明慧法会|黒巣の中で、恐れる心を取り除く過程
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文/黒竜江省の大法弟子

 【明慧日本2017年2月12日】かつて私は気持ちを言葉で表現するのが下手で、臆病で体が弱くて病気にかかりやすい人間でした。1996年、法輪大法に出会い、人生の真の意味がわかりました。中国共産党の気が狂ったかのような迫害の中で、世の中の全てを放棄し、外に出て法を実証しました。そして、不当に懲役13年の判決を受けました。故郷で私を知っている人はみな「彼女は帰って来ることができず、刑務所での苦しみに耐えられないだろう」と言っていました。刑務所で受けた残酷な苦痛について情報統制がされ、家族は私と連絡を取ることができませんでした。故郷の人は私が死んだと思い込み、地元の警察はあっさりと私の戸籍を取り消してしまいました。

 しかし、私は帰って来たばかりでなく、意気揚々と人々に真相を伝えたので、故郷の人はみな「私が変わった」と言いました。それは師父が私を保護してくださったからであり、死に直面していた私が現在まで生きてこられたからでした。それは法輪大法が私を変えたのであり、世の中の言葉を使い尽くしても、師父に対する感謝の念を表すことができません。法会の機会を借りて、修煉の体得を師父にご報告すると同時に、同修の皆さんと交流したいと思いますので、正しくないところがあれば、同修の皆さんのご叱正をお願いします。

 初めて恐れる心を取り除く

 2003年、大法を信じていたために中国共産党によって黒竜江省女子刑務所八監区に不当に連行されました。当時、この監区は大法弟子への迫害が最も深刻な監区でした。同修たちは労役に服さず、迫害に反対するといつも殴られたり、縛られたり、吊るされたりしていました。私はそれを見て怯えました。同修が迫害を受けてまで労役をボイコットしていることに理解できず、警官が自分に割り当てた仕事を従順に行っていました。

 ある日、警官が対暴力部隊の警官を率いて作業場に来て、労役をボイコットしていた数人の同修を独房へ連れて行きました。同修の1人が立ち上がって制止すると、警官と受刑者が一緒にその同修を殴り、制止しようとした同修も独房へ連れて行かれました。この時、多くの同修が出て来て制止し、受刑者たちが同修を殴りました。私は仕事の手を休め、立ち上がってこの正邪の大戦を見ていました。悪人の迫害に対する同修たちの正念を持った正しい行いに感動し「私は間違っていた」とこれまでの誤りから目覚めました。

 師父は「たとえどのような環境にあっても、邪悪の要求や命令、指図には従わないようにしてください。皆さんがみな、このようにすれば、環境はこのようなものではなくなります」[1]と説かれました。同修が労役をボイコットしているのに、私が仕事をしていたのでは、同修に対する圧力になってしまい、これでは悪の側に立つことに等しいのではないでしょうか? 同修たちが迫害されているのは私にも責任があったのです。では、どうしてここで踏みとどまっていたのでしょうか? それは恐れる心からでした。恐れる心があるために正念を失くしており、正しく悟ることができず、そして、その状態がそのまま発展し続けて行くと、邪に悟ることはとても容易くなってしまうのでした。

 師父は「いかなる執着と恐れる心も、あなたを圓満成就させることはできないのですが、いかなる恐れる心であろうとも、それ自体、まさにあなたが圓満成就できない関であって、あなたを邪悪な方向に転向させ、裏切るように仕向ける要素でもあるのです」[2]と説かれました。大法弟子の使命感が、実質的に形成されたこの恐れる心を取り除かなければならない、と私に要求しました。

