明慧法会|邪は正に勝てない
■ 印刷版
 

ある大法弟子の獄中体験

文/河北省の大法弟子 帰真

 【明慧日本2017年1月10日】

 慈悲で偉大なる師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 私は2008年「北京オリンピック」の前夜、中国共産党に不当に連行され、2012年7月3日にやっと出所し、正々堂々と家に帰りましたが、すでに丸4年が過ぎ去っていました。刑務所で経験した辛さを振り返ると、感無量です。その中で唯一の喜びは、自分が大法弟子としての責任と使命を終始忘れていなかったということです。師父の慈悲なるご加護と大法の導きの下で、刑務所の外の同修とお互いに協力して正念を加持し、刑務所で自分が行うべきことを不撓不屈の精神で行ってきました。この法会の場をお借りして「中国共産党の邪霊、中国共産党が操る警官、邪悟者および刑事犯と刑務所内で戦った経験と少しばかりの悟り」をご報告し、同修と切磋琢磨し励まし合いたいと思います。

 一、正念で「転向」を諦めさせる

 師父は「法を多く学ばなければならない、法を多く学ばなければならない」と何度も強調されています。私の経験からすれば、できるだけ多く読み、多く『轉法輪』を暗記する以外に、師父の経文や各地での説法も多く学ぶべきで、さらに学んだ回数が多ければ多いほどよいのです。なぜならこのようにすれば正念を強め、自分で是非を見わける能力を強めることに有効だからです。修煉の過程で時には漏れがあり、共産党の迫害に遭った時でも、心には大法の導きがあり、強大な正念と大法に授けられた強大な能力と知恵によって、さまざまな誤謬を正し、最終的に悪に勝つことができるのです。

 1999年7月以前に、私は『轉法輪』をすでに1回暗記し、そして2008年6月までにはもう何回も暗記していました。留置場に拘禁されてからは毎日7、80ページを暗唱、不当に刑務所に移された後は何もせず、ただ『轉法輪』を暗唱し、1日に5講を暗唱することができ、1日も欠かしませんでした。このようにして1年余りが過ぎました。2011年5月までは1日に6講、9月までは7講。翌12年4月27日までは8講、そして5月2日から最終日の7月2日までは、『轉法輪』全9講を1日で完璧に暗唱することができるようになりました。

 全講を完全に暗唱した後、私は全身に正念と大法が授けてくださった力が充満し、同時に、体が軽く、ふわりと浮き漂うような感じがしました。中隊長と教育課副課長が私を転向させようとやって来た時、この強大な正念によって2人を跳ね返してしまいました。副課長は為す術もなく「あんたを『転向』させる望みはなくなった」と言いました。

 2011年4月14日、隊長は河北省衡水市の2人の女性の邪悟者(彼女たちは全省の洗脳班労働教養所、刑務所で「転向」を専門としていた)に会い、刑務所内の3人の邪悟者の応援として送り込み、力を集中して私を「転向」させようとしました。2人の邪悟者は師父をまったく尊敬せず、師父の説法の本に勝手に線を引いたり、角が折れ曲がっている個所も多く、一目見てどんな人間かがわかります。その邪悟者は師父の法を勝手に解釈し、あれこれとでたらめを言い、笑い飛ばしていました。

 さらに噴飯ものなのは、ある時、この邪悟者はなんと、師父のお言葉『大法は堅固にして破壊不可能である』の中の「転向させられ、救い済度されるのは、邪悪によってだまされた衆生だけであり」を持ち出して私に見せ、さらに「これは私を指している」と言いました。そこで私は「返礼」として「これはあなたたちのことを言っているのではありません。あなたたちにどの程度の教養があるのか知りませんが、『この言葉をどうしても理解できない』というレッテルをあなたたちの頭に貼りましょう、ぴったり合っています!」と言いました。3人を加勢するために来た邪悟者は師父のお言葉を見た後、空気の抜けたゴムまりのようになり、その中の1人は恥ずかしさにその場を離れ、外へ逃げて行ってしまいました。女性の邪悟者たちは私に問い詰められて絶句し、言い返す言葉もなく、顔を真っ赤にしていました。

