文╱中国の大法弟子
【明慧日本2017年4月6日】私は東北地方にある小さな県に住んでおり、静かで少人数の職場を持っています。同修達は何かあればよくここに来たがるため、そうこうするうちに、ここは修煉者の皆さんが集まる場所となりました。私もここで同修に携帯電話の真相音声メッセージを入力したり、三退名簿を海外に送ったりする後方支援を行っています。夏になると、真相を伝えるためにすっかり日焼けした同修達の顔を見たり、また、同修達から聞かされた様々な不思議な出来事を思い出したり、さらに、毎日届けられて来る1枚1枚の三退名簿を手にして、師父の慈悲なるご加護に対する感謝の気持ちでいっぱいになりました。
一、黙々と円容する
農村に真相を伝えに行くプロジエクトは2015年の年末から、同修達が自発的に福字を届けることから始まりました。従って、私の職場はそのためのサービスを提供する場所となりました。
毎朝、農村に真相を伝えに行く同修はまずここに来て、2人で1組を組み、4人集まれば1台の車で出発します。このプロジエクトに参加している人は常時20人ほどいますが、毎日、車を2、3台、時には4、5台を出しています。1台の車に約100部の真相資料を持って行くため、私は毎日数百部の真相定期刊行物、「九評」、真相シール、お守りなどを用意し、同修達が来る前に、お湯を沸かし、りんごなどの果物(同修が提供する)を持たせるように準備しておきます。4人の同修が集まれば、運転手同修に連絡を入れ、運転手同修はすぐにやって来るため、同修と真相資料を載せた車はそれぞれの農村地域に出発していきます。
しかし、これらのことを長期間やってくるにつれ、私の心の中で少しプレッシャーを感じるようになりました。毎日ここから大量の資料を運び出し、多くの人が出入りをし、そう思うと時には場所を変えた方がいいのではないか、あるいは4人の同修がお互いに連絡して、どこかの場所を決め、運転手同修に迎えに来てもらったらどうか、あれこれと考えました。しかし、やはり駄目だと思いました。なぜなら、ここはすでに同修たちがお互いに交流できる心の拠り所となっており、その上、毎日大量の三退の名簿もここに送られて来るし、しかも参加する同修も誰かが決めたわけでもなく、今日は誰かが用事があったり、明日誰かが来られなかったりして、ここに来れば誰かと手を組めて、他のグループに便乗すれば、すぐに出発できるので、この便利さがあったからこそ、このプロジェクトはほとんど止まることなく、ずっと運行して来れました。
私は自分の考えを正し、「自分のことばかり考えてはいけない、それは私であり、旧宇宙の属性である。ひたすら同修のために考え、全体のために考え、衆生のために考え、師父が求められた事を圓容するようにしよう」と自分に言い聞かせました。そして、「真相資料は迫害される証拠ではない、衆生を救う法器である。私達は最も正しい事を行っており、旧勢力は妨害してはならない!」、こう思うと、心の中は平然となり、迷いも消え明るくなりました。
ここではずっと黙々と協力してくれた同修達のことを話したいと思います。最近、大量の資料を必要とするため、資料を作る同修達は各種の真相定期刊行物、『九評』、『江沢民その人』、画報、お守り、真相シール、真相DVD等をたくさん制作し、昨年からずっと出稼ぎにも行かず、私達が必要な時、必ずタイムリーに届けてくれるよう、全力を尽くしていました。そして、真相資料を配る同修達は、いつも先に予定地域に行って資料を配っておき、面と向かって真相を伝える同修達に下地を作っていました。時には年配の同修も参加しており、毎回、夜に出かけるため、いつも夜中1時を回った頃にやっと帰って来ます。
それから3人の運転手同修も大変協力的で、いつも電話1本ですぐにやって来ます。真相を伝える地域が広がるにつれて、行く場所もますます遠くなり、農村に行く同修たちに心理的負担をかけないため、彼らはいつも往復50キロ以上の送り迎えをしています。一部の同修はこのプロジェクトに資金を提供したいと言ってくれ、彼らはガソリン代も取りません。1人のタクシー運転手をしている同修は、一昨年新しく家を購入し住宅ローンを抱えており、子供達もまだ学生でちょうどお金がかかる時期です。同修の再三の説得の下、彼女はやっと少額のガソリン代を受け取るようになりました。もう1人の運転手の同修は師父が自分に智慧をくださり、まったく知らない土地でも、地図を見ればすぐ場所が分かるようになったと喜んでいます。
