明慧法会|同修救助の過程で自分を探し、多くの人を救う
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 文╱中国の大法弟子

  【明慧日本2016年11月25日】

  慈悲で偉大な師父、こんにちは!

  同修の皆さん、こんにちは!

 昨年の秋、義理の妹(弟の嫁)は江沢民を告訴したため、不法に連行され、家にある法輪大法の書籍、600冊もの明慧週刊、DVD、小冊子など、全てを警察官に差し押さえられました。その後、私は弁護士を雇い、同修の救出活動を行いました。以下では、この活動を通して得た体得を述べさせていただきます。

 一、心が揺れ動く中で自分を探し、無条件で協力する

 義妹は郊外に住んでおり、普段農作業が多いため、法を学ぶことは少し遅れ気味で、昨年、江沢民を告訴した後、不法に連行されました。派出所の警官の恐喝と脅迫の下、彼女は恐れて、警官の要求通りに署名し、「反省文」を書いてしまいました。義妹の「記録資料」が検察院に送られたため、私は弁護士を頼みました。

 あの日、弁護士は留置場に行って、義妹と面会してから、とても不機嫌そうに「妹さんは実に愚かで、もう煉功をしないと言ったのに、それを隠そうとしている」と言いました。弁護士の表情と言葉を聞いて、私の心はふさぎこんでしまいました。しかし彼女は同修で弟の嫁でもありますので、彼女の振る舞いがどうであれ、助けなければならないと思いました。師父はこの迫害を認めないとおっしゃっているので、私もけっして認めないと決めました。

 この弁護士は地元の数人の同修の迫害訴訟事件を引き受けていました。ある日、弁護士が電話をかけてきて、朝、駅に迎えに来てほしいと頼んで来ました。明日、裁判所は同修Aさんの法廷尋問を行うため、午前中に裁判所に行かなければならないので、午後、留置場に行って、妹とAさんに面会したいとのことでした。午後2時前、私達は留置場に到着し、弁護士は留置場に入り、私は車の中で発正念をして法を学びました。4時過ぎ、弁護士は出てきて「妹さんに会わなかった」と言いました。私は「なぜですか」と聞くと「明日、法廷で審判されるAさんはとても正念が強くて、彼女と長く喋ってしまいました」と言いました。実は、私の心の中では、弁護士が初めて妹に面会した後の不満な表情をいつも思い出していました。内に向けて探し、妹がしっかり行っていないため、私には面目がないというメンツを重んじる心がありました。私はそれをできるだけ抑え、そう思わないようにして、なんとか隠していました。しかし、弁護士が留置場に来たのに、妹に会わないのは今日を入れてすでに3回目だ思うと、心は揺れ動き、「2時間たっぷりの時間の中で、弁護士は私と面識のないAさんに会い、妹に会わないのは理解が出来ない。その上、弁護士は話している時、居丈高だった」と思いました。

 私は車を運転しながら、心の中で静かに自分を探しました。弁護士はどうして妹に会わないのだろうか? 私は弁護士を雇ってから、弁護士が私の市に来る時、他の同修の案件を処理する時でも、いつも私は全行程を共にして、朝から晩まで、ほとんど一度しか食事をする暇はありませんでした。一つは弁護士の時間を大事にして、仕事の効率を上げるためで、同時に同修の家族の車をチャーターする費用を減らすためでした。同修は中国共産党の迫害の下、誰でも大変で、経済的に多くの犠牲を払っていると思うと、私は、ふと、利己的な一念が隠れているのではないかと気づきました。それは、弁護士に対してこれだけの努力と協力をしていれば、弁護士はきっと妹のためにもっと面倒を見てくれると期待している心でした。私の振る舞いには、利己心、求める心、義妹に対する情があることに気づきました。師父はすべての機会を利用して弟子の執着心を暴いておられました。

 私は更に考えました。実は私が弁護士を雇った目的はただ迫害された親族を救助するだけではなく、弁護士と一緒に、警察・検察・裁判所の人員と接触する中で、彼らに真相を伝える目的もありました。同修が迫害されることは悪いことではありますが、私たちはこの悪いことを人を救うチャンスにしなければなりません。弁護士が妹のためか、それとも他の同修のためかを区別せず、私は人を救うことだけに専念し、トラブルに遭えば、自分を探し、無条件で協力し、円容し、人を救う場にマイナスの要素を決して侵入させないようにしたいと思いました。

 家に帰った後に、夫(常人)は私に「弁護士は妹に会ったのだろうか?」と聞きました。私は情につられないように落ち着いて、「今日は時間が足りなかったから、会えなかった」と言いました。夫も理解してくれた様子で、それ以上何も聞きませんでした。