 そこで私は「これでわかったでしょう。あなたたちは中国共産党に騙されていると師父はおっしゃっているのだから、早く目を覚ましなさい! そしてすぐに『三書』を無効にするという厳正声明を発表しなさい! まさか師父があなたたちの目の前に立って『あなたたちは間違っている』とおっしゃらなければ、あなたたちは自分が間違っていることに気づかないとでも言うのですか?」と言いました。邪悟者たちは共産党の邪悪なコントロールにはすでに無感覚ですが、邪悟者たちも自分たちがやらなければならないことは続けなければなりません。もちろん、私も邪悟者たちの話は聞きませんでした(その間、時間を割いて2講の法を暗唱できました!)。

 私は邪悟者たちに伝えました。「師父は永遠に私たちの最も身近な身内です! あなたたちには私に何かをさせようとする資格も能力もありませんが、あなたたちに何かをさせる資格と能力を私は持っています」。そして「あなたたちは師父を裏切り、大法を裏切り、中国共産党に騙され、さらに悪人を助けて悪事を働き、人を『転向』させていますが、この世には『羞恥』という2文字があるのを知らないのですか!」と言いました。

 さらに「歴史上、修煉者が自分の師父を裏切るような法門は一つもなく、この法輪功という法門の法は圓満成就への道です。あなたは公然と師父と『決裂』し、師父をみだりに批判し、そして『圓満になった』と言うのですが、これは典型的な精神病ではありませんか? 自分が悪事を働き、無情にも親子の関係を断絶しておきながら、自分はまるで『大の孝行息子』だと力説しているかのようで、これは正に正真正銘の精神分裂症ではありませんか? 断言できます、あなたたちは100パーセント邪に悟っています」と言いました。

 5人の邪悟者は私に「やられた」と、ぐうの音も出ませんでした。このように双方が丸8日間論争した結果、最後に邪悟者たちは逃げ出し、私を禁錮刑の処分にして、引き続き迫害しようと邪悟者たちの背後で企んだ邪悪な勢力も排除されました。

 二、何の恐怖心もない「孫悟空」になる

 不当な判決を受け刑務所に入ったばかりの時、私はあふれんばかりの正念で少しも恐れませんでした。私は「今日ここに来てしまった以上、ここを去ろうとは思わず、ここを戦場とし、この場所で人を救おう」と思いました。孫悟空の正義のイメージについて師父は何度も説かれていたのを思い出し「現実の『孫悟空』になり、中国共産党の腹に穴をあけ、五臓六腑を『突き崩し』、さんざんな目に合わせ、その腹を『突き破ろう』」と思いました。普段、強大な正念を発して、警官の背後にある邪悪な要素を消滅しました。また、神通を用いて警官を縛り付け、閉じ込め、覆いをかぶせて悪事をしないようにし、それでも悪事を働いた時は警官の背後にある邪悪を解体し、警官本人に罰が当たるようにしました。

 また、独房を閉じることによって、大法弟子が入れられないようにしました(刑事犯だけが独房に入れられた)。なぜかというと、警官はいつも大法弟子を独房に閉じ込め、悪人に24時間厳重に監視させ、大法弟子を眠らせず、「転向」するか「三書」を書くまでそれを続けていたからです。

 「不変性」の対決

 警官に面と向かっても、私は怖くはなく、恐怖心はありませんでした。もし恐れれば心が揺れ、正念を維持することができなくなり、迷うことになるでしょう。留置場にいた時、検察院の検察官、警察署の警官、市中等裁判所の裁判官が「罪を認めるか?」と聞きましたが、私は「無罪のみ認めます」と答えました。不当に裁かれた時も邪悪な裁判官が「罪を認めるか?」と聞き、私はきっぱりと「罪があるのは私ではありません」と言いました。そして最後に、「何か要求があるか?」と聞いたので「無罪放免を要求します」と言いました。

 刑務所に不当に拘禁された後、教育課長と副課長もやはり「罪を認めるか?」と聞いたので、私は「私たちは良い人であり、真相を伝え人を救っているのです」と言いました。そして課長に「法廷で罪を認めていないのに、まさか私があなたの所に罪を認めに来たとでも言うのですか?」と反問しました。すると課長は「ここに来たら『転向』しなければならず、これは不変なことであり、あんたに考える時間を与えよう」と言いました。

