのを待っていると急に「体がこんなに悪く、こんなに多くの災難に遭い、何度も死神が肩をかすめて行ったにもかかわらず、私は死んでいない。これにはわけがあるはずだ! お天道さまが私をお作りになったのは、きっと意味があるはずだ! 今生には必ず大事の出現が待っているはずだ」と思いました。

 それから数カ月経ち、私はついに法輪大法の修煉を始めました。『轉法輪』を読んですぐ、「これこそ私がずっと待っていたものだ! これこそが私が生命の中でずっと探していたものだ!」とはっきりとわかりました。

 そのころは、時間があれば『轉法輪』を読み、四六時中、心の中はこの上ない喜びと安らぎで満ちていました。修煉の第1日目から、マージャンとか賭博とか、無駄話や酒を飲むことを全てやめ、職場ではまじめに仕事をし、飲食の接待を受けても絶対に行かず、お金や品物を贈られても断りました。なぜなら私は法輪大法を修煉しているのですから、良い人間にならなければならなかったからでした。

 私が修煉を始めて10日ほど経った頃、妻が突然私に「今日は出勤するのをやめてください、話したいことがあるのです。あなたが修煉しているあの法と私と、どちらが必要なのか決めてください」と言い出しました。

 その時、私の心は非常に静かで「どうしてこんな取り交わしが行えるだろうか? 私は家を出て乞食になっても学法しなければならない!」と思いました。そこで妻に静かに「『法輪大法義解』を渡すから、まずは私が学んでいるのが何なのかを理解してください、私が仕事から帰宅してまた話し合いましょう」と言いました。

 その日の夜、家に帰ると、妻がうれしそうに「どこで煉功しているの? 私も明日行きます」と言いました。なんと、妻は1日で『法輪大法義解』を読み終えて、法輪大法がすべての生命に対して最も貴重なものであることを理解し、法輪功の修煉を始めたのです。

 その日の夜、夢うつつの状態で、直径が1メートルのダイヤモンドで構成されたような透明な太い柱の上に立ち、一路天に向かって高く高く、高く高く上昇し、見渡すと人間の世が見え、そこは真っ黒な泥沼のように、非常に汚く不潔な所でした。高く上がるにつれて、周りはどんどんすばらしく、頭はどんどん清浄になり、非常に神聖で落ち着いた所まで飛んで行った時、天空に漂う清浄な天体が見え、すべてがほとんど透明な光球でした。後で、それは私の元神が体外に出て見た他の空間だったことがわかりました。

 劫難

 法輪大法に出会えたことに興奮しすぎたからでしょうか、すぐに歓喜心や強烈な何かを求める心、顕示心などの各種の人心と執着による妨害が起こり、心を込めて法を学ぶことができず、心を落ち着けて修煉できず、法に基づいて向上できず、師父が苦心して按排してくださった2年間の着実に修める時間をうまく利用できず、大事にすることができませんでした。それに対して、この2年という時間に、妻は毎日心を静めて学法し、毎日法を書き写し、『轉法輪』だけでも9回も書き写しました。

 1999年「7.20」、中国共産党の法輪功への迫害が始まった後、妻は着実に学法していたためにほとんどいかなる魔難も受けることはありませんでした。北京へ法を実証しに行った時も、警官は妻を引きずってパトカーに行ったかと思うと、パトカーの外へ妻を押し出し解放してしまいました。私たちの所に洗脳班が設置された時、誰も行きたがりませんでしたが、妻は積極的に行く事を要求し「私が行きます。そして洗脳班をぶち壊してきます」と言いました。

 洗脳班では、最も積極的に迫害に加担して来た警官が「転向」させようとしましたが、その警官は話しているうちに突然「法輪大法は素晴らしい」と感じ、「法輪大法は素晴らしい」と今にも言いそうになり、自分でもおかしいと思いながら「どうして私はあなたをここに入れてしまったのか?」と言いました。そこで妻は「ずっとあなたが話していただけで、私は別に何も言ってませんよね?」と言いました。実際、師父の慈悲なるご加護があれば、大法弟子が一思一念を法に置いた時、エネルギーの強い場の中で中国共産党はどうすることもできなくなるのです。

 結局、数日後、洗脳班は本当に壊されてしまい、それからは私たちの地区に洗脳班が設置されることはありませんでした。

 それに比べて、私は学法をしっかりしておらず、時にはしっかり学法し、表面上は迫害反対を唱え、多く法を実証し、多くの衆生を済度してきましたが、本当は師を信じ法を信じていなかったので、根本から旧勢力の按排を否定できず、留置場や労働教養所、洗脳班を何度も出たり入ったりして、人身の自由を失って5年が過ぎ、さらに不当に拘禁されていた期間に公職を失いました。あるべきではない多くの人為的な苦痛と魔難を受け、多くの重大な損失をだしてしまいました!