 しばらくして、ある日の午後、弁護士から電話があり「今、留置場で妹さんと面会していると言いました。私は弁護士に「いつこちらに来られたのですか、どうして電話をしてこなかったのですか」と聞きました。彼は昨日飛行機で到着した時、すでに夜中だったので、朝、タクシーを頼んで直接留置場に妹に会いに行ったそうです。そして、留置場まで迎えに来てほしい、午後某検察院に行くからと言いました。私は内に向けて探して、窮した時に道は開くことを体得しました。

 私が弁護士と協力した過程では、前後合わせて5人の地元同修が不法に審判を受け、裁判官は彼らが拘禁された期日から計算して、それぞれ1年、10カ月、6カ月の判決を下し、同修を留置場から家に帰らせました。一部の同修の記録資料も検察院に差し戻されました。

 最初の頃、妹1人だけを救出したいと思っていましたが、しかし、その過程では、師父は弟子の心性を高めさせ、結果的に数人の同修を救出することになり、関連する警察・検察・裁判所の人員にも真相を話しました。師父のご按排に感謝いたします。すべて師父がやってくださり、私はただ按排された道を歩んだたけでした。

 二、私は同修の身内の人

 ある朝、私は弁護士と面識のない同修Bさんの娘さんを乗せて、留置場に行きました。弁護士は留置場に到着すると、Bさんと妹と面会しました。午後、法廷はBさんに審判を行う予定でした。

 午後1時前に、私は裁判所に駆けつけました。弁護士は私に「あなたも法廷に入りましょう」と言いました。Bさんの娘さんは家族弁護人を担当するので、彼女は不安そうに「おばさん、あなたも入ってください。うちは家族がいないから、私1人だけです」と言いました。同修は皆身内だと思って、引き受けました。裁判所に入る前に検査が必要ですが、不思議なのは私の身分証は、裁判所の機械がどうしても認識できず(以前他の裁判所ではすべて識別された)警察は「サインすれば結構だ」と言いました。

 私は順調に法廷に入り、2列目の家族席の中央の席に座りました。前に面と向かっているのは裁判官の席で、3人が座っていて、真ん中は裁判官、両側は陪審員、左側に検察官で、右側の弁護人席には弁護士とBさんの娘さん(家族弁護人)が座っていました。私の後ろに十数人の背広を着ている人が座り、2人は裁判官のバッチをつけていました。

 Bさんが2人の女性警官に連れられ入って来た時、入り口はちょうど私に向かっているため、初めてBさんと顔を合わせたにもかかわらず、とても親しみを感じました。私は彼女に微笑んで頷き、彼女も私に微笑み返してくれました。審判の全過程では、私は師父にご加持を求め、全身全霊で正念を発しました。自分がとても高くて大きく感じ、手を山の峰のように重ね、幾重にも重なり合ったように、エネルギーはとても強く感じました。師父が加持をしてくださり、励ましてくださることを知っていました!

 法廷では、弁護士はずっと事実を述べ、法律を駆使し、一つ一つ検察官の訴えに反駁しました。そして、司法部門が修煉者に対する迫害に加担していると指摘し、そのこと自身は法律の実施を破壊しており、すでに司法部門の権限を超え、違法であると言いました。公民の信仰の自由は天から与えられた人権の一つで、江沢民の言い分はデタラメで、違法であると述べました。さらに、弁護士は、国内の多くの弁護士は修煉者に無罪弁護をしており、ますます多くの検察機関は起訴しなくなり、裁判所は刑事責任を問わなくなったことを取り上げ、警察・検察・裁判所の人々も次第に法輪功の真相を分かり、目覚めて、修煉者の迫害に加担しなくなったことを説明し、在廷の司法関係者に大法弟子に優しくするように啓発しました。

 同修の娘さんもとても素晴らしく、情と道理に適って上手に話しました。法廷の空間には正のエネルギーが充満して、私は法廷にいるような感じがまったくせず、目の前の裁判官、2人の陪審員、書記官、及び訴訟席にいる3人の検察官はまるで教室で授業を受けているように、静かに弁護士の話を聞きました。

 審判は3時間続きました。裁判官は1年の刑期を言い渡しました、しばらくして、Bさんは留置場から家に戻りました。

 三、難しくても乗り越えられる

 ある日の昼ごろ、弟(常人)から電話をもらいましたが、とても焦った声でした。弟の話では、先程裁判官から電話があり、2日後に妹の開廷が決まったが、弁護士に電話をしてもつながらないので、早く弁護士と連絡を取って、知らせてほしいとのことでした。

