奇跡を体験した親子の物語
■ 印刷版
 

文/中国東北の大法弟子

 【明慧日本2017年1月15日】1997年9月18日は私にとって一生忘れられない日です。12年間にわたって病に苦しめられてきた私たち一家が、法輪大法を修煉し、運命ががらりと変わった日なのです。

 一、大法を修煉し、家族全員が新たな生命を手に入れる

 1985年、私は25歳の時、男の子を産みました。しかし、それから1カ月も経たない頃、災難が降りかかりました。急性胃腸炎にかかり、嘔吐や下痢が止まらず、掌が裂けて血があふれ出ました。その他にも婦人病や頭痛、神経衰弱、瞼の裏に出来物など、その他様々な病が出てきたのです。医者によれば、左目はすでに失明しており、毎日三食食べなくても、右目を守るために1日3回の薬は飲まなければなりません。体重は30キロ前後で、赤ん坊を背負えば、すぐにでも転ぶでしょう。けれども、降りかかってきた災難はこれだけではありませんでした。息子が生後100日を過ぎたばかりのころ、父が脳卒中になり、身の回りの事を自分でできなくなりました。

 災難の上に災難が重なり、1990年に息子は悪性のウイルス性B型肝炎にかかって入院し、夫もまた遺伝性の心臓病や高血圧のため2年間入院しました。

 生計を維持するために私は働かなければならず、時には、子どもを保育園に行かせるお金もないため、仕方なく、まだ幼い息子を家に閉じ込めるしか方法がありませんでした。

 この世から離脱して別の世界に行き、自らの運命を変える方法はないのかと考えていた時、幸運にも大法に出会ったのです。

 1997年9月18日の夜、私は『シドニー法会での説法』という師父の著作を読んでいました。その時に感じた興奮は言葉には表すことができず、涙が止まりませんでした。最後まで読み切ると、心にのしかかっていた重荷が一気になくなり、体が浮いているかのように極めて楽で気持ちよい感覚でした。そして、まるで生まれ変わったように世界観と人生観が一気に変わりました。真に宇宙の大法に同化し、「真・善・忍」で自らを律することで、運命や何もかもが変わると実感しました。「緑の山さえあれば、薪がなくなる心配はなく、師がいて、法もあるのに、何を恐れるのですか?」[1]と師父は説かれました。私は感激して「師父ができた! 師父ができた!」と涙を流しました。これから、どのような窮地に陥っても、私は大法と師父を信じ、最後まで修煉し、師父と本当の家に帰ります。

 初めての煉功で15分もしないうちに法輪の存在を感じることができ、黒くて血が混じった排泄物が体から出ただけでなく、嘔吐や下痢で一晩中眠れませんでした。それから何日かたった後、へその緒からドロドロとした血も流れ出たのです。慈悲で偉大な師父は私の身体を浄化してくださいました。半月もしないうちに、全く薬に触れず、お金を一銭もかけずに、家族3人の頑固な病がすべて全快しました。

 修煉してからずっと身体が軽く、無上の幸せ

 1999年7月20日、中国共産党は突然天地を覆うほどの勢いで法輪功を迫害し始め、私たち家族は毎日緊張しながら怯えていました。ある日、父(定年まで政府の幹部をしていた)が家に来て、私はちょうど同修と電話をしていたところで、「絶対に共産党の言葉を信じちゃダメ。テレビや新聞などの嘘に騙されてはいけない。偉大な師父が与えて下さった恩恵を私たちの目で確かめ、身を持って体験したのだから、共産党に騙されてはいけない!」と同修に伝えていました。これを聞いた父(私たち7人の娘に一度も怒ったことがない)は、「お前は知らないんだ。共産党が誰かを倒そうとしたら、死ぬまで相手を手放さないんだ! うちは32人もいるんだ、おまえ1人のためにみんなが道連れにされるわけにはいかん! どうしても諦めないなら、お前はもうわしの娘ではない!」と怒鳴り出したのです。

 「お父さん、今まで私を育ててくれたことに感謝しています。私に肉体をくださったのはお父さんですが、命は師父がくださったものです!」と伝え、結婚してから家族3人がかかった病と今迄苦労してきた辛酸も話しました(両親と兄弟たちに心配かけたくないため、今までの事は彼らには何も言わなかった)。話を全て聞き終えた父は涙目で「絶対に! 絶対に気を付けてくれ!」とだけ言いました。