 警官と悪人リストに載っていた「610弁公室」のリーダーが変わった

 私が最後に迫害されたのはオリンピックの1年前で、中国共産党は再び私を不当に留置場に連行しました。留置場で私が真相を伝え始めると、警官がすぐに邪魔をしに来ましたが、しばらくしてからその警官との関係が穏やかになり、大法弟子が良い人間であることを見てとると、私を連れて端から端までそれぞれの部屋に収監中の人たちに真相を伝えさせました。その警官は「この人たちはとても悪いので、よく諭してやってくれませんか」と言いました。

 しかしその時、私が不当に連行されたことを家族はまだ知らず、私が留置場で真相をはっきりと伝えた後、ある人が私の情況を家族に知らせてくれたのでした。私が不当に連行されたことを知った多くの同修が私のために正念を発してくれました。その結果何が起こったかというと、留置場ではその頃、毎朝、30分近く雷雨が降り、耳をつんざくような雷がひっきりなしに留置場の四方で鳴り響きました。

 その頃、留置場内で接触できた人にはほとんど真相を伝えました。留置場には背が低くて顔が黒い恐ろしいほど太った警官がいました。その警官は悪辣で、毎日口汚くものを言い、収監中の人たちを日差しの強い中で走らせ、さらにそれを楽しんでいたので、ほとんどの人がその警官を恨みがましく思っていました。こんな人でも救われる機会を与えなければならないと思い、その日、その警官の所に歩いて行って、「紙とペンをください、書きたいことがあります」と言いました。その警官は私の要求を聞くと、驚いて立ち上がり、建物の中に走って行き、走りながら他の警官に「早く、早く法輪功を学んでいるあの人に紙とペンを渡してくれ、あの人は何かを書きたがっている」と叫びました。数日後の早朝、細心の注意を払って法輪功の真相を書いた手紙を留置場の所長に渡し、さらに所長に頼んで610弁公室などに渡してもらいました。

 その頃の数日間、私はずっと真相を伝え続けていましたが、旧勢力が按排した迫害を打破することに対して自信がありませんでした。なぜなら何度も迫害を受けて、心にすでに大きな暗い影をもたらしてしまっていたからでした。

 当時、二つの市(私は地方で不当に連行された)や県公安局と多くの警察署が労働教養書(訳注・労働教養の実施を決定した書類)を書き上げ、私にサインさせようとしました。最初、私はそれを持って来させてやぶりました。数日後、警官たちがまたやってきて、労働教養書を読み上げた後、うす笑いをしながら「今回はサインする必要はありません、あなたに労働教養処分を科するのは、公安局の内部では決まっている。理由はないが、オリンピック前の1年間あなたを閉じ込める。だから、あなたを閉じ込めて労働教養している間、私たちは心配がいらないというわけだ」と言いました。そして、警官たちは私の写真を撮ろうと迫ってきました。

 その時、たいへん辛くなり、また労働教養を2年科されるのであれば、私の修煉と衆生を救うことは遅れることになるのではないでしょうか? そこで、「師父、助けてください! 師父、助けてください! 二度と中国共産党の迫害を許さないでください! 二度と中国共産党の按排を許さないでください!」と大きな声で叫びながら師父に助けを求めました。最初の叫びは、中国共産党の邪悪な要素の間を貫通しなかったと感じたので、もう一度「師父、助けてください! 師父、助けてください! 二度と中国共産党の迫害を許さないでください! 二度と中国共産党の按排を許さないでください!」と大きな声で叫びました。今回は確かに師父につながったと感じました。

 その瞬間、突然すべてが変わり、邪悪な場は一瞬にして溶けてしまったかのように、警官たちは私の写真を撮る必要はなくなってしまったようでした。警官たちは私に向かって静かに「あなたは先に戻りなさい」と言いました。私がその部屋を出ると、また別の警官がやって来て、にこにこしながら私に「家族が会いに来ている。もともと今日は会えない日のはずだったが、ちょうど今日は所長がいらっしゃっていて、あなたのために手配したので、食堂で家族と一緒に食事をして、おしゃべりしなさい」と言いました。