 この事を聞いて、すぐに弁護士に電話をしました。弁護士はちょうど海外にいて、「3日後に帰る予定だが、裁判所は開廷3日前に知らせの書簡を弁護士宛に郵送しなければならず、裁判所が何の手続きもせず開廷するのは、法律上の手続きに合致していない」と言いました。弁護士は自ら検察官と連絡を取って、時間の変更を求め、私にも裁判官に電話してこのことを説明してほしいと言いました。

 その時、すでに午後4時を過ぎていました。裁判官の事務室に電話しても出ないため、翌日、私は裁判官に電話をしました。電話はつながりました。書記官が出て事情を話しましたが、その後、電話をかけても出ないし、お昼になっても出ませんでした。翌日の午前中に開廷する予定となっているのに、どうしたらいいのかと思いました。

 この時、私はそれぞれ北京と重慶の弁護士から電話を受け取りました。いずれも私の弁護士に頼まれ、裁判官を説得する人でした。しかし、電話がつながらないとのことで、私に、今すぐ裁判所に出かけて裁判官と交渉し、裁判官に理由と要求を説明しなければならないと話してくれました。

 弁護士さんの説明はとても明確でしたが、私はやはりよく理解できず、心の中もとても不安で、追いつめられて、とても恐れていました。

 偶然のことはないと分かっています。全ては私の人心に向かって来ているのです。裁判所に行く途中、私は弟に電話して、裁判所の入り口で待ってほしい、一緒に裁判官に会いに行こうと言いました。同時に、私は同修を誘って一緒に行きたい、また正念を発してほしいとも思いました。しかし、同修達は誰も分秒を争って三つのことを行っていると思うと、同修に頼むと、三つのことを妨害するのではないかと思いました。師父がそばにいらっしゃると思いました。私は心から師父に弟子のすべてを按排してくださるようにとお願いしました。正念が強まるにつれて、強大で神聖な気持ちが生まれました。

 裁判所に行く途中、再び重慶の弁護士から電話があり「すぐに地元で弁護士を頼んで、留置場に行って妹さんと面会してください。弁護士の出廷がなければ、絶対開廷させないように妹さんに伝えてください! くれぐれも裁判所の悪意の開廷を防ぐように」と注意をしました。

 弁護士達の行為に私は深く感動しました。すべての生命は法のために来ており、衆生の千万年の希望と期待を思い、師父の慈悲なる済度と衆生のために耐えられた苦難、払われた努力を思いました。裁判官も、法のために来た命で、千万年の輪廻転生の中、ようやく本日を迎え、彼らは大法弟子からの救い済度を期待され、待ち望んでいました。しかし、私たちは時には衆生の期待に背いて、しっかりと修めず、邪悪に隙に乗じられ、裁判官は邪悪の要素に操られ、裁判官が迫害されていると思うと「申し訳ありません。裁判官達……」と悔しさと慈悲の気持ちが混じり合った涙が私の頬から流れて来ました。

 裁判所に到着すると、弟はそこで待っていました。私は弟にもう少し念を入れようとし話し、書記官は裁判官に電話をして、裁判官が来ました。裁判官の態度はとても和やかで、幾つかの質問をしましたが、しかし、師父はすでに何もかも按排されていると悟りました。私たちは直接法廷に入り、書記官に来意を伝えると「弁護士を変えますか?」と聞きました。私たちは「変えません」と答えました。裁判官は「開廷日を変えてよろしいですか」と言うので、私たちは同意すると言いました。裁判官は書記官に期日変更についての文章を書かせました。

 一見難しそうな事はこのように解決しました。帰る途中、師父のご加持のもとで、私を妨害していた恐れる心、どうにもならない気持ちなどの要因が解体されたと思うと、心の中で、師父に対する感謝の気持ちがいっぱいでした。同時に、師父がおっしゃった「功法を修煉すること自体はそれほど難しくなく、次元を向上させること自体には、それほど難しいところはありません。人間の心を捨てられないから、難しいと言うのです」[1]を思い出しました。

 書記官が文章を作る間、私は再び裁判官に妹の家族弁護人をやりたいと申し出ました。この前、私は裁判所で、このことを申請しましたが、裁判官は同意してくれませんでした。恐らく、私は直系親族ではないためだと思いました。今回、私はこの話題を借りて、裁判官に妹がどうして江沢民を告訴したのか、法輪功を煉功してから心身共に健康になり、人にも優しくなったことを話しました。裁判官はこの話を聞いてから、穏やかに「妹さんは法輪功を煉功したこと、江沢民を告訴したことについて、あなたはすでに話しました。彼女の人柄についてあなたは話しました。あなたが言いたいことはすでに了解しました」と言いました。

