文/湖北省の大法弟子 境玉
【明慧日本2017年2月25日】
慈悲偉大なる師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
修煉の道で悟ったことが山ほどありますので、以下では、師父の御慈悲のおかげで、大きな事故から九死に一生を得てから全部回復するまでの経歴を書き、同修の皆さんと分かち合いたいと思います。
一、私は事故後、集中治療室に入った
2012年10月9日の晩、大法弟子のAさんと人里離れた田舎まで行って真相資料を配り、真相シールを貼りました。配り終わったのが夜の12時近かったので、「板張り」の輪タク(訳注:自転車式のタクシー)を頼んで家まで送ってもらいました。十数キロの村道を走って、やっとメイン道路に出ることができました。「板張り」の運転手はとても速かったのですが、メイン道路に出た瞬間、大きなタンクローリーが私たちが乗っていた「板張り」の車を突き飛ばしました。その時、運転手は何メートルもはね飛ばされ、私も「板張り」の中で人事不省に陥りましたが、Aさんだけは比較的はっきりしていました。タンクローリーの運転手はひどくびっくりし、すぐに緊急電話をかけ、交通警察の電話にも通報しました。
すぐに、私たちは救急車で県の病院へ送られました。私は直接、集中治療室に送られ、全身を検査し、検査結果は、大腿骨頭損傷、寛骨臼(訳注:股関節を形成するくぼみの部分)が大腿骨まで4つに断裂、肋骨が11本骨折、3本損傷、内臓の全ての位置ずれ、右側の骨と足の靭帯がすべて損傷し、胸の出血が続いている状態でした。これはこの出来事の後で身内が教えてくれたことです。
次の日、自分は資料を配っていたはずだ、とかすかに感じましたが、どうして全身を動かすことができないのか、わかりませんでした。「ここはどこだろうか」と思い、周りに多くの人がいると感じましたが、目が開けられませんでした。全力を注いで目をゆっくりと開こうとし、周りの人の話から、その時、私の顔は全体が腫れ上がり、臀部と足がむくんでまるでバケツのようで、人間らしい姿をしていないらしく、ある者は泣き、ある者は叫んでいました。その時、私は話をすることができず、事故が起きたのだということはこの時、心でわかり、目を開けると「息を吹き返した、息を吹き返したぞ」という肉親の声が聞こえました。
この時、吐く息ばかりで吸う息がないように感じ、人生の最後の極点まできてしまったかのようで、自分を挽回するすべがないように感じました。そしてこの時、確かな信念が「あなたは大法弟子で、師父の保護があるので、これぐらいのことはなんでもない」と告げました。そして、師父に助けを求め、心の中で「大法弟子の体は金剛不壊の体なので、誰も迫害できない」と自分に言いました。
二、ただ一筋、修煉の道を歩む
3日目、私の情況を知って何人かの修煉者が来ました。ある修煉者がベッドの前で正念を発し、その他の修煉者が家で24時間リレーで発正念し、ある同修はMP3を送って来て、師父の講義録を聞かせました。昼間は師父の説法を聞かせ、夜は、同修たちがそばで学法し、正時での発正念を行いました。さらに、私の家族と交替して、代わる代わる看護してくれました。同修たちが無私に尽くしてくれたので、この巨難を突き破る自信が段々と確かなものになっていきました。
10日が経ち、手術が必要であることを医師が確認し、夜は飲まず食わずであることを家族に通知され、明日の朝8時半に手術を開始し、市の三級甲等医院(訳注:中国における最高等級の病院)から整骨科手術の専門の医師に来てもらうので、手術室に入る準備をしておくようにと説明を受けました。
