文/中国の新しい大法弟子
【明慧日本2016年10月6日】私は2014年9月に『轉法輪』を読み始めました。その時、『轉法輪』の中に「それでは佛法とは何でしょうか? この宇宙の最も根本的な特性は真・善・忍で、これこそが佛法の最高の体現であり、最も根本的な佛法なのです」[1]と書かれているのを見て、私は本当に心を揺り動かされました。それ以後、私は「真・善・忍」に照らして修煉し、とても大きく変化しました。
求めることなく 人には親切に
結婚してから現在まで5年経ちました。舅と姑はずっと仲が悪く、舅は外で浮気をしていましたが、私達と一緒に住んでいました。しかし、姑は一人で小さい平屋に住んでいたので、家事や用事は全て私一人でこなしていました。以前はやり終えてから非常に腹が立ち、姑が家にいないことを恨んでいました。子供は私一人の手で育てており、いつも不平を言い、自分の負担がとても重く、こんな扱いは不当だと思い、心の中は不満でいっぱいでした。
私は『轉法輪』という宝の本を読んでから、本の中で説かれている通りに従って行いました。本にはこのように述べられています。「この宇宙にはもう一つの理、すなわち大きな苦痛に耐えれば、自らの業力もおのずと徳に転化される、ということがあります。あなたが代償を支払ったので、苦痛に耐えた分だけ、転化が行なわれ、徳になります。煉功者として求めようとしているのはまさにこの徳ではありませんか? このように、業力を転化させることもできましたので、あなたは二つのものを得ました。もし、相手がそのような環境を作ってくれなければ、あなたはどうやって心性を高めることができるでしょうか? みんなが和気藹々で、そこに坐っているだけで、功が伸びるなどということがありえますか? 相手がそのようなトラブルを仕掛けたからこそ、心性を高める機会が生まれ、そのおかげで、心性を高めることができて、本当に心性が高まってきたのではありませんか? 三つ得ました。そしてあなたは煉功者なので、心性が高まれば功も伸びるのではありませんか? これで一挙四得となりました。あなたが相手に感謝するのは当たり前ではありませんか? あなたは本当に心から相手に感謝しなければなりません。本当にそうなのです」。[1] この法はとても素晴らしいと思いました!
私は明慧广播で大法弟子が創作した歌、『神伝文化』と『夢から覚めて』を聴きました。その時、はっきりと分かったことは、私がこの家に嫁いだのは縁だということでした。人の一生はとても短いもので、家族には必ず親切にしなければなりません! しかし、ある時はまた耐えられず、とても腹が立ったりしていました。古い同修に「大法は私達に慈悲の心と穏やかな心をもって、どんな人にも、誰にでも親切にしなければならず、ましてや家の人には尚更ではないですか?」と言われました。それ以後、夫や舅から用事を頼まれた時、私はいつも微笑みながら引き受けることにしました。求めることをせず、親切に接するように心がけました。
このように自分が本当にやり遂げることができるようになった時、奇跡が現れました。約半年が過ぎた頃、私の善い行いに家族は感動し、舅は生活費として月に2千元をカバーしてくれるようになりました。さらに、要望に対し私が不十分でも、私を叱りつけることはしなくなり、夫も早く家に帰ってくるようになり、話し方も優しく、罵ることもしなくなりました。
これは師父が大法弟子に要求された、良い人になり、さらに良い人になり、人が自分に対して良くなくても、自分は人に対して良くしなければなりません。誰に対しても同じように良くするようにしています! このように行わなければ法輪大法の修煉者とは言えません。私は外の知らない人には親切にできても、なぜ家の人にはできないのでしょうか? ですから、本当に求めることなく、家の人に対しても良く接します。家族はそれを感じ取ることができます。
現在、家庭は和気あいあいとして、子供も楽しそうで、とても幸せです。
争わず 利益を求める心を取り除く
集合住宅の出入り口に空き地があり、去年、私はそこへパセリの種を少し蒔きました。傍に木を植えたいと思い、穴を掘って水を撒き、木を植えることにしました。しばらく経って、誰かが穴を埋めて平らにしてしまいました。もしかして私に植えさせたくないのでしょうか? 私は腹を立てながら、新たに穴を掘って木を植えました。
その時、2階のおじさんとおばさんがやって来て、ちらっと見て「野菜を植える準備をしていたのに、あなたはなぜ木を植えるの?」と言い、不機嫌そうにさっと行ってしまいました。
次の日の午前、家の窓から下を見ると、おじさんが木の周辺に野菜を植えていました。そこは全て私が確保していた場所なのに! 私はとても辛くなり、胸が締め付けられるように痛く、頭痛がし、めまいがしました。その最も辛い時に、師父の「名利情を修めて取り除く」という説法を思い出しました。自分を振り返ってみると、利益を求める心が出て、こんなに少しのことで腹を立て、こんなに少しのことでもすべて放下できないのでしょうか? 師父は利益を求める心を放下するようにとおっしゃっています。おじさん達が植えるなら植えさせましょう!
このように思うと、気持ちがすっきりして、頭も痛くなくなり、めまいもなくなりました。窓から下を見ると、おじさんとおばさんがちょうど下から私を見上げていました。私は確かに自分が間違っていたと気付きました。皆この集合住宅の住人であり、騒ぎを起こしたり、この土地に関して人にあれこれ言ったり、その人が良くないと言ったりしてもいけません。師父は我々に良い人になるようにと要求されています。良い人になり、さらに良い人になるようにと要求されていて、誰に対しても慈悲をもって接するようにとおっしゃっています。
私は急いで二つの漬物を綺麗な袋に入れて、下にいる2人に渡しに行きました。2人に向かって「あなた達が植えたかったら植えてください。私はもう植えませんから」と言いました。
話し始めると、おじさんとおばさんは心配がなくなったようで、顔には笑みさえ見えるようになり、私の心はさらにすっきりしました。私は以前植えていた場所も2人に譲りましたが、2人は遠慮して植えませんでした。このことから、私は一つの道理がはっきり分かるようになりました。お互いに奪い合えば、いずれも不機嫌になり、どちらも傷ついてしまいます。お互いに譲り合えば、お互いにとても穏やかな心地になります。
私は話し終えてから、おじさんに手を振り、バイクに乗って走り出した時、春風が吹いて洋服が煽られ、この上なく嬉しくなり心が弾んできました!
法輪大法は本当に素晴らしい!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』