 二、余命3日の父が生まれ変わる

 2011年1月、父は87歳になりました。ちょうど出張で海外にいた私は突然実家から父の容態が急変したとの電話を受けました。父は十二指腸潰瘍を患っており、その上、神経痛や高血圧、心不全などの持病もあるため、今やどの薬も効かず、それどころか病状がますます悪化して、医者から余命3日とまで告知されたという内容でした。

 この不幸な消息を聞いた私はあまりのショックで頭が真っ白になり、後を絶たない後悔に見舞われて、「お父さん、ごめんなさい。今まで苦労して私を育ててくれたのに、真相を知らないまま、もうじきこの世を去るなんて……。師父の慈悲な済度にも申し訳ありません」と涙を流しました。

 師父は「法輪大法を修煉する弟子は絶対に病気治療をしてはいけません。患者にこの本を読んで聞かせ、患者がそれを受け入れられれば、病気は治るのです。しかし、業力の大きさの違う人に対して、効果も違ってきます」[2]と説かれました。そうです。まだ希望は残されています。慈悲なる師父だけが父を救うことができるのです。気を静めた私は翌日実家に戻ると、家族皆が悲しみに浸っており、父の死装束まですでに用意されていました。床で横になっている父はひどく痩せこけて、苦しそうな息をしていました。私の声を聞いた父は涙を流しました。「お父さんは君の帰りをずっと待ってたんだよ。さあ、涙を拭いて、気をしっかり持ちなさい。お父さんも87歳だ。そろそろ葬式の準備をしなさい」と医者が言いました。

 その晩、「お父さんをベッドまで運ぶのを手伝って。あなたたちも1カ月以上お父さんの世話をしてきたから、そろそろ休んでください。私が面倒を見ます(その時は、介護者を1人雇っていた)」と兄弟姉妹たちに伝え、父のそばで『轉法輪』を読み始めました。第1講を読み始めたばかりの頃、父は突然目を大きく見開いて、パッと体を起こして「病気治療!? 何が病気治療だ!? わしはすべて知ってるぞ!」などと叫び、すぐにまた横になって目を閉じたのです。邪悪な要素が父を操っていると理解した私はすぐに発正念をして父の背後にいる共産党の要素を排除しました。発正念をしている最中でも、父は何度も声を上げて変なことを叫んだりしましたが、それでも、声を出すことができ、危険な情況から抜け出した父を見て、涙があふれました。すべては師父の恩恵なのです。師父の慈悲に感謝いたします!

 翌朝、「おやまぁ! お嬢様が帰ってくるなり、旦那様の容態が良くなりましたね!」と家に来た家政婦が驚き、これを聞いた父も微笑みました。こうして、毎晩父に『轉法輪』を1講読み聞かせ、その他にも『九評』や同修たちの修煉体験などを聞かせました。

 3日目の朝、父はお粥を食べることができました。「7人の娘の中で、お嬢様が特別に大好きだと旦那様はいつも言っておられました。ほら、お嬢様を見ると、すぐに元気になられました」と家政婦に言われましたが、私は「違います。親であれば、誰だって自分の子が1番かわいいのです。本当はね、私が法輪功を修煉しているから、慈悲な師父が父を救ってくださったのよ」と教えました。

 父の容態は日に日によくなっていき、『轉法輪』を最後まで読み終えた頃には、父はもう自分の両足で立つことができたのです。父は第五功法を1日2回煉功しているため、肌がつやつやになり、白髪も黒く変わり、半月もしないうちに400度以上もある老眼鏡を外し、視力が正常に戻ったのです。ある日、食事の真っ最中に椅子が滑って、その上に座っていた父はお椀を持ったままコンクリートの地面に転び落ちました。けれども、父は「大丈夫、大丈夫」と笑いながら立ち上がって椅子を起こし、食ベ始めました。そして、本当に父の言うとおり、骨を痛めることなく、皮膚にも傷がなかったのです。

 父の昔からの持病も全部治り、彼に会った人は、「もうすぐ90歳の人に見えないわ。どんどん若返っていますね!」と皆言います。

 慈悲なる師父は父に二度目の生命を与えてくださいました。家族全員とすべての知人はみな「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」と唱えています。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『シドニー法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/11/18/333575.html )
 
関連文章