我が県には16の郷、鎮があり、それぞれの郷、鎮には数十箇所の小さな村があります。地図に載っている場所であれば、私達は必ず行くようにしており、今すでに十数の郷や鎮を踏破しました。
二、全体で協力して、同修を救出する
昨年5月13日以前に、4人の同修がA郷に真相を伝えに行った時、その中のAさん、Bさんが真相の知らない人に通報され、派出所まで連行されました。一緒に行った他の2人の同修は真相を伝え終わって、AさんとBさんに電話をかけても出ないため、大変なことが起きたとはじめて分かりました。午後3時、私達は同修の夫(同じ同修)に電話して知らせた時にはもう手遅れで、県の国保大隊やA郷の派出所の警官らがすでに同修の家を家宅捜索し、パソコン、プリンター、大法の書籍、真相資料など全部が没収されていました。
私達はすぐに地元の同修に正念を発するようにと知らせ、すぐに私達3人の同修とBさんの夫と一緒にA郷の派出所に駆けつけ、同修の釈放を求めました。その後、さらに3人の同修も駆けつけてくれました。この派出所の所長は長い間ずっと大法弟子の迫害に加担し、邪悪にひどく操られていたため、私達は発正念をして、彼の背後に潜んでいる邪悪の要素を一掃し、さらに、2人の年配の同修が所長に大法の真相を伝え、大法弟子に優しくするようにと説得しました。しかし、この所長は気が狂ったかのように怒鳴り散らし、同修と面会させてくれませんでした。夜9時、同修は留置場に送られました。私達はとても重苦しい気持ちになりました。
同修が迫害されたことから私は内に向けて探しました。農村に真相を伝えに行ってから、今までは何もかも順調でした。しかし、しばらく前に、すでに2人の同修が連行されたことが起き、同修達はこの迫害を断固として否定し、その日の夜に正念をもって対処し家に帰ってきました。しかし、私達はその原因を深く究明しませんでした。そして、毎日大量に届けられる三退の名簿を見てとても嬉しくなり、知らず知らずのうちに歓喜心が芽生えてしまいました。さらに、同修達は最初の頃のように、ここに到着したらすぐに発正念をして、前もって行く予定地の空間場の邪悪を一掃しなくなり、気を緩めてしまったことにも気づきました。もう一つ、今度連行された同修のBさんは耳が遠くて、大きな声でしゃべらないと聞こえません。農村に真相を伝えに行くことに向いていない(他の事ができる)のにもかかわらず、私は情に流され、しっかり対応してませんでした。実は、Bさんが真相を伝えに行った初日、一緒に組んでいた同修がとても大変だったと言われていました。しかし、彼女には人を救う心があり、翌日また朝早く遠くから私の所に来たこともあり情に負け、私は同修Aさんと組ませてしまい、結局連行される始末となりました。私はひどく後悔して、深く自分の過ちを責めました。
同修みんなが交流し自分達の不足を探し、発正念をして迫害された同修を加持しました。さらに、私達は迫害された事実を明慧ネットに送って世間に知らせ、一部の同修はこの件を文章にして携帯電話で発信し、一部の同修はこの内容を貼り出し、また一部の同修はBさんの夫に保釈を求めることに協力するようにと説得しました。最後に、師恩の慈悲なるご加護の下、全体的な協力と正義感のある人々の協力により、同修AさんとBさんは7日後に留置場から家に戻って来ました。その後、A郷の派出所の所長の態度も大きく変わり、昨年7月下旬から同修達が再びA郷に真相を伝えに行き、それが終わるころに、当所長から「また通報する人がいた、気をつけてやりなさい」との伝言がありました。
同修達はさらに地元の政治法律委員会、公安局、各郷、鎮の派出所にまで、迫害の真相資料の小包を送りました。その中には真相定期刊行物、DVDの「風雨天地行」、「九評」と「江沢民の真実」、そして封鎖を乗り越えるソフトウェア、さらには手書きの真相の手紙も入れました。そして、彼らに再び迫害に加担しないように、真相を知ってほしいと心から願いました。
残り少ない時間の中で、私達はより協力、協調して、師父との誓約を必ず果たし、もっともっと多くの衆生を救えるように皆で頑張り努力いたします!!