 一緒に夕食を食べた時、家族や同修と一緒に当時の師父の最新経文である2007年の『米国首都法会での説法』を学びました。学び終わった後、その時いた1人の同修が「どんなに大変であろうと、私たちがまず考えなければならないことは、どのように人々を解脱させるか、ということだ」と言いました。

 次の日、妻と他の2人の同修が市の公安局へ行きました。その日は日曜日だったので、公安局の中には610弁公室のリーダーしかいませんでした。後に、その時のことを妻は私に「私が彼らに会いに行ったその時、師父の最新説法の中の『表面上我々は世間の人に大法への支持を求めていますが、これは人間のこのところに表した世間の人の考えです。実はその反面、このことは逆になっています。大法を支持し、大法を肯定的に宣伝した人は自らの未来に生命の存在を切り開き、未来に法を得るための基礎を築いたのです』というお言葉を覚えていました。結果、短い立ち話をした後、610弁公室のリーダーはすぐに関係部署の協調人にあいさつし、正面から私たちのために話をしてくれました。そして、そのリーダーは留置場まで車を運転し、自ら手続きを完了させた後、礼儀正しく私たちを送り出してくれました」と話しました。

 一緒に来ていた同修はこのすべてを見て「あの610弁公室のリーダーは同修が認定した悪人リストのトップに載っていたはずなのに、ありえないことではないですか? 今回の事は本当に不思議に思います!」と驚きました。実際、師父が法を正す要求に符合すれば、法を正すエネルギーが生じ、奇跡が起きるのです。聞くところによれば、それから、その610弁公室のリーダーが迫害に加担することはなかったそうです。

 法をよく学び、着実に修煉し、人を救う

 この出来事の後、自分の問題をしっかりと見ることができました。学法ができていないため法の中で清らかになることができず、今回の迫害を人間の心で対処したため、迫害を重く見てしまった時には、すでに師父を信じ法を信じる正念が揺るぎ、どのように迫害に立ち向かうかという考えで頭がいっぱいになり、負担が重くなり、たぎった心はまったく静まらず、これでどうやって学法に入っていけるでしょうか?

 留置場から戻って来てからショッピングモールに店を開き、正常な生活と仕事を取り戻し、法を学び修煉し、真相を伝えて人を救いました。学法し着実に自分を修めるにしたがって、大きな変化が起こり、次第に法から法を認識できるようになりました。以前は、大法が素晴らしいと感性で理解していましたが、いつも何かが心と大法を隔てていました。しかし今は毎日、商売をやりながら真相を伝え人を救い、着実に修煉し、時間があれば学法し、次第に心が充実し落ち着いて来たのを感じました。同時に心を静めると、師父が見守ってくださっており、師父が順序良く按排してくださった修煉をますます実感できるようになってきました。

 ある時、整然と制服を着た長身の警官が店の売り場に立っていました。何度も迫害されていたので、その警官を見た時、心が特別に具合が悪くなったと感じました。過去の迫害の中で、警官たちが中国共産党に操られた時の邪悪な表情は私に多くの心的障害をもたらしました。「真相を伝えるべきかどうか? 彼を救うべきかどうか? 救おう!」と心の中で決めると、同時に、「スパイをも済度する」[2]という師父の説法が頭の中に浮かんできました。正念が出て来ると、知恵も生まれました。私はその警官に「私たちの国に法律はありますか?」と聞きました。するとその警官は私に「それがどうしたというのですか?」と聞きました。そこで私は大法を学ぶことの素晴らしさ、江沢民はなぜデマを流して法輪功を陥れようとするのか、江沢民たちはなぜ法に背き規律を乱し殺人を行い無実の罪を法輪功に着せようとするのか、などを伝えました。私の話を聞き終わると、その警官はため息をついて「なんとまあ、私たちの国の法律の後味の悪さは格別だ」と言いました。

 またある時、制服を着た2人の若者が来店したので、その2人に真相を伝え、三退してもらいました。次の日、制服を着た6、7人の人が店の外を行ったり来たりしているのを突然見つけ、心が少し動揺しましたが、制服を着た人たちが入って来るのを見ると、その中の2人はすでに三退した人たちであり、2人が同僚を連れて真相を聞きに来たのでした。私たちはまたその人たちに真相を伝え、三退してもらいました。このようにして、警官に対して形成されたよくない観念は次第に取り除かれていったのでした。