 刑務所のいわゆる「不変性」に対して、私たち大法弟子は大法の中でさらに強大な「不変性」を修煉して出しています。法輪大法を迫害することは違法で違憲ですが、これは「不変」です。大法弟子とその家族を迫害すれば決して良い未来はありませんが、これも「不変」です。私たちは師が法を正すことを手伝い世の人々を救い済度していますが、これは宇宙全体の中で最も良く、最も正しいことで、また最も清らかで最も偉大なことであり、これも「不変」です。大法弟子として、私たちは永遠に敬愛する師父を裏切らず、大法を裏切りませんが、これはさらに「不変」です。法輪大法は「金剛不壊となって、永遠に存在するのです」[1]。大法の「不変性」と比べれば、中国共産党の『転向』など、ものの数ではありません。

 ある夜、中隊長がいわゆる「三書」を書かせるために私に会いに来て、都合の良い条件(物を安く買える)を出して誘惑しました。私は心の中で笑って「職場ではかつて、家を与えるとか、十数万元増やすなどの『取引』をもちかけてきたが、それでも動じなかったのに、これっぽっちの『都合の良い条件』が何だというのか」と思いました。私を国家の指導者にするとか、金山や銀山を与えるから法輪功の修煉を放棄しろと言われても決して承諾しないでしょう! 私は中隊長に「書けません、これは殺人です。修煉者にとって『三書』を書くことは死を意味し、常人のさまざまな名利はすべて捨て去り、もう何も残っていません。私が必要なのはこれ(大法を修煉して良い人になること)だけです」と言いました。中隊長は私の話を聞くと悄然として立ち去るしかありませんでした。

 ある時、法輪功修煉者の「転向」を専門に管轄する隊長が私に会いに来て、「転向したのか?」とまず聞きました。そしてさらに「政府が修煉させないのに、どうして修煉する必要があるのか?」と聞きました。そこで私は「決まっているではありませんか。法輪功を迫害するための一切の法律、条令、行政命令はみな憲法に違反しており、すべて不法で無効だからです」と言いました。法輪功を侮辱する言葉を中隊長が言った時、私はとっさに遮り「あなたは法輪功の真相を理解していない、あなたはまったくわかっていません」と言いました。最後に、中隊長は「私はわからないが、お前はわかる、行きたまえ」と激怒して言いました。議論している間、中隊長の声は大きかったのですが、私も負けず劣らず大声でした。そして、監視を担当する刑事犯が「隊長と喧嘩したのか? どうしてあんなに大きな声を出すのか?」と尋ねました。そして「禁錮刑の処分になるかもしれないのに怖くないのか?」と言いました。そこで私は「あなたとは本質的に違います。どうして彼が私を禁錮刑の処分にするのですか!?」と言いました。

 2011年4月、最初に5人の邪悟者と言い争った時、その中の1人が私に「もし隊長が『あなたは人の話を聞き入れますか』と尋ねたら、それでもあなたは、聞き入れないと答えますか」と言ったことがありました。そこで私は「何をびくびくしているのですか? 私にとっては簡単なことですが、あなたにとっては重い負担になっているのではないですか?」と言いました。その邪悟者の恐怖心はその程度のもので、私を転向させられるわけもないのではないでしょうか?

 次の日の夜、教育課長はやはり私に「あんたは人の話を聞き入れるか?」と聞きました。そこで私は「聞き入れません。少しも聞き入れません」と答えました。課長は機嫌が悪くなり、すぐに私を部屋に呼びつけて叱り、最後に「いつかあんたは自ら罪を認め、三書を書きに来るかもしれない」と気休めのように言いました。そこで私は「それなら『辛抱強く』待っていればいいでしょう!」と心の中で言いました。

 私は5人の邪悟者に対して「警官1人に限らず、建物内がすべて警官でも少しも恐ろしくありません」と言ったことがあります。そして、警官を恐れない三つの理由を特別に伝えたことがあります。

 一つ目は、法輪功を迫害することは違憲で違法であり、法輪功を迫害するように追いつめられた警官は操られたロボットのようであり、さらにはさまざまなあさましい手段で修煉者を迫害し、極悪非道で、それによって本当の犯罪者になってしまうこと。