 次の日、対暴力部隊の警官がまた作業場にやって来て、大法弟子一人一人を事務所に呼び出し、スタンガンで大法弟子を感電させ、仕事をすることを承知するよう迫りました。私は最後に呼び出されました。1人の警官がスタンガンを持って「仕事をするか?」と聞きました。そこで「しません」と言いました。すると、警官が手に持ったスタンガンを私に見せ「これは何だ?」と言いました。そこで、ふりむいて見るに値しない、という態度を取りました。すると、警官はまた「仕事をするか?」と聞いてきました。そこで「しません」と言いました。そして、独房に入れられた同修をすぐに出すように要求しました。すると、警官は激怒して、スタンガンを持ちながら目の前にやって来て、私を感電させる動作をして、再び「仕事をするか?」と聞きました。そこでもう一度、確かな口調で「しません!」と伝えました。すると、警官の動きが止まり、少し考えてから「帰りなさい」と言いました。

 普段は手に刺さったとげを抜こうともしない臆病者ですが、スタンガンの前でこのように落ち着き払っていられたのは、大法が正念を持たせてくださり、師父が恐れる心を取り除いてくださったからでした。師父は「宇宙の真理に対する堅固で破壊できない正念は、善良な大法弟子の、磐石のごとく堅固な金剛の体を構成しています。すべての邪悪は驚き恐れて、放たれた真理の光は、あらゆる生命の正しくない考えの要素を解体します。強い正念であればあるほど、大きな威力があるのです」[3]と説かれました。

 事務所から出て来ると同修たちは喜び、みなが仕事をしない意志を表しました。続いて、独房にいる大法弟子を解放するよう私たちは絶食して要求しました。今回、迫害に反対する同修たちの心性が向上し、全体でとてもうまく力を合わせた結果、独房に拘禁されていた同修がすぐに解放され「大法弟子はみな仕事をしない」ということを刑務所側が理解しました。 

 2回目に恐れる心を取り除く

 警官は私たちに仕事をさせず、洗脳し始めました。洗脳するためのものを読ませようとしましたが、私たちは法を暗唱し、法を読み、立掌して正念を発しました。正念を妨害するために、小さい椅子に座らせようとしましたが、私たちは座りませんでした。ある日の朝、大隊長が受刑者たちを連れ、凶器を持ちながら、恐ろしい形相でやって来て「小さい椅子に座るか?」と聞きました。そこで私たちは「座りません」と言いました。すると、私たち一人一人を廊下へ引きずり出し、手綱の効かない野生の馬のように、警官たちは気が狂ったかのように板や棍棒などを振り上げ、でたらめに私たちを打ちました。私はとても驚き、頭を打たれると心配し、何度も身をかわしていた時、恐ろしさで穴があったら入りたくなりました。すると、1人の同修が打たれてショックを起こし、それを見てすぐに助けに行くと、悪人が打つのをやめたので「自分は幸運だった」と思いました。しかし、中には悪人の暴力の前で少しも恐れず、生死を放下して大法を護っていた大法弟子もおり、どんなに打たれても、小さい椅子に座らず頑張り続けていました。その日、警官たちが午前中いっぱい打っても、同修たちの心は動きませんでした。

 正午になり、悪人たちはすごすごと立ち去っていきました。私は心の奥底から声をあげて泣き、自分を厳しく非難していると、同修たちが「何を泣いているのですか?」と聞いてきました。そこで、自分の私心や恐れる心、ずる賢く変異した心理を暴露しましたが、これらの汚れた心理は本当に目に余るものでした。この重い人心と執着を持っていては、大法弟子の称号には合わず、さらに師が法を正すことのお手伝いをする大願を果たすことなどできません。

 その日、泣き叫び続け「チャンスをくださるよう師父にお願いし、今後、生死を放下し、自分の修煉の道をしっかりと歩まなければならない」と心の中で決めました。また同時に「安逸心や恐れる心のため、刑務所で大法弟子として自分がやるべきことをやらず、恐怖の中で煉功せず、うまく正念を発することができなかった」ということを自分でも探し出しました。そして「煉功し、正念を発しなければならない」と決めました。

 煉功の時に恐れる心を取り除く

 毎日煉功し、正念を発したので暴行を受け、縛られ、吊るされ、何度も独房に入れられ、隔離されました。ある時、大隊長が受刑者たちを連れて私を病院内の部屋に引きずり入れ、また隔離し、刑務所長が5人の受刑者を監視役として監視させ、10人ほどの暴力隊を組織し、囚人服を着せるという名目で私を殴りに来ました。

