明慧報告| 昨年の中国刑務所内での法輪功学習者の迫害実態のまとめ(5)
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 【明慧日本2017年2月18日】(前文の続き)

 九、2016年の告訴状で公表した迫害の実例

 2015年、中国共産党は「告訴があれば必ず受理し、立案調査しなければならない」という政策を公表した。現在、二十数万の国内国外の法輪功学習者、家族と市民が、中国最高裁判所と最高検察庁に告訴状を郵送し、迫害の首謀者・江沢民を告訴した。以下は、一部の実例である。

 ◎10年の冤罪を経た黒龍江省ハルビン工業大学の修士・周巧航さんが、江沢民を告訴

 明慧ネット昨年6月12日の報道によると、法輪功学習者・周巧航さんは、10年の冤罪を経て、まだ40歳という若さで迫害のために、半分近くが白髪になり、2本の前歯が抜け落ちた。人生の中で最もすばらしい時期を刑務所内で拷問され苦しめられ、よい職業と幸せな家庭を持つはずだったが、このすべてを永遠に失った。

'周巧航'
周巧航さん

 ◎河南省の李苗能さんは、2年間の労働教養と懲役5年の判決を下され、江沢民を告訴

 李苗能さんは下記のように述べた。「2005年12月、私は洛陽市裁判所で懲役5年の判決を下され、河南省新郷市女子刑務所に拘禁された」

 「2006年1月の大雪の日、戸外の敷地に厚い氷が張る中、警官らは私の服を掴んで氷の上を引きずり回したため、服と靴下はすべて擦り切れて、足の擦り傷から出血した。警官はさらに冷たい水を頭からかけ、あまりの寒さで全身の感覚がなくなった。普段は、唐辛子が入っている食べ物を灌食され、管を鼻から通してのどに挿し込むために、毎回大量に出血し口まで流れ出た。鼻が腫れて管を挿し込めなくなると、今度は、口から管を挿し込めみ、その時にこじ開けられて歯が打ち落とされた」

'酷刑演示:野蛮灌食(绘画)'
拷問のイメージ図:無理やり灌食される

 ◎甘粛省の高吉銀さん、王玉紅さん夫妻が、江沢民を告訴

 王玉紅さんは、蘭州女子刑務所で「保証書」を書かないため、窓ガラスのない懲罰房に閉じ込められた。骨を刺すように冷たい強い北風が吹く懲罰房で、さらに警官は王さんを冷たい鉄の椅子に縛り付け、両手を椅子の脚に固定し、腰を曲げたまま動くことができないように固定した。王さんは生理が来て、血がズボンを浸透し、鉄の椅子にもいっぱい付いたままで、警官に口汚く罵られた。

'酷刑:束缚椅'
拷問のイメージ図:束縛椅子

 高吉銀さんは蘭州刑務所で法輪功を放棄しないため、7、8人の警官らと囚人たちに暴力を振るわれ、胸の肋骨(ろっこつ)が折れた。

'酷刑演示:暴打'
拷問の実演写真:暴力を振るわれる

 ◎7年の冤罪を経た趙玲茹さんは、江沢民を告訴

 河北省冀中刑務所で、趙玲茹さんは7年間苦しめられた。警官らは趙さんを椅子に縛り付け、棍棒を腰と椅子の中間に通し、身体が「弓」の形になった。趙さんは椅子に棍棒を差し込まれたまま持ち上げられ、腰と腕の痛みで苦痛に喘(あえ)いでいる姿を見て、傍にいる警官らは大笑いした。

 警官は集めてきた沢山の大きなアリを趙さんの服の中に入れ、白い粉薬を首にかけた。その瞬間から、首の痒みが我慢できなくなった。さらに冷たい水をかけられ首がかゆくて痛くて、その痛みは、まるでナイフで皮膚を細かく刻まれる感覚だったという。

