文/カナダの大法弟子
【明慧日本2016年11月27日】私は2010年の7月にようやく大法の修煉をはじめ、2015年6月にトロントに来ました。師父の慈悲なる済度と同修たちの無私無我な助けに対する感謝の気持ちを伝えるべく、病による難関と観光地での真相伝えについての体験を報告したいと思います。
不治の病が2カ月で全癒、医師も奇跡と絶賛
妻は1996年6月に修煉を始め、その心身共にもたらした大きな変化を目撃した私は驚きを隠せませんでした。元から患っていた病が治り、せっかちな性格も穏やかになりました。妻と子供の修煉により、家庭がより一層和やかになったので、私は家族の修煉を応援していますし『轉法輪』と師父の経文も読んだことがあります。大法には賛同しており、師父の説法も非常に正しいと思っています。けれども、修煉して天に帰ることや神の奇跡などに関しては半信半疑であり、目の前の実際の常人の生活を放下することができない上、仕事においても成績を出して出世したいとも思っています。
99年の「7.20」、江沢民と中国共産党による法輪功への弾圧が始まってから、妻と周囲の同修たちが迫害されてしまいました。妻と同じ会社で働いていた私も被害を免れませんでした。大きな圧力により、修煉などとんでもないと思ったのですが、家族に修煉を諦めさせるわけにはいかないので、自分の力が及ぶ限り家族を守ることにしました。
妻はよく修煉における体験談や次元が高まった喜びや、師父が説法の中で説かれた人としての道徳や道理などを話してくれます。けれど、自分にはできないと思いました。家族による説得が自分に通じなかったと、娘は泣きながら私に聞きました。「私とママが圓満成就して、師父と帰っていったら、パパ1人ここに残されちゃうんだよ?」と。これを聞いた私は、「それなら、パパはここで家のお留守番をしてるよ。君たちが帰ってくるのを待ってる」と笑いながら答えました。
そして、2010年6月、会社の検診で、私に腎臓がんが見つかり、手術で右の腎臓を切除しましたが、残っている左の腎臓には結石があったのです。退院して、妻と娘の説得により法の勉強を始めました。正直に言えば、この病にそれほど動揺していなかったので、学法も心に入らず、煉功も時々しかやりませんでした。8月になり、身体に再び異変が起こりました。極度のアト二―(緊張減退症)にかかって、全身に力が入らず、何かを飲み込むことすら困難な状態で、食事もできません。仕方なく入院しましたが、治療を受けている最中も病状がますます悪化していき、呼吸困難になり、手術を受けて気管を切り開き、呼吸器をつけて辛うじて命を保っていました。高額な薬品や治療法も試しましたが、一向に治りませんでした。
誰もがダメだと思い、同僚や友人たちが見舞いに来てくれました。病室の扉越しに涙を流しながら祈る人もいれば、後の事まで考えて、妻と娘の面倒まで見てくれようとしている同僚もいました。妻は私にイヤホンを付けて師父の説法を流してくれました。大法の師父だけが私を救えると。同修たちは自分たちの仕事や家族を顧みずにずっとそばにいてくださり、妻と娘の面倒を見てくれました。ある同修は私に師父のある説法の「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」[1]という法理を伝えて、何も心配せずに師父と大法だけを信じればよいと教えてくれました。以前は、娘はまだ幼く、妻も単純な人間で世間で生きていくのに苦労するのは目に見えており、自分がしっかりしなければ誰が家族の面倒を見てくれるだろうと2人の事をずっと気にかけていました。しかしながら、今は師父がおられます。一体何を心配する必要があるのでしょうか。
心を静めて師父の説法を何度も聞きました。救急室ではっきりと二つの夢を見ました。最初の夢は、自分は宙に浮いていて、足は大きくて黒くも白くもない灰色のような水溜まりに浸っていました。そして、今度はベッドで横になっており、大きな手が体の中に入り、毛のない狐のような動物をもぎ取ってくれたという夢でした。つまり、師父が私の病原体を取ってくださったのです。
その後、体の状態が迅速に回復していき、病状が落ち着いた後、医者は以前の検査等で出した結果を教えてくれました。この病を治すには長い時間を必要とし、回復が遅く、お金も結構かかるのです。何年、何十年、もしくは一生涯ずっと薬を服用しなければならず、副作用にも耐えなければなりません。その上、カルシウム不足で骨が折れる可能性もあるそうです。けれども、予想外なことに私はたった2カ月で全癒して退院したので、院長やその他の病院も奇跡だと認めました。
私の身体に起きたことは大法の奇跡と素晴らしさを十分に表しており、これは師父がくださった二度目の生命です。ここで師父の慈悲なる済度に心から感謝いたします!