この時の私はまるで正念がなくなってしまったかのようで、主意識が強くなく、ただどうしようもなく医師の言いなりになっていました。ちょうど手術室に入ろうとした時、同修がたくさん来てベッドを取り囲み、私を見ていました。この時、小さな声が聞こえ、頭の中に「手術も迫害である」という言葉が打ちこまれました。この言葉を聞いた時、突然心が明るくなり主意識が強まり、頭がはっきりとしてきて、「手術はしません」という言葉がはっきりと口をついて出ました。同修たちはすぐに「言いました、言いました」とお互いに確認し合いました。私は「この言葉を同修たちは待ちに待っており、私がこの言葉を言うのを確認したかったのだ」と思いました。同修は私を励ましてくれ、私は何もしゃべらずに、ただ心の中で「手術はせず、迫害を解体し、師父が必ず体を元通りに戻してくださると信じており、必ず良好な状態に戻ると信じています」と師父に助けをお願いしました。
この時、麻酔医がやって来て、手術室へ私を迎える準備をしながら、術前検査の結果を見て「肝臓に問題があり、アミノフェラーゼが400以上あり、40前後に下がらないと手術できません」と言い、サインを拒否しました。医師が麻酔医にサインを要求したので、麻酔医が「問題が出たらだれが責任を負うのですか?」と言い出し、この言葉が医師と麻酔医の間に対立を引き起こしました。すると、医師は今度は家族にサインを要求しましたが、家族も問題があることに気づき転院を強く要求しました。こうして、師父のご加護と同修たちが正念を発して助けてくれたので、旧勢力の按排を解体し、それは、慈悲で偉大なる師父が難を防いでくださったのです。
私は市の三級甲等医院整骨科に移され、医師は「幸いにも、今日は手術台に上がらなくてよかった、上がっていたら命がなかったところです」と言いました。市の医院に移ってからも、市内の同修が細々と世話をし、正念を発してくれていました。市の医院に入院して10日前後経ったころ、医師が手術を要求し「検査の結果、アミノフェラーゼの数値がもう下がったので、手術ができるようになりました」と告げました。この時、私の正念は強まっており「頑として手術せず、旧勢力の按排を認めない」と思いました。私が手術を受けまいとしているのを見て、医師は夫から私に手術を勧めるよう要求し「手術をしなければ起きれず歩くこともできず、たとえ立ち上がって歩けても足は不自由なままで、片方の足は長く片方の足は短く、びっこのまま痛みが続き歩けるかどうかもわからず、もしかしたら麻痺する可能性もあります」と告げられました。そこで私は「もし手術をしたら、長期間痛くなく、びっこにならないと保証していただけますか?」と反問しました。すると医師が「保証できません」と言うので、私は「保証できないのであれば手術はせずに、このままにしておきます」と言いました。
すると、夫が手術を勧め「今、事故を起こした相手はけがを治すために治療費を出したいと望んでいるがまだ負担しておらず、将来、万一後遺症が残ったら、医師の言うとおり本当に想像できない重大な結末が起こり、そうなったら莫大な治療費が必要となり、私たちの収入では到底無理だ。将来、子供の学費にもたくさんのお金がいるし、その時、どうすればいいのか、考えてみなさい。後悔先に立たずだよ」と先々のことを心配して言いました。
夫が話している間、心の中で「旧勢力は責任を負わないが、師父は主導権を握っておられ、絶対にこのようなことが起こるはずがありません」と否定し続けていました。私は人間の理を用いて夫に「今は手術をしなくても私はここにいますが、万一、手術台で手違いがあったら私はいなくなり、その時になったらそれこそ後悔先に立たずです。ですから、手術はしません。安心してください、あなたの言うような問題は起こらず、師父が保護してくださっているから、大丈夫です」と言いました。すると夫は「師父が保護されているのに、どうしてこんな大変なことが起きたのか?」と言いました。そこで私は「師父が保護してくださらなければ、私はとっくに死んでおり、もうここには居ませんよ」と言いました。
