河北省の農婦が二度連行される
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 【明慧日本2016年11月18日】河北省保定市満城区で農家をしている田志仙さんは、法輪功を学んでいるとの理由で満城区公安局・国保大隊・610弁公室・白竜郷派出所および村の幹部に二度連行され、何度か嫌がらせを受け、監視されていた。夫は恐喝を受け、惑わされたため、田さんが法輪功を学ぶことに対して理解を示さず、恨みを抱き、離婚しようとしています。

 以下は田さんが自らが述べた迫害の経歴である。

 一、法輪功は人を善人に導き、心身ともに受益する

 1981年、私は婦人病になり、毎回生理の激痛に我慢できずオンドルの上で転げ回っていました。その後また頭痛、顔のむくみなどを患い、薬に頼って症状を緩和することしかできませんでした。私には2人の娘がおり、世継ぎの息子がいないので、舅と姑に嫌われていました。借金があるため、夫は外でアルバイトをし、2人の幼い子供を抱えながら4人分の農作業をしなければなりませんでした。夫の弟の畑と隣り合っていましたが、舅は隣の畑はきれいに管理して、私の家の畑は草が生えても見て見ぬふりをし、私は心の中で「将来絶対に面倒を見ないから」と不満に思っていました。また、喫煙や飲酒に染まり、度量が小さく短気でした。

 2003年12月、末期癌の父の世話をしていた時、ある法輪功学習者が見舞いに来て、私達に法輪功を紹介してくれました。父のために兄弟、姉妹達は順番に『轉法輪』を読んで父に聞かせました。妹は法輪功に賛同して、すぐ学び始め、私に一緒に学ぶように勧めました。そして、私は先生の録音説法を聴き、『轉法輪』を購入し、MP3を買い、家でも農作業の時でもずっと聞いていました。それ以来、人生にはなぜ苦しみがあるのかが分かり、心を修めて善に向かってこそ福が得られるという道理を知り、度量がぱっと広くなり、喫煙と飲酒の習慣もやめました。

 私は法輪功の教えに従って物事に対処するようになり、重病の舅の排泄の世話までしました。舅はとても感動して、内心から「申し訳ない」と言いました。他のことでも人のために考えるようになり、利益のために争わなくなりました。夫の弟が畑を譲って欲しいと要求してきた時、私はあっさりと譲りました。村の幹部でさえ感心しました。(私が法輪功を学んでいることを知っていたため)

 二、自宅に押し入った警官に連行された

 2008年7月1日の朝4時、煉功をしていた時、突然侵入してきた4人に連行されました。警官は有無を言わずテープレコーダーと煉功テープを奪い、私を車に乗せて満城県神星刑事警察3中隊に送りました。

 刑事警察3中隊では不当な尋問や恐喝、「三書」を書くように強制され、拇印を強要されました。午後に帰宅した後、郷政府人員と村の幹部は、毎日嫌がらせに来て、私を外出しないように監視していました。家族も平穏に生活できず、恐怖に包まれていました。

 三、再び連行された

 2010年8月16日午後3時頃、三十数人が家に押し入り、敷地内は警官でいっぱいでした。数人の警官が部屋に入り、法輪功の書籍を押収しました。そして、私を強制連行しようとし、それを阻止しようとした母と妹に「一緒に連行するぞ」と脅しました。70歳の母は押し倒されそうになり、顔色が真っ青になって、全身が震えていました。妹は大騒ぎする警官を阻止しようとしましたが、私は車の中に押し込まれ、神星3中隊へ連行されました。

 それから間もなくして何人かの警官が、白竜郷の幹部が私を連行した後、帰り道に交通事故に遭ったと密かに話していました。「悪の報いに遭ったのだ」と私は言いました。

 3中隊ではトイレに行く時に必ず監視人がいて、法輪功を放棄する「保証書」を書くように強制され、しかも「書かなければ労働教養所に入れる」と脅されましたが、私は拒否しました。恐らく事故の件があってか、警官らは迫害を止めて、深夜1時過ぎ私を帰宅させました。

 四、家族を傷つけた

 二度連行され拘禁され、絶えず嫌がらせを受けたため、2人の子供と夫に大きな圧力をもたらし、恐怖の中で生活をしています。夫は共産党の人員に惑わされ、法輪功を恨み、法輪功の先生を罵り、法輪功の資料を破り、私の髪を掴んで、咬んだり殴ったりして、私を家に入らせないように鍵を換え、離婚しようとしている。多くの人が夫に離婚をしないように勧めたが、話を聞いてくれません。

 江沢民がこの迫害を発動し、世間の人々が罪を犯すようにした元凶である。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/10/8/335997.html )
 
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