 朝の6時になり、正念を発する時間になりました。「今日は正念を発する時に立掌すべきだろうか?」と心の中で考えました。この一念が起きると、それは恐れる心だと気づいたので取り除きました! そこですぐに座禅を組み、掌を立てて正念を発しました。数人の受刑者が押し寄せ、続けて20~30発ビンタし、私を地面に倒したので、私は地面で立掌しました。受刑者たちは私の足首に乗って力を込めて踏んだので、息を殺しながら痛みをぐっとこらえました。受刑者たちは長いこと私の足首を踏んでいるうちに、私が痛がっていないと思ったらしく、ある受刑者が力を入れて靴で胸を蹴飛ばし、骨折するまで肋骨を蹴りましたが、やはり私は痛みをぐっとこらえました。すると、受刑者たちは殴り疲れ、殴るのを止めて少し休んだんので、すぐに座禅を組み、立掌しました。その日、十数回立掌したので、2、3時間殴られ、地面いっぱいが血だらけになり、受刑者たちは疲れて息を切らし、汗だくになっていました。

 その年、私はすでに60歳の年寄りになっていました。さらに、断食して7年だったので、体は骨と皮ばかりに痩せこけていました。最後に警官たちは敬服し「大法弟子は素晴らしい! 煉功してください、私たちはほっときますから」と言いました。刑務所長と病院長、それと大隊長が来た時、受刑者が「彼女のことは放っときます」と伝えました。そこで、刑務所長はやむを得ず歩き去り、病院長と大隊長は受刑者に「彼女が煉功するのをほっておくように」と伝えました。

 衆生を救い済度する中で恐れる心を取り除く

 刑務所の中には人がたくさんいましたが、受刑者に対する各種の束縛による恐怖心から、真相を理解させる機会は望めませんでした。では、どのようにこの一群の人々に真相を伝えたらよいのでしょうか? そこで毎日、この人々に師父の『論語』を暗唱し、『洪吟』を暗唱し、「法輪大法は素晴らしい」と大声を上げれば、邪悪を震え上がらせて一掃する作用を果たし、さらに多くの人たちを救い、さらには修煉を始めさせる作用がある、と思いました。

 もちろん、このように私が行えば、悪人は手段を選ばずに迫害してきましたが、人を救うために生死を放下し、どんな苦しみであろうと、終始たゆまず行ってきました。特に、師父の『論語』を暗唱することで、悪人の背後で糸を引く邪悪をすぐに解体し、悪人が再び気が狂ったかのように暴れても、すぐに退かせることができました。より多くの人に聞かせるために私は叫び、普段、私の話は声が小さかったのですが、大法が私の声をよく通るようにしてくださったので、遠くまで伝わりました。多くの受刑者が、いつも思わずいくつかの法を念じていました。また、受刑者の中には迫害された時に「法輪大法は素晴らしい!」と叫ぶ者もいました。

 刑期の終盤、獄政科で夜に点呼をとった時に「法輪大法は素晴らしい」と叫びました。その時は1日で最も緊張し、最も恐怖心が出て来る時でしたが、この時に叫ぶことによって邪悪は大きく震え上がり、多く取り除かれたのでした。もちろん、私への迫害は厳しくなりましたが、凶悪犯たちが迫害すればするほど私は叫び、夜には声が遠くまで伝わり、凶悪犯たちはすぐに私に関わらなくなりました。ある時、点呼を取りに来た警官がまず先に「法輪大法は素晴らしい!」と叫んだので、みなが笑いました。私がどこにいても私を見た警官が「法輪大法は素晴らしい!」と叫ぶことがよくありました。刑務所内の受刑者のほとんどが「三退」し、法を学ぶ受刑者も少なくありませんでした。

 宇宙大法は私を変え、鍛えてくださいました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「大法弟子の正念は威力あるものである」
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「大法は堅固にして破壊不可能である」
 [3] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「同じく二言三言」

 (明慧ネット第13回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/11/3/336969.html)
 
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