警察官の修煉物語
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文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2017年4月6日】私は小さい時から肌が弱く、アレルギー体質で、よく薬を飲んでいました。大学3年生の時、さらに病気だらけになり、白内障、鼻炎、虫歯(のぼせるとすぐ歯茎が腫れる)、慢性気管支炎、慢性腸炎、肩関節周囲炎、関節炎、そして、小さい時からの弱い肌は脂漏性皮膚炎(医者は一生治らないと言う)になりました。たくさんの大病院に行って治療をしてもらいましたが、いずれも治る気配はありませんでした。当時私の最大の願いは健康の素晴らしさを味わってみたいということでした。

 大学に入ってからいろんな気功を習い、太極拳も独修しました。これらのものは健康には少し役には立ちますが、病気治療には顕著な効果はありませんでした。どうしたらいいのかと迷っていた時、同級生から宝の本『轉法輪』をいただきました。それから、私は大法修煉の道を歩み始め、1カ月後、見事に健康を取り戻しました。修煉してからもうすぐ22年間になりますが、私はいかなる病気にもかかったことはありません。

 大学を卒業した後、故郷に戻り、公安局の警官になりました。新人研修の時、同じ宿舎の新人警官は人を罵り、私は彼を止めようとしたため、彼はテーブルの上に上がって、7、8人の新人警官の前で、上から私の頭を蹴りました。私は爆発寸前になりました。以前に習った武術や格闘技を使えば、彼のような素人は2~3分あれば、徹底的にやっつけてしまうことはできるのですが、しかし、自分は修煉者であることを自覚して、怒りを抑え、気を取り直して、「私は修煉者ですから、あなたと争うつもりはありません」と言って、振り向きざまその場を立ち去りました。

 落ち着いてから、自分はなぜ彼と争ったかを改めて考えました。自分は小さい時から人をいじめる人間が嫌いで、彼のことに対して前々から反感を抱いており、彼にあまり優しく対応しませんでした。その後の付き合いの中、私は今までのギクシャクした関係を根に持たず、彼に対する先入観を捨て、何度も彼を助け、1カ月半の研修が終わった時、彼は私に謝りました。私も自分の非を認め、彼に優しくなかったことを心から謝り、「修煉者は誤ったことをすれば直ちに改めなければならない、そして人に先入観を持ってはいけない」と話しました。彼はとても感動しました。

 私は警察署で治安、交通、暴動の防止などを担当し、時には刑事事件も担当しています。警察官の権力はとても大きいため、多くの同僚はそれを自分の特権として乱用しました。例えば交通管理を担当する人はタクシーの運転手に無料で送迎をさせ、定期的に贈り物を強要しました。カラオケやダンスホールの経営者に対しても同じで、贈り物が少なければ粗捜しをして嫌がらせをしました。私から見ると、タクシーという商売はとても大変で、多くのタクシーはなかなかお客さんを拾えず、一度、罰金を払えば、5~6人を運ぶ売上金は全部飛んでしまい大きな痛手になります。それに当時、多くの工場は倒産し、一部リストラされた労働者はご飯も食べられない厳しい状況の中、どうして彼らをゆすり取ることができるだろうと思いました。師父は何度も私達に何事も他人を優先に考えるようにと教えられていますので、私は自分の権限の範囲内で、できるだけ運転手達に便宜を図りました。同僚達は勤務中、よくタクシーを頼んで私用に出かけましたが、どうしても必要な場合、私は必ず乗車料金を払いました。しかし、運転手はなかなか警察官からタクシー代をもらう勇気がなく、私は「あなた達も大変でしょう。私は法輪功の修煉者ですので、あなた達の苦労をよく分かっています。是非受け取ってください。これは私が私用で車を使っているからです」と言いました。

 職場の警察官も私が修煉者で、うまい汁を吸わない事を知っています。一度、誰かが私の名前を使ってタクシーをタダ乗りしました。同僚は運転手を連れて私の前に来て確認させたら、運転手はこの人ではないと言いました。同僚は皆笑いました。「絶対この人ではないでしょう。この人はタダ乗りの乗り方を知らない人ですから」と言いました。