 このように絶えず法を勉強し、絶えず人を救い着実に自分を修める中で大法に同化していくと、心がますます落ち着き、はっきりしてきました。私は次第に、中国共産党の按排は大法弟子がまだ放下していない各種の恐れる心と執着に向けてやって来るもので、本当に法の中で説かれている「怖くなればなるほど、本当に病気にかかったような気がします」[3]のようだと悟り始めました。、もし私たちが法の中で清らかになり、師父が法を正す要求と衆生を救い済度する要求の事だけを心の中で考えているならば、中国共産党の按排に影響されることはなく、中国共産党は何もできなくなるのです。中国共産党の表れが狂ったようになっていても、正法の前で、師父の前では中国共産党は何ものでもなく、単なる脅しにすぎないのです。

 旧勢力の迫害を本当に打破する

 2008年の年末、私たちの県の5人の同修が車で隣県へ行って真相を伝え人を救っていた時、悪意をもって通報され、5人とも隣県の警察に不当に連行されましたが、その内の1人が途中でパトカーから飛び降りて逃走したので、同修が不当に連行された報せをすぐに知ることができました。

 その頃、私たちはいつも師父の『二〇〇八年ニューヨーク法会での説法』を学習していました。今回の件についてどのように対応すべきかみんなで討論していた時、私は「今回、私たちは以前のいつものやり方は行いません。今回の件を良いこととして処理します。5人の同修はあの場所の衆生を救いに行ったのではないですか? それならば私たちも一緒に立ち上がり、引き続きあの場所の衆生を救いましょう! なぜなら本当に危険なのは大法弟子ではありません。私たち同修は師父が見守ってくださっています。中国共産党は主導権を握っておらず、不当に連行された同修たちは連行された場所で真相を伝え、邪悪を震え上がらせるでしょう。本当に危険で助けが必要なのはあの場所の衆生であり、旧勢力の按排に利用されて大法に悪行を働いてしまい、大法弟子に対する迫害に加担してしまった法曹機関と610弁公室のスタッフです。邪悪が彼らを利用する目的は彼らを処分することなのですから、彼らこそすぐに救う必要があるのです」と言いました。

 この時、今回の件における他の空間での表れを師父は私たちに見せるように按排してくださいました。5人の同修が庭で法輪功の資料を車に積み込んでいたちょうどその時、他の空間では師父の法身と万の神がすでに邪悪を取り除いてくださり、今回の人を救うための下地を按排してくださったのでした。車がまだ庭を出ていない時から、数十キロ離れた隣県の人々のはっきりしている一面はすでに「今日、隣県の大法弟子が私たちを救いに来る」とお互いに知らせ合っていたのでした。そして隣県の人々は早くからその場所で跪き、両手を胸まで上げ、真相を待っていました。

 法に基づいて向上し、正念を持って行なったので、私たち同修はとてもよく協力できました。毎日みんなが集まり車で隣県の公安局、県委員会、留置場まで行って発正念をし、ある同修は不当に連行された同修の家族と協力して直接隣県の国保大隊(法輪功迫害の実行機関)へ行って真相を伝え、同修の引き渡しを要求しました。5日後、数人の同修が戻り、その後、同修の車も引き渡されました。

 隣県で迫害された後に救われて外に出て来ることができた同修が少なかったので、隣県での邪悪の表れはずっと狂ったように、610弁公室はいつも同修の家まで押しかけて来て同修に「煉功をやめる」と言わせようとしました。少しでも610弁公室に協力的でないとみると、すぐに捕まえて車に乗せ、市内の洗脳班に送り2カ月間不当に拘禁しました。しかし、今回の事件の後、隣県である人がまた610弁公室へ行き大法弟子のことを通報しようとした時、610弁公室の人間は「邪魔だ、その人は煉功するのが好きなんだ。あなたが関わる必要はないだろう? 北京に行って私たちにトラブルを引き起こすようなことはしないでくれよ」と言うようになりました。