大法を信じ、正念で偽の病状を破る
『轉法輪』第三講の「師は学習者に何を与えたのか」を勉強している時、ふとあることを悟りました。自分がまだ修煉していない頃から、師父はすでに私の事を見てくださっていたのです。1997年の春ごろ、従業員をつれて6階建てのビルの屋上で給水タンクの修理をしていました。結構古いビルなので、安全装置やその他危険防止のための施設など全くなく、梯子を使って給水タンクの中に入ることしかできません。梯子を上っている時、足を滑らせてしまい、そのままぐるぐると体が回転していきました。屋上から落ちなかったのですが、すんでのところで止まったのです。思い出しても、恐ろしいことでした。今思えば、すでにその時から師父は私の事を見てくださっていたでしょう。「このことがこれほど難しくなると私に分かっているため、歴史上、大法弟子のために私は多くの問題を解決してあげました。生々世々、そこまでして皆さんを守り、皆さんが歩んできたのをずっと見守っていました」[2]と師父は説かれました。
修煉を始めてからも2回ほど大きな病にかかりました。一度目は再び体に重度のアト二―障害が現れ、視界がぼやけ、言葉もはっきり言えず、飲み込むのも困難な状態になりました。けれども、私は全く動揺せず、ひたすら何度も師父の説法を聞き、ご飯が食べられないならお粥やスープを飲み、煉功を続けて、3日後には偽の病状がすっかりなくなり、身体が全快しました。
二度目は前回よりも更に酷い病状でした。ある日の夜中、急な吐き気に襲われたためベッドから降りた瞬間、天と地がぐるぐると回っているようで、体のバランスを保てずにそのまま床に倒れてしまいました。何度踏ん張っても体に力が入らず、起き上がることができません。師父に助けを求め、常人の医学知識を考えないよう、自らの思想を抑制しました。なぜなら、私の父親が中年の時に眠ったまま突然亡くなり、兄もテレビを見ている最中に急にこの世を去っていたのです。できる限り悪い考えを取り除き、師父を信じ、必ず師父と共に天に帰る、そして、師父の按排だけに従うという一心を保ちました。
「苦しければ苦しいほど、物事が極まれば必ず逆の方向へ転化するので、身体全体が浄化されようとしており、浄化されなければならないことを苦しさそのものが物語っています。病根はすでに取り除かれており、残りはほんの少しの黒い気で、それを外に発散させるので、あなたにほんの少しだけ難を与え、ちょっとした苦しみを嘗めさせることになります。 あなたが全然苦しみを嘗めないわけにはいかないのです」[3]と師父は説かれました。妻も発正念をして私を加持してくれました。正常に学法し、煉功することができないのなら、横になったまま師父の説法の録音テープを聞き、座れるときは師父の説法ビデオを見て、ベッドから降りられるようになると煉功しました。それから1週間後、身体は正常に戻ったのです。
後に、身体の心配をしたかどうかについて妻と交流しました。師父のご加護がなければ、自分はとっくに亡くなっていたし、家族もばらばらになっていたでしょう。
自らの経験を用いて大法を広め、真相を伝え衆生を救う
入院していた時、会社のいくつかの部門の同僚が私のために5万円ほど援助してくれました。このお金には一銭も触れませんでした。お金があるからではなく、何かを失わなければ何も得られないという法理を理解しているからです。退院後、妻と一緒にこの大金をそれぞれの人に返しましたし、返せなかった分はお土産等を買って相手の家を訪ね、自ら感謝の気持ちを伝えると同時に、真相も伝えました。妻がいる部門の人は「今の世の中では、わざわざお金を返すような人などいないさ。法輪功を修煉している人だけだよ!」と言ってくれました。
私がまだ治療を受けている時、妻は医者に真相を伝えました。気管を切断してチューブを入れている状態ではとても声を出せるはずがありません。私自身の病状がまさに天安門焼身自殺事件の嘘を暴いたのです。退院後、同僚や友人に感謝の意を伝える機会を利用して、大法の奇跡と素晴らしさ、そして、中国共産党が作り上げた天安門焼身自殺事件の真相を暴きました。多くの人は三退し、中には修煉を始めた人もいます。