 二つ目は、表面上迫害されているのは修煉者ですが、実際、あなたたちこそ本当の、最大の被害者であり、あなたたちは善悪のけじめがなく、区別もつかず、誰があなたを害しているのか、誰があなたを救っているのかもわからず、宇宙の中で最も恐ろしい劫難があなたたちを待ち受けているのに、あなたたちはそれがわかっておらず、人に売られ、金のために人を害していること。

 三つ目は、あなたたちの隊長が用いているすべての方法は憲法に違反しており、邪法であり、悪法です。あなたたちの背後にいる邪悪な上層部と邪悪な政府は役目を果たした人を見捨てるのが最も上手で、結局のところ当てにはなりません。あなたたちの最後の悲惨な運命は定められているのは間違いありません。しかし、大法弟子が勧めているのは法輪佛法であり、それは宇宙の特性である真・善・忍で、慈悲で偉大なる師父のご加護があり、最後に笑うことができ、最も素晴らしく笑うことができるのは間違いなく私たちであるということ。

 何回もの烈しい論争の後、あの傲慢な隊長はなんと1年以上(私が出所する日まで)ずっと私に会いに来たことはありません。

 刑務所でも人を救うことができる

 警察署で人を救う主要な対象は警官でした。あらゆる機会を利用して、直接面と向かって警官たちに、大法を迫害し、大法弟子を迫害する「危険性」について「人を傷つけるだけでなく、あなたたち自身をも傷つけており、家族も気を休めることができません」と話しました。

 警官が私を留置場へ送る途中でも、国内外における「三退」の情勢と意義について警官たちに伝えました。留置場では、拘留されている縁のある人たちを主要な目標として、同時に主管部門の隊長にも真相を伝え、「三退」を勧めました。拘留されている多くの人が「三退」に同意し、その中でも中国共産党のどの組織にも入ったことのない人たちに対しては「心を込めて『法輪大法は素晴らしい』  『真・善・忍は素晴らしい』と念じれば福報があり、災い転じて福となすことができ、苦難を幸運に変えることができる」道理を伝えました。

 不当に刑務所に拘禁された後、私は刑務所内で人を救うことを開始しました。いつも誰かが監視していましたが、監視の空き間を利用して人を救うことができました。監視人たちはたまに「隊長に報告するぞ」と言って私を脅しました。そこで私は「報告すればいいです。教育課の副課長も中隊長も主管部門の隊長にも真相を伝えてありますから、あなたが報告に行っても私は恐れません」と言いました。すると、ある監視人が「ここはどういう場所なのかわかっているのか、それでもあんたはこのようなことをするのか」と言いました。そこで私は「どこであるかなど関係なく、どこに行っても人を救わなければなりません。隊長も人であり、大切な命ですから、隊長も救い済度される対象なのです」と言いました。

 さらに他の中隊にいる同修に会った時「多く人を救わなければなりません」と伝えました。すると、ある同修はとても素晴らしく「師父が人を救うようにとおっしゃっている」と聞くと、すぐに開始しました。また、ある同修は出所する時大きな「成果」があり、自分が所属している中隊で救える人は全て救い、数十人分の「三退」名簿を持って出所していきました。

 人を救う過程で、私は「正しく行いさえすれば大法の要求に符合し、いつでもどこでも本当に師父が護ってくださるのだ」ということを理解しました。師父はこのように説かれています。「大法弟子が二通りの情況下にいる場合、彼らは手を出すことができません。一つは、磐石のように確固としていれば、彼らは手を出す勇気がありません。なぜなら、その時、旧い勢力であっても、旧い理であっても、この弟子が正しく歩み、良く行なっている時、その上誰かが彼を迫害しようとすれば、私はきっと彼を許さないのです。私の周りにまだ無数の正神がいます! 私にまだ無数の法身があり、皆法を正すのです。心配しているのは、弟子自身の心が落ち着いておらず、この執着、あの恐怖心があり、旧勢力はそれを目にしたら、この隙がある心に付け入って迫害します」[2]

 刑務所では、6、7人の人が私を監視するために手配され、その中の2人は現世で直ちに報いがありました。1人は私をいつも「告発するぞ」と脅していました。その監視人は間もなく出所すると聞いていましたが、片方の足を骨折し、悪の報いに遭いました。