 四、正念を強める

 1カ月後、私達は裁判所から妹に対する法廷審判の期日の知らせを受け取りました。しかし、タイミングが悪く、その期日は弁護士が他の省の同修を弁護する日と衝突しました。弁護士は私の市の裁判官に、開廷日が変更出来ないかと相談しました。裁判官はすでに一度期日の変更があったため、変えられないと言いました。弁護士は他の省の裁判官と向こうの開廷日の変更を相談しましたが、向こうの裁判官は自分たちが先に決めたもので、変えられない、変えるなら、後者が変えるべきだと言いました。私は裁判官がどんな態度であろうと、弁護士は絶対出廷できる、全ては師父が按排してくださるとの一念をしっかり守りました。

 ある日の午前中、私は静かに自分を探しました。どうして弁護士は開廷日といつも衝突しているのだろうかと考えました。弁護士を招聘する原点に問題はないか、弁護士に依存する心はないかと思い、師父に開示してくださるようにお願いしました。

 それから私ははっきりと分かりました。弁護士を頼むことは正当な訴訟手続で、私達が関連部門に対して真相を伝える目的に役立ち、その他、妹が迫害される案件は、この裁判所での4例目の修煉者に対する裁判案件で、そして、初めて弁護士が当裁判所で無罪弁護を行う案件なので、私は妹の家族弁護人の申請が許可されない状況の中、2人目の北京の弁護士を雇いました。妹のために出廷し弁護をしてもらうことは、弁護士の役割を存分に発揮させ、地元の司法関係者の本性、良識を呼び起こし、世間の人に共産党の虚言を認識させ、素晴らしい未来を選択してもらうことで、弁護士を頼むことの原点に問題はなく、邪悪は隙に乗じる理由はないと思いました。

 私は静かに正念を発し、師父にご加持をお願いし、「いかなる邪悪要素も弁護士が出廷することを妨害してはいけない。するなら犯罪です。即時無生の門に下ります! 大法の法力は無辺です! 大法に出来ないものはありません!」と念じました。

 翌日の午前中、私は警察・検察・裁判所の人員に善を勧める手紙を書いた時、弁護士からの電話を受けました。時間通りに出廷できるようになったという連絡でした。師父のご按排だと分かりました。電話を切ってから、私は「師父、ありがとうございました! ありがとうございました!」と言いました。

 弁護士に会った時、弁護士は「めちゃくちゃ不思議ですよ。向こうの裁判所に開廷日を変更できないかと頼みましたが、彼らは駄目だと言ったのに、突然電話をかけてきて、いつ開廷するかと聞かれたのですよ。裁判所が弁護士に開廷日を決めてもらうのはありえないですよね。こうして、私は開廷日を2日伸ばしました」と言いました。

 五、純粋で慈悲な心で善を勧める手紙を書く

 しばらくの間、私の脳裏にずっと妹の迫害に関与した警察・検察・裁判所の人たちに善を勧める言葉が現れて来ました。彼らに善を勧める手紙を書くべきだと分かりました。警察・検察・裁判所の構内の至る所に監視カメラが設置してあるため、彼らに真相を話すと、彼らはすぐ止めて、或いは大声で邪悪の言葉を叫ぶのです。彼らは監視カメラの前で、真相を聞く勇気がないのです。手紙を書くのは彼らを救う適切な方法だと思いました。そこで、私は実名で、速達で善を勧める手紙を郵送しました。

 私はパソコンで文章を書いて、それから手書きで写しました。手書きの手紙は人に温かみを与え、同時に大法弟子の真心を表し、一つ一つの文字は正義のエネルギーを帯びているからです。

 最初の手紙は国法大隊長宛に書きました。国保大隊長に初めて会ったのは、私と弁護士、それからもう1人の同修の常人家族と一緒に国保大隊長に資料を届けに行った時でした。私たちが持って行った資料には「世界人権宣言」 「公民権利と政治権利に関する国際公約」 「社会主義国家における信仰失敗の教訓」と、国内外著名人の法輪功に対する公正な評価などの資料がありました。国保大隊長はとてもびっくりした表情で、資料を受け取る度に、弁護士のプライスカードを見て、一部資料を受け取ると、一度プライスカードを確認しました。

 私達が彼に真相を話すと、彼は江沢民がでっち上げた邪教の虚言を繰り返して言いました。私達は、法輪功は正法であること、公安が発表した14の邪教リストには法輪功は載ってないこと、また、江沢民を告訴することは憲法が公民に与えた権利であることを彼に言いました。そして、なぜ江沢民を告訴出来ないか? と質問しました。

