神韻のポスターを貼る中で向上する
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文/ニューヨークの大法弟子

  明慧日本2017年4月17日】私は1996年3月に幸運にも修煉を始めて、2012年10月にアメリカに来ました。アメリカに来てからずっと真相を伝えることをやっています。今日は神韻宣伝に携わる中での修煉体験を語りたいと思います。

 一、大法の仕事をする時、心を清浄にしよう

 初めて神韻のポスターを貼りに行った時、頭の中に何の先入観もなくて、「店側はポスターを受け付けてくれるのか」というような心配を一切せず、その日、僅か半日で同修と一緒に45枚を貼り出して、しかも貼る場所は皆とても良い場所でした。しかし貼る回数が増えるにつれ、いわゆる常人の「経験」が生まれて、店に入る前に「この店は貼らせてくれそう、あの立派な店は貼らせてくれそうもない」と思ったりしました。時には、豪華に装飾している店を見たら、わざと跳び越します。また、時々ポスターを貼る意義を忘れたり疑ったりして、こんな寒い中で貼り続けていくのは意味があるかと疑ったりしました。その時に、師父は他の人の言葉を通じて私を悟らせてくださいました。例えば、ある日、ポスターを貼る時にちょうど店から客が出て、ポスターを見て客は「あら、お母さんを連れてこのショーを見に行こうと考えましたが、チケットを買うのをずっと忘れていました。今日ポスターを見て思い出しました。帰ったら早速チケットを予約します」と言ってくれました。

 特に集団学法・交流する時、同修たちの発言も私を大きく励ましてくれます。自分はポスターを貼り出す枚数だけを重視し、ポスターを貼ることを常人の仕事のように扱ってしまって、衆生を救う我々の目的を忘れていた、と私はやっと悟りました。これから出会ったすべての衆生に機会を与えて、彼らに自ら選んでもらおうと私は自分に言い聞かせました。それから、私と同修はポスターを貼る時、ほとんど全ての店に漏れなく入って、店が忙しくない時間帯なら、店の人に詳しく神韻公演を紹介して、もし店の人が興味を示すなら私たちはさらに神韻のVTRをお見せします。多くの人は「綺麗です、観に行きたい」と言ってくれます。

 ポスターを貼る過程に多くのハプニングがあって、ここで自分の心性が変わる前後の出来事を述べます。普通、白人が経営する店に行ってポスターを貼りたいと相談すると、店の人はたとえ断ってもとても礼儀正しく対応してくれます。しかし、中国人が経営する店に行くと、彼らの断る態度は本当に人の心を傷付けます。ある日、私は中国人経営の店に入って、ポスターを開いてまだ話もしていないうちに、店の人が頭を横に振って、絶えず「要らない、要らない、要りません」と言いました……少しでも紹介をしたいと思うと、彼女はずっと反感な態度をしました。私はとても礼儀正しく店を出たのですが、その時の心境は辛いものでした。

  出てから何軒かの店を訪問した後、また1軒の中国人の店が目の前にありました。同修は何げなく「また中国人の店ですか」と言いましたが、私はその時考えたのは「入るか、入らないか」のことです。やはり入りましょう、店の人に自分の未来を選ぶ機会を与えなければならないと、一瞬の躊躇を経て私はすぐに心を決めました。師父は『二〇〇九年大ニューヨーク国際法会での説法』に「人を済度することは即ちすべての人を済度することであり、人を選ぶことは慈悲ではありません」と説かれました。店に入ったら私は簡単な紹介をしただけでしたが、店長は入口あたりのとても良い場所を指して、「そこに貼って良いよ」と言いました。私の清浄な一念は店長の善良な心を呼び覚まし、彼は自分のために素敵な選択をしたと思います。

 もう一回、中国人経営の某レストランの前に来ました。あの店は私がポスターを貼る中で見た最も大きくて最も豪華なレストランです。こんなに豪華な店、また経営者が中国人なので、貼らせてくれるかと私は入口の前に立って考えた時に、一緒に来た同修は「さあ、入りましょう」と言ったので、私はすぐマイナスな考えを排斥して発正念をしながら店に入りました。マネージャーに目的を説明したら、オーナーに聞かないといけないとマネージャーは言って、ちょうどその時にオーナーの70代の元気なお爺ちゃんが後ろから来ました。私たちはポスターを広げてまだ何も話していないのに、オーナーは「わ~、とてもきれいだ、成功を祈ります」と言いました。