魔難を溶かし、迫害を解体してくださるよう、1日も欠かさず師父にお願いしました。医師が段取りした手術の日程から2日経っても、私が一向に手術しようとしなかったので、夫は安心できず、ある方法を思いつき、私に「検査の結果を県内に持って行って私の学生に見せ、学生は県の第3医院の院長で、彼の学友は県内で整骨科の権威なので、手術をしなくてもいいと言うのなら、私も手術をしろとは言わない、どうですか?」と言いました。師父が私を助けてくださったのだとわかったので「いいですよ」と承知しました。
その後、魔難を溶かしてくださるよう、ずっと師父にお願いしました。夜の9時になって、夫が電話をした後、私の名前を呼び捨てにして「おい、よい知らせがある、手術をしてもしなくてもいいそうだ」。それを聞いて、涙が一斉に流れ落ち、すぐに合掌して師父に感謝しました。
この出来事はまだ終わっていませんでした。途中、紆余曲折し、手術をしない事を私たちがすでに確定したことを知ると、医師は機嫌が悪くなりました。中国人の道徳が低下し、医師の多くが金を稼ぐためで、病人のことを本当に思っているわけではないからです。医師は「以後、何かあっても自己責任としてください」と強く言いましたが、それでも心は動じず「自分で責任をとります」と堂々と言いました。
三、予定より少し早く、骨牽引を取り除く
入院中、医師が薬をたくさん出しましたが、修煉を始めてから、1粒も薬を飲んでいませんでした。医師が出した薬を最初だけ飲み、それは家族の無理強いを避けたいからです。というのも、夫の姉が小声で、私が薬を飲むのを見ていなければならない、と夫に言っているのが聞こえたからです。薬を飲んだ時、薬が溶けて水になってしまうよう師父にお願いをし、水を飲んでから薬を飲み込むと、家族は安心してしまい、薬を飲むことに関して私に関わらなくなりました。その後の薬は全て捨てました。
病院に修煉者が来て師父の『轉法輪』を読んでくれたので「病院は私がいる場所ではないので、帰って正常に修煉すべきだ」と感じ「修煉者が人を救う時間を無駄にし、師父に合わせる顔がないので、できるだけ早く退院して家に帰らなければならない」と感じました。そこで、骨牽引を外すよう何度も要求しましたが、医師は外しませんでした。次の日、修煉者に「家に帰りたい」と言うと、修煉者も「骨牽引を取り除かなければ帰れません」と言いました。
この時、ちょうど夫がいなかったので、看護師を呼んで、私がけん引を取って欲しいということを看護婦から医師に伝えてもらいました。すると医師は「まだ取り除く時期ではないので、問題が起きたら自分で責任を取ってください」と言い、そこで私は「自分で責任を負います」と答えました。しかし、医師が繰り返し聞くので「自分で責任を負います」とはっきりと言いました。私が強烈に要求したので、最後は結局、予定より十数日も早く牽引を外しました。隣の病人が骨牽引を外した時は涙を流し、なぜなら牽引の鉄筋は骨の中にまで達しており、外科用の鉗子でも抜けなかったので、力を入れて金槌で叩きましたが、それでも叩き出すことができなかったからです。なので、医師は私が痛がっていると思ったようでしたが、私は全く痛くなく、師父が私のために痛みを受け入れてくださったのだ、とわかったので、牽引の鉄筋を取り外してくださるよう心の中で師父にお願いし、師父にお願いするやいなや、医師がけん引を引き抜いたのですが、本当に素晴らしい奇跡でした。
四、奇跡的に、3カ月で完治した
2日が経ちましたが、まだ足がまっすぐのままで、ひざを曲げたりできず、立つことができませんでした。同修が2人来て、病室で私を助け起こし、杖をついてゆっくりと歩かせました。同修が私の足を強く抱きながらゆっくりと前に進み「自分で歩けるようにならなければなりません」と師父にお願いしました。次は、同修が私の後ろに立ち、自分でゆっくりと前に進み、次の日、ベッドから下りることができました。1週間が経ち、病院は担架で私を救急車まで運んで家に送り、夫はお手伝いの方を頼んで私の介護をするように依頼しました。