 ◎3千日余り拘禁された女性詩人の伏英さんは、江沢民を告訴

 伏英さんは、遼寧女子刑務所で拘禁された期間中、重労働を強制された以外に、各種の拷問で苦しめられ、転向を強制された。3千日余りを経て出所したが、伏さんの黒髪は、真っ白になってしまった。現在、伏さんの夫・欧陽洪波さんは未だに拘禁されている。

'伏英'
伏英さん

 ◎10年間苦しめられた吉林市の趙国興さん、江沢民を告訴

 現在、44歳の趙国興さんは全身傷だらけになり、目が潰爛(かいらん・やぶれただれる)してほぼ失明し、身体は衰弱している。昨年5月30日、趙さんはやっと出所したが、自分の母親に会うことができなかった。趙さんの母親は2012年2月5日、重圧と息子を心配するあまり、この世を去った。

'赵国兴'
趙国興さん

 ◎遼寧省の劉梅さん、冤罪15年を経る中、数回の危篤状態に陥り出所し、江沢民を告訴

 遼寧省東港市の法輪功学習者・劉梅さんは、2年の労働教養を強いられ、懲役13年の判決を下され、合計15年の冤罪を着せられた。期間中、劉さんは迫害により心臓病、肺結核、小脳萎縮などの病状が現れ、かつて何度も命の危険に見舞われたことがある。

 劉さんの母親と姑は刑務所に一時出所を求めた時、警官は「転向しないと解放できない、死んだらすぐ運ぶ」と答えた。

 ◎女性教授・李莉さんが、生前に書いた告訴状

 明慧ネット昨年8月15日の報道によると、李莉さんは告訴状の中に次のように書いた。「私は李莉です。最高検察庁国家検察官学院の助教授を務めていた。法輪功を学んでいるとの理由で、2004年3月に懲役9年の判決を下され、北京女子刑務所に拘禁された。私は毎日腰掛に座るよう強制され、労役を強制させられ、夏場の季節には、服を絞ると汗が絞れるほど沢山でた。手足が腫れて靴が履けなくなったにもかかわらず、立つ姿勢を強制され、意識不明になって地面に倒れた。私の顔色が黄色くなり血尿が出るようになり、全身が浮腫んだ。出所してからも退職金もなく、生活の最低保証金もなく、住む場所もなく、懲役9年の刑務所生活と1年余りの放浪生活で、身体が衰弱して傷だらけになった」

 李さんは、2015年11月6日昼ごろ、北京昌平の臨時借家で亡くなった。享年62歳。

 ◎10年の冤罪を着せられた吉林省の孫利竜さん、江沢民を告訴

 明慧ネット昨年8月22日の報道によると、孫利竜さんは警官や囚人に5人がかりで交替で鋼鉄をはめ込んであるベルトで、100回以上打たれて皮膚が裂けてぼろぼろになり、服に大量の血が付いた。

 孫さんは伸ばしベッドで四肢を引っ張られた上、針で陰部を刺されたり、腰の下にボールや針などを詰められ、腰を曲げられず、曲げると耐え難い苦痛にあった。また、うめき声を出さないように靴下、布切れで口を塞がれ、連続68日の間ずっと伸ばしベッドに固定された。

 ◎8年の冤罪を経た甘粛省蘭州市の李福斌さん、江沢民を告訴

 明慧ネット昨年8月31日の報道によると、九死に一生を得た李福斌さんは、告訴状の中で次のように述べた。「2004年3月、7、8人の警官らに打倒され、数十キロの足かせをされ、手錠を付けられて蘭州刑務所に拘禁されていた」

'中共酷刑示意图:手铐脚镣'
拷問のイメージ図:足かせ、手錠を付けられる

 「寒い時期の3月、私の服はすべて脱がされ、髪は丸坊主にされ、15日間懲罰房に閉じ込められた。徐軍という受刑者が、ゴムの管で私を力強く叩いた後、私を掴んで地面の上を引きずり回した。その後の数日の間、歩くことができなかった。警官は木の板で、私の顔、頭、身体に向けて打ちつけ意識を失った。また、鉄の茶卓で殴られたり、足の爪を剥がされ出血した」