 その時、私の手に多くのビラを持っていました。一つの店に多くても10枚を置くと神韻事務所がルールを決めたので、ここにも10枚置こうと私は思いました。しかしオーナーは私の手からすべてのビラを受け取って、目立つ場所にきちんと置いて、またポスターをもらって、場所を探し始めました。入口の正面は大理石で出来た壁となり、下に生け花を飾っています。質素な壁に鮮やかな生け花、とても調和が取れて上品です。実を言うと、その壁にどんな装飾品を飾ってもその調和した感じを壊すことになると思いますが、意外にもオーナーはポスターをその大理石の壁に貼りました。しかもオーナーは自らポスターを手に持って、上下に動かして貼る位置を試し、私たちに「ここで宜しいか」と尋ねました。私と同修はとても嬉しくて「ここは大変良い場所ですね。有難うございます」と答えました。

 それから私たちはオーナーに法輪功を紹介して、法輪功が中国で蒙っている迫害、中国共産党の邪悪なども説明しました。彼はとても根気良く聞いてくれて、私たちが言っている内容に賛同を表しました。私たちが自分の心を清浄にすれば、衆生はきっと正しい選択をし、師父もきっと私たちに縁のある衆生を出合わせてくださるのです。

 二、店側と良いコミュニケーションを取る

 ニューヨークでポスターを貼るのは一回きりではなく、何回も貼らないといけないので、店側と良いコミュニケーションを取ることは大切です。チケット割引や優待券を贈る提案もあったのですが、それは妥当ではないと私は思います。店に入ってただ「ポスターを貼って良いか」、もしくは「ビラを置かせてもらえませんか」と聞くだけでは物足りなくて、最も良いコミュニケーションは、店の人々に神韻は何であるかを伝えることだと思います。

 初めの時、私は店の人に神韻は一つの芸術公演であること、および公演の場所と期日を紹介した後、ポスターを壁に貼らせてくれないか、ビラを置かせてくれないかを聞きます。許可をもらえば貼って、もらえなかったらすぐ店を出ます。よく一緒に行った同修のAさんは、「これはまだ足りなくて、人々はやはり神韻が何かを分かっていない」と指摘してくれました。私はずっと英語が得意でないことを理由に神韻の英後での紹介を暗記していませんでした。実はそれは安逸心と怠惰です。おまけにAさんはとても英語が上手なので、私はAさんによく依存して惰性も生じました。

 安逸心を克服するため、私は神韻の英文紹介を暗記しました。翌朝、地下鉄の出口を出て目の前に現れた1軒目の店はなんととても高級なブティックです。ご存知のようにブティックは普通、ポスターなどを貼らせてくれないところですが、私は雑念を一掃して、その時頭いっぱいになったのは昨夜暗記した神韻の英文紹介でした。せっかく覚えたので、使わなきゃと思って、私は店長に英語を使って神韻を紹介して、最後にポスターを貼る依頼を言い出すと、店長は快く「玄関の壁に貼ってください」と答えました。彼女が話し終わった後、私は本当に自分の耳も疑いました。私は許可をもらえると期待していなくて、店に入った時はただ英語を練習したいだけでした。この店はブロードウェイエリアの幹線に立地して、客足がとても多く、玄関に貼ってから私はまた店に入って、彼女にもう一面の壁にも貼りたいと相談すると、彼女は再度快く同意しました。本当に神韻とは何かを知ったら、衆生はきっと正しい決断を下すと私は分かりました。

 またある日、私と同修はある銀行のような建物に入りました。外の看板に「銀行」と書かれていますが、中にカウンターもATM機も見えなくて、立派に装飾した長い廊下の突き当りに、我々はやっと接客係に会いました。彼が使っている台はとても小さいので、彼の文具を置くほか、神韻ビラを置くスペースさえ無さそうです。私は「ポスターを貼らせてくれませんか、ビラを置いて良いでしょうか」と聞いてみて、彼は「駄目だ」と言いました。諦めた私は店を出ようと考えた時に、一緒に行った同修は彼にビラを渡して、店に1人の客もいないため、同修は彼に詳しく神韻公演を紹介しました。神韻公演は何であるかを分かってから、彼は進んで「ビラを少しくれませんか、階上の従業員たちに配ります」と言ってくれました。