 もう1人は他の人に扇動され、私が人に真相を伝えるのを妨害していました。ある時、その監視人が災難を招くようなことを行い、ある受刑者にわざと「彼(私を指して)はあんたを三退させたか?」と聞きました。その受刑者はどういうことかわからないまま「三退しました」と答えると、監視人は「隊長に事実を率直に話さなければならない」と脅しました。私はいつもその監視人に「法輪功修煉者を大切にすることはあなた自身を大切にすることであり、修煉者を迫害することはあなた自身を迫害することですよ」と忠告していました。しかし、その監視人は信じず、手を変え品を変え悪事をやり続けました。

 ある時、その監視人は風邪を引き、風邪がまだ治らないうちに、夜、水を汲みに行き、不注意で転んでしまいました。起き上がれなくなり、足を見ても骨折はしていないのに手足が思うように動かず、けいれんが起こり、痛くて1日中大声で叫んでいました。薬も効かず、食べたものを床全体に吐き散らしていました。その監視人には2人の仲間がいて、1人は背後でいつもその監視人を扇動して悪事を働かせていたのですが、この2人の監視人は身動きできない監視人の排泄の担当をさせられました。これは自分たちが修煉者を監視した報いであると監視人とその仲間たちは自ら認めていました。

 その後、隊長は私を担当する監視人を変えましたが、いわば名ばかりの対応で、その監視人もすぐに「辞職」して「いなく」なってしまいました。その後1年余り、私の周りは徹底的に「きれい」になりました。監視による妨害がなくなったので、真相を伝えるのがだいぶやりやすくなりました。私の所属している中隊には8、90人しかいなかったのですが、他の隊にいて接触できた人も含めて、合計で100人以上の人に真相をはっきりと伝えました。

 三、遵守すべき「三つの原則」

 刑務所内での4年間、私は大法弟子としての言行は最低限守ってきました。私はいつでも三つの「原則」に厳格に従い、それは「同修を売らない」  「心を修め執着を取り除く」  「『法律』を以 って自衛する」でした。

  同修を売らない

 大法弟子として師が法を正すことを手伝い、衆生を救い済度するにあたって、何も起きなければもちろん最も良いのですが、自分に漏れがあることによって共産党に不当に刑務所に拘禁され迫害された時、まずこの問題に直面します。警官に訊問された時、まずやるべきこと(必ずやり遂げなければならないこと)は自分の同修を売らないこと、どんなことがあっても自分で全責任を取り、同修を護ることです。なぜなら同修を売る罪は実に大きく「同修を売った人は責任を負わなければならない」と、この方面の法について師父は説かれています。

 私を「転向」させようとした同修の1人は、もともと家で資料を作っていた同修で、同じ場所で資料を作っていた同修に売られたのです。留置場で、警官がその同修に「『三書』を書けば家に帰してやる」と言いましたが、同修は同意しませんでした。しかし、刑務所に入って間もなく邪に悟ってしまい、自ら隊長に「罪を認め」、「三書」を書き、他の人への「転向」に加担してしまいました。その同修を売ったもう1人の同修の責任はどれだけ大きいのでしょうか? もう1人の同修は最終的に懲役8年の不当な判決を受け、2016年になってやっと解放されました。後の結果はどうしてこうも重大なのでしょうか!

 留置場にいた時、ある常人が自分の体験を話してくれました。その常人が言うには、『共産党についての九つの論評』(以下『九評』)を100回以上読み、本当に素晴らしいと思ったので、人を雇い、大型の機械を使って『九評』を作り、合わせて数万冊を作ったということでした。そして、1万冊以上を配った後、警官に捕まり、5千冊以上を見つけ出されてしまいました。そして、10人の法輪功修煉者を「自白」すれば解放すると告げられました。そこで私はその常人に「絶対にそのようなことをしないでください。すればその罪はとても大きくなりますよ」と言いました。

 その後、警官はその常人に「『九評』を作るための道具はどこから手に入れたのか」と聞きました。そこで、その常人は「自分で買いました。誰が機械を譲ってくれるというのですか?」と言いました。「どこで買った?」  「インターネットです」  「DVDは誰が焼いた?」  「自分で焼きました」  「パソコンの中にDVDを焼くソフトウェアがないのはどうしてだ?」  「パソコンが壊れたんです。再インストールが間に合いませんでした」