 私たちは「人間の空間こそ迷いの空間であり、他の空間には迷いがなく、他の空間では人の一思一念はそこにはっきりと並べられている。師父は法を正す中で一切の衆生を救い済度しようとなさっており、それに対して旧勢力は衆生を利用して大法に対して罪を犯そうとしている。旧勢力が見下げる生命を淘汰しようとしているので、本当に邪悪なのは旧勢力の按排であり、救い済度しようとする大法弟子の心は師父が法を正す要求に符合し、絶望の中にいる生命に希望を見せた時、同修の救出活動は自然と順調になるのだ」ということがわかりました。

 4人の同修は戻って来てから、隣県の留置場で正念を発していた時に外での和やかさを感じ何も障碍は感じずとてもリラックスできた、と話しました。そして、4人の同修は、同修たちが助けてくれているのがわかり、「残されたことは、私たちが内に向けて探すことです。私たちはどこで間違い、どうしてこのようなやっかいなことにぶつかってしまったのでしょうか?」と言いました。

 今回の事を通じて、旧勢力の按排を全面的に否定するとはどういうことかを私たちも理解しました。

 実際は宇宙の特性がすべてを制約しており、すべてが師父のコントロールの中にあるので、中国共産党が何を按排し、何をしようと私たちの心は動かされず、見れども見えず、聞けども聞こえず、という状態なので全く心が動かず、私たちが法の中で清らかになり自分がやるべきことを行えば、中国共産党は何ものでもなくなります。

 師父の按排に従い、歩めば歩むほど楽しくなる

 着実に自分を修める中で、私はさらに「私たちは人間社会の中で修煉の過程にいるので、人心が映し出され、よくないものが映し出され、さらにとてもよくない悪い思想までもが映し出されても、これは正常なことで、私たちがそれらのよくないものを分別して排斥し、よくないものに動かされなけばそれでよい。よくないものの妨害を突き破り、よくないものを排斥し、よくないものに打ち勝つことができた時は、いつでも生命が浄化され、精進し成長する過程にいるのだ」と感じました。

 店を開いてからここ数年来、誰かに会えば法輪功の真相を伝え資料を配ってきましたが、何のトラブルもありませんでした。もちろん、私にはまだ多くの不足が存在していますが、たとえそうであっても、正常に師父が按排された中を歩めば、中国共産党の按排は実際には何ものでもありません! 私たちは店の中で警官と話をしながら真相を伝え三退を勧めることも自由に行うことができました。師父はまた私たちにもう一つの縁を按排してくださり、私たちは北京にも店を開きました。もちろん、この店は法を実証し衆生を救い済度するためのものでした。

 北京に着いたばかりの時、北京は中国共産党の中心なので北京では注意しなければならない、と同修が言い含めに来ました。しかし、私たちが店の前で、全国から来た縁のある人に対する時は一筋に真相を伝え三退を勧めて衆生を救いました。人々は千里のかなたの海南島、ウルムチ、黒竜江省からやって来て、もしかしたら縁はこの1回しかないかもしれないのに、私たちが真相を伝える機会を逃してしまえば、それは犯罪ではないでしょうか? お客に対してだけでなく、ショッピングモールの社長やガードマン、大家さん、通行人など、会った人にはみな真相を伝えました。地下鉄に乗った時は混んで車内に人がいっぱいで、真相を伝えることができなかったので、心を静めて正念を発し、地下鉄に乗っている人たちのために中国共産党の虚言が作り出した思想の毒害を取り除きました。

 ある時、北京の店で、3人の人がカウンターにいた私の所に歩いて来たので真相を伝えたところ、その中の1人の男性が「黙れ、私は610弁公室の者だ」と言いました。しかし、私は相手の言うことに影響されず、続けて真相を伝えました。すると男性は後ろを振り返って「実際今は集団事件は起きていない、放っておこう」と言いました。男性と一緒に来ていた女性の1人が男性の後ろから私に向けて親指を立てました。時には、警官や街の共産党書記などに会いましたが、誠意を示しながら警官や書記たちと話をすると、警官や書記たちの中には友人になってしまった人もいました。

 ある81歳のおばあさんは真相を聞き終わるとすぐに学法がしたいというので、おばあさんに『轉法輪』をあげると、次の日、わざわざ遠くからはるばるやって来てお礼を言い、合掌しながら「ありがとうございました」と言いました。また10日経っておばあさんがやって来て「本はもう何度も読んで、天目も開きました」と言い、今回、おばあさんは法輪功の動作を学びに来たのでした。