'中共酷刑刑具:手铐脚镣'

拷問のイメージ図:繋がれている手錠と足かせを付けられる

 「8年の刑務所生活で、殴られ、罵られ、侮辱され、精神的にも苦しめられ、24時間、拷問用の手のひら大の小さな腰掛けに座らされ、睡眠を許されず、暗い独房に押し込められ、懲罰房に閉じ込められ、刑具を付けられ、会話を許さず、家族との面会を禁止されるなど、様々な苦しみを嘗め尽くした。刑務所は風の日も、雨の日も、猛暑の夏も、厳寒の冬も、それにかかわらず労役を強制し、人の生死を顧みない所である」

 ◎寧夏の馬智武さんは二度の判決を下され、12年の冤罪を経て、江沢民を告訴

 馬智武さんは次のように述べた。「銀川刑務所で、1年余り日に当たることがなく、下品な言葉で罵られ、法輪功を中傷する映像を見せられ、1年半にわたり拷問用の手のひら大の小さい腰掛けに座らされ、生殖器を注射針で刺されたり(エイズ患者の血が付けてある)、火の付いた吸い殻を押し当てたり、抓られ蹴られたりされ、頭の上から冷たい水をかけられ、清涼オイルを目に入れられるなどの拷問を受けた」

 ◎4年の冤罪で危篤状態に陥った遼寧省の鞏恩栄さんは、江沢民を告訴

 以下は、鞏恩栄さんが受けた迫害の経歴である。

 2008年10月、私は遼寧省本渓市溪湖刑務所に送られた。拷問の一つ、逆Vの形になった三角式の腰掛に座らされ、毎日、朝の4時から2時間の休憩を挟んだだけで、1日中座らされた。

'中共酷刑示意图:罚坐'
拷問のイメージ図:24時間座ることを強制される

 長時間、座らされ、尾骨、腰、臀部の痛みが耐えられず、身体が震えて非常に辛く、呼吸すると肋骨まで痛くなり、下半身が浮腫んでいるので、寝返りができず、2時間はまったく休みにはならなかった。しかし、2時間が過ぎると、給湯室に連れられ、十数人の受刑者が瓶を持って私の頭を激しく打ちつけ地面に倒れた。引き続いて、受刑者らは針で私の身体の至る所を刺し、体に冷たい水をかけた後、湯をかけたりしたので両足はやけどをした。受刑者はタバコの火を私の足や足の指に押し付けた。殴られて頭部の右側がへこんでしまい、手で触るとはっきりと分かった。耳から出血し、現在、耳は聞こえなくなった。左側の肋骨3本にヒビが入り、動けなくなった。このような状況にも関わらず、特殊な腰掛に座らされ、睡眠を許されず、眠ると水をかけられた。最初、タライでかけられていたが、後になると水道ホースでかけられた。

'酷刑演示:浇凉水'
拷問の実演写真:水をかける

 受刑者は靴の底で私の顔を殴り、ゴムの管で体を打ち、打ちながら「打ち殺したら、正常な死亡と書くだけだ」と言った。私の体は打たれて黒紫色になり、眩暈(めまい)がして体のバランスが取れなくなり、歩くと転んで歩けなくなった。記憶を失い、眼光が停滞し、しばらくして吐血した。1カ月あまり飲食ができず、昏睡状態に陥った。警官らは毎日、私の息の根が止まるのを待っていた。

'酷刑演示:鞋底打脸'
拷問の実演写真:靴の底で顔を叩く

 ◎山東省の林建平さん、江沢民を告訴

 明慧ネット昨年9月21日の報道によると、54歳の林建平さんは、法輪功を学んでいるとの理由で、現地の610弁公室に二度も家財を押収され、2回拘禁され、1回は思想改造施設に入れられ、6年余り様々な拷問で苦しめられたが、九死に一生を得た。