 実は、資料を作るための道具の多くは同修が買った物で、DVDも他の同修が焼いていたのです。しかし、警官はその常人が自分ですべてを認めたとみて、それ以上何も聞きませんでした。この常人と同修を売った同修を比べてみると、自分を解放し、自身の苦痛を軽減するために同修を売れば、売られた同修の生死を顧みなかった「同修」はどれだけ大きな業を作るのでしょうか? もちろん状況は複雑ではありますが、どんなに複雑であろうと、決して同修を売ってはならないのです。

 心を修め 執着を取り除く

 刑務所という悪の巣の中で、人々は肉体的及び精神的に二重の迫害を受けています。食べることができず(食事は汚くて不味く、まったく正常な人間の食物ではない)、飲むこともできず(冬でもお湯はなく、いつも生水を飲まされる)、休憩することもできないのです(隊長は人を金を稼ぐ道具にしており、1日10時間以上働かせ、昼休みも休ませない。隊長が「拘禁された人の虐待」や「強制労働」のような罪を犯したことは明らかだが、誰も声を上げようとせず、上層部も誰も関わろうとしなかった)。

 このような苦しい環境の中で、これがあと何年続くのかを考えると、とても耐えられないことではないでしょうか? そこで、こんなひどい場所から早く離れようという発想が容易に起きてくるのです。さらに恐怖心が生まれ、警官から肉体的に迫害されると、つい成り行きにまかせ、減刑を得るために妥協して「転向」してしまうのです。積極的に行ったか、消極的に行ったかに関わらず、自分がこの世にやって来た時の誓約を忘れ、修煉がどれだけ厳粛なことであるかを忘れ、その結果が想像できないものであることすら忘れてしまうのです。

 刑務所内でさまざまな「苦難」に直面し、私は絶対に邪悪な道を歩まないと、よく自分自身に警告しています。出所後、転向が無効であると厳正声明を発表すれば、続けて修煉することができると、多くの人がこのように行っています。しかし私は「必ず正々堂々と『立ち上がって』刑務所を出て行き、笑いながら法を正す潮流に溶け込む。そうでなければ、転向は永遠に落とすことのできない汚点となる」と自分自身を戒めています。さらに「刑務所内の苦などものの数ではない、ここは私たちが心性を修煉し、執着を取り除くための良い場所ではないか?!」と自分に言い聞かせています。

  「法律」を以って自衛する

 共産党の法輪大法に対する迫害と大法弟子に対する迫害は完全に違憲であり違法です。たとえ共産党によって刑務所に拘禁されたとしても、1人の国民として、休息する権利、娯楽の権利、人としての尊厳、身の安全を護る権利、侮辱、殴打、虐待を受けないなどの権利を持っているのです。警官が違法な手段で迫害した時、警官はそれが違法だと知っていますが、邪悪な環境の中では誰も関わる者がいないため、警官も怖れることなく、悪の報いがその警官を待っていることなど、さらに信じなくなっています。

 この時こそ、法律という武器で勇敢に自分を護り、その警官を告訴することをはっきりとその警官に伝え「私が出所した後、あなたの不当な恥ずべき犯罪行為のすべてをインターネットで公表し、この刑務所内で××という警官がどのように凶悪であり、どのように人間らしくないかを全世界に知らせます」と伝えるべきです。これに対して、一般の警官は恐れます。

 私は毎日、法を暗唱した後、正念を発して隊長の背後の邪悪を除去し、隊長を正念でしっかり縛って、鍵をかけ、独房を覆いました。私を動かそうとする者は誰であろうと罪を犯しており、直ちに解体し、直ちに報いがあります。

 「私たちが修煉中に遭遇するすべての問題に対して、師父は理性と知恵をもって処理するようにおっしゃった」ことを私は悟ることができました。刑務所で、常人の「法律」を機知に富み、勇敢に活用して自分自身を護る、これもおろそかにしてはならない一つの原則です。

 以上が、私が刑務所に不当に拘禁され迫害された時のいくつかの方法と体験ですが、適切でないところがありましたら、批評し、ご指摘をお願いします。

 ありがとうございました、師父!

 ありがとうございました、同修の皆さん!

 注:
 [1]  李洪志師父の著作:『精進要旨』 「大法は金剛にして永遠に純潔である」
 [2]  李洪志師父の経文:『北米での巡回説法』

 (明慧ネット第9回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/11/30/264032.html)
 
関連文章