 私が妻と各地に仕入れに行った時は入る店ごとに法輪功の真相を伝えました。河南省で、1人の若者に真相を伝えて戻って来ると、妻が「あなたが真相を伝えていた時、あの若者はたいしてよく聞いていませんでしたが、若者の家の玄関のバケツの中で飼われていたゼニガメは精神を集中して聞いており、真相を聞き終わると小躍りしながら喜んでいました。あのゼニガメの後ろに40歳過ぎの修道者がいてずいぶん待ったと思うのですが、今日まで待ってやっと真相を聞くことができたようでした」と言いました。またある時、ある店先である宗教を信仰している数人の女性に真相を伝えると、最後に女性たちは目を大きくして「あなたはまるでキリストのようです!」と言いました。そこで私は「違います。私は法輪大法を修煉している者です」と言いました。

 そうです、師父は「全世界の全ての人々はかつて私の親族でした」[4]と説かれましたが、それならば、衆生はみな私たちの親族であり、大法を誹謗中傷する嘘によって壊滅されるのを見て、どうして救わずにいられるでしょうか? その人たちが無量の天体の衆生を代表していることは言うまでもありませんでした。

 絶えず真相を伝えていく中で、私は「私たちは大法弟子なので、すべてを師父にお任せしているのだ! もし心の中が師父と大法の事だけであれば、行うことのすべては清らかになり、法を実証し衆生を救い済度するためであれば、行き詰る道などない。旧勢力が按排した迫害と私たちの間に定められた関係はない。師父が迫害を按排なさったことはなく、師父は旧勢力の按排を全面的に否定なさっている。旧勢力が行ったことや按排を私たちが一思一念で認めるのなら、修煉が専一でなくなるのではないか? それでは中国共産党と共に歩む事に等しいのではないか? もし旧勢力の全ての按排と旧勢力が行うことのためには動かないという意識をはっきりとさせれば、旧勢力が行うすべては虚像となる」ということを悟りました。

 ここ数年来、本当に師を信じ法を信じ、着実に修めることを気に掛け、師父について行っているので、歩めば歩むほど楽しくなってきました。

 その日の夕方は、仕事を終えてショッピングモールを出ると、とても寒いことに気づきました。冬は暗くなるのが早いので、大通りの明かりもぼんやりして暗く、灯火は明るくなったり暗くなったりしていました。街中いたるところで商売人が忙しく散らかっていたものを片付けながら店じまいをして帰ろうとしており、狂風が吹き出し雪も混じり砂塵やごみが顔にぶつかってきました。少し寒くなり始めたと思ったとたん、いろいろ考えると、心から笑えてきました。街中いたるところにいる人は自分がどうして生きているかを知らず、毎日生活のためにいやと言うほど忙しくしており、どうにもならなくてもがいているのです。それに対して私たちは、自分がどこから来たかをすでに知っており、自分がどこへ帰らなければならないのかを知っているので、毎日大法の中で修め、自分が帰る道をしっかり歩み、いつでも師父の法身に保護されており、毎日衆生を救いながら自分の未来の限りなく美しい永遠を円満しているのですから、どうしてこうも楽しいのかがわかるでしょう! その瞬間、歓喜と感謝の念で胸がいっぱいになりました!

 「根本から旧勢力の按排を否定し」[4]に対する再認識

 北京で私たちはある同修(以下・Aさん)に会いました。Aさんは何をやっても苦しい結果になり、Aさんの言動は多くの同修から反感を買い排斥されて、Aさんを手助けしようとした多くの同修を傷つけたので、Aさんがどんなに悪いか、どれだけよくないか、くれぐれもAさんから距離を置いて近づかないようにという話が互い間で流布されていました。Aさんの姉(常人)は両親(ともに同修)を扶養していると言っていましたが、両親の2棟の家を売ってお金を手にした後、80歳の老父を借家へ連れ出して住まわせました。母親は迫害の魔難の中でなくなってしまいました。Aさんは奥さん(同修)と仲たがいし、奥さんは捕まえられて不当に刑務所に入れられ、息子さん(同修)もAさんを無視していました。Aさんは商売をしても何かをすれば謝らなければならない事態に陥り、行き詰まることが多く、何につけてもうまくいかず、まるで中も外も行き詰っているかのようでした。