同僚に下半身不随を患い、言葉もうまく話せない女性がいます。彼女の夫は元政府の役人で、今はすでに退職しており、彼女を助けるために毎日『轉法輪』を音読し、共に煉功してきました。その結果、彼女のご主人の身体に起きた変化は彼女よりも大きく、長年の不眠症と腹痛がすっかり消えて、それがきっかけで大法を修煉し始めました。
元いた会社で私は総務部におり、金銭や物品関係、工事などの項目を主に処理していました。修煉者として自らを律し、自分のものではない物には手を付けず、欲しがらず、経費による飲み会や食事などには決して参加しませんでした。ある業務課の課長は私の言動を理解できませんでしたが、法輪功が迫害されている真相を知ってからは、家族全員で三退しました。彼女の息子は悪性脳腫瘍を患っており、医者にも治る見込みはないと告知され、もう1人産んだ方が良いという助言まで受けましたが、三退をした後、北京の病院で再検査を受けた時、病状は抑えられたと医者に言われたそうです。その後、子どもの病が完全に治り、当地域の大学にまで合格しました。彼女は私に感謝の気持ちを伝えましたが、すべては師父がなされたことで、師父と大法に感謝すべきだと伝えました。それから、彼女は自ら『轉法輪』を読み、「自分のものなら、無くなることはないし、自分のものでなければ無理に争っても得られません」[3]という師父の説法は極めて正しいと言いました。そして、この世の中で商売をしていくのに感じた疲労と理不尽などを話し、心から我々のような修煉者を尊敬していると言いました。
修煉を始めてから、私たち家族は自分たちの家を資料拠点にして『明慧週刊』や真相小冊子、DVDやネット封鎖突破ソフトなどを作りました。また、周囲の同修と共に学法チームを作って、携帯電話で真相を伝え、同修を救うため近距離からの発正念などを展開していきました。しかしながら、中国のあのような恐怖に満ちた環境下では、様々な執着心は全て恐怖心に包み隠されていたのです。トロントに来てからは、中国大使館やチャイナタウンなどの観光地での真相伝えの活動に参加しました。街の中でマンツーマンで真相を伝えていく中で、様々な人心が暴き出され、学法と交流を通して少しずつ自分を正すことができたのです。
名誉を求める心を無くす
私は表では穏和なのですが、修煉してから、名利を求める心の強さと極めて面子を重んじることに気づきました。何をしても完璧さを追求し、皆に褒めてもらいたがりました。以前の勤務先では、仕事能力はそこそこで、他人が困っていたらすぐに助け、同僚や上司からも高い評価を受けていたため、自慢する心や自分を高く見ているということに気づきませんでした。けれども、観光地で真相を伝える時は様々な人と出会います。すぐに理解してくれる人や励ましてくれる人もいれば、中国共産党に深く毒害されて真相を聞かないどころか、悪口を吐く人もいます。私も反動派だ、頭がおかしいなどと罵られたり、唾を吐かれたりしました。初めは結構動揺して、悔しい思いをしましたが、師父の説法を思い出して、ふと「これは良い事ではないか」と思い直しました。
「大法に対する態度が良くない人、大法弟子に対して凶悪な態度を取った人、こういう人は実に気の毒です。中共がでっち上げた虚言に害毒されたので、このように行なったのです。もちろん、金銭欲に駆り立てられた人もいます。いずれにせよ、私たちが救える人なら、こういう人も含めて、全て救うべきです。その人が今、凶悪そうに見えても、当初は神聖なる天上の神で、この世に来て人間になり、この法を得るために来たのだ、ということがあなたには分からないのです」[4]
法理に対する認識が高まれば心性の次元も高まります。再びこのようなことにあっても、もう気にしませんでした。ある日、チャイナタウンである男子生徒に大声で悪口を言われ、下品な言葉で罵られました。けれども、私は全く動揺せずに、「あなたに法輪功が迫害されている真相を知ってもらいたいだけです」と伝えました。またある日、同じくチャイナタウンで起きたことですが、真相を伝えていると、ある50代の中年男性が怒りながらものすごい勢いで私の前に来て、「お前はどこの国の出身だ!? (中国人なのに中国共産党の悪口を言っているのは裏切り者の行為だということを意味する)」と怒鳴ってきましたが、私は「中国人だよ」と笑いながら答えました。