家に帰ってからも病院にいた時と同じように、引き続きベッドに仰向けになって煉功動作を行い、3日目、立ち上がってゆっくりと椅子にもたれながら抱輪すると、大汗をかきましたが、30分間抱輪を堅持し、煉り終わるととても楽になりました。
私は自分を病人とはみなさず、3日目、排泄の世話もお手伝いさんの助けを必要としなくなりました。私が普通の人とは違っているようだ、とお手伝いさんは感じたので「よその家ではどんな事をするのも私がやっていましたが、あなたは反対で、どんな事をするのも私がやる必要がありません」と言いました。そこで、私が法輪功の修煉者であることを伝え、法輪功の真相と大法の不思議さを伝えると、お手伝いさんが大法を認めたのが見て取れたので、同時に、三退を勧めると三退に同意しました。
夫は教師なので、春は家を出て新入生を募集しなければならず、私たちは3階に住んでおり、お手伝いさんが野菜を買いに行っていたのですが、お手伝いさんが来てから1カ月後には、自分で買い物に行けるようになり、お手伝いさんは要らなくなりました。当時、私が負傷した状態について、夫は「足を90度曲げることができ、座ってトイレに行けるようになったら満足です」と言っていましたが、私の体の回復が素晴らしいのを見て喜び、法輪大法の師父に感服し、同修の惜しまぬ応援に感謝しました。
煉功の時「第4式の功法は腰を曲げる必要があり、第5式の功法は座禅を組まなければならない」と思いましたが、足はベッドの側に掛けることができるだけで、腰は丸めることができませんでした。今、足を曲げることさえできないのに、どうやって座禅すればいいのでしょうか? そこで「私は修煉者だ」と思い、師父は「ここで一つの冗談を言いますが、在席の皆さんの中に確かに修煉してよくできている人がいますが、あなたたちが双盤できなければ、天上の菩薩はこれを見て皆口を押えて笑っています、みてご覧、あの修煉者はまだ双盤できないよ」[1]と説かれました。そこで、師父に加持をお願いし、包帯ですねを引っ張り止め、大腿部に向かってできるだけ曲げると、少しずつかかとを大腿部に近づけることができるようになりました。少しずつ足を引っ張ると、ゆっくりと座禅を崩すことができました。足を引っ張り上げて座禅した時、患部がきりで刺すように痛くて耐えられず、涙が流れました。足を外す時「師父は旧勢力の手から私の命を救い出すのにあんなにも大きなものを請け負ってくださったのに、これぐらいの痛みは痛みとは言えないので、双盤で座禅を組むのだ」と思いました。そしてそれほど経たないうちに、双盤で座禅を組めるようになりました。「きっと私のはっきりした心を師父がご覧になり助けてくださったのだ」と思いました。
負傷した日から数えてみると、全体で3カ月前後の時間で本調子に戻り、真相を伝え「三退」を勧めるために出かけられるようになりました。親戚、友人と周りの人々が以前と同じように私を見て、みんな親指を立てて「法輪功は本当に素晴らしい!」と敬服して言いました。
秋になり、娘が大学に合格した後、行政機関所在地にいる親戚(大法弟子)の家に1カ月間泊まり、一緒に学法、煉功し、真相を伝える資料を配って人を救いに出かけました。ある時、自治会の居住区に大法を中傷する中国共産党のバナー(旗印)があるのを見つけたので、夜になってから姪2人(大法弟子)と一緒にその居住区で資料を配り、真相シールを貼りました。資料を配り、シールを貼り終えた後、姪2人は正念を発し、私は中国共産党のバナーの後ろ側の扉をこじ開け、後ろ側から中国共産党のバナーの布を全部もぎ取りました。もぎ取った途端、人が1人やって来たので、私たちは大きい空き地から道を縫って行き大通りに出ました。そして、中国共産党のバナーの布を丸めて道端に捨てました。すると、ちょうどバスが来たので、バスに乗って帰りました。