 Aさんが積み重なる魔難を食い止めて克服した後、ついに私たちは一緒に切磋琢磨することになりました。法の勉強を通じて、ついに私たちは「今回起きたすべてのことは本来あるべき苦しみではなく、混乱はすべて、邪悪な旧勢力が按排したもので、師父が求めておられることではない。師父が按排してくださった道を、もし私たちがしっかり歩まなければ、虚像に率いられ、邪悪な旧勢力の按排を歩む事になる。もし私たちが同修の不正を見た時、この不正の部分に心を動かされ、それによって法に則って正念で対処できなければ、私たちも同じように旧勢力の罠に陥り、大法弟子の間にわだかまりが形成され、互いに仲たがいして狂乱し、誰かを排斥し誰かを攻撃しようと思った時、旧勢力が自らを守るために見下げた生命を淘汰しようとする心と、私たちとはどんな違いがあるのか? 旧勢力がこのように次々と淘汰したならば、旧勢力は最終的に自分自身によって淘汰し尽くされるのではないか?」ということがわかりました。

 師父は法の中で一切の衆生を救度なさろうとしています。それに対して、旧勢力の按排は衆生を利用して大法と大法弟子に罪を犯し、それによって自分の気に入らない生命を淘汰しようとするものです。もし私たちがこのすべての外に立ち、慈悲深く救い済度しようという立場に立ち、師父が法を正す基点の要求の上に立てば、私たちには問題の本質が見え、踏み間違えた道から抜け出すことができるのです。

 ここまで切磋琢磨した時、私たちは師父が説かれた「乱世の悪縁はすべて善なる形で解かれます」[5]に込められた意味を理解しました。衆生がどんな態度をとろうと、同修がどんな態度をとろうと、私たちはただ慈悲深く済度するだけなのです。

 私たちが旧勢力の按排にはまらずに行うことができ、旧宇宙の生命の問題を見ないということができた時こそ、私たちは師父が法を正すお手伝いをすることが本当にできるようになるのです。

 旧勢力の按排とは何か、どのように旧勢力の按排を否定するのかをAさんが理解した次の日、遠くにいる老父から電話がかかり、Aさんの姉が老父のために食事を作りに来て老父の世話をしていった、ということでした。しばらくして、亡くなった老母が夢の中でAさんに「旧勢力を全面的に否定することをあなたが理解したので、私も旧勢力の按排から解放され、これからはあなたたちのために行うことができます」と言いました。振り返ると、Aさんは息子さんとも正常に交流できるようになりました。そして、刑務所の大隊長が直接電話をして来て「最近奥さんは体調がよくないので、保証人を立て一時出所させ入院させてください」と言いました。

 本当に、私たちの心が変わると、周囲の環境も変わりました。

 この数日間、私たちは早朝まで学法や交流をし、師父の慈悲なる加持の下、旧勢力の按排を全面的に否定するとは何かを知りました。私たちはこの数日、かつてないほどの清らかな喜びを感じ、すべての細胞が法によって充実させられているかのようでした。

 師父は『洪吟二』「大穹を正す」の中で次のように説かれています。

 「邪悪の逞しきは幾時までか

 衆生の志尽く顕れる

 此の劫は誰が外に在る

 衆神の癡なるを笑って看る」

 この1篇を何度も読んで「もし私たちが師父が説かれた『根本から旧勢力の按排を否定し』[4]のように本当に行うことができれば、旧宇宙から離れ、師父が法を正す時期を共にでき、迫害の魔難は私たちと何の関係もなくなるのではないか?! そうなれば、私たちは劫難の外にいることになるのではないか?」と理解しました。

 実際ここ数年来、私たちは人間の心で迫害を重視しすぎており、旧勢力の迫害の魔難の誤った虚像の中にいた時間が長すぎたため、大法に同化し、法を実証し衆生を救い済度する大事を本当に遅らせてしまいました。

 修煉と認識上の不足がまだたくさんあることがわかっていながら、これらの個人的な認識と同修の皆さんとの交流について書きました。妥当でないところがありましたら、同修の皆さんの慈悲深いご指摘をお願いします。

 注:

 [1] 李洪志師父の著作:『導航』「米国西部法会での説法」
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法九』「二〇〇九年大ニューヨーク国際法会での説法」
 [3] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [4] 李洪志師父の著作:『二〇〇三年元宵節での説法』
 [5] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「法がこの世を正す予告」

 (明慧ネット第12回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/11/6/318644.html )
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2015/11/7/153561.html)
 
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