「お、おまえっ……」と怒りで言葉の出ない男性に向かって、「私はただあなたに法輪功が中国で迫害を受けている真相を伝えているだけです。嘘に騙されないでください」と伝えると、その男性は直ちに落ち着き、そのまま背を向けて去っていきました。その背中に向かって「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしいと覚えてください! 良い1日を!」と声を上げて伝えたところ、その人はパッと足を止め、大股で戻ってきて「ありがとう!」と私の両手を握りしめました。
はじめてチャイナタウンで真相を伝える時は、誰かが車の中で私たちの写真を撮っていると同修に言われ、また、中国大使館の前で真相資料を配り始めたばかりのときは、誰かにずっと見られている気がしていました。心臓がドキドキして常に緊張しており、背筋に冷や汗が流れていたのです。しかしながら、怖がれば怖がるほど中国大使館の役人やスパイなどが、自分たちの事を写真やビデオに収めているところが視界に入ってきます。内に向けて探したところ、利己心をまだ取り除いておらず、いつか状況が変われば自国に帰れるなどと考えていることに気づきました。国に帰る気持ちを放下すると、恐怖心もなくなり、正々堂々と中国大使館の前に立つことができ、邪悪を制止することができました。真相を伝えに行く時は、常に身なりや服装に気を配り、清潔感のある格好をし、心を正して真相資料を配れば受け取ってくれる人も増えて、中には自ら資料をもらいに来る人もいます。ある日、中国大使館からある中年の婦人が出てきました。笑顔で資料を渡したところ、彼女は微笑みながら頭を小さく下げて断りました。その後、「あの人が誰か知ってる? 大使館の役人だよ?」と妻に言われましたが、「彼女が誰であろうと真相を知るべきだ」と伝えました。
苦を嘗めたくない心理を取り除く
観光地で真相を伝える時は、丸1日かかりますので、昼食などは適当に済ませて、すぐに再開しなければなりません。ある日、集団煉功を終えてチャイナタウンに向かう途中、「なにか僧や道士たちが修行のために行脚していると同じような感じだね」と妻に言われました。私たちは昔の修煉者よりずっといいと思います。以前のように安逸な生活を求めているばかりで、苦を嘗めたくないようでは、業力を消せるはずがありません。
妻とは昔、中国国内の大学で働いていました。収入はそれほど高くはないけれど、仕事は楽で、それなりに安定していました。当時は、自分はもう贅沢な生活への追求や執着を放下したと思っていましたが、海外に出てくるなり、一気にレベルの違う試練に直面したのです。どのように生計を立てるかという問題です。仕事探しが難しいため収入など全くなく、生活が苦しくなり、内心焦るばかりでプレッシャーも大きかったのです。学法と同修たちとの交流を通じて自分たちの問題にやっと気づきました。師父と大法を信じているかどうか、そして、自我に執着しているという問題でした。後天的に形成された観念と長年注ぎ込まれた党文化に毒害されて、無意識に自分を中心に物事を考えるようになり、法を実証する活動の参加においても、まず自分自身の気持ちを強調し、自らの損得を図り、常人の心で修煉しようとしていたのです。また、修煉において様々な難関を大きく見過ぎたために、トラブルが余計に激しさを増していったのです。
師父が按排してくださった修煉の道で出遭った様々な難関は、すべて自らの精進に繋がるものであり、全ては師父を助け、衆生を救い、自分たちの威徳を樹立するためのものなのです。それなのに、いつまでも些細な損得を気にして、僅かな悔しさを抱いて、一体何になるというのでしょうか。他の同修との距離が見つかったので、すぐに自分を正し、自分の気持ちに執着するという枠から抜け出して、師父が与えて下さったのは全て最高のものであることを信じ、師父に言われたことをしっかりと成し遂げていきたいと思います。
注:
[1]李洪志師父の著作:『精進要旨』「法の中に溶け込む」
[2]李洪志師父の経文:『二〇一五年米国西部法会での説法』
[3]李洪志師父の著作:『轉法輪』
[4]李洪志師父の経文:『二〇一五年ニューヨーク法会での説法』