 しかし、国保大隊長は理性を失い、手を振リ回して、「出て行け、出て行け、お前らは全部出て行け」と叫びました。私たちは出ました。しかし、少し歩いて、もう少し彼に話をしたいと思って、彼の事務室に戻ろうとしました。しかし、彼を見て、私は一言も言い出せませんでした。彼は私を見て、声を低くして、「あなたも帰りなさい」と言いました。私は再び出ました。

 帰った後、私の頭にずっとこの国保大隊長は邪悪で、救いがたいとの印象が残っていました。しかし、その後、この国保大隊長の叫び声には、邪悪に操られた叫びの他に、私達が彼に真相を話していない、救い済度していない絶望感もあると感じました。このたび、彼に手紙を書く時、彼に対する慈悲で善意の呼びかけで、彼の背後にある邪悪の要素を解体し、彼を絶望の境地から脱出させているように感じました。

 善を勧める手紙を書く前に、私はずっと発正念をして、すべての文字にご加持をお願いしました。すべての文字は大法弟子の善念と慈悲のエネルギーを帯びていました。手紙を書く時、私はいつも師父が『轉法輪』の中で書かれた「触ったものすべてにエネルギーが残り、ぴかぴかと光るのです」の法を暗唱しました。

 文字を書くことは心に対するテストです。そして、それは魔性をおさえ、佛性を強める過程でした。うっかりすると、字を書き間違えて、時には、明らかに誤字を書いてしましました。時々、1枚の便箋に一文字を書けば、それが間違い、便箋を取り替えて、数個の文字を書けば、また字を間違えて、また便箋を1枚取り替えました。時には、焦ると字が粗雑になって、またやり直し、時には1枚を書き終わって、チェックする時、筆跡、行間距離が気に入らないと、またやり直し、時には心を静めて発正念をして、さらに書きました。こうして、初めての善を勧める手紙をようやく書き終わり、大法弟子の慈悲の呼びかけの手紙を、国保大隊長宛に郵送しました。

 2通目の善を勧める手紙を書く時、誤字や粗雑な文字は少なくなり、3通目、4通目の手紙となると、私はいつも文字が光って、透き通ったように見えました。師父が弟子を励ましてくださることを分かっています。心の中で深く師父に感謝しました。

 それぞれ裁判官、裁判長などに善を勧める手紙を郵送しました。

 妹が不法に開廷されたその日、裁判官は陪審席に座って、一言も言わず、裁判長は開廷前、ずっと私達の家族を案内して、態度も和やかで「今中央政府は法輪功に対して何も言っていないし、人民の信仰を反対しないので、大したことはないよ」と言いました。

 妹の近所の人、親族と友人が開廷すると聞いて、法廷に来てくれました。私は彼らの正義感に感動しました。法廷内の定員があるため、私と弟は席を彼らに譲り、入廷出来ませんでした。彼らに、2人の北京の弁護士がいかに修煉者の無罪弁護をしているかを聞いてもらい、真相を知って貰いたいと思いました。

 開廷後、私は外で正念を発しました。法廷には女性の高い声が聞こえて、また弁護士が大声で弁護するのが聞こえました。とても緊張した雰囲気でした。私はずっと正念を発して、なぜずっと女性の高い声が聞こえているかは分かりませんでした。裁判官も裁判長も男の人なのに、検察官にも会ったことがあるりますが、若い女性でした。しかも、彼女は訴訟を担当し、法廷を主審することは出来ず、これほど叫ぶ必要もないはずだと思いました。その後、弁護士は「叫んだ人は審判長です」と教えてくれました。「裁判所の仕組みをよく分からないため、私は審判長の存在を見落とし、彼女に善を勧める手紙を書かなかった」と自分を責めました。

 法廷の外の掲示板に、彼女の名前と電話番号を見つけました。こうして、私は審判長にも手紙を送りました。

 その後、弁護士は私に「妹さんは不法に1年の刑期を言い渡されました。後1カ月ぐらいで留置場から帰ることができます」と言いました。判決文に記載された期日を見ると、それは私が審判長に手紙を郵送した9日目であることが分かりました。純粋で、慈悲の心で善を勧める手紙を書くことは威力があるのです。

 以上はこの1年の修煉体得です。不適切な所があれば、ぜひ慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1]李洪志先生の著作:『轉法輪』

(明慧ネット第13期中国大陸大法弟子の修煉体得交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/11/1/336980.html)
 
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