 上述数件の事を通じて、衆生に本当に神韻を理解してもらうことはとても重要だと私は分かっていました。彼らは神韻が何かを分かってから、代わりにもっと多くの人に神韻を紹介してくれます。彼らはこれで自分のために素晴らしい未来を選んでいます。師父が『二〇〇二年米国フィラデルフィア法会での説法』に説かれた言葉、「法を正す中で、全ての衆生にとって、未来の道は自分自身で選ぶものであり、全ての生命が直面しているのは、確かに自分自身で未来を選択することです」を思い出しました。

 三、正念で困難を乗り越える

 ポスターを貼る当初は比較的難しくて、多くの店は貼らせてくれなくて、時には1日多くの店を回っても数枚しか貼り出せません。同修たちは絶えずに発正念してくれたおかげで、明らかに貼り出す率が上がって、だんだん順調になったことを実感できます。特に最後の20日間、90%以上の店は貼らせてくれました。

 今年の神韻公演の当日に、ポスターはまだ500枚残っていました。私たち十数人は四つのチームに分かれて、ニューヨーク市内で活動を始めました。目標はこの500枚を全部貼り出すことです。移動する時、車の中で私たちは『論語』を読んで発正念をしました。目的地に行ったら、ほとんどの店は協力してくれて、その上貼らせてくれた場所もとても良かったのです。自ら貼ってくれた店長もいて、その場で我々にチケットを買い求める人もいました。我々の担当地域を貼り終えたら、ポスターがまだ残っているので、こんなに貴重なものを無駄にしたくないため、運転手は臨時に新しいところを探して私たちを連れて貼りに行きました。その年にニューヨークでは8日間にかけて11公演があります。1人でも観に来られそうな衆生を見逃さないために、多くの同修は開演した後もタイムズ・スクエアに行き、ずっとビラを配っていました。同修たちの純粋な心に私はたいへん感動しました。

 ポスターを貼る中でいろいろな人に出会い、彼らの態度によって私は様々な執着心を生じます。優しい店に出会ったら私は歓喜心を、態度が乱暴な店に私は闘争心が生じます。また嫉妬心、顕示心、安逸心、負けず嫌いの心、自我に固執する心、相手を責める心、相手を見下す心、メンツを重んじる心、利益を重んじる心、色欲、恐れる心、口を修めない、などなど、様々な人心が暴露してきました。

 師父は『轉法輪』に「常人の中で捨てられないような心を、全部あなたに捨てさせなければなりません。どんな執着心であれ、それを持っているかぎり、さまざまな環境の中でそれを少しずつ削り落とさなければなりません。さまざまな失敗を経験させ、失敗の中で悟らせることこそ修煉なのです」と説かれています。

神韻宣伝活動は即ち師父が大法弟子に与えて下さった心性を高め、執着心を除去する機会です。ポスターを貼ることは私にとってとても貴重な修煉の機会となり、衆生を救うことと心性を鍛えることが、それをやった中で両立していました。

 四、大法のプロジェクトは、どれも大切でどれも楽ではない

 ポスター貼り以外、他の神韻宣伝活動にも参加しました。私の英語はあまり上手でないため、参加というと、主に神韻プレゼン会で中国茶道のパフォーマンスをしました。何回か小規模の神韻プレゼン会に参加したことがあって、拘束時間は比較的短いのです。その時に私が考えたのは、「もし自分の英語がもう少し上達して、ここで外国人たちに神韻を紹介できれば、室内にいて風に吹かれて雨に濡れることもなく、洒落た服も着られるし、おまけにそれほど疲れない」ということです。

 それから、私はモーターショーと財政経済展にも中国茶道をパフォーマンスしました。連続3日間、毎日7~8時間立ちっぱなして、休憩時間に少し座れるのですが、やはりとても疲れました。7時間立ちっぱなしは7時間歩くことに比べ、はるかに疲れます。それで、室内の神韻宣伝活動に携わる同修たちを私は羨やんだりしなくなりました。神韻宣伝につき、どの形の活動も重要で、大法弟子としてどの活動が楽かを見るのでなく、どの活動が最大限に自分の能力を発揮できれば、どの活動にも参加すべきだ、そうではありませんか。一生懸命に神韻の宣伝に投入して、師父のご期待に答えられるように頑張ります。その年、ニューヨークの神韻公演は大成功で、どの日も満席を実現したことは、私たちにとって最も大きな励ましになりました。

(2013年ニューヨーク法会の発表原稿)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/5/26/274415.html)
 
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