 正規以外の収入を生み出すため、警察は売春買春する人を厳しく取り締り、彼に罰金を課しました。拷問をかけ自白を強要してから、彼らを小さな部屋に閉じ込め、酷い扱いをしました。彼らに対して、よく1日か2日もトイレに行かせず、顔を洗わせたり、歯を磨かせたりせず、女性は生理が来ても誰も構ってやりませんでした。自分は修煉者で、人に優しくしなければならないと分かっていても、しかし、他の人から気の弱い無能な者だと言われたくないため、そして、自分は女性と喋るのが苦手なので、彼らを助けるのにすこし躊躇しました。その後、落ち着いて考えれば、自分の行動が正しければ恐れる事はないだろうと開き直りました。そこで、私は毎日朝、昼、晩、時間通りに彼らにトイレに行かせ、顔を洗わせ、歯を磨かせ、時間通りに彼らにご飯を届けました。中のムスリムは中華料理を食べないから、私は自腹で外から精進料理を買って来ました。そして、トイレットペーパーを女性達に買ってきました。彼らに、自分は法輪功の修煉者で、誰に対しても優しくするようと師父から教わっていることを話し、彼らに優しく接して、大法弟子に対するとても良い印象を与えました。

 当時、私は警察署の寮に住んでいました。警察署の建物は下の数階は仕事場で、上は寮になっていました。建物の設備修繕や清掃、掃除などは結構疎かにされていて、各階の蛇口はよく壊れており、そのまま放置されていました。私はレンチなどの工具や蛇口を買って来て、修理のできるものを修理し、修理のできないものを新しいものと交換しました。廊下の掃除はほとんど誰もしてくれないため、時間があれば私が掃除をしました。最初、他の人に自分をひけらかしているのではないかと言われるのを恐れ、その後、この恐れる心も正しくない人心だと気づき、それから、正々堂々と掃除をしました。最初、たくさんの蛇口を買って来ても料金は請求しようとしませんでした。その一つの理由は、この程度のお金でしたら、自腹でも構わないと思ったことと、もう一つは他人に不正に請求しているのではないかと言われたくないからです。その後、上司は蛇口の料金を請求して下さいと言われたので、私は最後の買い物のレシートを出して料金を請求しました。こうして、結婚して寮から出るまでの2年間、私はずっと備品の修繕と掃除を続けました。

 普段外でパトロールをする時、同僚達はよく私用をこなしたり、どこかで映画やビデオを見たりしましたが、私はそのようなことをしないので、しばしば1人でパトロールしました。しかし、そのようなことがばれると上司に怒られますので、彼らは誰も私と一緒にパトロールをしたくありません。外を巡回する時、2人で1台の車で出かけますが、誰も私を乗せたくありませんでした。仕方なく、私は歩いてパトロールをし、歩いて帰って来ました。私の悪い噂が広がりました。最初の頃、私は悔しくてやりきれず、一度、あまりにも辛くて吐血までしました。その後、師父が『轉功輪』の中でおっしゃった「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」のお言葉を思い出し、心は次第に落ち着いて来ました。しかし、状況はやはり変わりません。

 自分はよく我慢したのに、なぜ状況が変わらないだろうか、やはり自分には問題があるのではないかと思いました。そこで、「自分には徳を失いたくない気持ちがあるのではないか、国民から給料をもらっているのにきちんと仕事をしなければ徳を失うことになる、そして、圧力に負けて常人に屈してしまう、それらのことを恐れているのではないか」と思いました。最後に、今のような社会では、何もかも修煉者の理を持って常人に要求してはいけない、やり過ぎでもだめだ、そして執着を恐れてはいけないことを悟りました。こうして、強引にする心と徳を失うことを恐れる心、執着を恐れる心を放下し、世間の理との関係をうまく整理できた後、皆さんとの関係も元に戻りました。

 一度、法を学んだ時、これほど素晴らしい法を暗唱すべきだと閃きました。しかし、当時、仕事は交替制で、勤務時間も不規則で、心の中はとても焦りました。しかし、ある日、突然、職場の異動令が出たと言われ、私は新しい環境に異動になりました。新しい職場での仕事はだいぶ楽になり、勤務時間も規則的で、私はこのチャンスを利用して、『轉法輪』を暗唱しました。1カ月半で一通り暗唱しました。毎日上へ突破しているように感じました。暗唱が終われば、他の空間では法がびくともしない不動の山のように感じました。師父が入念に按排されたすべてのことに感謝いたします。

 警官の仕事の中で、様々な心に響く出来事に出会いました。それよりもっと多く感じさせていただいたのは、弟子の向上と安全のために師父の時々刻々のご啓示とご加護でした。毎回そのことを思うと思わず涙がぼろぼろと流れました。

 少しの感想を書き出し、もっと多くの人々に法輪大法をより良く認識し、より良く理解をしてほしいと思いました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/3/27/343585.html)
 
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