 林さんは迫害の首謀者・江沢民を告訴した。以下は告訴状の一部の内容である。

 「法輪功を学ぶ前に、子供が生まれた後、冷え症、関節炎などの病気を患った。病院に通って民間の秘法を試しても効果がなかった。1998年11月、私は法輪功を学び始めた。1カ月後、あらゆる病気が消え、健康になった。その後、商売をする時に争わなくなり、利益の前で他人に譲るようになった」

 「2005年末、現地の610弁公室は罪名をでっち上げ、懲役3年の判決の上に、また3年の刑期を加え、私を山東省女子刑務所に拘禁した。邪悟者・丘秀シンは、しょっちゅうテーブルに飛び上がって、私の髪を引っ張っていたので、ある日、引っ張られた髪が大量に地面に抜け落ち、丘秀シンはそれを見て、得意になって笑った。丘秀シンに何回も平打ちされたが、数を覚えることができず、いつも顔中、傷だらけだった」

'被迫害前的林建平'
迫害前の林建平さん

'被迫害后的林建平'
迫害後の林建平さん

 ◎広東省茂名市の潘明勝さんは、苦しめられ障害者になった

 潘明勝さんはこのように語った。「ある日の夜、多くの監室から悲鳴が伝わってきた。間もなく、受刑者がカメラをよけて、私を裏へ引きずって、私の爪を一つ一つ剥がしはじめた。しかも『転向しなければ、1分先はない』と喚いた。その時、私の悲鳴は、陽江刑務所中に鳴り響いた」

'酷刑演示:顺地拖着走'

拷問のイメージ図:地面で引きずられる

 

 法輪功学習者を転向させるため、陽江刑務所は死亡目標を決めた。受刑者は警官の指示通りに私を苦しめた。受刑者・李昌泰は憎々しげに「黎亮(法輪功学習者)はどう死んだか、知っているか。転向しないと打ち殺すぞ」と言った。その時、殴られ、もうすぐ死んでしまうのではないかと思った。

'酷刑演示:毒打'
拷問の実演写真:暴力を振るわれる

 ◎3回の労働教養に処せられ、5年の冤罪を経た陝西省の定年の教師が、江沢民を告訴

 明慧ネット昨年9月24日の報道によると、陝西省の羅長雲さんは、法輪功を堅持したため、3回の労働教養を強いられ、陝西女子労働教養所で苦しめられた。2008年、羅さんは懲役5年の判決を下され、陝西省女子刑務所で無理やりに薬を注がれ、毒針を注射された。14年間、羅さんは二十数回も連行され、両親の面倒を見ることができず、夫はお金をゆすり取られて嫌がらせをされ、耐えきれないために離婚した。2人の娘も巻き添えにされた。

'中共酷刑示意图:注射药物'
拷問のイメージ図:薬物を注射される

 ◎夫が迫害死した大慶市の賀志洪さん、江沢民を告訴

 明慧ネット昨年10月12日の報道によると、黒龍江省大慶市の法輪功学習者・張忠さんは、2006年10月16日、ハルビン市公安病院で死亡した。享年35歳。当時、病院は死因および死亡通知書を一切提供しない上、家族に遺体を見せなかった。

'张忠'
張忠さん

 2003年4月4日、張さんは懲役12年の判決を下され、大慶市刑務所に拘禁された。4人の監視役に監視されていた。

'遭受大庆监狱迫害,瘦骨嶙峋、生命垂危的张忠'
迫害を受けて危篤状態に陥った張忠さん

 2004年7月23日午後、刑務所は責任を逃れるため、酸素マスクを付け、高熱で瀕死状態の張さんを刑務所から押し出した。かつて若くて健康だった張さんは、骨と皮ばかりに痩せこけていた。年老いた両親は目の前の変わり果てた息子の姿を見て、涙を流し嘆いた。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/1/9/B3-340478.html)
 
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